シロクマのたなごころ
第六章 §3


 目梨さんとお付き合いを始めたきょんちゃんは、見ているこっちが恥ずかしくなるほど、目梨さんにでれでれだ。目梨さんは言うまでもない。

 その目梨さんは悩んでいる。
 きょんちゃんに言うか言わざるかを。もちろん一つ目についてだ。

 正直どっちに転ぶかわからないので、目梨さんに相談されたものの答えようがなかった。

 子供たちが寝た後、ソファーに座ったラウルの足の間に入り込み、膝を抱えて座り込めば、後ろから腕を回され抱え込まれる。
 このソファー、ラウルが深く座り、その足の間に私が座ってもへっちゃらなくらい座面の幅が広い。つまり、私が深く腰掛けると子供の様に膝が伸びて浮く。百六十七センチという決して低くない身長の私でさえそうなのだから、いかにこのソファーが大きいかがわかる。そしてそのソファーに深く腰掛けてもへっちゃらなラウルの足の長さが羨ましい。まあ、その分背も高いけど。

「ラウルはどう思う?」
「言わないな」
「どうして? 理解して欲しいって思わない? 知って欲しいっていうか」
「思うだろうが、全てを明らかにすることが最善だとは限るまい」
「でも隠し事だよ」
「誰しもが紗奈のように考えられるわけじゃないだろう?」
「そうだけどさぁ」

 でも確かに、実は一つ目ですって言われて、はいそうですかとは言えないかなぁ。

 クロエさんが蔵間さんを受け入れることができたのは、エルちゃんの呪いの経験があるからだ。
 未だジョゼさん、レアさん、ネリーさんがお付き合いのまま先に進まないのは、そのあたりを決めかねているかららしい。やはり人外に対する抵抗はあるそうだ。
 そういわれると、クロエさんがあっさり蔵間さんと結婚したのが不思議だ。クロエさん、男前なところがあるからなぁ。

 そういえばラウルだってバツイチだったこと言わなかったもんなぁ。
 後で知って嫌だったかって言われたら、先に知ってた方が気にしたかも。もう結婚してたから、後で知ってもそれを知らなかったショックはあったけど、その事実に対するショックはなかったような。

 結婚してから一つ目だと知ったら……。
 微妙。
 なるほどなぁ。目梨さんが悩むのもわかる。ラウルが言わないって言った気持ちもわかるかも。

 でもなぁ。隠されてるのもなぁ。いつか気付くと思うし。何かを隠されてるって不安になるだろうし。それがまさか一つ目だとは思わないだろうけど。

「あっ、そういえばさ、蔵間さんから正式にサラに光ちゃんの許嫁の申し込みが来たよ」
「ああ」
「ラウル反対?」
「サラが自分で決めることだ。親が勝手に決めていいことじゃない」
「それもそうだね。まだ三歳になったばっかりだし」
「早すぎるんだ、何もかもが、蔵間氏は!」

 おおぅ。珍しくラウルが怒ってる。
 蔵間さんは自分がなかなか結婚できなかったからか、自分の子が気に入っているサラに妙に肩入れしている。光ちゃんも美里ちゃんやニナには見向きもせず、サラだけを目に入れている。ちょっとその執着がコワイ。

 まあまあとラウルを宥めながら、その唇に吸い付くと、八つ当たり気味にれろんと返された。



 最近、シロクマの存在が濃い。
 一階がシロクマの縄張りになっているからか、その縄張りに毎日入り込んでいるからか、シロクマのその存在感が濃くなっていることに気付いた。

 なんというか、存在感が増したというか、生々しい感じがするというか。
 ポーラさんはその腹黒ささえ垣間見なければ、一見ラウル以上に芸術品のような超絶美形なんだけど、今まで本当に芸術品っぽかったっていうか、スクリーンの向こう側にいる感じがしてたんだなってわかったくらい、最近はなんだか生っぽい感じがする。生っぽい……そう、生きてるって感じがする。

「ねぇねぇ、エルちゃん。ポーラさん、なんか変わった?」
「さーちゃんってさ、時々鋭いよね」
「いつも鋭いと思うんだけど」
「おめでたいね」

 ……エルちゃん、私のこと嫌いなんだろうか。泣けちゃう。うるっとしちゃう。

「さーちゃん、小芝居はいいから」
「ちぇっ。で、なんか変わった? なんか生々しさが増してるんだけど」
「私ね。ポーラと子供が作れるようになったんだよ」
「そうなんだ。でもそれ前にラウルもできるんじゃないかって言ってたよ」
「もっとびっくりしてくれるかと思ったのに」
「わお! 超びっくり!」
「小芝居はいいから」

 ちぇっ。エルちゃんが目を細めた。きっとまたアホの子だと思っているんだ。エルちゃんがにっこり笑う。やっぱりね。こちとらまるっとお見通しでぃ。エルちゃんが溜息ついた。

「力に魂が宿った存在だったポーラがね、肉体を得たんだよ。私と同じような存在になったの」
「うそん! マジで? どうやって? ってかどういうこと?」
「何でそっちに反応する」
「だって、陽炎が実体化した感じでしょ。もしくは霊体が肉体を得た感じ? うわぁ、それってゾンビ化? 今時はアンデッドって言うんだっけ?」
「違うから」
「こわっ。シロクマの死霊って、なんかB級映画のタイトルみたいだね」

 げんこつ食らった。
 シロクマの額に三角の天冠着けた図まで浮かんだのに。知ってる? あの幽霊の額に突いてる三角の白い紙、|天冠《てんかん》っていうんだよ。前にググって知ったんだ。

