トウメイノチカク
§7 サースナクス④「七海、しばらく時間をシスに合わせるから」
「わかった」
七海のいた世界とこの世界では時の流れが違う。アトレーンそのものは時間の影響をコントロールできるらしく、たとえ宇宙に何千年と漂流していたとしても、最新のアトレーン内部では丸一日くらいのこともやってのけるらしい。
ちなみに、ベルクのアトレーンは最新かつ最高級モデルにバージョンアップされている。アジア統括本部はこれでヴェーテが隠し持っていた裏の予算を使い切ったがために、ヘイなどに予算が回せなくなったとか。いずれユカから補填が入ると言われているが、未だ音沙汰なしだとか。七海が直前で残してきた血の対価の支払いも滞っていたりする。
一切の変化を感じさせないまま、時間の流れだけが変わった。
通信室に浮かんでいるサースナクスのトゥロイア儀が早送りのように時を進めている。ついつい目を見張ってしまう七海は、未だに「SF映画みたいだ」と見慣れない光景に現実を忘れる。逆にコマ送りのように見えていた元七海のマンションの映像がスムーズに流れると、正面にふくふくした笑顔のセリアーテが映し出された。
七海には理解できない言語でのやりとりが続いた後、いきなり日本語に切り替わった。
セリアーテの横では大志が補佐を務めているのか、真顔で何かをセリアーテに示している。二人の背後でヴェーテが腕を組んでふんぞり返り、美帆や他の職員たちはゆるく手を振っている。
七海も手を振り返す。美帆に、元気? と唇の動きで訊かれ、元気、とやはり七海も声に出さずに応えた。
『問題の人種はできるだけ早く排除した方がよさそうですね』
「現段階での排除範囲は?」
『ひとまずは純血統だけで、あとは段階的に様子を見ながら、ですかね』
「ファスティ博士はどちらかといえば絶滅の方向で観察していたように見えますが……」
ふむ、とセリアーテが肉付きのいい顎を引いた。七海の血を採取してからいというもの、アジア本部のみんなはそれまでより筋肉を必要としなくなったのか、体型が少しずつ変わってきている。中でも筋肉が脂肪に変わったのか、最近特にふっくらとしてきたセリアーテはどことなくアザラシを彷彿とさせる。
『ナーレには?』
「その辺はっきりと残されていません。おそらく意図的に残さなかったのでしょう。もともとこのトゥロイアは自身と共に消滅させるつもりだったようですし」
大志がセリアーテに「このマカイロドゥスはどうします?」と訊いている。
『ああ、それと、キメラの存在が薄くなっています。私としましてはこのキメラこそ残ってほしいものです』
「残りそうですか?」
『残しましょう。できるだけ穏便に供給マニの書き換えを行う方法を模索中です。できれば本体にも気付かれないことが理想なのですが、少々手こずっています』
セリアーテがやけに熱っぽく語った。目が輝いている。どうやらかなり興味があるらしい。隣の大志も大きく頷いている。眠そうなヴェーテはどうでもよさそうだが、他の職員にも賛同者がいるようだ。
「あ、七海、こっちで増田さんと会話できるから」
ベルクが言い終わらないうちに、クローズアップされた美帆の映像が七海の前に現れる。ベルクたちはモニタと呼んでいるけれど、七海の知るモニタとは全く違う。空間に光る色の粒が集まっているような感覚で、二次元や三次元の切り替えもできるらしい。今は二次元だ。
『どう、異世界暮らしは?』
美帆のバストアップが七海と向かい合うように自然と口を開く。
「異世界って……間違ってないけどなんか違う」
あははは、と美帆の脳天気な笑い声が響く。
「毎日暇ですることがない」
『でも、接地できるようになったんでしょ?』
「せっち?」
『んー着地? 着陸? 上陸?』美帆が首を傾げている。
「ああ、できるようになったけど、今は消滅する国の調査中だからちょっとね」
『こっちでシミュレーション見たけど、なんか伝染病みたいに広がってる感じ。髪の色が青系って特徴はわかりやすくていいね。こっちの光で見ると普通に黒っぽい髪なんだけど、脇毛とかも青いのかな? 七海見た?』
