シロクマのたなごころ
第四章 §2結局ラウルから聞いたのは、なんだかありがちな話だった。
領主で城主だったラウルが、政略結婚するのは当たり前の世界だったらしく、前の奥さんともそうだったらしい。
いわゆる新婚初夜にラウルの大層な自信──大層な自身だろうか──に恐れをなした前妻とは、白い結婚だったそうで、ラウルは別にいいやと思っていたらしい。跡継ぎは優秀な子供を養子にするつもりだったそうだ。
それなのに、前の奥さんが妊娠したらしい。隠していたそれをアンナさんに見破られ、白い結婚を知っていたアンナさんは、すぐさまラウルに報告。
奥さんが泣いて謝ったところ、ラウルの右腕として働いていた人との間にできた子供だと判明。ラウルはその時も別にいいやと思っていたらしい。
「なんか……どうでもよかったの?」
「どうでもよかったんだ。あの女にもあの男にもなんの感情も持てなかった」
で、その奥さんと子供の父親が悪巧みして、お城を乗っ取ろうと考えたらしい。お腹の子供はラウルの子とすれば、ラウルさえいなくなればお城は子供のもの。ひいてはその母親のもの、おまけに再婚した父親のもの、というアホみたいな悪巧みの上、ラウルとラウルの子じゃないことを知っているお城の仲間たちの殺害計画をこっそり立てていたらしい。
その間、エルちゃん襲来! があり、ラウルが投げやりなセリフでお断りしたものだから、エルちゃん逆上! ってな一幕があって。
で、まさかそこまでするとは思っていなかったラウルとお城の仲間たちは、まんまと前妻とその情夫に毒を盛られ、エルちゃん再び登場! ということらしい。
「毒を中和するのに長い時間を必要としたのだろうな」
「ラウルはエルちゃんのことわかるんだよね」
「ああ。今はなんとなくだが。紗奈に会うまでは全くわからなかったのに、不思議だな」
「エルちゃんと……そういうことにならなくてよかったの?」
窺うようにラウルの顔を見上げる。それにラウルは目を細めて笑った。
「魔女殿は私自身を欲したわけじゃないからな」
「そうかなぁ……」
「紗奈は私自身を欲してくれた。私も紗奈を欲した。初めてだったんだ、こんなに誰かを自分のものにしたいと思ったのは」
深い深いキスが与えられた。
「ああ、あのね、待って、首の後ろにキスマークつけちゃダメだからね」
「ようやく気付いたのか」
「いえ。指摘されるまで気付きませんでした」
ラウルがくつくつと笑いながら、はだけた胸元の際どい場所に新しくキスマークを付けた。
「ここならよかろう」
「よかろうじゃないからね、これも恥ずかしいから」
「私のものだという印だ、体中につけたいのを我慢しているんだ、このくらいよかろう」
「だから、よかろうじゃないんだってば、着付けるときに見られるんだよ!」
「見せびらかせばいい」
「そういう趣味ないから。結婚式まではダメ」
ってなわけで、結婚式はつつがなく行われた。
白無垢や文金高島田のカツラがこんなに重いとは思わなかった。どうせ綿帽子に隠れて見えないからとカツラを遠慮しようとしたのに、白無垢バンザイな母が猛反対した。いや、母が着けるんじゃないし。母の式でもないし。が、そりゃもう猛烈に反対された。
試着の段階ですでに懲りていた私は、当日も黙って言われるがまま着せ替え人形化した。頭が重い。
羽織袴姿のラウルを見て、美形は何を着ても美形なんだなと妙に感心しながら、ともにしずしずと歩かされ、言われた通りの作法に則って、あっという間に式は終わった。本当にあっという間に終わったので拍子抜けしていたら、式自体はこんなものだと教えられた。長ったらしいのは披露宴の方だそうだ。
はしゃぐ妹に携帯で写真を何枚も撮られ、せめてこういう時くらいちゃんとしたカメラで撮ろうよと思っていたら、なぜか料理長がごっついカメラを首から提げていた。助手のアルノーさんはビデオを構えている。
ずらりと居並ぶ欧米人がみんな和装なので、通りすがる人たちからものすごく注目を浴びている。お隣の和菓子屋さん一行は妙に和装が似合っていて、シオンも妙に似合っている。
一番浮いているのが主役のはずの自分という情けない状況の中、あっという間に白無垢を脱がされた。京都の老舗の呉服屋さんから、お隣の和菓子屋のご主人のツテで本来表に出ない逸品がレンタルできたらしい。汚さぬうちにと、母によってとっととひん剥かれた。せつない。
「なんだか……感動が足りない」
「ん? どうした?」
「なんっていうか、あっという間に終わりすぎて、結婚したって実感が湧かない。妙に白無垢やカツラが重すぎてそっちに気をとられてたってのもあるけど……」
「すでに結婚自体はしていたからな。今日のはなんというか、儀式的なものだろう?」
「そっか、そうだよね。エルちゃんに『婚姻届出しといたから』って言われたときの方が、結婚したって感じがしたかも」
ラウルも微妙な顔をしている。ラウルにしてみれば神前ってだけでも、なじみのない儀式的なものなのだろう。ドレスにすればよかった。今更だけど。
ラウルと一緒にセドリックさんの運転する車で家に戻る。
なぜか式に参加したみんなはこのまま貸し切られたレストランで食事をして飲んだくれる予定なのだとか。それって本来披露宴じゃ?
