トウメイノチカク
§6 トゥロイア③


「行き来はトゥロイアに甚大な影響を与えるから、ヴェルーシナの接続までは最小限で」
 ユカの言葉通り、一足先に必要な物資を積んだベルクのアトレーンをサースナクスの外洋に移動させたところ、小規模ながら地震が発生した。衝撃の大部分はコアが吸収すると聞いていたにもかかわらず大陸が僅かに震動したのだ。マグニチュードで換算すると概算で八から九に近い数字が出ている。本来であれば大地震だ。
 しかもマニがトゥロイアに与える影響はその比ではないらしく、行き来はできるだけ控えるよう、ユカが口酸っぱく繰り返す。

 現在、サースナクスに行くにあたっての最終的な打ち合わせが行われている。打ち合わせているのは主にベルクで、技術的な話のわからない七海は美帆とともにユカと雑談中だ。大志は真剣な顔でベルクたちの話に耳を傾けている。
「多少地形が変わるかも」
「そんなに?」
 驚く七海にユカは溜め息を吐きながら頷いた。
「そんなに。もうここまでできちゃってるからね。つくりかけなら影響があってもたいしたことないんだけど、向こうからこっちが繋がってないから余計に衝撃が相殺されない」
 ベルクが向こうでやる最初の作業は、その繋がりを強めることになるらしい。簡単に言うとヴェルーシナを設置すればいいだけなのだが、言うは易く行うは難しなのだとか。それによってオリジンの行き来が可能となる。
「私たちは行き来できないの?」
 美帆の質問をユカはあっさり否定する。
「サブは行き来はできない。あなたたちマニ持ってないでしょ? 行けるけど戻って来られない」
「そのマニってどうやって持つの?」
「二人は無理。できるとしたらナナミからの骨髄移植かな」
「えっ、骨髄移植したら美帆たちも行き来できるの?」
 驚く七海にユカが当然の顔で答える。
「ナナミの幹細胞なら」
「機密を簡単に口にするな!」
 ヴェーテたちと打ち合わせていたベルクの怒りを買ったユカがへらっと笑いながら肩をすくめる。
「え、なに、七海って血だけじゃなくて骨髄も狙われてるの?」
 美帆の表情が驚きから怒りへと変化する。美帆は七海のこととなると沸点が下がる。美帆が怒ってくれるから、七海は冷静でいられるのかもしれない。
「それだけじゃないよ。肉体全部利用価値があるから。どんな手を使ってでも、ちっちゃな肉片一つでも、喉から手が出るほど欲しいってオリジンがうんざりするほどいる」
 さらっと答えたユカに、美帆と大志は顔を引き攣らせた。七海自身は他人事としか思えない。危険であることは自覚していても、自分のどこにそんな価値があるのか、正直なところよくわかっていない。
「アルビナって元々そういう存在なの。だから、その恩恵に与れる人は全力で守るんだよ」
「恩恵に……って、この人たち七海から何かを貰ってるの?」
 美帆の非難の目が周囲に向けられた。ヴェーテを初めとする管理チームの表情が引き締まる。
「七海の血は僕のマニを吸収しているせいで、他のアルビナの血よりも強い効果が生まれるんだ」
「一時的に力が底上げされるってだけじゃないんですか?」
 大志の質問にベルクが神妙に頷いた。大志はここ数日で彼らに関する知識をぐんぐん吸収している。
「公表されているデータでは四十八時間。七海の場合は現状でおおよそ四百八十時間」
「十倍? 二日が二十日? 現状でってことはそれ以上にもなるってことですか」
「そう。僕の等級が高いせいもあるし、僕らの特殊な体質のせいでもある」
「特殊な体質?」
 繰り返し質問する大志にベルクはそれ以上を拒むように笑顔で制した。大志は引き際よくそこで口を噤む。
「ユクムスナの管理下に置かれることになったおかげで、ようやくミツヤの安全が確保できたというわけだ」
 ヴェーテが肩をすくめる横で、セリアーテはにこやかに頬を緩めている。
「ミツヤの血のおかげで我々は様々な恩恵に与れるんですよ。等級が上がる以上に知識を得られることがなによりも嬉しい。我々は等級によって得られる知識が変わってきますから。彼らも同じ考えを持つ者たちです」
 セリアーテが管理チームの面々を見渡しながら、美帆と大志に説明する。
 彼らは母国語のように日本語を操る。同じチームにいる七海たちに合わせて、このチームでの会話は日本語に限られる。言葉は知識そのものでもあるため、彼らの言語を地上人がナーレで取り込むことは禁止されている。ただし、自力で覚えることは禁止されていないため、名称や簡単な単語などは七海たちも覚えることが可能だ。
「ですから、ミツヤは我々にとって、今やなくてはならない存在なのです」
「正直ですね」
 大志の皮肉に、セリアーテは穏やかに笑う。
「だからこそ、我々はミツヤをなんとしても守ります」
「自分のために?」
「ええ、自分のために」
 大志がふっと力を抜くように笑った。
「なるほど、深津屋のためじゃなくて、自分の利益のために守るのか」
「本音の部分ではそういうことになりますね」
 七海を守っているのはベルクだ。その守りは彼らの核に連なるユクムスナですら賞賛するほどに手堅い。そのベルクを守っているのがアジア統括本部の人たちだ。彼らの言う「ミツヤ」とはベルクを含めての呼称だ。
 彼らのあからさまな言葉にむっとした美帆を「このくらいの方が信用できるよ」と大志が笑いながら宥めている。
 その意味では美帆も大志もただ純粋に七海を想ってくれる。それは得ようと思って得られるものではない。
「改めて二人の気持ちがものすごく有り難い」
 そう囁いた七海に、ベルクが柔らかに笑った。

