トウメイノチカク
§2 ブーズ④


 地底人がいるのだから天空人もいるのだろう。天空とは天空人のこと。七海には「天空」と日本語に訳されて聞こえるが、彼らの言葉では「シーレン」だとベルクに教わった。
 ちなみに天使のような羽が生えているわけではない。ただし、彼らはキメラを作っているため、その意味では羽の生えた人間も存在する可能性はあるらしい。爬虫類に似た尾の生えた人間はすでに確認されているそうだ。
 さまざまな説明を七海はぼんやりと耳に入れていた。
 どれほどおぞましい話を聞かされても、七海にはフィクションかファンタジーだとしか思えない。説明された大半が七海の理解を超えており、さらにこれまで培ってきた常識が「いやいやそんなわけないでしょ」と邪魔をしてくる。すんなり信じてしまうには現実離れしすぎていて、ともすれば身の毛が弥立ちそうで、何もかも曖昧なまま遠くに放り投げてしまいたかった。

 今日中に七海の身分証とパスポートが発行されることになり、その出来上がりを施設内のカフェで待つことにした。
「仕事はいいんですか」
 なぜか同行する上司をやんわりと遠ざけようとするベルクに、「今日の仕事は終わった」と言い切るヴェーテ。その背後でヴェーテの部下らしき女性が諦めたように肩を落としながら踵を返していた。彼の部下は気苦労が多そうだ。
 七海にとってはカフェであっても、彼らにとってはバーのようなものだ。七海はカフェオレ、ベルクはカフェモカ、ヴェーテはブラック。ちなみにカフェモカはかなり強いらしい。コーヒーやカカオに酔うのだから、カフェモカは最強だろう。逆にアルコールは清涼飲料水扱いなのだとか。
「ねえ、さっき言ってた黄とか白って、もしかしなくても肌の色のことだよね」
「あー……僕たちの肌には色がないでしょ。だからパートナーの肌の色は濃い方を好むっていうのかな、そういう傾向があるような……」
 歯切れの悪いベルクを問い詰めれば、地底人が求める地上人パートナーの肌の色は、茶、黒、赤、黄、白の順で人気があるらしい。時代によっては茶と黒が入れ替わる流行のようなものがあるのだとか。
 彼らの肌は白人よりも白く、どちらかといえば青白い、赤みのない白さだ。
「でもさっきのあの言い方って、完全に人種差別なんだけど」
 七海がちらっとヴェーテを見れば、ヴェーテはわざとらしく目を逸らした。ヴェーテのパートナーはアフリカ系アメリカ人のゴージャスな女優だ。さぞや鼻が高いのだろう。
「地上人にとってはそうだけど、僕たちにとっては単に好みの問題というか……」
「ベルクも?」
「僕の場合は正直好みを言っている場合じゃなかったから……」
「ベルクの好みは?」
「僕は七海の肌が一番綺麗だと思う」
 泣きそうになりながら誤魔化すベルクを見て、この人がこの先どれほど強くなったとしても決して人格が変わることはないだろうな、と七海は小さく溜め息を吐いた。もう少し自信を持ってもいいような。
 七海の溜め息を誤解したベルクがびくっと震える。
「僕は本当に、肌の色なんてどうでもいいって思ってたんだよ」
「わかってるから。ごめん、嫌な言い方した」
 七海が謝れば、ベルクはほっとしたように表情を緩めた。
「七海だって好みがあったでしょ?」
「んー、私の場合はとにかく筋肉質で押しの強い人が苦手ってだけで、好みみたいなのはなかった……」とこそまで言って七海は思い出した。「飛行機でベルクが隣に座ったとき、素敵な人だなって思ったから、ベルクが私の好みだよ」
「僕だって! かわいらしい人が隣でラッキーって思ったから」
 こういう会話をバカップルと言うのだろうか。ベルクの隣に座るヴェーテが白けた顔をしている。

 すでに欧州ペアは帰路に就いたらしい。
 彼らはテータで隠された自家用機(とはいっても飛行機のような乗り物ではないらしい)で乗り付けたとか、施設の上には地上人には知覚できない海上発着場があるのだとか、ここの職員は総勢で五十名にも満たないとか、宿舎はかなり豪華で住み心地がいいとか、この施設の説明なのか自慢なのかわからない話をざっくりされたものの、残念なことにやはり地上に出ることは許されなかった。

