トウメイノチカク
§2 ブーズ② ベルクは二週間の休暇中だったらしい。バカンスに出掛けようとしてあの事故に巻き込まれた。
しばらく続いたインターネット通話でのやりとりの末、彼の休暇明けを待ってアジア統括本部への出頭が決まった。どのみちパートナー登録に行く必要があるらしい。
モルディブ諸島の小さな島にそのアジア統括本部はあるという。
彼の休暇は残り五日。
翌日からの三日間、とにかくエナジー交換し続けた。気も狂うような情交の末、ベルクの等級はⅥの下まで上がった。ちなみにそれがどの程度なのかを七海は理解していない。ただ、ベルクが等級を確かめようと何かのキットで指先から採血するたびに、あの警報が鳴り、顎の割れた男性が怒鳴り声を上げていた。
「判定キットが壊れているから使うなってさ」
「壊れてるの?」
「いや、壊れていない。僕も最初そう思って予備のキットでも確かめたから間違いない。通常ここまで急激に等級が上がることはないから、壊れているって思うのも無理はないんだ」
ベルクが軽く身動いだ。たったそれだけのことで七海の脊椎を快感が貫く。
「あぁ、んんっ、……動かないで」
「ああ、ごめん」
七海はソファーに座るベルクの上に乗せられている。七海の体内に彼の一部が埋め込まれたままで。互いが身動ぐ度に七海はびくびく震えて喘ぐはめになる。伸縮しないのはこのためなのかと思うほど、七海の躰はこの三日間で確実に彼の形を覚え込まされた。硬さがないときは彼の一部が七海の内側に形を合わせ、一度硬さを持てば彼の形に七海の内側が変化する。思考を蕩けさせる穏やかな快感と思考を飛ばす強烈な快感が常に七海を支配し、思考が上手く纏まらない。
ベルク自身は平気なのかと思えば、「人格が変わりそうなほどの万能感がある」と情けない顔で笑っていた。間違いなく人格は変わっていない。
等級を早急に上げなければならない理由は、アルビナという存在が関係している。
ベルクの上司である割れ顎の男性はあまり評判がよろしくないのだとか。ベルク自身は、それほど付き合いがあるわけでもないからはっきりとしたことはわからない、と前置きしたうえで、裏であくどいことをしているとか、どうやら彼らを崇拝する地上人の地下組織と繋がっているとか、真偽のほどはわからない噂話をぽつぽつ教えてくれた。
「いい加減真面目に話し合わないと」
とのベルクのひと言で、これが最後とばかりに激しく揺さぶられ、七海は艶めいた悲鳴を上げた。
「本当にいいの?」
「本当にいいの。その代わり浮気はなしだからね」
食事代わりのゼリー飲料を片手に今後について真剣に話し合う。完全食であるこのゼリー飲料は小さなパック一つでお腹が十分に満たされる。それは甘いような酸っぱいような微かに塩気を感じるような、まずくはないもののおいしいとは言い難い曖昧な味で、だからこそ飽きがこないらしい。
ちなみに彼の家にある食料は大量にあるこの完全食のほかに、牛乳、ハチミツ、グレープフルーツ、ヨーグルト、チョコレートにお酒だけだった。チョコレートは貰い物らしい。カカオにもカフェインが含まれており、コーヒーとはまた違った酩酊感があるのだとか。
「だから、それはないってば。僕の躰はもう七海以外のマニを受け付けないから」
「そうなの?」
「そうなの。七海のマニはそれほど僕にとって特別なの」
嬉しそうなベルクを目にすればするほど、七海は逆に冷静になってしまう。
「あのね、私はそれでいいんだけど、本当にベルクはそれでいいの?」
「なんで? いいに決まってるけど」
無国籍の人間一人を抱えて生きていくのは相当のリスクだ。七海がそれを説明すると、ベルクは呆れたように言い放った。
「七海、僕の話全然理解してないみたいだね」
正直理解は追いついていない。なにより、一方的に彼からもたらされる情報の正確性すら七海には判じ得ない。ベルクが地底人だというのはわかった。そこはあの光の輪や不思議なテーブル一つとっても間違いはないのだろう。