「ミツヤの骨髄を彼らに移植したらどうなるか、試してみたい気もするな。俺たちじゃ確実に狂うだろうからなあ。そうなったら二人の子供は……新種になるのか? それはそれで……」
 ヴェーテが空気を読まずに自分の興味を前面に曝け出した。
「彼女たちのことを少しでもぞんざいに扱ったら、二度とあなたたちには血を渡しませんから。自決してでも阻止します」
 すでに体内にマニを取り込んでいる七海が生命活動を停止した瞬間、その肉体はベルク同様消滅するらしい。七海が生きていてこそ、その血もユカが言う肉片も彼らにとって効果を生む。あくまでも七海は生きている必要がある。だからこそ、ベルクが心配するような事態になりかねないのだ。生き餌になるなんて七海だって嫌だ。
「大丈夫だよ。私の保護下にある者に不用意に手を出せば、彼らの方が消滅するから」
 巨峰を摘まみながらのユカの暢気な声に、七海は不穏さを嗅ぎ取った。
「不用意にってことは、計画的に、たとえば美帆を洗脳して自分から移植したいって思わせれば消滅しないってこと?」
「まあね、本人がどれだけ拒絶できるかが鍵ではある」
「それ、ダメなんじゃないの?」
「だって本人が望むかもしれないことまで規制できないでしょ」
 絶句する七海にユカが意地悪く笑った。
「私の保護下にある者を洗脳しようなんて百億年早いから」
 安全なら安全のひと言で済ませてよ、と小さく文句を言いながら七海は肩の力を抜いた。
「でも私なら洗脳できるけどね」
 ユカがこれ以上ないほど意地悪そうな笑みを浮かべた。彼女の不敵な笑みにベルクが呆れたと言わんばかりの表情を見せる。
「大丈夫だよ。ユクムスナは強制できないから。小間井さんなら大丈夫」
「ちょ、私だって大丈夫だから」美帆が強く反論する。
「増田さんは……小間井さん、よろしくね」
 りょーかい、と大志が苦笑いしている。いきり立つ美帆を「たぶん私も無理だから」と今度は七海が宥めた。
 ユカは感情が読めない。表情にわかりやすく出しているように見せて、その実一切の感情を見せていない。七海はそう感じている。おそらく美帆も。こういうとき、大志の判断力は頼りになる。
「まあでも、俺もサースナクスには興味あるから、今のうちに言っとく」と大志が七海を真っ直ぐに見た。「深津屋、図々しいお願いだけど、俺が死ぬまでに骨髄移植してくれ」
「二人が家族をつくった後なら。その際は生殖を放棄してもらう。子供をつくらないなら今すぐにでも」
 七海の代わりにベルクが答えた。なるほどその通りだと七海も納得する。ヴェーテはあからさまに肩を落としている。
「骨髄移植って簡単なの?」
「簡単だよ。精巣や卵巣の放棄も簡単にできる」
 七海の疑問にベルクが軽く応える。どうする、と七海が二人を振り返ると、二人とも顔を引き攣らせていた。
「よく考えるよ。さすがにそこまで考えてなかった」
 慎重に回答する大志をユカだけがけたけたと楽しそうに笑っていた。



「じゃあ、いくよ」
 ユカがその場にいる全てを睥睨した。ユカから畏れにも似た威圧を感じる。ユクムスナという途方もない存在の片鱗が見えた。
 ベルクと七海の背中を、ユカがとんと押す。強くもなければ弱くもない、自然と一歩が踏み出るような力加減。
 ベルクとしっかり手を繋いだ七海は、その瞬間、一瞬と永遠を通過した。