 カフェはアトレーンと同じく円形の空間だ。ドーム天井の中央からはスポットライトのような光が落ち、その光の輪の中には楕円の寝椅子が円を描くように置かれている。周りと同じ明るさなのに光の種類が違うのか、くっきりとその境が見えている。スポットライトのような光は最大五パーセントの太陽光であり、一日十五分ほどの日光浴が推奨されているのだとか。
 今も足の先から指の先、頭や顔まですっぽり覆われた白い全身タイツのようなものを身に着け、さらにゴーグルのようなサングラスをかけた数人が、寝椅子の上で日光浴をしている。七海にしてみれば、かなりシュールな光景である。
 ただ、その光の中で見る白は他より鮮やかだった。光に色などついていないにもかかわらず色が溢れているかのように見える。七海にはスポットライトの外はどこか色褪せて見えていた。

「そういやあお前、またビジネス使ったんだって?」
「ああ、僕ファーストクラス好きじゃないんですよ」
「なんでだよ」
「なんでって、雰囲気といいますか、ビジネスクラスの方が気楽なんですよ」
「お前もビジネスジェット使えば?」
「嫌ですよ、何気に地上側の手続き面倒じゃないですか」
「まあな。うちはむこうのマネージメント会社がやってくれるからなあ。で、最近日本支部どう?」
「特に変わりありません。僕の休んでいた二週間で大きな変化がなければ、ですけど」
「そうか、よし、お前の転勤が決まったぞ」
「は? 何言ってるんですか、いつ決まったんですか」
「たった今。お前俺の直属な」
「嫌ですよ」
 カフェインのせいか、彼らは大袈裟なくらいの身振りで話している。日本語に翻訳されているせいか居酒屋での上司と部下の会話のようだ。
「ダメ?」
「ダメです」
「お前今の仕事で満足してんの?」
「してますよ。あれひそかに楽しいですから」
 それにヴェーテが舌打ちした。
「確かに評判いいよな、お前の仕入れたヤツ。データ変換も丁寧で的確だって聞くし。最近のなんだっけ、推理モノ、あれ結構面白かった。彼女もあの犯人役は自分がやりたかったって言ってたな」
「シーズンⅡを休み明けに送ろうと思っていたところです。あの事件、ひっくり返りますよ」
「嘘だろう! なあ、ああいうあんま地上では話題になってない映画ってどうやって見付けてくんの?」
「あれは映画じゃなくてドラマです。スウェーデンの制作だからあまり知られていないんですよ。そもそもあなたのパートナーはテレビドラマには出ないでしょ」
「出ようかなって言ってたぞ」
「さすがに無理ですよ。ギャラが違いすぎます」
 ベルクが生き生きと話している。自分の仕事に誇りを持っていることが伝わってきて、七海までなんだか誇らしかった。
「アメリカでリメイクするって言ってたけどな」
「あーそういえば最近の制作にも携わっているそうですね」
「面白いらしいよ。おかげでちっとも帰ってこない」
 唇をとがらす顎割れマッチョに七海は引いた。見る人が見れば魅力的な仕草なのかもしれないが、いかんせん七海にとってはマッチョと割れ顎のダブルパンチで失礼ながら目にも厳しい。

 彼らはどうでもいい会話をしながら、指先の動きで何かを伝え合っていた。さり気なくカップを置く位置や寄せ合う頭の角度を大袈裟な身振りの中で調整していたのは、おそらく監視カメラのようなものを避けるためだろう。七海も座る位置と姿勢をさり気なくベルクに視線で指示され固定している。彼らの手元がベルクのテータで覆われていることに七海は気付いていた。