だからといって、ベルクの語る全てが信じられるかとなると、七海は途端にわからなくなる。彼の言葉を疑うつもりは毛頭ない。とはいえ、七海のこれまでの常識からあまりにも逸脱しているせいで、理解できないというよりは信じられないという思いが強い。
「まず、七海にはちゃんと身分証が発行される。地上の人間が簡単には干渉できないほどの最高レベルの身分証になる。当然僕と同じようにパスポートも発行されるし、必要ならばあらゆる免許も発行される」
「保険証も?」
「あー、そこからかあ」と彼が天を仰いだ。
「まず、ウィルスや細菌、毒物などはテータで防げる。怪我はまあ、万が一があるから絶対はないけど、病気には絶対にならない」
「なんで?」
「エナジー交換している以上、僕のマニが七海の不調を整えるから。大抵の怪我もマニで修復できる。万が一命にかかわるような大きな怪我をした場合は結晶摂取すればいい」
あの視力や歯を再生させたコアの欠片のことだ。
「もうずいぶん馴染んだから、僕とエナジー交換すると躰の不調が治るでしょ?」
言われてみればそうだ。あれほど重力に負けて疲れ切っていたはずなのに、今はなんともない。あれだけの行為をしたにしても、疲れているわけでもなければ躰のどこかが痛むこともない。一切のスキンケアもしていないのに肌つやは以前よりいいくらいだ。
「エナジー交換ってすごいんだね」
「実感できた?」
「できた。ベルクの言う意味がなんとなくわかった」
実際何を交換しているのか七海にはさっぱりわからない。ただ、そうなるとこの先も彼がいうところのマニの交換をし続ける必要がある。
「ねえ、年を取ってもエナジー交換ってするの?」
「あー、たぶん七海は年の取り方も変わると思う。人体の成長って生まれてからほんの十数年、せいぜい二十年くらいでしょ、それと同じで、老化もほんの十数年なんだ」
「ゆっくり年を取っていくわけじゃないの?」
七海たちにとって今日日いくら寿命が延びたといってもそれは老後が延長されているようなものだ。
「ないの。だいたい二十代半ばから三十代前半くらいの状態が人生の大半を占める。簡単に言うと、エナジー交換で細胞を修復するんだ。当然僕とエナジー交換している七海もそうなる」
ふと七海の脳裡にテロメアという言葉が浮かんだ。たしか、老化に関係する染色体の一部分だったような。そういうものが修復されるのかもしれない。
七海の理解を確かめながら、ベルクは話を続ける。
「あと収入に関してだけど、地上で生きる分は全て経費で賄われるから一切費用はかからない。それは僕のパートナーである七海にも適用される」
あまりの好待遇を驚く七海に、ベルクはさらに驚くことを言った。
「ちなみにアルビナの血液は一㎖あたり、んー今のレートはどのくらいだろう、だいたい十二万円くらいで取引される」
「血が売れるの?」
「売れるの。ウシルやアルビナの血液は人工マニに必要なんだ。僕みたいに地上人としかマニの交換ができない人にとって命綱みたいなものなんだよ」
「二百㎖で……二千四百万?」
驚く七海にベルクは当然とばかりに頷いた。献血一回分が一財産だ。
「それってすごく身の危険じゃない?」
「だから僕のレベルアップが必要になるわけ。アルビナは本当に特別なんだよ」
「ちなみに今のベルクの等級は?」
「今現在Ⅵの上。レベルⅥを超えた人は過去にも数えるほどしかいない。ただ、現状でも僕が使いこなせるかが問題なわけで……」
ベルクが情けなく眉を下げた。
「使いこなせないの?」
「そうだなあ、自転車が宇宙ロケットになるくらいの違い?」
わかるようなわからないようなたとえに七海は首を傾げた。
「ライターが核ミサイルになるくらいかな」
たとえようもないくらいの違いということはわかった。
「練習できないの?」
「今しているところ。この家のテータをどこまで厚くできるか試しているんだけど、どこまでも厚くできるからキリがないような気がしてる」
いつの間にそんなことをしていたのか、七海にはまるでわからない。
「保護膜みたいなものって言えばなんとなくわかる? 実際に厚みが出るわけじゃないんだけど、厚くなればなるほど強固に七海を守れる」
「もしかして、あの丸い乗り物、なんだっけ、アトレーン? にもテータってされてた?」
