シロクマのたなごころ
第八章 §1子供って、本当にあっという間に大きくなる。ふと肩の力が抜けたとき、シリルもサラも小学校に通っていた。おまけにニナまで小学校に入学していた。本当にあっという間だ。
シリルとサラ、ニナは蔵間さんが祀られているお社の近くの小学校に通っている。蔵間さんが誘ってくれ、どうせならみんな一緒にってことになって、ラウルのビルから新幹線で一時間くらいの場所に住所を移した。結婚式の時は車で一時間くらいのところだと思っていたけど、実際は二時間近くかかる場所だった。遠い。
……本当は、エルちゃんのちょちょいだけど。
子供部屋の扉がピンクに変わったと思ったら、いつの間にか用意されていた無駄に大きなお屋敷に繋がっていた。光ちゃんや美里ちゃんも、アフル君も同じ小学校に通う。
「エルちゃん、扉がピンクは色々ダメだと思う」
「えー…わかりやすくていいのに」
「わかりやすいけどダメだと思う」
だったら、と言ってエルちゃんがこてんと小首を傾げたら、ピンク地に大きなパステルブルーの水玉模様になった。
「エルちゃん、これはこれでちょっと嫌なんだけど。このドアだけ浮いているよ。普通のドアでいいのに」
「それじゃ面白くないでしょ」
「いつも言うけどね、別に面白くなくていいから」
子供の手が離れると、それまでいかに自分が苛ついていたかがわかった。苛ついていたというか、焦っているような、何となく追い詰められているような、よくわからない焦燥感があったように思う。
シリルとサラが学校に通い出し、その数年後にニナが通い出した途端、なんだか気が抜けたようにふにゃっと力も抜けた。
子育てって大変だったんだって改めて思った。ずいぶんと恵まれた環境で子育てさせてもらっているけど、それでもやっぱり大変だって思うから、仕事と両立しているアンナさんやクロエさんは本当にすごい。
お屋敷と言っても過言ではない大きな一軒家には、うちのお父さんとお母さんが管理人よろしくちゃっかり棲み着いて、週末のスローライフを堪能している。うちの家族、いつの間にかエルちゃんとポーラさんの存在を知らされていたらしい。当たり前のようにうちの子供部屋から子供たちと一緒に通っている。
子供たちと一緒に家庭菜園、夏はビニールプール、冬はかまくらと、緑豊かなのんびりとしたこの家で、子供たちものびのびと育っている。虫取りだけはやめて欲しい。
同じ敷地内に蔵間さんとクロエさんの別邸や、和菓子屋のご主人と里子さんの別邸もある。それぞれエルちゃんのちょちょいで今までの家と扉で繋がっていて、それはうちと同じようにパステルピンクに水色の大きな水玉模様だそうだ。クロエさんからも里子さんからも苦情が来ている。
ちなみに今まで蔵間さんはクロエさんの部屋に転がり込んでいた。蔵間さんは祀られてるすごい存在だけど、人としてはダメな方だ。今回もラウルが用意した別邸にうほうほしていて、神々しさの欠片もない。
「毎月蔵間が少しずつ積み立てて、三百万円貯まったら買い取らせます」
そう清々しい笑顔でクロエさんが言い切った。それとは対照的に蔵間さんは情けない顔をしている。
クロエさんのお給料なら簡単に払えてしまう額だけど、蔵間さんにちゃんと買わせたいらしい。その蔵間さんは最初はもらう気満々だった。供物じゃないんだよ、蔵間さん。
世の中の不条理を嘆くエロ天狗を見るクロエさんの目が冷たい。クロエさん強し。
実際には二束三文の土地代に、ポーラさんとエルちゃんのちょちょいでリフォームしたのでたいしたお金は掛かってないらしい。ほぼ建坪分の土地代だとか。都内と違ってびっくりするほど地価が安い。
あと、上下水道や都市ガスが敷設されてなくてびっくりした。だから土地代が安いらしい。特に町の中心から離れているこのあたりは、井戸水に浄化槽やプロパンガスだ。役所じゃなくて役場だし。色々新鮮。
そして夜は真っ暗になる。こんなにたくさんの星を見たのは初めてで、思いっきり感動する。星屑って言葉を初めて理解した。それほどまでの星が見える。
ちなみに里子さんはキャッシュでどどんと支払った。三百万なんて安すぎると文句を言うほどだったので、すかさずポーラさんが和菓子の差し入れをお願いしていた。せこい。
蔵間さんは天狗と言われているけど、あの赤ら顔の鼻の長い天狗とは別物らしい。
「どっちかと言ったら地球外生命体?」
エルちゃんがおかしなことを言っていた。なにそれ、今度はSFなの?
