トウメイノチカク
§6 トゥロイア② そこからは一気に事が運ぶ。
彼らの日本支部は、なんと七海が入院していた病院だった。実際には病院ではなく、職員用の宿舎に七海は滞在していたらしい。医師も看護師も本物。ただし、往診に来ていただけで、彼らも協力者だった。
「それにしてはあの先生、色々驚いてたけど……」
「詳しいことは知らされないからね。七海に説明したのと同じ説明がされていたはずだ」
「じゃあ、美帆たちも詳しいことは知らされないの?」
「そうだね、七海に関すること以外は知らされない」
東京湾を一望できる高層ビルの上から数階分が日本支部となり、驚くことに「ラスナ都市連盟 日本支部」と刻まれた十二角形のやけに立派なプレートが堂々と掲げられていた。
ベルクは月に一二度顔を出す程度で基本的に在宅勤務。日本支部の職員はベルクを含め九人。そのうち五人はこの宿舎に住み、支部長を含め他はベルク同様パートナーとともに別の場所に居を構えている。互いの住処はどれほど仲がよくても教え合わないのが彼らの常識らしい。
その日本支部で、モルディブにあるアジア統括本部の責任者であるヴェーテという男性が妙にかしこまった面持ちでユカと対峙している。
美帆がこっそり「この人だよ、大使館職員って詐称した人」と小声で教えてくれた。
当事者であるベルク、七海、美帆、大志の四人は、会議室のような部屋の端にかたまって座り、事の成り行きを眺めている。ベルクの家にもあった繭を斜めにカットしたような、美帆が勝手にコクーンチェアと名付けた椅子はどうやら汎用品らしい。この会議室の椅子も多少の違いはあれど同じ形のものだった。
さっきから職員たちに、ユカが提案という名のゴリ押しをしている。そもそもベルク同様、彼の曾祖父がつくったというトゥロイアの存在をユカに知らされるまで知らなかった人たちだ。大袈裟なほど驚き、それはもう目を輝かせ、その詳細をしつこくユカに尋ねている。
「あーもう面倒。四層までのナーレあげるから、自分で理解して」
ユカが彼らと口付けるのを美帆と大志が驚愕の表情で凝視している。その二人にもユカが当然のように口付けようとして、ベルクから待ったがかかった。
「説明が先」
「知識を口移しで渡します。これはキスではありません」
ユカのいい加減な説明に、美帆は不審そうに目を細めた。
「あーっと! 美帆はユカから、コマくんはベルクから渡してもらえるかな」
七海の咄嗟の提案にユカが面倒そうに目を細めながらも黙って頷き、美帆が身構える前にいきなり口付けた。端から見ていると完全にキスだ。ただし当事者はキスと認識するより先に口内に入り込んでくる何かのかたまりに困惑する。
七海はどうしてもベルクの方を見ることができなかった。たとえ相手が大志であっても、やはり見たくはない。大志の驚きの声だけが耳に届いた。
「君たちには概要くらいしか渡せないけど、だいたいの所はそれでわかると思う」
完全に説明が後になっている。これ以上ないほど目を剥いた美帆に続いて、七海もユカからナーレを渡された。
「私はベルクからでいいのに……」
「いいでしょ。私から直接の方が完璧なんだから」
頭の中で炭酸が弾けるように知識の泡が弾けていく。昨日ベルクに教わったことと大差ない知識がそれよりも少しだけ詳しく、ほんの少し前の出来事を思い出すように頭の中に広がっていく。まるで映画かドキュメンタリーを観ているようだ。
美帆も大志も真顔のままひと言も発しない。
大丈夫かと視線を送れば、まずは美帆が、続いて大志が「ぷはーっ」と大きく息を吐き出した。瓜二つの行動にユカがけたけた笑っている。
「なんか、男にキスされたこともぶっ飛ぶくらい、すっごい経験なんだけど……」
大志に同意するように美帆がしつこいくらい何度も頷いている。
「ここのマスターになるってことか。すげーな。ゲームとかのレベルじゃないな」
ああ、何かに似ていると思ったら、ナーレはチュートリアルに似ているのだ。世界のチュートリアル。冗談みたいだ。
「あーあ、支援者の登録がまだだっていうのに……」
少し離れた位置でヴェーテが大袈裟に嘆く。
「だから大至急登録してって言ってる」
ユカが反論する。
「まだ適性かどうかも判断してないってのに……」
再びヴェーテが愚痴る。
「適性だから」