「見てない。あっでも眉毛も青いから脇毛も青じゃない?」
ざっと見た感じ人口の四割ほどが青系の色を持っているようだった。青から緑にかけてのグラデーションは混血ということになるのだろう。
「交配は限定されてるんじゃないの?」
『初期段階で一度混じったらしいよ。そこから交配が限定されるようになったんだって』
七海には犬や猫の話をしているように思えてしまう。人間が犬や猫にしている行為がそのまま自分たちに返っているようで胸が悪くなる。どんな生き物でも人間がコントロールしていいわけがない。それまで無関心だったことにまで意識が向かう。
『七海、大丈夫?』
美帆の心配そうな声に七海は我に返った。
「大丈夫……なのかな。ちょっとよくわからない感じ。自分とは関係ないのに、なんとなく感傷的な気分になるっていうか」
『七海はそこで体感しちゃってるからじゃない? 私なんて所詮データ上の出来事だからか、一瞬感慨に耽っても次の瞬間には忘れちゃってる』
「ああ、ニュースみたいな感覚?」
『そうそう、聞いている間は色んな感情が浮かぶけど、次のニュースになったらぱっと気持ちが切り替わる、みたいな』
だとしたら、七海はまだドキュメンタリーを見始めたばかりなのかもしれない。まだその真っ只中にいるからか、感情の波が激しく打ち付けてくる。
だとしても他人事だ。いずれ消されてしまう人の気持ちに寄り添うまでにはならない。単に、かわいそう、と思うことで自分に酔いしれているようなもので、それは七海が一番嫌う感情でもあった。
と、そこまで考えて、「あーやだやだ」と七海は声に出してぶるっと震えた。
『どうした?』
「えー、なんか、かわいそうって自分に酔ってるのが染みつきそうで、なんか寒気がした」
『ストレス溜まってるねえ。そっちの世界のおいしいものとか食べ歩けば?』
「食べられるの?」
『食べられるみたいよ。基本的にこっちと大差ないみたい。私たちにとっての毒物はそっちの世界の人にも毒物だって。ただ、味覚が違うかもね。日本の食文化って独特だし』
「あー、そっか、それが地味にストレスなのかも。今もあの完全食のパックだけだから、食べた気がしない。あと、お風呂。サメルできれいになってるとはいえ、お湯にゆっくり浸かりたい」
『ああ、えっと、どれだったかな』と美帆が手元に視線を落とした。『地熱の高い場所のグラフがあったんだよね。そこ掘れば温泉湧くんじゃない?』
「誰が掘るの」
『そりゃあ、アフナスさんでしょ。ほら、謎の力でごそっと』
七海たちがくだらない話をしている横で、ベルクたちはいつアトラスを消滅させるかの相談をしている。とんでもなくシュールだ。
「一国の消滅なんて神の領域みたいで気が咎める」
七海は声を潜めて美帆に愚痴った。
『だって、その世界においてはファスティ博士が創造主でしょ。それを引き継ぐアフナスさんだって神みたいなものじゃないの?』
「そうだけど……」
普段は神の存在なんて気まぐれにしか信じていないのに、こういうところで引き合いに出すのはなんだか卑怯な気がする。
「あー、なんだか物凄くネガティブかも」
『だから、ストレス溜まってるんだよ。たしかそっちの研究所みたいなところが使えるようになったって言ってたから、そのうちそのガチャカプセルから脱出できるよ』
美帆はアトレーンのことをガチャガチャのカプセルにたとえる。言われてみれば似ていなくもない。
「研究所ってどんな感じ?」
「あーとねえ……病院みたいっていうか、言っちゃなんだけどモグルっぽい感じ」
七海は死体安置所を実際に見たことがないのでなんとも言えないが、美帆の言いたいことはわかる。要するに、無機質なのだろう。
「ストレス溜まりそう」
『閉じ込められているよりマシだと思えば』
「他人事だと思って」
『まあ、突き詰めれば他人事だからね』
あっけらかんと言う美帆が軽やかに笑った。ああ、救われるな、と七海は思う。美帆のこういうところにこれまでも救われてきた。軽い笑い声に持ち上げられるように心がふわっと軽くなる。
