シロクマのたなごころ
第三章 §2


 日本のファストファッション最大手、コニワロ。
 お店の前に到着したら、ラウルまで車から降りてきた。途端に黄色い声が上がり若い女の人に取り囲まれる。若い女の人だけじゃなく、周りにいた人たちも足を止め、遠巻きにその様子を眺めている。まるで芸能人。
 もうすっかり慣れてしまったいつもの光景。鬱陶しそうなラウルの顔は見えてないのかなぁ。

 思うことはたっくさんある。
 ラウルと一緒にいると、見ず知らずの人たちから悪口言われたり、意地悪されたり、そりゃもうすっごく心を抉られる。わざわざ人に言われなくても、自分が十人並みなことも、頭悪いことも、子供っぽくて色気のないこともわかってるわー!

 エルちゃんから「さーちゃんの旦那様はさーちゃんしか見てないから大丈夫」って言ってもらえなかったら、ラウルが周りに目もくれず、いつも私だけを見てくれて、いつもちゃんと気持ちを言葉にしてくれなかったら、ラウルと一緒にいることを諦めていたと思う。
 だって本当に凄まじいんだもん。コワイったらない。

 特に隙のない綺麗な人ほど意地悪で陰湿。エルちゃんみたいな性格のいい美人もいるのに、そうじゃない美人もいるんだなぁって妙に感心した。
 それをラウルに言ったら、笑いながら「性格がいい美人は勘違いの挙げ句、呪いを掛けたりはしない」って言われたけど。ふむ。確かに。
 でもエルちゃんは私にとっては性格のいい美人だ。

 ラウルが騒がれている間に、私とエルちゃんだけでちゃちゃっと買い物を済ませる。お金はエルちゃんが払ってくれたので、「いいの?」って聞いたら、「後できっちり請求する」って言ってた。
 ラウルがお店の前にいるからか、お客さんが少ない。というか、ほとんどいないので快適に素早く買い物ができる。お店に迷惑かなって気もするけど、女性店員さんはお店の中であれ、外であれ、軒並みラウル見学中だから気にしなくていいってエルちゃんに言われた。おあいこだね、きっと。
 ラウルはコニワロに興味があったみたいだけど、結局車に戻って、近くの駐車場で私たちの買い物が終わるまで待っていてくれた。残念だったね。

 コニワロから帰ってきたら、仕事を終えたみんなが食堂でシオンを弄っていた。特にジュストさんが同じ狼だったからなのか、ぐりぐりとそれはもう楽しそうにシオンの頭と耳をなで回している。

 コニワロを着込んだシオンは、思ったよりも体格がいい。あくまでも日本人的にだけど。白人集団に囲まれると小柄に見えるのは仕方がない。
 あの狩衣みたいな服装からは、体型がまるでわからなかったので、とりあえずエルちゃんが言うがままサイズを選んできたけど、さすが魔女様、ぴったりだった。
 目つきが鋭い、ちょっと三白眼っぽいシオンなのに、頭に狼耳がぴょこぴょこ動いていて妙に可愛い。それがなかったらちょっと強面な感じかも。デニムや下着に穴を開けてしっぽを出している。ちなみにその場であっという間に繕ってくれたのはアンナさんだ。

 いつも通りみんなで「いただきます」してご飯を食べる。今日からはシオンも一緒。みんなと同じものだといきなり味が濃くなるからって、料理長がシオンには薄味のものを別に用意していた。見た目はみんなのと変わらないので、薄味になっているって言われなければわからない。さすが料理長。

「ねえねえ、エルちゃん。ポーラさんは一緒にご飯食べないの?」
「ポーラは本来食事の必要はないんだよ。趣味で甘いものだけは食べるけど」
「趣味で甘いもの……スイーツ王子って感じ?」
「王子って柄じゃないよ、いつも日向でうだうだしてるし」
「日向でうだうだするシロクマかぁ……いいかもぉ。もふもふしたい!」
「さーちゃん、旦那様の目がコワイよ」
「へ?」
 ラウルを見れば、にっこりと笑っている。思わず首を傾げながらエルちゃんに目を向けると、珍しく焦ったように目を泳がせた。