「蔵間さんは元々凶星って呼ばれるような存在なんだよ」
「そうなの?」
「んー…なんだろうなぁ。象徴が具現化した存在? ポーラみたいなものだよ」
まるで理解できないけど、そういうものらしい。シロクマと同じような存在とは、なるほど、あの腹黒執着加減はよく似ている。
「さーちゃん、一度ポーラの目の前で言ってみなよ」
「やだよ。シロクマの腹黒さは私が一番わかってるもん。どうせシロクマのことだから私の思考なんて筒抜けなんだよ。陰で言おうが目の前で言おうが同じだよ」
エルちゃんがものすごく微妙な顔をしている。そりゃエルちゃんには優しいだけの歯に染みるほどの甘ったるいシロクマだろうけど、私には劇薬注意のクロクマだ。
大きな一軒家にはお城のみんな用に一部屋ずつ客室が用意されている。好きなときに好きなようにのんびりできる、福利厚生だ。しかも! このお屋敷には露天風呂がある。大浴場もある。素晴らしい!
元は小さな旅館だったらしい。なるほどと思ってしまった。エルちゃんとポーラさんがラウルたちと相談しながらリフォームしたらしい。明治時代の洋館のような、和洋折衷のなんとも趣のある建物で、ハイカラな気分になる。
ちなみにリフォーム前は、これぞお化け屋敷! な様相だったらしい。うん、聞きたくなかった。
そして、どうやってきょんちゃんを誤魔化そうかと悩んでいる。きょんちゃんは未だ一つ目のの謎もエルちゃんの謎も知らない。
一応、今のところ会社に何台か用意されている社員用の車や新幹線で、目梨さんと普通に遊びに来ている。ってか、目梨さんのプロポーズをきょんちゃんが「待て」している状態だ。きょんちゃん、三十までは結婚するつもりがなかったらしい。すでに三十は過ぎて久しいので、まだかまだかと、エルちゃんと一緒ににやにやしている。目梨さんは涙目だ。
相変わらず光ちゃんはサラにべったりで、ラウルが渋い顔をしている。サラが嫌がってないからいいと思うけど、シリルも二人を見る度に微妙な顔をしているからちょっと悩む。光ちゃん、ちょっと腹黒通り越して病んでるっぽいからなぁ。でもサラの嫌がることだけはしない。
アルフ君はシリルの弟分で、いつもシリルの後をついて回り、シリルも満更でもなさそうだ。サラとニナが姉妹で仲良くしているのを見て羨ましかったのか、アルフ君の存在が嬉しいらしい。
シリルとサラは相変わらず二人でひとつのものを作り続けている。
翼さんの知り合い経由で、うっかり世に出てしまい、一時、天才双子として情報番組にも取り上げられたものの、あっという間に女優さんのスキャンダルに取って代わられた。
とはいえ、ラウルの会社の広告に二人とニナが使われていたり、元々ラウルの子供で麗しきお子様だったせいか、それなりにちやほやしようとする人がいて、ちょっと困る。
二人には一応フランスの美術商がついていて、年に一度は個展を開いてもらっている。毎回それなりの金額であっという間に売り切れるらしく、おかげでいい絵の具が買えて二人とも嬉しそうだ。絵の具って高いのね、目ん玉飛び出るかと思った。
自分たちで稼いだお金は、自分たちで好きにすればいいと思う。ラウルとも相談して二人にそう言えば、なぜか里子さんにそのお金を預け、資産運用なるものをしてもらっているらしい。ってか、資産運用するほど稼いでいるのか。すごいな、シリルもサラも。小学生なのに。
「稼げるうちに稼いでおかないと」
