トウメイノチカク
§7 サースナクス③ サースナクスは七海が知る世界とそう変わらないように見えた。別の世界というよりは別の国という感覚に近い。違和感は文化の違いとして片付けられてしまう程度でしかない。感覚的に欧米に近い文化もあれば、中東に近い文化もあり、東南アジアに似た文化もある。大陸が全て地続きのせいか、文化のグラデーションが面白いほどはっきり見える。
「この国の人間だけは、いわばファスティ博士が人工的につくりだした人間なんだよ」
超古代文明人の遺伝子を使ってつくりだされた人間たちが築いた国は、ほかの国とは明らかに違っていた。この国だけが飛び抜けて近代化している。
たとえばそのひとつ、国の周りに目に見えないバリアのようなものが首都に向かって幾つか施されており、それが入国審査の代わりとなっている。当然ながら七海が気付いたわけではなく、テータに似たそれを上空からかいくぐって侵入する際にベルクに説明されたのだ。このシステムひとつとっても、明らかに周りから浮いている。
「でも私たちサブもあなたたちオリジンがつくりだした人間なんじゃないの?」
この話題は七海を冷やす。どこが冷えるのか明確な実感はないのに、七海の中のどこかが冷え冷えとする。心が、とはっきり言えるほど感傷的な気分にはならないのに、それでもやはりどこかがすっと冷える。
ベルクは難しい顔で「うーん」とひとしきり唸ってから口を開いた。
「やっぱりサブの誕生とは違うんじゃないかな。サブやサースナクスの大半が自然交配なのに対し、この国の人間の交配は明らかに誘導されているから」
「それって、結婚とかそういう感情的な部分までコントロールされているってこと?」
無表情で頷くベルクを見て、七海は人体実験という言葉が軽く思えた。感情が誰かにコントロールされているとわかったら、どんな気持ちになるだろう。七海がベルクを好きな気持ちが、別の誰か、それこそセムやユクムスナという存在にコントロールされているとしたら……。
この先、七海のアイデンティティがずたずたに破壊されるかもしれない。それが怖い。
問題の国は、あからさまに「アトラス」と名付けられていた。ベルクが言うには、実際の超古代文明には、アトラスおよびアトランティスという国も大陸名や地名も存在していない。わざわざ七海たちの世界での架空の名称を用いるあたり、思い入れがあるようには思えない。真の意味で実験的要素が強かったのだろう。
そのアトラスの郊外に七海たちは降り立った。
涙型の国はどこかしら古代遺跡を彷彿とさせるような雰囲気が漂っている。
「ねえ、ファスティ博士ってどんな人なの?」
「さあ。僕は会ったことがないからよくわからないけど、ナーレの中ではまあ、なんというか、尊大というか、自己愛が強いというか、そんな感じかな。肝心要の情報をナーレに残さないあたり狡猾でもある」
言い辛そうなベルクを見る限り、あまりいい印象ではないらしい。
手を繋ぎながら草原を歩く。ベルクは国境を隔てるバリアの様子を確認しているのか、考え込むような顔付きだ。
「でも、研究者としては本当に優秀だと思う。その意味では尊敬できる。ただちょっと感覚的に理解できないところが多すぎて、僕はつくづく凡人なんだなって実感する」
「そうかな。私から見ればベルクは優秀だし、少なくとも私は尊敬してるけど」
「七海はいつだって僕のこと褒めてくれるよね」
ベルクがいつもの情けない顔をする。
「だって本当のことだもん。ベルクはもっと自信を持ってもいいと思う。ベルクは本当にすごいから」
照れたように笑うベルクが七海に軽いキスを落とした。
「よし、がんばるか」
この国を消滅させるための調査が始まる。
気合いを入れたベルクが記録媒体であるランプを宙に浮かしながら、時々手のひらを向けて何かしらのデータを入力している。ランプがふわっと淡く光るたびに、ベルクは「まあ一応」とか「とりあえずこれも」とか「これいるかなあ」などと呟いている。どうやら一国を覆うバリアの設計図のようなものを解析しているようで、解析しながら「無駄が多いなあ」とぼやいてもいる。
「無駄が多いの?」
「多いね。しかも途中でよくわからない構築があって、んー……これ、なんのために必要なんだ?」
むむっと顔をしかめるベルクに七海はふとした疑問をぶつけた。
「このテータって誰が維持してるの?」
「誰ってわけじゃないんだ。あー……七海、聞く?」
「聞かない方がいい感じ?」
「そんな感じ」
素っ気ないベルクの声は、少しわざとらしい。七海は、んー、と唸りながら悩んで、この先もここでベルクと二人きりで生きるなら、知っておいた方がいいような気がした。
「気になるから聞く」
一瞬ベルクが、あっ聞くんだ、みたいな顔をしたのを七海は見逃さなかった。聞かせたくないから軽く聞こえるように言ったのか。つまり、七海が気分を害すような話なのだろう。
ベルクの喉仏が上下するのを七海は何を聞いても動じない覚悟で見ていた。