「あー、んーと、そういえば隣の和菓子屋さん、確か閉店夜の十時だったよね、閉店前に顔出してこよっかな」
「シオンのこと?」
「うん。あそこの弟子って化け狸なんだよ。化け方とか教えてもらえるんじゃないかなぁって」
「へーえ。エルちゃんよくわかるね」
「それがさ、前に一回、このビルの下見に来たときかなぁ、耳としっぽ出したまま歩いてるの見たんだよね」
「そうなの? よく周りにバレなかったね」
「そういうコスプレだと思われたんでしょ。妙に似合ってたし」
「じゃ、シオンもコスプレってことで……」
「ダメでしょ」
「ダメかな」
「紗奈、喋ってないでちゃんと食べなさい」

 ラウルが呆れてる。やっぱりコスプレはダメか……。「そういうことじゃない」ってラウルに言われた。さすが超能力者。言わなくてもわかるなんて便利だ。「それも違う」だって。すごいな、超能力。

 食事が終わって、家に戻って、リビングでラウルとテレビを見ながらうだうだしていたら、CMになる度にラウルが「紗奈はああいうのがタイプなのか?」とか「紗奈はシロクマが好きなのか?」とか「紗奈はもふっとしていればいいのか?」とか、訳のわからないことを聞かれた。
 その度に「タイプはないかなぁ」とか「シロクマ自体はどうでもいいかなぁ」とか「もふもふは好き」とか答えていたら、なぜかラウルがいじけた。
 どこにいじける要素があったのかがわからなくて、よくよく思い返してもわからなくて、素直に本人に聞いたら、「紗奈は私が獣だった方がよかったか?」って聞かれたから、「ラウルがラウルならどっちでもいいかな」って答えたら、ほわんと笑った。意味わからん。
 つられて私もへにゃって笑ったら、さくっとお風呂に連れて行かれ、全身隈無く洗われ、全身丁寧に拭き上げられ、髪もきっちり乾かされ、お肌のお手入れまでしっかりされた後、ベッドにぽふんと落とされて、むちゅんれろんとたっぷりキスされて、まんまと食べられた。意味わからん。


 
 翌朝。昨晩別腹も満足したからか、ラウルは朝から絶好調だ。嬉しそうに笑いながらいつも通り朝の支度をされて、いつも通り抱えられて食堂に連れて行かれて、いつも通り給餌された。

「あれ? あの人は?」
 シオンの隣に見慣れない人がいる。

「化け狐の紺野さん。シオンの先生。隣で紹介されたの。ちょうど自宅警備員だったんだって」
「ふーん。ご飯ここで食べてるってことは住み込み?」
「通いだよ。隣に住んでる。三食昼寝付き週休二日、月五万で雇った」
「月五万はちょっと安くない?」
「隣の女将がそれでいいって。隣の家賃が月三万だから、三食昼寝付きならお小遣いが二万もあれば十分なんだって。隣の女将がそう言うならそれでいいかって思って」
「家賃三万? 安っ! しかもお小遣いって……お給料じゃないんだね」
「本人にも一応確認したんだけど、うほうほしてたからいいんだよ、きっと」

 エルちゃんは結構しぶちんだ。しっかりしているとも言う。でもラウルのお金は遠慮なく使うちゃっかりさんだ。

 みんなが食事を終えるころ、紺野さんが「紺野と申します。しばらくの間よろしくお願いします」って改めて丁寧に挨拶していた。
 紺野さんは目がくりっとして、すらっとした若い男の人。キツネって狡猾そうなイメージだったけど、そんなことなくって、爽やかな好青年って感じだ。でも化け狐だから実際の歳はわからない。なにせシオンは大和国生まれだ。どんだけ長生きなんだって感じ。それともエルちゃんみたいに本当は見た目通りなのか。