「されてるよ、感じた?」
「なんとなく。通り過ぎるときに膜みたいな何かを感じたような……」
「あ、じゃあこれは?」
ベルクが言い終わらないうちに七海は陽炎のようなものに取り囲まれた。
「わかる。空気が揺らいでる」
「うん、今わかりやすくしてみた。じゃあこれは?」
陽炎がガラスのように透明になる。視角を様々に変えながら、七海はそこにあるはずの膜を認識しようとした。
「んー、難しいかな。何かあるような感覚はあるけど、目には全く見えない」
「へえ、感覚はする?」
「なんとなくだけどね。言われないと気付かないかも」
「それは僕のマニだからだよ。たぶん他の人のマニはもっと知覚できると思う」
「そうなの?」
「そうなの」
ふーん、と気のない返事をする七海に「かなりすごいことなんだけどな」とベルクは呟く。
「で、独占契約……なんだっけ、ブーズ? しないの?」
七海が話を戻すと、途端にベルクは不安そうに揺らいだ。
「本当にいいの?」
「ベルクこそいいの?」
「だから、何度も言ってるけど、僕にはメリットしかない……」そこまで言ったベルクは気まずそうな顔で口を閉じ、ふっと力を抜くように笑った。
「これじゃあ、いつまで経っても進まないね」
「さっきから同じことの繰り返しだもんね」
互いに顔を見合わせ小さく笑う。
ふう、と軽く息を吐いたベルクは表情を改めた。
「では、やりますか」
「お願いします」
七海が立ち上がり頭を下げると、こちらこそお願いします、とベルクも立ち上がり同じように頭を下げた。
ブーズ──独占契約とは血の契約らしい。お互いの血を混ぜ互いに枷をつくる。やり直しも利かなければ、取り返しもつかない絶対の契約だ。
生きることの全てを縛るような契約。にもかかわらず七海に迷いはなかった。
まだベルクについては知らないことの方が多い。運命の相手といえるほどの強い衝動はないし、初めての相手だからというようなロマンチックな理由でもない。
ただなんとなく、ベルクとなら上手くやっていけそうな気がする、というふんわりとした根拠のない自信が七海の中にある全てだった。
あえていうなら直感だろうか。なんとなくこの選択は間違っていない気がする。
地底人──上等だ。
「痛いよ」
テーブルから浮かんできた小さなナイフを手に、ベルクがどこか申し訳なさそうに言う。
「ん、我慢する」
「先に僕の方を切るよ」
そう言って一切の躊躇なく彼は自分の手首にナイフを入れた。続いて反対の手首にも一筋。細く滲む赤が痛そうで七海は極力表情に出さないよう覚悟を決める。
七海は両手首を並べてベルクに差し出す。ナイフがそっと手首に当たる。ベルクが視線で「いくよ」と告げ、七海が頷いた途端、両手首に鋭い痛みが走った。
両手を顔の位置まで上げ、しっかりと手を組むように繋ぎ、互いの手首の傷を合わせる。
痛み以上の熱が手首を縛る。エナジー交換とは別の繋がりがそこに生まれる。
躰がぴりぴりと帯電し始める。エナジー交換にも似た快感が全身に広がる。
快感が吐息となって七海の口から溢れる寸前、彼が七海の口を塞いだ。七海の吐息がベルクに渡る。ベルクの吐息が七海に渡される。
本能のまま夢中でキスをした。
いつの間にか手首の熱は消え、全身に蔓延っていたぴりぴりした感覚もなくなっていた。
「七海が言っていたぴりぴりした感覚、わかったよ」
唇が離れた瞬間、ベルクはしみじみそう言った。
手首の傷は消えていた。痛みも熱ももう感じない。それなのに、躰の奥には別の熱がこもっていた。彼の目にも。きっと七海の目にも。
「七海」とベルクは吐息混じりに囁きながら、七海の片足を持ち上げた。彼のシャツだけを羽織り下着すら身に着けていない七海の中にベルクは一気に押し入ってきた。たったそれだけで熱が突き抜け、七海の頭を白く焼く。淫される。ぞくぞくと身を震わせ、七海の官能は頂点まで押し上げられた。
「七海、ずいぶん敏感になったね」
あれだけ集中的にやり続ければ躰の感覚も変わってくる。