ユカがむすっと言い返す。
「ユクムスナの言うことだから……」
日本支部長がまあまあと日本人さながらのジェスチャーでアジア統括本部長を宥めている。
ラスナ都市連盟アジア統括本部長と日本支部長。
二人とも白い肌にかなりの長身、紫がかった薄い青の瞳はベルクと同じだ。ただし、スポーツ選手並にごつい筋肉がついているため威圧感が半端ない。
ジェスチャーの大袈裟な方がアジア統括本部長のヴェーテで、顎がくっきりと割れている。穏やかな眼差しの人の好さそうな日本支部長はセリアーテ。ごついなりに少しぽっちゃりした印象でもある。彼らは敬称をつける習慣がないらしく、さん付けは要らないと言われている。
七海の記憶が封印されていることは彼らも理解しているそうで、七海が混乱しないよう逐一ベルクを通して話をしているのかと思いきや、元々アルビナはブーズした相手がいる場合、それ経由で物事を処理するため、ベルクを通すのは必然なのだとか。
「アフナス、俺の名前で申請しろ。お前がやった方が早い」
ヴェーテから差し出されたノートパソコンを開いたベルクは、ものすごい勢いでキーを打ち始めたかと思ったら、ものの数秒で「至急で申請しておきました」とヴェーテにノートパソコンを返した。
ベルクの指の動きを見た大志が「おお、速い」と妙に感心している。常々七海は、この大志の物怖じしない性格を尊敬している。肝が据わっているとでもいうのか。どんな場面でも、驚いたり怒ったり嘆いたりはしても決して自分を見失わない。美帆の相手が大志でよかったと七海は改めて痛感した。
ベルクのテータによって完璧に隠蔽されている七海の家は日本支部が買い上げ、そこの管理を美帆と大志がすることになった。元々七海の成人時に父親から七海へと名義変更されているため、手続き自体はスムーズに終了した。
ユカによって隠蔽された七海の家を拠点として、トゥロイアの管理チームがつくられることになり、彼らの原子を操る力であっという間に全面リフォームされた。元のリビングだったスペースにはあの地球儀ならぬトゥロイア儀が宙に浮かんでいる。
彼らはこのトゥロイアをサースナクスと呼ぶ。十番目の、という意味らしい。七海の耳が聞き取る音は、サースナックスやサルスナクスにも聞こえ、ベルクに確認したところ、サースナクスが一番音として近いということで、ひとまずそれで落ち着いた。ユカは第十世界と呼んでいる。
どう考えてもリビングが元の面積よりも広いのは、ユカが空間を拡張したかららしい。ちなみにベルクもこのくらいはできると説明され、レベルアップしたマニをまだ完全に使いこなせていない彼は情けなく眉を下げていた。
なんだかよくわからないうちに、転移だか転送だかワープだか七海たちの理解を超えた瞬間移動装置のようなものまで設置され、そこからヴェーテやセリアーテが様々な機材を運んでくる。それをベルクが片っ端から組み立て、七海と美帆は微力ながらそれを手伝っている。
段々と出来上がってくる空間はまるで映画やドラマで観た管制室のようだ。
このヴェルーシナと呼ばれている瞬間移動装置は、こことは違う別の時空を間に挟むことで目的地に移動する装置らしい。実は七海も使ったことがあると聞いて、はてと首を傾げた。退院前の様々な検査は、この装置を使って実際の病院に移動していたらしい。エレベーター内に設置されたヴェルーシナに全く気付かなかったのは、瞬間移動時の感覚とエレベーターの昇降時の感覚が似ているからなのだとか。まるで薄っぺらい金属シートのようなヴェルーシナは最新型らしく、ここまで薄くなったのはここ最近なのだとヴェーテが開発者のごとく自慢していた。
美帆は「七海の家で暮らすことにした」のひと言で簡単に引っ越してきた。
色んなものが省略されてはいるものの、彼女の両親は省略された大志との同棲にちゃんと気付いており、大志はすでに美帆の両親とは何度も会っているため、特に反対はされなかったようだ。ただし、美帆の兄からは呪いのようなメッセージが連日大志に届いているらしい。
大志は美帆を実家に連れていき、正直に一緒に暮らすことを説明すると、彼の両親は何度も「うちの息子で本当にいいのか」と美帆にしつこいくらい確認したらしい。
「大志、家でも細かいらしくて、お母さんが『こんな細かい男と一緒に住んだらストレスで禿げるわよ』って言ってた」