 場面が切り替わったかのようなそこは、ベルクのアトレーンの中に新たに設けられた通信室だった。
 一番大きな球体であるアトレーン本体の周囲には、あのサメルという光の輪が出現する小さな球体、出入り口や移動手段となる球体、通信室や実験室のほかに貨物室など、予備の球体が衛生のように着かず離れずの状態で本体の周りを浮遊している。小さな球体は必要に応じて本体に接続される。
 すぐさまベルクは通信を開始した。通信機能はアトレーン投下後に調整され、現在はクリアになっている。
──二人の通過衝撃で大規模噴火が発生した。
 聞こえてきたヴェーテの声と画像は、世界を跨いでいるとは思えないほど明瞭で、まるでインターネット電話みたいだ。背後で美帆が手を振っている。ベルクの背後から七海も気力を振り絞って笑顔で手を振り返した。
 アトレーンの通過で地震が発生したため、同じ場所に衝撃を与えないよう、そこからアトレーンを移動させ、別のポイントに七海たちは移動している。
──躰に異常はないか?
「一度サメルで確認します」
──念のため、結晶採取しておけ。
「そうします。予定通りしばらく休養します」
 七海は通信室にある半繭のチェアに力なく沈んでいる。心なしか宙に浮いているコクーンチェアがいつもより床に近い。
──了解。こっちでアトレーンの遠隔操作をしておく。
「お願いします。ひとまず四十八時間の休養に入ります」
──了解。ゆっくり休め。
 ベルクの指の動きがいつもより鈍い。相当疲れているようだ。
 ほんの一瞬にあらゆる力が加わった。生きていることすら疑いたくなるような大きな力にひねり潰されるかと思った。七海はただ一心にベルクと繋がった手に意識を集中した。それがなければ己の存在を保てなかったかもしれない。
 ひたすらベルクの存在だけを強く思い続けた、永遠のような一瞬だった。
「七海、平気?」
「平気じゃないけど、平気」
 ベルクの手を借りながらなんとか立ち上がろうとほんの少し腰を浮かしたところで力尽きて再び椅子に沈む。
「そのままでいいよ。椅子ごと移動させる」
 できるの? という問い掛けすら億劫で、七海は微かに顎を引くことでそれに応えた。
 すーっと滑るようにコクーンチェアが移動する。七海は強い疲労感に抗えず目を閉じた。ベルクだって疲れているのに、そう思いながらもどうにもできず、耳に入り込む微かな音だけが意識の端で動いていた。

 不意に七海は覚醒した。うっかり寝てしまったようだ。ちゃんと目蓋を開けることができない。薄目の視界にベルクが顔を出す。
「七海、少し口開けて」
 ただ顎を下げるだけのことがとんでもなく辛い。のろのろと口を動かすと、唇に少しひやりとしたベルクの唇の感触と、同じだけひやりとした液体のようなものが口内に入り込んできた。
「そのまま飲んで。飲み込むと正常になるから」
 水のようなとろりとした液体が這うように少しずつ喉の奥に流れていく。ああ、これが結晶か、と七海はぼんやりと思う。結晶というわりに固形物ではなかったな、とのっそり考えているそばから、耐え難い倦怠感が少しずつ抜けていく。
「少しはマシ?」
「ん、だいぶマシ。でも疲れが抜けきらない」
 ようやくちゃんと目を開けた七海は、いつの間にかベッドに運ばれていたことに気付いた。
「ごめん、ベルクも疲れてるのに」
「僕より七海の方が辛いはずだから。そのまま寝ていいよ」
「一緒にいてくれる?」
「もちろん」と言いながらベルクもベッドに入り込んできた。「しばらくは外洋の調査だろうから、ゆっくりできるよ」
 ベルクの肌を直に感じる。お互いに裸なのだとぼんやり認識する。疲れが抜けきらないせいか思考が散漫だ。
 七海はベルクの腕の中から目の前にある顔を散らばろうとする意識を掻き集め、よくよく観察する。
「疲れているときは疲れてるって言ってね」
 ベルクはぐっと喉を鳴らし、ふっと躰の力を抜いた。
「ここまで躰に負担がかかるとは思わなかったんだ」
「それなのに、ベッドに運んでくれてありがと」
「ん、そのくらいは平気。そのくらいは格好つけさせてよ」
「本当は?」
「力を振り絞った」
 情けない顔で笑うベルクに、七海は口付ける。
「七海、する元気ある?」
「無理」
「繋がるだけなら?」
「繋がるだけなら」
 その途端、疲労を抱えた七海の躰は心得たように潤み出す。片足を持ち上げられ、横たわったままただ繋がった。微かに感じた引き攣るような痛みを顔に出さないよう七海は会話で誤魔化す。
「なんだか作業的だね」
 ふと七海は思った。どうしてこの人なのだろう。こんなふうに機械的に繋がることになっても、この人でなければ、と思ってしまう。好きだからという心ときめくような浮き立つ感情よりも、もっと大きくて平たい穏やかな感情。必然の帰結。自然の成り行き。そんな言葉が頭の中にぼんやり浮かぶ。
「今回ばかりは仕方ないよ。繋がらないといつまで経っても疲れは取れない」
「結晶採取したのに?」
「あれは肉体が最適化されるだけだから。マニによる疲労はマニの交換じゃないと取れない」
「これってマニの疲労なの?」
「そう。マニの枯渇による疲労」
 キスの合間に会話する。なんだか本当に単なる作業のようで、七海はなんともいえない気持ちになった。
「こういうのはこれっきりがいい」
「同感。なんだか虚しくなる」
 とにもかくにも疲れを取ることを優先し、そのまま眠りに落ちていく。眠りの合間にキスを繰り返していたことを意識の端が覚えていた。躰が勝手に動いているような、そんな感覚だった。