絶頂の感覚にしても大小様々なバリエーションがある。鋭く絶頂するときもあれば、長く絶頂し続けることもある。うねるように感覚が膨れ上がることもあれば、一気に突き抜けることもある。体位の違いもあれば、刺激される場所にもよる。
たった数日で七海の躰はそれまでとはまるで変わってしまった。
彼は花を抱くように大切に守るように七海に触れる。それが何よりも嬉しい。
「誰のせい?」と責めるように七海が言えば、ベルクは嬉しそうに「僕のせい」と笑う。こういう彼の素直なところが七海は好きだった。
「ねえ、ずっと裸でいるけど、恥ずかしくないの?」
ソファーに重なるように寝そべっている彼は素っ裸だ。基本的に彼は裸で過ごすことが多い。クローゼットに部屋着がないのも今なら頷ける。
「逆に七海はどうしていちいち僕のシャツを羽織るの?」
「恥ずかしいから」
「なんで? 僕は七海の全てを知っているのに」
「そういうことじゃないの」恥ずかしさから七海の口調がきつくなる。「ベルクは恥ずかしくないの?」
「だって七海は僕のパートナーだし」
そこで照れる意味がわからない。いや、わかる気はする。とはいえ、いくら夫婦になったとしても、七海は素っ裸で歩き回る自分を想像できない。
「地底人って裸に対する羞恥はないの?」
ベルクの長い指に七海は自分の指を絡めたり、握ったり、滑らせてみたり、と矯めつ眇めつその感触と大きさを確かめる。
「あるよ。さすがに他人の前で裸になるのは羞恥より屈辱だよ」
「そこは同じか」
「同じかなあ。同じじゃないと思うよ。僕ならいくら暑くても人前でパンツ一枚になって泳いだりはしない」とベルクは嫌悪感たっぷりに言った。
「じゃあ、何着て泳ぐの?」
「水中用の全身スーツ」
ダイビングスーツみたいなものだろうか。それはそれで暑そうだ。そんなことを考えながら、七海は繋がりが解けそうだった指を深く絡める。
「基本的に涼をとるって感覚がないんだよ。スプルは温度調整されているし、テータもあるし」
「スプル?」
「そう、スプル。都市空間のことなんだけど……そうだな、イメージ的にはスペースコロニーみたいなものかな」
「映画で見るようなあんな感じ?」
「そうだね、近いものはあるね」
「じゃあ、せっかくモルディブに行っても泳がないの?」
七海が繋がった手をぎゅっと握ると、面白そうな顔でベルクも握りかえしてきた。
「泳がない。そもそも遊びに行くわけじゃないから」
せっかくのリゾート地なのに、と七海が考えていると、ベルクがすかさず「七海の肌を他人に見せるなんて以ての外」と釘を刺す。
彼の選んだワンピースがどれもロング丈だった理由がわかった。袖も短くて七分丈。
「独占欲?」
「誰だってそうじゃないの? 七海は違う?」
肌を見せる云々はベルクが男だからあまり気にならないような……と考えたところで、確かにそういう対象として見られるのは嫌だと気付いた。ベルクが他の女性をエスコートするのは絶対に嫌だ。彼が他の女性に触れるのも触れられるのも嫌だ。満員電車で彼の周囲に立つ女性にすら嫉妬しそうだ。
「私もそうかも」
七海も、他の男性には触れないよう、触れられないよう細心の注意を、と心に刻む。想像しただけで嫌悪感が込み上げた。
「ねえ、いつかこういう気持ちも落ち着いたり薄れていったりして、そのうち相手を憎むようになったりするのかな」
「ならないんじゃないかな。そうならないよう努力すれば」
さらっと言ったベルクに七海ははっと息を呑んだ。
「努力?」
「努力。さすがに努力も何もしないで好きで居続けてもらおうなんて虫がよすぎるでしょ」
七海の両親は努力しなかったのかもしれない。だから互いに罵り合い、互いに浮気し合い、意地の張り合いのように婚姻関係を続けている。
母は父のいないところで七海に繰り返し言う。「七海はお父さんのことが好きよね」と念を押すように。父も母のいないところで七海に何度も囁く。「七海はお母さんが好きだよな」と決めつけるように。
いざというときに七海を引き取らなくて済むよう、幼い頃から相手に押し付けられるよう、七海の感情をコントロールしようとしていた。
「七海?」
愛おしさが込められた声にぎゅっとしがみついた。七海は自分の脆さを初めて知った。