なぜか私たち二人だけ、昼前だというのに家に帰される。「二人で過ごしなさい」ってことらしい。とはいっても、今までも二人で過ごしていたので、なんのこっちゃな感じだ。セドリックさんは私たちを送った後、みんなと合流するらしい。羨ましい。
家に帰ると、至る所に花が飾られ、覗いた寝室のベッドの上にも花がたくさんのっていた。ダイニングテーブルの上には食事がそれぞれ二食分用意されていて、冷めても美味しそうなものばかりが並んでいる。
お昼用だと思われる食事を温め、二人だけで静かに食べる。二人だけの食事なんて、もしかして初めてじゃないだろうか。なんだかそれがくすぐったくて、食べ終わった後、食洗機に食器はお任せして、静かな空間で二人だけの時間を、コーヒーを飲みながらまったりと過ごす。
「ねえねえ、エルちゃんはさ、ポーラさんとの間に子供はできないのかな?」
「できるんじゃないか? 互いに力の塊みたいな存在なら、互いの力を合わせれば、何かが生まれるだろう」
「だよね。なのにどうしてエルちゃんは気付かないんだろう?」
「子供は産まれてくるもので、生まれるものだとは思っていないんじゃないのか?」
「でもさぁ。考えつきそうなものじゃない?」
「どうだろうな。案外自分のことはわからないものだろう?」
うーんと考えるも、そうかもしれない。エルちゃんも自分のことになるとわからないのかもしれない。でも間違いなくポーラさはわかっているんだろうな。あの独占欲。相当だ。
「うちは子供どうする?」
何気なく言った言葉にラウルの目が見開かれた。
「あれ? 子供いらない?」
「いや……子供か、そうか、子供か……」
ラウルがなんだか感動したかのように何度も「子供か」と呟いている。
「私は自分の子供は諦めていたんだ。あー、ほら、私のものを受け入れてくれる女性がなかなかいなくてな、一生自分の子は望めないと思っていた」
「まさか、ラウル私が初めて? その割に手慣れてたよね」
「初めてというわけではないが、あー、それを生業にしている女性との経験はある」
「そんなカミングアウトいらないよ。つまり素人童貞ってやつ?」
「紗奈! どこでそんな言葉を覚えたんだ?」
ラウルがびっくりした顔で私の名前を呼んだ後、急に険しい顔になった。
「過去にググったとき」
「私と一緒だな」
素直に白状すると、ラウルも白状した。お互い微妙すぎる告白だ。微妙すぎるゆえに妙に小っ恥ずかしい。
まさか未だに業務はググっているだけじゃないと思いたい。そんな会社嫌すぎる。明日から新入社員として働くことになっているのに……。
「ちゃんと仕事はしているぞ。主にフランスとの貿易業だな」
「そうなの?」
「ああ。城のみなも主言語は日本語だが、フランス語もできるからな」
「へ? 二カ国語話せたの?」
初耳だ!