「そっちはどう?」
『どうって言われてもこっちはまだたいして経ってないから、特に変わりはないよ。七海がいないだけ』
急に美帆の声が湿り気を帯びた。
「ねえベルク」
「ん?」
ちゅうっと完全食を吸い込みながらベルクが、なに? と目で問いかけてくる。こんな味気ない食事をしているのに、躰はしっかり健康に保たれているのだからやるせない。
短期間であればアトレーン内での食事は不要だ。長期間になると経口補給でしか摂取できない成分があるらしく、三日から五日に一度は完全食を口にする。なんとなく喉が渇いたような気がしたら、それが補給のタイミングなのだとか。
今の七海は、目で見て匂いを嗅いで歯で砕いて舌で味わい飲み下す、という行為に飢えている。
「消滅って死ぬってことと同じなんだよね」
「そうだなあ、七海が思う死って宗教観が入り交じっているからなんとも言えないけど、事象としては同じだと思うよ」
「そっか」
「ナーバス?」
「あ、そっか。ネガティブというよりはナーバスになってるんだ」
七海はようやく自分の状態を理解したところで、眉を下げたベルクに気付く。
「もう少し、自分とは切り離して考えられるようにした方がいい?」
そんなこともできるのか、と思いながら、七海はどうしたいのかを自分の内に問いかける。加害者気分になったり、同情したり、かわいそうがったり、その全てはどう考えても自分本位で、結局は、自分は安全圏にいて、そうじゃない人たちを見下しているようなものだとしか思えない。
「どっちかというと、自分の性格の悪さに辟易している感じ。優越感じゃないけど、でもそれに近い気持ちがあるから客観的に見られないんだろうなって」
「共感だとは思わないの?」
「だって共感はしてないもん。どこまでも他人事なのに、感傷的になってる自分にうんざりする」
「七海はきっと、罪悪感を無理にでも感じたいんだろうね」
七海ははっとベルクを見た。記憶を封じられた過去が苦みと一緒にまざまざと蘇る。
「そういうこと?」
「そういうことじゃないかな。そんなふうに自分を分析して嫌悪してるなんて、まさにそのものでしょ」
パックの中身を最後まで吸い込んで、短い食事の時間が終わる。
宙に浮いた大きさも高さも色や形も自在に変わるテーブルと、やはりいくつかのパターンが用意されている椅子に七海とベルクは向かい合って座っている。今はカフェにあるような小さな丸テーブルと曲げ木の椅子に変えてある。
七海は自宅にあった古びた木製のテーブルと椅子の感触を思い出していた。
「別にいいんじゃないかな。実際に七海は安全圏にいるわけだし、当事者じゃない限り気持ちに寄り添うことなんてできないよ。僕だって不憫だなって思っているけど、そう思うだけの何かが自分の中にあるってだけで、それについて自分を嫌悪したりしない」
滴るようなベルクの声は、時間をかけてじんわりと七海に沁み入ってきた。飲み終わったパックを弄びながら、ベルクは注意深く七海の様子を覗っている。
ふと七海の中に、自分の感情くらい自分でなんとかできないでどうする、という反発心のようなものがむくむくと膨らんだ。
「自分が思っているよりもトラウマになってるのかな」
「辛いならもう少し記憶を薄めるけど」
「んー……大丈夫」
ベルクだって好きで七海の記憶を操作したいわけではないはずだ。七海が笑ってみせると、ベルクは神妙な顔で頷いた。
翌日もその翌日もベルクたちは協議を重ねているようだった。そのあいだ七海は美帆と他愛のないおしゃべりをして過ごした。なんの役にも立たない自分を情けなく思いながら、美帆も同じ想いを抱えていることに気付き、互いに慰め合ったりもした。ダメな二人だ。
それでも七海は美帆と久しぶりに話せたことでストレスが解消され、偏った感傷に浸ることもなくなった。
七海のストレス解消を待ったかのように、美帆が研究所と呼んでいた地下に設けられた施設が開放され、ベルクのアトレーンが格納された。
驚くのは最新型アトレーンの性能で、格納された途端球体が変化し、研究施設の要所要所に分散していったのだ。そのまま施設内の設備として機能するらしい。