「お前、帰りはちゃんと申請しろよ」
「行きも申請したはずなんですけど……」
「届いてないぞ」
「おかしいなあ」
 ベルクが首をひねる横から、「あのっ」と上擦った声がかかった。さっきのヴェーテの部下だ。
「申請、届いていました。こちらのミスです。申し訳ありません」
 勢いよく一気に言ったあとに右手を胸に当てる彼女の仕草は、さっきベルクがしていたのと同じだ。どうやらそれが謝罪のジェスチャーらしい。
 ヴェーテにきつく睨み付けられた彼女は、肩をすぼめながら「さっきそれを言おうとしたのに……」とかなんとか言いながらよろよろと数歩後ろに下がり、「申し訳ありませんでしたぁぁ」と軽く叫びながら素早くカフェを走り去って行った。パンツスーツにスニーカーというまさに逃げ足を考えての出で立ちかと思うような見事な逃げっぷりだった。
「あいつなー、Ⅳの下なのに仕事できなくてなー。まだパートナーも見付かってないし。あと二年で見るかるかなあ」
「僕のように残り四ヶ月で見付かる場合もありますから……」
「すでにマニの交換ができる相手はいるんだよ」
「だったら……」
「あいつにはよくわからん自信があってな、自分には運命の相手がいるはずだって目の前にある幸運に気付きもしない」
 ヴェーテが重々しく溜め息を吐く。
「指導の仕方がまずいんじゃないですか?」
「じゃあお前いる?」とヴェーテがかなり失礼なことをぽろっと言った。
「僕に部下は必要ありません。必要なら彼女に手伝ってもらいますし」
 ベルクが七海に視線を向けた。七海は「もちろん」と頷く。
「せめて日本じゃなくもう少しこっちに移動しろよ」
「嫌です。今の環境気に入ってますから」
 ベルクは気弱そうに見えて時々頑固だ。

 ぴこんと小さな受信音が聞こえ、ヴェーテが胸ポケットからスマホを取り出した。直後にもう一度ぴこんと聞こえ、ベルクもスマホを取り出す。もしかしたら七海が知るスマホと同じに見えて別物なのかもしれない。
「お、お前階級上がったぞ」
「本当だ。早いな」
「俺が至急で送っといた。予算上がったんだからこっちにも家持てよ」
 思案顔のベルクが七海に目を向けた。
「七海、住んでみたい国ってある?」
 いきなり訊かれた七海は咄嗟に答えた。
「え? 北欧?」
「北欧だそうですよ」
 ベルクの通訳に、そういえば七海の言葉は相手に通じていないことを思い出す。
「北欧は違うだろう。アジアで考えさせろよ」
 ヴェーテの仏頂面に七海はまたもや引いた。唇を尖らせていいのは子供だけだ。
「アジアだと?」
「アジアだと断然日本」
 ヴェーテがものすごく嫌そうな顔で肩をすくめた。日本、は聞き取れたらしい。アメリカナイズされた仕草はいちいち大袈裟に見える。ベルクのよく言ったと言わんばかりの表情に七海は苦笑を返した。
 