「稼げるうちが華だよね」
二人とも誰の影響を受けているか丸分かりの発言をしてくれた。ラウルは子供であっても子供として扱わない。ちゃんと一人の個人として子供たちを見ている。だからなのか、うちの子はまだ小学生なのに妙に自立している。
私が小学生の時なんて、なーんにも考えてなかった。精々が今日はどこで遊ぼう、誰と遊ぼう、何して遊ぼう、今日のおやつは何かな、程度だ。
ちなみにニナは更に大人だ。時々サラに助言までしている。
エルちゃんやラウルにとっては、十歳になる頃にはしっかりと自分の考えを持っているのが普通らしい。二十歳過ぎても薄らぼんやりとしか自分の考えを持てなかった私とは大違いだ。
「きょんちゃん、そろそろ結婚しないの? もうすぐ三十三になるよ」
「しようかなって思ってるんだけど、ちょっと引っかかってることもあるんだよね」
週末の大浴場でのんびりお湯に浸かって、だらっとしながら、だらっと話している。エルちゃんがお湯の中に大の字になって浮かんでいて、ちょっとどうにかして欲しい。時々足が顔面に届きそうで微妙だ。髪がお湯に広がって揺れていて、ちょっと見、ホラーだ。
「あのさ、とう君って、ちょっと人と違うよね」
人と違うって……人じゃないし。個性的って意味なのか、人外って意味なのかがわからない。とりあえず、態とらしく首を傾げてみた。
「なんっていうかさ、浮き世離れしているっていうか……時々いくつなの? って聞きたくなることがあるんだよね。あまりに当たり前に過去の歴史を体験談みたいに話すことがあってさ」
エルちゃんがさばっと体を起こした。一瞬体勢を崩してお湯に沈んで焦っているのを見て、きょんちゃんと二人思いっきり笑ってやった。むうとしたエルちゃんは相変わらずむうとしていても美人だ。
「きょんちゃん、知りたい?」
「エルちゃんは知ってるの?」
頷くエルちゃんに、きょんちゃんは考え込んだ。
「とう君は、知らせたいんだと思うんだよね。時々思い詰めたような顔をしているときがあるから。でも私、ずっと避けてきたんだよねぇ。なんか、聞いたら後戻りできなそうで」
きょんちゃんはわかっているんだなぁ。そりゃそうだよね、もう何年もお付き合いしているんだもん。
「あのね、核心は話さないで。それはとう君本人から聞く。でも、ちょっと教えて欲しいことがるんだけど、いい?」
エルちゃんが「いいよー」って軽く言うから、その軽さにきょんちゃんは少しだけ肩の力を抜いた。
「それって、私にとって悪いこと?」
「どうかなぁ。きょんちゃんの受け取り方次第だと思う。あっさり受け入れられるかもしれないし、完全拒否するかもしれない」
「エルちゃんから見た私ならどっち?」
「文句言いながら受け入れる」
「そっか。それってさ、過去の恋愛とかが絡むこと?」
「全く絡まない。目梨さん、きょんちゃんが初めてだったでしょ」
きょんちゃんが驚いた顔している。ってか、目梨さん、魔法使いだったのか。いや、結構長く生きているから、魔法使いどころの話じゃない。思わず「マジかぁ」と呟いたら、隣できょんちゃんも驚いた顔で同意するかのように何度も頷いていた。エルちゃんがとんでもなく楽しそうだ。
「バツイチとか、実は子供がいるとか、そういう系を考えていたんだけど……違うのかぁ」
「そのあたりは心配ないよ。目梨さん、きょんちゃんに一途でしょ」
