シロクマのたなごころ



「私ね。大学に入学した最初の頃、なかなか周りに馴染めなくって。知り合いは出来ても友達はなかなか出来なくって。でも友達って無理矢理作るものでもないでしょ? 一人暮らしを始めたばっかりだったから、余計に寂しくて。どうしたらいいかなってすごく悩んでいたの」

 ラウルが静かに頷いて先を促してくれる。

 ポールさんの言葉を聞いた後、誰も何も言わないまま、静かに解散した。でもそれは嫌な感じの静けさでも、気まずい感じの静けさでもなくて、静かな水面に一粒の水滴が落ちたあとのような、そんな感じの静けさだったと思う。

 静かなリビングでラウルと一緒にソファーに座り、エルちゃんと出会ったころを思い出して、なんとなく、それをつらつらと話している。

 家でもひとりぼっちなのに、お昼まで一人でご飯を食べるのがなんだかすごく寂しかった。

「でも自分から輪の中に入っていくこともできなくて、顔見知りになった人たちと一緒にいることが多かったんだけど、誰かと一緒にいればいるほど逆に一人になったような気になって。なんかすごく失礼なんだけど、でも誰かに紛れている方が一人で居るより寂しく感じてしまってて……」

 そんなある日、エルちゃんが偶然目の前に座った。

「すっごく綺麗な人だなって思ったのが最初の印象で、でもなんだか少し寂しそうで、私も他の人から見たら寂しそうに見えるのかなって、その時は自分のことしか考えてなかったの」

 初めて目にしたエルちゃんは、凜とした、とても静かな存在だった。そのせいか同い年には見えず、何もかも悟っているかのような、まるで天女や菩薩のようにも思えた。

「それからもちょくちょくエルちゃんを見かけるようになったんだけど、私と一緒で誰かに紛れていても基本的にはいつも一人でいるように見えて……」

 エルちゃんは人目を引くほどの美人だからか、それとも留学生だからか、周りはなんとなく遠巻きに眺めているような感じで、絡みつくように話しかけるのは……こう言ってはなんだけど、明らかに下心がありそうな人ばっかりだった。

「なんだか初めて会ったころよりもさらに寂しそうに見えて。そんな風に見えるのは私が寂しいからかなって、やっぱりその時も自分のことしか考えてなかったんだよね」

 時折目にするエルちゃんからは、なんだか近寄りがたいような、威厳すら感じることもあった。

「エルちゃんはいつも背筋を伸ばして凜としてて、立ち振る舞いもすごく綺麗で、まるでお姫様みたいだった」

 いい歳してお姫様って言うのもなんだけど、でもエルちゃんはそんな高貴さを身に纏っていた。
 そういうところが気に障る女の人には、お高くとまってるみたいなことを聞こえよがしに言われていて、なんだかそれがすごく悔しかった。
 あまりにも悔しかったから、ある日思い切って学食で話しかけた。「一緒にご飯食べませんか」って。そしたらエルちゃん、にかって笑って「いいよ」って言ってくれて……。

「そのにかって顔が、美人で高貴っていうよりも、すごく可愛くて愛嬌があって、それを見られたことがなんだかすごく嬉しくって、思い切って話しかけてよかったぁって思ったの」

 それから、学食で見かける度に一緒にご飯を食べるようになった。そこから、少しずつお互いを知って、ゆっくりと友達になっていって、今ではとても大切な人だ。

 なんとなく隣に座るラウルの手を握る。大きくて温かい。指を絡めると、きゅって握り返してくれた。

「エルちゃんは美人だからかやっかまれることもあって、時々直接悪口を言ってくる人もいたんだよね。でもエルちゃんはそんな人にも怒るでもなく理路整然ときっちり言い返していて、それがまったくもって正当で、なんだかすごく大人で格好良く見えたの。私なら言い返すことも出来ないで、言いなりになって、いじけちゃうだろうなって」

 エルちゃんの言うことはいつも筋が通っていた。どれだけ悪く言われても、決してよく知りもしない人の悪口を言うこともなかった。

「でも私と一緒にいるときは、ラウルも知っているような、あんなエルちゃんで、私は格好いいエルちゃんより、そんなエルちゃんの方が好きで……」

 イケメンに目がなくって、「また振られたー」、「呪ってやるー」って騒ぐエルちゃんは、なんだか無邪気ですごく可愛かった。

「エルちゃんが魔女だって知ったときも、自分があんな状況だったからか、エルちゃんにあの場で会えたことの方が嬉しくて、あんまり深く考えてなくて。その後もやっぱり深く考えてなくて、魔女ってスゴイとしか思ってなかったんだよね。魔女がどんな存在なのかとか、そういうこと、何にもエルちゃんに聞かなかったし。……誰にも言えないことがあるって、きっと大変だし辛いよね」