 二人のスマホが同時に何かを受信した。
「おいこれ!」
「どういうつもりなんだ!」
 腰を浮かし叫んだ二人の険しい表情が何かしらの緊急事態を告げていた。七海は息を呑み二人を交互に見つめる。
 ふわっと七海の周りをベルクの気配が色濃く覆う。テータだ。立ち上がった二人の男に合わせ、わけもわからないまま七海も立ち上がる。
 ヴェーテの元に幾人かの同じようなスーツを着た職員が切羽詰まったような表情で駆けつけてくる。ベルクが七海の腕を取り、守るように自分の腕の中に引き寄せた。
「まずいですよ。これじゃあまるで生け贄です」
 駆けつけた職員の一人が手元のスマホをヴェーテに突き付けながら詰め寄る。
「アフナス、至急自分の家に戻れ。家は誰にも関知されてないな?」
「されていないはずですが、等級が上がる以前に調べられていたらわかりません」
「それはないだろう。あの女が知ったのはついさっきだ。アトレーンへのレベルⅥの防壁使用を認める。おまえらすぐに用意しろ!」
 緊迫した空気の中、ヴェーテの怒号が飛ぶ。弾かれたように駆け出す幾人かの職員。次から次へとカフェに人が集まってくる。
「悪いが、彼女の血液が必要だ。ここにはレベルⅤがいない」
 怖いくらい真剣なヴェーテに、ベルクが殺気にも似た冷徹な気配を纏った。
「あなた方上層部の考えがわからない以上、彼女を巻き込むつもりはありません。最悪彼女を元に戻します」
「お前自分の言ってることわかってるのか! そんなことしたらお前が終わるんだぞ」
 ヴェーテの鬼気迫る声に、七海は思わずベルクを見上げた。
「かまいませんよ。あなただって自分のパートナーが同じ目に遭えば僕と同じことをするんじゃありませんか」
 ベルクの静かな声に、ヴェーテがの躰が一瞬ぶわっと膨らんだように見えた。次の瞬間、ヴェーテはふーっと息を吐き、殺気立った気配を消した。
「そうだな、その通りだ。想像しただけで怒りが爆発しそうだった。悪かった」
「七海、申し訳ないんだけど、血液を少しもらえるかな」
 苦渋を滲ませたベルクを見て、七海は即座に了承した。事態が呑み込めない以上、七海自身が判断できることではない。
「お前たち、いいのか?」
「万が一拒絶反応が出ても知りませんよ」
「志願者を募る。あのクソがっ」
 七海には、ヴェーテの吐き捨てる怒りがどこに向けられているのか、正確にはわからない。少なくともここにいる誰かではないことと、おそらく「あの女」であることくらいは何となくわかる。
「いいか、少なくともここにいるヤツらは絶対に仲間を裏切らない。俺はそう信じている。だが、最終判断は自分でしろ。いいな。いざとなったら俺も含めて誰も信じるな」
 ヴェーテの横からスマホよりも少し厚い金属板のようなものがすっと差し出される。
「あの、これ、緊急用の通信機です。趣味で作った特別回線ですので、この端末同士でしか繋がらず、現状では傍受不可です」
 気弱そうでいて人のよさそうな男性がヴェーテの横から恥ずかしそうに顔を出した。
「有効は? どのくらいで傍受されます?」
 通信機を受けとったベルクが厳しい表情のまま金属板に手を翳している。
「彼らが本気を出せばおそらくひと月にも満たないかと。その間に次の回線を作っておきます。出来上がり次第送りますから直ちに書き換えてください」
 金属板を操作していたベルクの目が次第に見開かれていく。
「これが趣味のレベルですか!」
「趣味です。だからまだどこにも知られていません」
「なんでそんな優秀な人がここにいるんですか! これ完全に新技術ですよ!」
「知らねーよ」と不機嫌なヴェーテは、部下であろう男性にくわっと噛みつくように怒鳴った。「なんで俺にまで黙ってた!」
「わたし、ここが性に合ってましたから。研究所の雰囲気はちょっと苦手ですし、階級が上がるとここにはいられないでしょ?」
 頼りなく笑う人のよさそうな男性が穏やかな口調で「わたしの伴侶もここでの暮らしが気に入ってますし」と頭を掻く。
「アホか。希望すりゃ残れるんだよ。独自研究ならここでだってできる。とっとと階級上げて次を作れ。使えるものはなんでも使え。必要なものは全て取り寄せろ。ただし」とヴェーテが凄んで見せた。「裏を使え」
 どこから見ても裏社会のボス化したヴェーテに、次々と「実は……」と声がかかる。
 どうやらこの職場は自分の趣味を極めるには打って付けだったようだ。ヴェーテのいい加減さが彼らには心地好かったらしい。
 ベルクが目を見張るほどの、ヴェーテが二の句を継げないほどの、七海には全く理解できない最先端技術が次々と発表されていく。彼らはここぞとばかりに自身の高度な趣味を売り込んできた。
 緊迫した空気の中でのやりとりは一見和やかに見えた。話が見えないこともあってか、背の高い彼らの中にいると七海は自分が子供に戻ったような奇妙な心地になっていた。



 つい先程、地上にいる地底人たちに欧州地域統括本部長からとある知らせが舞い込んだ。
 「アジア地域でアルビナ発見! ただしブーズ済み」
 本来であればアジア統括本部長であるヴェーテが公表するのが筋だ。ウシル・アルビナ発見は発見地域における快挙であり功績でもある。また、ウシル・アルビナが発見された場合、発見地域は貴重な存在である彼らを厳重に保護する義務があり、公表はその存在を安全な場所に移した上で成されるものであった。
 その晴れがましくも厳粛な発表の場をヴェーテは奪われた形になる。

 そしてその直後にもう一つ、「ブーズウシル・ブーズアルビナの血液に関する報告書」が新に公表された。
 どう考えても意図的であろうことは誰の目にも明かだった。

 ブーズ済みアルビナは現在わずかに二人。一人はすでに研究対象として厳重に保護されている。
 発見されたばかりの七海は、地上にいる地底人にその血液が狙われることになる。

 地底にある都市国家は十二のスプルから成る。
 都市空間であるスプルの収容人数は最大で二千五百万。
 地底人同士でマニの交換ができるものは全体のおよそ七割。
 地底人、地上人共にマニの交換ができるものは全体のおよそ二割。
 地上人とのみマニの交換ができるものは全体のおよそ一割。うち、地上派遣可能な等級Ⅲを超える成人はそのうちの四割以下。
 地上に存在する地底人の数、およそ一千万。