「なんか、こういう映画ありそう」
七海が呟く横で、ベルクが珍しく「おお!」と興奮の声を上げながらあちこち確認して回っている。
「これ欲しかったんだけど高くて買えなかったんだよ。これがあれば家用の設備を買わなくて済むから」
「これって、前に使ってた汎用型のアトレーンと家用の簡易型サメルなんかを合わせたよりも高いの?」
「高い。全部合わせた三倍くらいする」
「このアトレーンの支払いって、アジア本部持ちなんだよね」
「半分は僕が持てって言われてる」
しょぼんとしたベルクの顔が情けない。レベルⅥにまで上がったのだからお給料も上がっているはずなのに、いつまで経ってもレベルⅢの時の感覚が抜けないようだ。
「あ、じゃあ、私の血の代金もそれに充ててよ」
「えーそれは……」と言いながらベルクの顔はさらに情けなく歪んだ。「ちょっとだけ借りてもいい?」
「私だって住むんだから、私だって払うよ」
七海は当然のことを言ったつもりなのに、ベルクの顔は情けないを通り越して蒼白になった。
「女も養えないなんて……」
突然飛び出した時代錯誤な言葉に、ベルクと一緒に研究所内を確認していた七海は思わず足を止めた。
「なにそれ?」
「だって、地上では男が女を養うものなんでしょ?」
「は?」
「違うの?」
「違うんじゃない? そういう地域もあれば、時代とかもあるかもしれないけど、私が育った環境ではそういうのあんまり聞かなかったよ。私自身も誰かに養ってもらうつもりなかったし」
親に養われることすら嫌だった。七海は子供の頃から自立が一番の目標だった。
ベルクは大きく目を見開いたあと、「そっか、七海はそうだよね」とほっとしたように呟いた。
「七海の方が稼ごうと思えば僕よりもずっと稼げるから、少し焦ってたんだ」
「なんの労力もなく、採血しただけでもらえるお金は稼いだお金って言わないと思う」
「そんなことないよ。七海という特性がもたらす対価なんだから」
特性ねえ、と呟きながら、七海は研究所内の探索を再開する。
少し古びた無機質さは美帆の言っていたモグルという表現がぴったりだった。壁も床も天井も白一色はいただけない。しかもそれが経年劣化でくすんでいるあたり、なおのこといただけない。そこまで大きな施設ではなく、ベルクの家の三倍ほどの広さだ。廊下の幅も天井も高いのは、ベルクたちラスナの人の躰が大きいからだろう。七海が普段なんとなく圧迫感を感じていた廊下というイメージが一新される。
「全体の雰囲気はともかく、廊下が広いってなんだか気分いいね」
「日本は狭いし低いよね。特に歴史のある施設では頭をぶつけなかったことはないかも」
七海はマンションのドア枠に頭をぶつけそうになっているベルクを思い出した。古いマンションだったせいもあるのだろうが、ベルクたちにとって日本は何もかもが窮屈だっただろう。
「歴史のある施設って、色々見たの?」
「見たよ。御所に皇居に神宮、あと古墳?」
指折り数えるベルクに七海は呆れた。どうしてそこに皇居が含まれているのか。御所は京都御所のことだろうし、神宮は伊勢神宮のことだろう。本来は参観できない場所にまで入り込んでいるベルクを思うと羨ましい気もする。
「三種の神器って見た?」
「なにそれ」
「伝説のお宝。剣と勾玉と鏡だったかな」
「そういったものには興味なかったなあ。なんとなく気が向いて見に行っただけだから、特に何かが印象に残ってるってほどでもない」
はは、とベルクが空笑いする。そんなものかも、と七海も自身の経験を踏まえて思う。
「僕の記憶でよければ、七海も見る?」
「あっ、それいい! 見たい!」
その瞬間、ベルクの家にあったものよりも小型かつ広範囲できれいにしてくれるお掃除ロボットみたいなサメルの小型版が廊下の中心を浮きながら迫ってきた。ミニサメルの通った後は笑ってしまうほど真っ白な空間に変わっている。死体安置所から新生児室くらいの劇的変化だ。
「お値段三倍の価値はあるね」
「でしょ」
なぜかベルクが誇らしげに笑った。