「美帆ななんて?」
「私の方がだらしないので丁度いいですって言ったら、じゃあ遠慮なくどうぞどうぞって、熨斗付ける勢いだった」
その大志は荷造りに実家に帰っている。
あの車は結局二人が買い取った。さすがに十万では申し訳なく、実際に中古車市場をチェックしてみれば、十五年前の車種、十万キロ以上走行した車でも百万円ほどで販売されていることを知り、話し合いの結果、それでも十万でいいと言うオーナーの厚意に甘えることにした。ただし「維持は大変だよ」と念を押されている。中古車として販売される際に交換される部品等がかなり高いらしく、それが販売価格に上乗せされているらしい。
その車を実際に維持するのは日本支部だ。二人の生活にかかる全ては日本支部がその支払いを持つ。その上限が一人あたり月に五百万だとセリアーテから説明された二人は、揃って目を剥いていた。新車買えるね、という七海の声が聞こえていたかどうか。
美帆が使っていた部屋はベルクの家のようなおしゃれな空間に変わった。なぜか天井の高いロフト付き。どう考えても空間がおかしい。ロフトの下部がキッチンや洗面所になっていて、住みやすそうではある。
美帆の作ったロイヤルミルクティーで休憩しながら、ふと七海もベルクの親に挨拶しなくていいのかと不安になった。
「ベルクのご両親に挨拶ってしなくていいの?」
「ああ、僕らは成人したら独立した個人なんだよ。縁が切れるわけじゃないけど、そこまで干渉し合わない。ましてやパートナーはごく個人的なことだから、直接会う機会でもない限り、わざわざ知らせることもない」
「完全個人主義ってこと?」
「そういうことになるのかな」
美帆の質問にベルクは軽く首を傾げながら答えた。
だからなのか、七海を気遣ってなのか、ベルクは七海の両親について一切口にしない。七海はそれをいいことに完全に知らん顔をしている。
「結婚式みたいなことはしないの?」と美帆が訊く。
「そういうのはしないなあ。登録して終わりかな」
そこでベルクがぱっと七海を見た。
「七海、結婚式したい?」
急に訊かれ、七海は考え込んだ。結婚そのものを意識してこなかったせいか、七海の中に結婚式への思い入れはない。
「考えたことなかった」
「でも、地上の女性は衣装を披露するんでしょ?」
若干、解釈の違いがあるような気がする。が、説明するのも面倒で七海はそのままにした。
「そうだけど、いまどきは結婚式しない人の方が多いんじゃないかな」
「せっかくだから写真だけ撮っておけば?」
美帆の提案にベルクが「そうしよう」と、設置したばかりの大型コンピューターのような機材の前にコクーンチェアごと移動した。
リビングの中央にある打ち合わせ用の大きな丸テーブルから、半繭型の椅子はキャスターも付いていないのに音もなくすーっと移動する。つい七海も同じように滑らそうと足先で床を蹴ったものの、コクーンチェアはびくともしなかった。美帆も同じことをしていたようで、顔を見合わせ苦笑し合う。
「増田さんたちも一緒に撮る?」
キーボードなのかタブレットなのかよくわからない薄い板状の機械に何かを打ち込みながらベルクが声をあげた。
「あ、それいいかも。なんかうちのお母さんもそうなんだけど、大志のお母さんも結婚式にこだわりがあるみたいで、私の好きにはできそうにないんだよね。私も自分の好きなドレス着たい」
すぐさま美帆はスマホから大志にメッセージを送っている。
「ねえ、美帆たち結婚の話が出てるの?」
「ああ、そう。一緒に住むなら結婚前提にしなさいって、大志のお母さんが」
「早くない?」
「そうなんだねえ。でもまあ、実際に結婚するのは後でもいいし。とりあえず、大志意外は考えられないからそれでいいかなって。そのつもりで一緒に住むのと、先のこと考えずに同棲するのとじゃ心構えが違ってくるし。まあ、大志のお母さん的には大志に釘を刺すつもりなんだろうけど」
「なんか、すぱっと決めたんだね」
「七海だってでしょ。いざとなると案外あっさり決まるもんだね。大志となら大丈夫かなーっていう、ゆるい感覚しかないんだけど、なんかいいかなって」
「それわかる。私もそうだった。大袈裟な感じじゃないんだけど、なんか間違ってないっていうか」