 繋いだままの手が、またきゅっと握られた。

「そうだな。だが、紗奈は魔女殿が好きだろう?」
「うん」
「だったら、それで十分じゃないか? 私のことだって紗奈はよく知らないだろう? だがそれでも紗奈は私を好きでいてくれる。私はそれだけで十分幸せだと思える。私だって紗奈の全てを知っている訳ではないし、まるでわかってはいないのかもしれないが、それでも私は紗奈が好きだ。それは紗奈を幸せにはしてくれないか?」
 こくこくとひとつひとつに頷きながらラウルの言葉を聞く。

 言われてみれば、エルちゃんだって私の何もかもは知らないはずで、それでもエルちゃんが私のこと好きだって言ってくれたら、すごく嬉しい。
 だがしかし!
 エルちゃんは魔女なので、私の何もかもを知っているかもしれない。まあ、それならそれでいい。特に隠すこともないし。恥ずかしいことは多々あるけど、それだけだし。

 自分を好きでいてくれる人がいるって、それだけでなんだか安心するし、にやっとするくらい嬉しい。少しくらい嫌なことがあっても頑張ろうって思える。うん、単純だけど、そんな感じ。

「私ね、最初の印象のエルちゃんが、魔女としてのエルちゃんに近いんだと思うの。だからきっとエルちゃんの行動の全てに理由があって、それはエルちゃんが望んだことではないのかもしれないけど、エルちゃんなりに頑張ったりしてるんじゃないかなって思う。私と一緒にいるエルちゃんは、きっと魔女としてじゃないエルちゃんで、ただのエルちゃんなんだと思う。うーん、なんか支離滅裂な感じだけど、言いたいことわかってくれる?」
「ああ、わかっているつもりだ。紗奈は魔女殿を信じていて、魔女殿が好きだってことだろう?」
「うん」

 ラウルがほわんと抱きしめてくれた。



 ────◇────



「ねえねえ、エルちゃん。聞いてもいい?」
「ん? なに?」
「あのね、魔女って何?」
「いきなりだね。私の存在ってこと?」
「そう、エルちゃんのこと」
「うーん、私の存在に一番近い言葉が魔女ってだけで、本当は魔女とも違うんだよね」
「そうなの?」
「うん。本当は、九番目の────って言うの」
「んんっ! なんか、九番目の後、色んな音が一度に聞こえたみたいに聞こえたけど、なに? ううぅ、耳がキーンってなった」
「やっぱり? 言葉にはならないんだよね、どこの世界でも」
「そうなの?」
「うん。生まれた場所では〝其れ〟って言われてた」
「ふーん」
「で、この世界では、一番近い言葉が魔女なんだよね。でも一番近いってだけで微妙に遠い。うーん……白魔女の方が近いかな?」
「白魔術みたいな、白魔女?」
「たぶんそんな感じ」
「でも魔法使いじゃないんだよね」
「うん。魔法は使えない。魔法じゃない別の力を使ってる。でもポーラは魔力みたいな力が使えるよ」
「うそん! ポーラさん魔法使いなの?」
「力の塊だよ。ポーラ自体が力そのもの」
「へーえ。なんかスゴイね!」
「このビルの結界もポーラが施してるし」
「そうなの? ポーラさんって結界師? 陰陽師? ちん! とん! しゃん! とか言うんだよね」
「違うから。全部違うから」
「ねえねえ、エルちゃんって九番目なの?」
「そうらしいよ」
「ふーん。何番目まであるの?」
「十二番目」
「へえ。お仲間が十二人いるんだ」
「会ったことないけどね」
「そうなの? 一回も?」
「うん。ひとつの場所にひとつしか存在できないからね」
「へーえ。なんか面倒くさいね。うっかりとかないんだ?」
「ないねぇ。その存在を感じたことすらないかも。母様だけが唯一先代の九番目の〝其れ〟に会ったみたいだけど」
「じゃさ、エルちゃんが他の世界に行っているときに、別の魔女を見たら教えてあげるね」
「うん。楽しみにしている」
「ねえねえ、使命とかあるの?」
「どうかなぁ」
「エルちゃんが否定しないときは合ってるってことだよね!」
「さーちゃんって時々賢いよね」
「……時々って何さ」
「だっていつもちょっとアホっぽいし」
「アホの子なの? 私……」
「アホの子ではない。アホっぽいだけ」
「何が違うのさ」
「何かが違うんだよ」
「……」
「さーちゃん、むうってしてると不細工だよ」
「エルちゃんだって黒い顔で笑うとき不細工だもん」
「……」
「エルちゃんはむうってしてても美人なんだね……」
「……」
「あのさ、結局魔女って何?」
「だから、正しくは魔女じゃなくて────なんだよ」
「んんっ! 耳がバカになる! ……うーん。聞いておいてなんだけど、さっぱりわかんないかも」
「ふふ、そーゆー存在なんだよ」
「そっか。不思議だねぇ」
「不思議でしょ?」
「エルちゃんは不思議美女かぁ」
「……それはやめて」
「あっ! やったぁ! ワサビ入りだ! ラッキー」
「うそー! 私まだ一回もワサビ入り食べたことない!」
「えー、じゃあ半分あげるよ」
「本当! やったー」