「正確には三カ国語だ。もともと共通語、あの領地の言葉、すぐ隣が隣国だったから、そこの言葉もみな話せたんだ。こっちに来るときに日本語、フランス語、英語に振り分けられた」
なんと! みんな三カ国語も話せるのか。
「私、日本語しか話せませんが。英語は怪しげな片言です」
「シオンもだぞ」
「当時犬だったシオンと同じとは。しかもシオンは変化できるのに、私は変化もできないよ」
「いや、ほら、紗奈は秘書検定を持っているじゃないか」
「あれはエルちゃんのちょちょいで取得したものです。アンナさんが実力で取得したものとは違います」
秘書検定の勉強はしっかりした。十分その資格はあるからと言って、試験を受けることなくエルちゃんのちょちょいで取得できてしまった。完全なる不正だ。エルちゃんにそう言ったら、「別に国家資格じゃないからいいじゃん」と返されたが、不正は不正だ。まあ、取れてしまったものは活用するけど。
「紗奈は私の隣にいてくれるだけでいい」
「ダメ人間決定ですね」
ラウルが目を泳がせた後、天を仰いだ。どうやら決定らしい。お城で働いていたくらいだ、お城のみんなは当たり前に優秀だ。そんな会社に入ってやっていけるのだろうか、私。
「紗奈は私の秘書だからな。私の世話を焼いてくれていればいいんだ」
「そのくらいしかできませんが……」
「それができれば十分だよ。魔女殿は受付に座っているだけだろう?」
「それもそっか」
だがしかし、エルちゃんは美人だからこその受付嬢である。取り柄のないダメ人間とは違う。
「ほら、紗奈、おいで」
余程情けない顔をしていたのだろう、ラウルが膝の上に乗せてくれた。ラウル座椅子だ。
「紗奈、子はすぐに欲しいか?」
「もうしばらくはラウルと二人がいい。会社に入ったばかっかりだもん、ダメ人間なりに頑張りたい」
「紗奈はダメ人間なんかじゃない。だったら、魔女殿の呪いはもうしばらくそのままだな」
ラウルと私は、扉で繋がっているときは、世界が違うから子供ができないとエルちゃんに言われていた。ラウルたちがこっちの世界に来るときに、こっちの世界と同じ体になったから、ちゃんと子供ができると教えられた。
その時に、ラウルサイズの避妊具を探したんだけど……手軽に買えるようなお店には当然なく、通販も扱いが少なく、ならば私がピルを飲もうと考えていたら、エルちゃんが呪いをかけてくれるというので、喜んでかけてもらった。「呪いを喜んでかけられる人なんてさーちゃんくらいだよ」とエルちゃんは呆れていたけど、呪いって言い方が悪いだけで、魔法だと思えばなんてことはない。
あの時エルちゃんはどんな思いだったんだろう。子供が欲しいと思っているエルちゃんに、子供ができないようにしてもらうなんて、無神経にも程がある。
私は、今までエルちゃんをどれだけ傷つけてきたんだろう。知らなかったからって許されるべきことじゃない。
「エルちゃんにちゃんと謝らないと」
私の小さな呟きに、ラウルは目を細めて私を見ていた。
すっかり日が暮れて、鏡のようになっている窓ガラスに二人の姿が映っている。ラウルの膝に乗せられ、後ろから抱え込まれている姿は、あの日のエルちゃんとポーラさんのようだ。
窓ガラスから目をそらし、ラウルを見上げると、そのラウルからキスが落とされた。
「夕食の前にお風呂に入る?」
「そうだな」
お風呂を覗けば、すでに湯が張られ、そこにも花が浮いていた。いつから湯が張られて保温されていたのか。もったいない。
「ラウル−、お風呂もう入れるようになってる」
お風呂からラウルを呼べば、ラウルもお風呂に浮かぶ花を見て苦笑いしていた。
「花の香りにむせそうだな」
そう言いながら、自分の服を脱ぎ初め、私の服も脱がせ、一緒にお湯に浸かった。
「なんだか今日は逆にそういうことをしてはいけない気になるな」
「じゃあ、今日は何にもしないで手を繋いで寝る?」
「そうだな。たまにはそういうのもいいな」
「たまにはって……今まで一度もないよ、そういうこと」
「そうだったか?」
「そうだよ」
お風呂から出て、お昼と同じように食事を温め直して二人だけで食べ、テレビもつけず、音楽も流さず、ただ静かな空間を二人でまったりと過ごす。
本当にこんな風に二人だけで静かに過ごすことなんて、今までなかったかもしれない。
「静かだね」
「ああ。こういうのもたまにはいいな」
「今日はみんな帰ってこないのかな?」
「そうかもな」
「本当に二人っきりなんだね。なんだかどきどきする」
「あまりそういうことを言うな。したくなるだろう?」
再びラウルの膝の上に乗せられると、キスが落ちてきた。
翌朝、みんながへろんへろんになって帰ってきた。エルちゃんまでもがへろんへろんで、一人だけ涼しい顔をしているポーラさんに抱えられている。どうやら一晩中飲んだくれていたらしい。
会社は臨時休業となった。私の入社式だったのに……。いいのか? こんな会社で。