 シオンは料理長の家で今まで通り料理長と一緒に暮らすことになっている。ちゃんとひと部屋もらえて、ベッドや机も用意してもらえるって嬉しそうに笑っている。
 紺野さんとは食堂で化け修行する。料理長が面白がって自分の目の届くところで教えてもらうよう掛け合ったらしい。私も面白そうだからしばらく見ていたんだけど、初めはただ瞑想みたいなのをしているだけで、午前中で早々に飽きた。
 私も秘書検定の勉強しよっと。

 エルちゃんがいつの間にか通信講座の秘書検定のテキストを用意してくれて、それを見ながら勉強している。
 午後からもシオンと紺野さんが瞑想している横で、私も一生懸命勉強した。紺野さんは間違いなく寝てる。時々首がかくんってなってるし。
 途中料理長がおやつのドーナツを用意してくれて、みんなでうまうまと頬張った。揚げたてのドーナツ、うまー。
 おやつの後も頑張った。頑張っていたら、いつの間にか夕食の時間になってたみたいで、気付けばラウルが隣にいた。いつの間に!

「ねえねえ、ラウルたちってポーラさんに会ったことあるの?」
「ああ、この世界に来てすぐに魔女殿に紹介されている」
「えー! 知らなかったの私だけ?」
「魔女殿がその方が面白そうだからってな、口止めされていた」
「エルちゃん! ひどいよ」
「でも普通に紹介されるよりわくわくしたでしょ?」
「わくわくより、またエルちゃんの呪いかと思って微妙だったよ」

 エルちゃんがふぎゃって顔して肩を落とした。エルちゃん、ちゃんと呪いのこと反省してるんだね。お城のみんながいい人たちだったから、許されているんだと思うぞ。
 そんな風に偉そうなことを考えていら、ラウルがぽつりと呟いた。

「いや、あの時はむしろ呪われてよかったんだ」
「へ? どうして?」
「色々あってな。城に残ったのは信用できる者ばかりだった」
「みんなの他にも人がいたの?」

 言われてみればお城の大きさの割に人の数が少なかった。

「ああ。呪われたのは私を心から慕ってくれている者ばかりだ」
「じゃ、他の人は?」
「早々に城から逃げ出して、二度と戻ってこなかったな」
「そっか。悪いことばかりじゃなかったってこと?」
「そうだな。そうとも言えるな」
「そっか。なんだかんだ言っても、エルちゃんはやっぱりすごいんだねぇ」

 エルちゃんが呪った理由って、なんかおかしいっていうか、不自然だって思ってたんだよねぇ。ふむふむなるほどと頷きながら、ふとエルちゃんを見れば、いつものドヤ顔じゃなく、泣きそうな顔をしていた。

「えっ、エルちゃん、どうしたの? もしかして私、悪いこと言った?」

 ふるふると横に頭を振った後、すごく綺麗な顔で嬉しそうに笑った。ああ、ラウルと同じ笑顔だ。なんだかよくわからないけど、エルちゃんが嬉しそうなら私も嬉しい。

「さーちゃん、ありがと」
「ん? どういたしまして?」

 ラウルが大きな手で頭を撫でてくれる。何かいいことしたのかも? ラウルを見れば、穏やかな笑みを浮かべている。

「さーちゃんはさ、さーちゃんの旦那様がライオンだったとき、どう思ってた?」
「ライオンだったラウルのこと?」
「そう」
「うーん。そうだなぁ。できればたてがみ触ってみたいなぁとか、肉球触ってみたいなぁとか、かなぁ」
「違う違う。見た目じゃなくて中身のこと」
「中身はラウルなんだからどうとも思わないよ。ラウルはラウルでしょ?」