いやいや、そこで照れないでよ。てれてれ笑うきょんちゃんに、エルちゃんがにたにた笑っている。
「じゃあ、犯罪が絡むとか?」
「それもない。あの目梨さんが大それたことできると思う?」
「いやまったく」
だよねぇ、と言いながらきょんちゃんは考え込んでいる。
「なら、別にいいかな。そのうち聞いてみる」
「多分きょんちゃんは、『へ?』って言うと思う」
エルちゃんが面白がっている。エルちゃんは、きょんちゃんが目梨さんを受け入れるってわかっているんだ、きっと。
週明け、バールで会ったきょんちゃんは、なんとも難しい顔をしていた。
「本当に言ったわ。『へ?』って。それ以外に言葉ある? ってか、さーちゃんも知ってたんでしょ?」
頷けば、はぁーって大きく溜息をつかれた。
「他にも謎はあるよね」
妙に確信しているきょんちゃんに、そろっと頷けば、再び大きな溜息をつく。
「そもそもエルちゃんの存在自体が謎だし、会社の人たちもどこか謎だし、クロエさんの旦那さんも謎っぽいし、このビルって謎だらけだよね?」
一応語尾は上がっているものの、確信している言葉だ。
「いい。答えなくていいから。とりあえず今はとう君のことだけでお腹一杯だから」
そう言いながらも、目梨さんからカフェ・ラッテを渡され、そこに描かれたハートのラテアートに嬉しそうに笑っている。
つまりはエルちゃんが言ってた通り、文句を言いつつ受け入れたってことだ。
なにより。きょんちゃんの左手の薬指には、先日までなかった指輪が輝いている。アレキサンドライトキャッツアイと呼ばれる稀少な石らしく、目梨さんがずっと大切にしていた石らしい。さりげなく惚気られた。
「きょんちゃん、ラウルがきょんちゃんたちの結婚式はフランスのリゾート地でやろうって張り切ってるんだけど……すでに社員旅行として計画されてる」
あんぐりと口を開けたきょんちゃんがちょっと可愛い。
朝イチできょんちゃんの婚約指輪に気付いたクロエさんが、アンナさんたちと相談し、ついでだから社員旅行も兼ねようと話し合っているらしい。お昼を食べに行ったときに、こっそりラウルが教えてくれた。
きょんちゃんがバールで休憩しているクロエさんにイノシシ並みに突撃している。突撃されたクロエさんの笑い声が響いていて、すごく楽しそうだ。
受付を見れば、ポーラさんお膝の上でコーヒーを飲んでいるエルちゃんが、にかっと笑ってサムズアップしていた。その背後のポーラさんが、ものすごく満足そうな顔をしているので、もしやきょんちゃんと目梨さんもクロクマのお手玉かと背筋が冷えた。
そうだよ、どうして気付かなかった。
このビルを探してきたのも実はポーラさんだ。妖たちは長い時を生きる。光ちゃんや美里ちゃんも長く生きるはずだ。当然、きょんちゃんと目梨さんの子供も。光ちゃんの妹や美里ちゃんの弟も。シオンとレアさんの子供や、紺野さんとジョゼさんの子供、権太さんとネリーさんの子供だって……。
お城の男性陣の奥さんたちも、ほぼ出会いはバールでだ。つまりシロクマの縄張りで出会っている。ジュストさんがお隣の常客の女子高生とお付き合いし始めたときはびっくりしたけど、もしやあの女子高生も妖なんじゃ……。
彼らの子供を見てくれている翼さんの年齢不詳さもなんだか怪しい。どう見ても年をとっている風に見えない。エルちゃん並みに成長が止まっているような気がする。翼さんって、何者? お隣の常客だったし、もしや……。
シロクマの底が知れない。