「あー……」とやたらと語尾を伸ばしたベルクは、ぐるっとあたりを見渡し、七海の視線を通り過ぎたところで言った。「サブを使って維持しているみたいだ」
「サブって……えっ? 私たちの世界、えっと、シスの人間?」
「そう。サブを媒介として構築されている」
「どうやって?」
「ん? どうやって?」
そこでようやくベルクが七海を見た。
「だって、この世界にシスの人間なんていないんでしょ?」
「ああ、ヴェルーシナみたいなもので呼んでいたみたいだ」
「誰を?」
「誰をって……特定の個人じゃなくて、ランダムなんじゃないかな」
「誰が?」
「この国の支配者じゃない?」
「それって、本人の了承を取って?」
「さあ。この構築からそこまではわからないよ」
ベルクが七海に聞かせたくないと思ったくらいだ、どう考えても本人の了承なんてないだろうし、そこに人権があったとは思えない。人を媒介──嫌な予感しかしない。
「この世界の宗教観に、聖なる人の存在がある」
歩き出したベルクに手を引かれるように七海の足も前に出た。
サースナクスはベルクの管理下に置かれているため、空間を自在にコントロールできるらしく、周りの景色がぶれた次の瞬間には、七海たちは人の多い都市部にいた。街の中心にある広場なのか、バザールのような露天市が立ち、活気に満ちている。どこかで見たような景色は、やはり別の世界というよりは別の国という感覚で、七海とベルクの存在が悪目立ちすることもない。
アトラス人の髪の色が青みがかって見えるのは光の性質がシスとはほんの少し違うかららしい。七海の髪に変化はないが、ベルクの白っぽい髪は透き通るような白ではなく、光り輝く銀を内包しているように見える。その内包している色が色濃く出るのがサースナクスの光の特性であり、内包されているのはマニでもある。本来自分のマニを持たない七海の髪色に変化がないのはそういう理由だ。
「それが、サブ?」
「そういうことになるだろうね。なにせキメラが聖なる獣だ」
「ねえ、シスにもキメラっているの?」
「んー、いると言えばいるし、いないと言えばいない」
「どういうこと?」
「たとえば、恐竜は基本的にキメラだよ。ちょっとした遊び心でつくりだされて、当時流行ったらしい」
思わず七海の足が止まる。背後から来た人が少し迷惑そうな顔で七海たちを追い越していった。
「そうなの?」
「そうだよ」
そんなさらっと言われても……恐竜がキメラ。しかも流行った……。妙に納得できてしまうのはどうしてだろう。七海は頭で考えているつもりだったが、驚きすぎて声に出ていたらしく、ベルクに笑われた。
「え、じゃあ、マンモスも?」
「いや、あれはキメラじゃない」
その違いが七海にはわからない。わからないながらもどうしてか、そうだよね、と納得できてしまう。
「なんか、納得できちゃうのって、どうなんだろう」
「だって、いかにも、だろう? 恐竜って」
ベルクが馬鹿馬鹿しさを隠そうともせず、いかにも、を強調する。たしかに、いかにも、だ。
「えー、なんかショックと納得がごちゃ混ぜ」
どこかほっとしたように笑うベルクを見て、七海は直前のベルクの口籠もった姿を思い出した。
「あのね、私の感情を気遣わなくてもいいから」
反論しようと口を開きかけたベルクの手を七海はぎゅっと握った。
「わかってる。ベルクが私のことを大切に思ってくれていることはわかってる。だから、もしこの先私の感情が邪魔になりそうだって少しでも感じたら、私が聞きたがっても言わなくていいし、なんだったら隠してもいい。ベルクが私のことを思ってそうしてるってことはわかるつもりだから」
信用している、と言った方がわかりやすいだろう。実際に七海はベルクを信用している。それでも、軽々しく口に出してしまえば嘘くさく感じてしまうのが信用という言葉だ。信じているからこそ、そんな言葉をわざわざ口にする必要はないと思っている。かといって言わなくてもわかってもらえると思うほど図々しくもなれない。
「七海」
繋いだままの手に力を入れて、ベルクが再び歩き出した。
「僕たちは繋がっているんだ。今だってこうして手のひらを合わせている」
それがどうかしたのかと、七海は首を傾げた。
「七海がどう感じているかは伝わってくる」
「あー……そっか」
どこかでほっとしてしまうのは、それだけベルクに頼り切っているからだろう。七海はもっと強くならなければならない。自分の言葉でちゃんと伝えられるくらいには。
「だから、僕は七海が知りたいなら、たとえ七海がそれを聞いてどう思おうとも、全部伝えるつもりだよ。そういう意味では、僕だって七海が僕のことを大切に思ってくれていることはわかるから」
「そっか」
足元にマーガレットに似た白い花が風に揺れていた。見ればそこかしこで群生している。
いつの間にか少し拓けた公園のような場所にいた。風に乗って子供たちの声が聞こえてくる。離れた位置に立つ建造物はのっぺりとした近未来的なデザインだ。それでいて、不思議とどこか懐かしいような気がしてくる。
ふと数歩先に小さなきらめきが見えた。
「ねえ、あそこ、何か光ってるよね?」