「私も自分が経験して、あー七海もこんな感じだったんだろうなってわかった」
誰もが同じような感慨を抱くのか、それとも偶々だろうか。同じ感覚を持てる友人がいるというのは、このうえなく心強い。
「二人とも、ホテル選んで。少し遅い時間になるけど、明日の午後九時からならどこのホテルも撮影できる」
ベルクに提示されたホテルは、全て超がつくほどの一流ホテルだった。
「すごい。どれか選べない。どこでもいい」
美帆が驚きと喜びですぐさま大志に電話している。七海も同じ意見だった。
「だったら、こっちの都合でもいいかな」
スマホ片手に激しく頷く美帆を笑いながら七海も頷く。
「なんで国際的な一流ホテルばっかり?」
「このクラスじゃないと僕たちのことを知らないから。世界中でどのくらいかな、十までないんじゃないかな。増田さんたちもこの先、ホテルを使うならこの辺りに制限されるから。代表者がいちいち挨拶に来て面倒だけど、部屋はスイート以上のはずだから」
「ナイス制限!」
美帆の浮かれっぷりがひどい。七海は声を上げて笑った。
「あっ、ウェディングドレス!」
ふわっとユカが宙から現れた。彼女の登場の仕方に慣れることなく、七海はいつも驚きすぎて現実逃避してしまう。
ユカは当たり前のように触れることなくコクーンチェアーを呼び寄せ、ふわっと躰を浮かせるように腰掛けた。
「写真だけ撮ったんです」
「へえー、かわいいね。ナナミはもっとシックなドレス選ぶかと思った」
「ベルクがこれがいいって」
写真に写っている七海はプリンセスラインのクラシカルなドレスを着ている。ベルクに勧められ、試しに着てみたら思っていた以上に似合っていて、七海自身驚いた。
美帆はスレンダーラインのシックなドレスだ。彼女のドレスも大志が選んだ。ベルクはシルバーのモーニング、大志は白のモーニングだ。ブーケは紫一色にしてもらった。美帆はピンクがメインのカラフルなブーケを選んだ。
その日のうちに写真が出来上がり、立派なアルバムに収められ、総支配人から恭しく手渡された。
「確かに似合ってる」
ユカの登場で騒いでいた心臓が少しずつ落ち着きを取り戻し、七海はようやく驚きを口にする。
「びっくりするから、せめて玄関から来てください」
「えー、びっくりしてたの? 確かに心拍数は上がってたけど……ナナミって面白いね」
ふーっと息を吐き出し、七海は軽く深呼吸した。
「で? みんなは?」
「美帆と大志は引っ越し中、ベルクは何かの機材をアジア本部に取りに行ってます」
「珍しく一人なんだ」
「家から出るなって言われてますけど」
「だろうね。ん? ねえ、まだ記憶戻してないの?」
「ベルクがそう判断したなら、まあいいかなって」
そこでユカが難しい顔をした。
「んー、でも、向こうに行く前に戻しておいた方がいいよ」
ユカの口調に珍しく迷いのようなものが滲んでいた。訝しんだ七海がその理由を尋ねようとしたところで、玄関ドアの開く音が聞こえた。
「あ、ユカ! 来てたんだ! あ、見た? 写真」
美帆がリビングに顔を出した。七海の手元を見て少し照れながらはしゃいでいる。
「見た見た。ミホはもっとかわいいドレス着るのかと思ってたら、思いっきりシックなドレスにしたんだね」
「でも似合ってるでしょ?」
ユカが満面の笑みで「似合ってる。このドレスにして正解」と美帆と両手をぱちんと合わせている。
「そうだ、この間の巨峰、たくさん貰ったからお裾分け」
ユカがそう言った瞬間、宙から巨峰の箱が三つ現れた。慌てたように美帆が手を伸ばし受け取る。七海の手元にも二箱現れ、慌てて抱え込んだ。
「ちょっ、五箱は多くない?」
「事務所に三十箱来てるんだけど……」
ユカの困ったような顔を見て、美穂と顔を見合わせありがたく頂戴する。
タイミングよく大志も顔を出し、そこに両手に荷物を抱えたベルクも戻って来た。続いて同じように荷物を抱えた管理チームの面々が続く。その殆どはアジア統括本部からの派遣だ。
彼らは七海と美帆の手にある箱を見て「グレープ!」「ブドウだ」「いや巨峰だ」と騒ぎ出した。とんでもなく優秀な人たちばかりだというのに、彼らはどこか気さくで気楽だ。サブである七海たちを見下すこともない。
全ての機材が揃ったということで、七海とベルクのサースナクスへの移動が翌日決行されることになった。