 ラウルを見れば穏やかな顔のまま頷いている。エルちゃんがそれを見て、むうっと眉を寄せながら、珍しく真剣な顔で聞いてきた。

「じゃあさ、じゃあ、……私が魔女だってわかったときは、どう思った?」
「見た目じゃなくて中身のことだよね?」
「うん」
「エルちゃんもエルちゃんだから、やっぱりどうとも思わないよ。魔女スゴイ! とは思ったけど。だって窓すり抜けたし」
「どうとも思わなかったの? 本当に?」
「うーん……思わなかったなぁ。あのね、エルちゃんが魔女だろうが、ラウルがライオンだろうが、そういうのは私、割とどうでもいいかも。エルちゃんがエルちゃんで、ラウルがラウルで、お城のみんながお城のみんななら、そういうのは私にとっては割とどうでもいいことだよ」

 エルちゃんが突然「うわーん」って声を上げて泣いた。子供みたいに思いっきり泣くから、びっくりしておろおろしていたら、ポーラさんが食堂にやってきて、エルちゃんを抱えて、ぽんぽんって背中を優しく叩きながら、あやしている。
 どうしようってラウルを見たら、同じようにぽんぽんって私の頭を撫でてくれた。お城のみんなもなんだか微笑ましいものでも見ているみたいに、泣きじゃくるエルちゃんを見ている。

「エルは魔女なんです」
 ポーラさんがぽつりと言葉を零した。

「エルは魔女なんですよ?」
 ポーラさんがひたと私を見据えてそう言った。なんだか怖いくらい真剣だ。

「でも、エルちゃんはエルちゃんでしょ?」
「そうです。エルはエルです」
「魔女がどういう存在なのかはわからないけど、エルちゃんがエルちゃんなら、私は別に魔女だからどうとは思わないというか……。あの、やっぱりそれじゃダメなんでしょうか。魔女ってすごい存在なんだとは思っているんですよ。こう、なんっていうか、どうでもいいって思っているわけじゃなくて……。ごめんなさい。何がエルちゃんを悲しませちゃったのか、わからない……」

 ちょっと泣きそうになった。難しいことはわからないけど、エルちゃんは大切だ。ラウルや家族と同じくらい大切だ。

「エルは、……嬉しかったのだと思います」

 ポーラさんの言葉に、ポーラさんにしがみついて泣いているエルちゃんが、こくこくと頷いている。
 なんだ。もう。傷つけたのかと思って焦っちゃったよ。よかった。嬉し泣きなら思う存分泣くがいいよ! もう、いきなり泣くから本当焦っちゃったじゃないか。エルちゃんめ。

「エル! 頷きながら鼻水なすりつけるのやめなさい!」
 ポーラさんがエルちゃんにごちんとげんこつを落とした。エルちゃん、ポーラさんにもげんこつお見舞いされてるのか。

 エルちゃんにそっとティッシュを箱ごと渡した。セレブなティッシュだ。思う存分かむといいよ。
 ティッシュの箱を抱きついているポーラさんとの間に抱え、ずぴーっ、ぶぴーっと鼻をかんでいるエルちゃんが不細工すぎて思わずみんなで笑った。ポーラさんの胸から顔を離すとき、ポーラさんのシャツから鼻水がついっと糸を引いていたのは見なかったことにしておこう。

 ポーラさんが泣き疲れてぐったりしているエルちゃんを部屋に送った後、アンナさんや元メイドさんのクロエさんたちがお茶を入れてくれて、みんなでなんとなく静かにずずっとお茶をすすっていたら、ポーラさんが戻ってきた。

「エルは魔女です。正しくは魔女という存在でもありませんが。エルはその有り様の中に在るがゆえに、あなた方には言えないことが多くあります。あなた方の目には、その所業が理不尽にも、残酷にも、不可解にも映ることでしょう。生まれたときから一緒にいる私ですら、エルの全てを理解しているわけではありません。私が知る限り、エルは常に最善となるよう努めています。……どうか、エルがエルであることを疑わないでください」

 深々と頭を下げるポーラさんまでもが泣きそうで、私もみんなも、ただ静かに頷くことしかできなかった。