七海が少し先の白い花の影を指差した。
「ん? ああ、マニが具現化したものだよ。キメラの餌」
「マニの具現化って?」
「んー、マニってある程度は躰に溜めておくことができるんだけど、一定以上は少しずつ放出されるんだ」
サブの中にも放出されたマニを使える人がいる。いわば先祖返りのようなものらしく、七海たちが超能力者と認識している人がそれらしい。
「この世界の人間は、僕たちと同じく人体にマニを取り込む機関が設けられている。死後その機関が化石化して、さらに大気中のマニを取り込んで結晶化する。それがこの世界のエネルギー源」
人体の一部がエネルギー源とは、なんとも微妙だ。とはいえ、七海たちだって化石燃料を使っているのだから、同じようなものだとも言える。
「さらにその濃度を高めてキメラ化したものがこの光の正体」
光のそばにしゃがみ込んで観察していたベルクが光を手に取る。頼りない光がベルクの手のひらで少しだけ輝きを増した。
「これもキメラなの?」
「そう。キメラの餌がキメラって、ちょっとどうかと思うけどね」
「ダメなの?」
「ダメだろう。餌は自然のものでないと。効率悪くても自然のマニを吸収しないと」
「そうなの?」
「そうなの」と言ったベルクが眉を顰めた。「これすごく貪欲なんだな。僕のマニを吸収している」
ベルクが手のひらからぽいと光を落とした。風に乗って小さな光がふよふよと漂う。
「大丈夫なの?」
深く考えずに七海は訊いた。
「ん? 僕が? あのキメラが?」
からかうベルクの声に、七海はほんの少しむっとする。どっちかといえばベルクだが、ベルクのマニを吸収したあの光の存在も気になる。
「どっちも」
「少なくとも僕は大丈夫だよ。あのキメラは、まあ、他よりちょっと強くなるかもしれないけど」
「そうなの?」
「たぶんね。自然に滲み出ているマニよりも人から直接放出されるマニの方が当然濃度が高い。キメラといっても知的生命体だから、学習してしまったかもしれないな」
「どうするの?」
「どうもしないよ。どっちにしろここにある全ての生命は消滅する」
ふよふよと風に流されながら漂っていた光は、また別の白い花の影に落ち着いた。
ひとつの国が消える。
七海には未だ実感が湧かない。きっと湧かないまま、消えていくのだろう。
「例外もなく?」
「どうかな。多少の漏れはあるだろうけど、多少であれば問題ないから。さすがに世界人口の一割弱を占めるのはどう考えても問題だよ」
「一割? そんなに大きな国じゃないのに?」
「人口が集中しているんだ。この国の医療技術が他と比べて高いこともある。新生児の生存率はほぼ百に近いし、平均寿命は他と比べて十年以上長い。今ざっと街中を見てきただけでも、七海、違和感なかったでしょ?」
確かになかった。文化の違いはあれど、生活水準は先進国と大差ない。
「サースナクスに人類が誕生して、この世界の時間軸ではまだ二千年にも満たない」
七海は西暦を頭に浮かべて即座に否定した。人類が誕生したのは紀元前だ。
「もともと文化的な生活を送っていたサブの遺伝子からこの世界の人間は造られているから、ある程度は初めから文化的な生活をしていてもおかしくはないんだ」
「そうなの?」
「そう。遺伝子って思いがけないことまで継承しているから」
七海はこの世界に降り立ったときのことを思い出していた。サースナクスの大自然を前に、まるで遺伝子の記憶だと思わなかったか。あくまでもそれは感覚的なことであって、今のベルクの話がそれと同じだとは思わないにしても、どこかでわかるような気もしてしまう。
「その前提があったとしても、やっぱり不自然なんだよ、この国の存在は」
当惑したようなベルクの声を聞いて、ふと七海は思った。
「もしかして、ベルクは残したいの?」
「そうだね、結果が見えているとはいえ、その結果を見届けたい気もする」
「残せないの?」
「残せない。この世界を残すなら、この国は残せない。この世界はシスの移行先候補の一つとして存在している。ユクムスナがこの世界を存続させろと言っているのはそのためだ」
「私たちの世界の? 移行先?」
「そう。シスには綻びがあることがわかっているんだ」
綻び、と呟く七海に、ベルクのばつの悪そうな顔が言った。
「僕たちの祖先が、まあ、遊びすぎたんだよ、色々。それで現在はシスへの干渉は禁止されている」
「遊びすぎたって……恐竜とか?」
「まあそんなところ。干渉しすぎて世界の構築に綻びが生じた」
「それって、怒ってもいいこと、なんだよね」
「怒ってもいいと思う。サースナクスの人たちもファスティ博士に怒っていい。僕たちだってⅦに怒りをぶつけてもいいんだ」
元凶は全てをつくりだしたセムという存在に向かう。
七海は、自分に関わりが生じることに関して戸惑いはしても、それ以外の、それこそ全体としては他人事のようにしか思えない。それでいて、この世界にそよぐ風も、土や草の匂いも、雑踏の中で感じたざわめきも、人々の日々の営みも、どこまでもリアルに肌で感じてしまう。
残酷なほどに。