「でたっ! さーちゃんの無駄知識」
「無駄とは失礼な」
「何かの役に立った?」
「いや全く」
「でしょ」
「だね」

 ……丸め込まれた。だいたい人の思考を読んどいて、無駄知識とは何事だ。

「それよりポーラさんだよ。肉体を得たってどーゆーこと?」
「そのままだよ。人と同じになったんだよ」
「じゃあさ、エルちゃんの子供も?」
「そゆこと」
「マジで! よかったね!」

 エルちゃんが「やっと理解したか、海綿脳め」って悪態をつきながら、ふわっと幸せそうに笑った。海綿脳……すかすかって言いたいのか。

 子供が欲しいって、無表情で言ってたエルちゃんが遠い昔に思える。
 絶対の存在のポーラさんと番になって、そのポーラさんが肉体を得て、ポーラさんの子供をいつかエルちゃんが産む。エルちゃんが望んでた通りになった。
 あんな風に表情を無くしながら子供だけが欲しいって言うエルちゃんはもう見たくない。

「よかったね、エルちゃん」
 なんとなく頭をなでなでするとくすぐったそうに笑う。なんか可愛い。

「うん。しばらくは二人でいちゃいちゃするんだ」
 あんなに子供を欲しがっていたのに、いざとなるとポーラさんとのいちゃいちゃを選ぶのか。どんだけポーラさんが好きなんだ。エルちゃん、自覚してる?

 でれっと笑うエルちゃんがちょっとキモイ。でも可愛い。きょんちゃんの気持ちがちょっとわかった。

「あのさ、解せぬことがあるんだけど」
「言わなくていいから」
「肉体を得る前って、どうやってエッチしてたの?」
「そろそろ仕事再開しよ。ほら、おやつの時間終わりだよ。しっしっ」

 解せぬ。でもちゃんと実体化してたよね。だってシロクマにもふっとぶつかったことあるし。ん? シロクマにも人にもなれるってことは、もしや、シロクマ×エルちゃんもあり? シロクマのってどんな形なんだ?

 げんこつ食らった。
 エルちゃんだって私とラウルのことぐへへって笑いながら聞いてきたくせに。自分のこととなると恥ずかしがりなんだから。
 なんだか最近エルちゃんより私の方がげんこつ食らってる気がする。げんこつはエルちゃん限定でお願いしたい。



 託児所に顔を出すと、ニナのむずかる声が聞こえた。シリルとサラがニナの相手をすると言い張り、翼さんもやってみようと言ってくれたので任せてみたものの、まだ早かったのかも。

「ニナ、どうした?」
 抱き上げるとむぎゅっと腕を掴んでくる。子供だからって侮ってはいけない。結構握力がある。

「ニナちゃん、お母さんと離れて大丈夫なのは四十分ほどですね。それまではお兄ちゃんとお姉ちゃんと一緒に楽しそうにしてましたよ」
 ぎゅっと抱きしめてあげると、しばらくして落ち着いたのか、腕から逃れようとする。

 離してやると、とてとてと危なっかしい足取りで二、三歩歩くとすとんと座り、はいはいに体勢を変え、ものすごいスピードでシリルとサラのところに向かう。最近歩くようになったニナは、歩くよりはいはいの方が早いと知っているのか、急いでいるときははいはいで進む。

「なんだろう。一瞬だけ必要とされてあっさり捨てられた気分。やさぐれたい」

 翼さんが大笑いしている。この人は声を上げて笑うときまで上品だ。エルちゃんにも見習って欲しい。エルちゃんもあの笑い方さえしなければ、お姫様っぽいのに。
 実は笑い上戸だった翼さんの笑いが収まるころ、三人と一緒に家に帰る。

 今日シリルとサラはカラー粘土で謎の芸術品を作り上げていた。やっぱり二人でひとつの物を作る。
 出来上がったそれは、早速ラウルによってガラス張りのケースに入れられ、玄関に飾られた。やっぱり立派なケースに入ると立派な芸術品に見える。



 翌日。
 試しに今日託児所で作ってみた私の芸術品を入れてみた。……どこからどう見てもがらくたに見える。ただの不細工な粘土の塊だ。右から見ても左から見ても後ろから見ても、どこから見ても不細工だ。

「さーちゃん何それ? 何その謎の物体!」
 ぶはははっと笑うエルちゃんがむかつく。何しに来たんだ!

「おやつの時間なのに一人でこそこそと家に帰るさーちゃんを見かけたから、尾行した」
「暇なの?」
「今日はもうお客さん来ない。で、何してるの?」

 ぶふぶふ笑いながら聞かれても答えたくない。

「答えなくてもわかるけど。ぷぷっ。シリルとサラはそっち方面に進学させるといいと思うよ」
「エルちゃんもそう思う?」
「うん。元々さーちゃんの旦那様の感性がいいんだよ」
「そうなの?」
「うん。絵とか上手いでしょ」

 そうなんだよね。ラウルが子供たちの疑問に答えるとき、絵を描いて教えることがあるんだけど、妙にリアルなのだこれが。
 エルちゃんがもう仕事しないなら、子供たちを迎えに行こう。不細工な物体をシリルとサラの芸術品と入れ替える。不細工な謎の物体はキッチンにでも飾って一人で愛でよう。

 エルちゃんがニナを抱き、シリルとサラと手を繋いで家に戻る際、エルちゃんが翼さんに私の所業を告げ口した。エルちゃんめ! 
 翼さんからは「紗奈さんの作るものは妙に味があっていいですよね」って、色物的慰めの言葉をもらった。エルちゃんが「スルメか」って大ウケしている。エルちゃんめ!

「エルちゃんはさ、目梨さんときょんちゃんのこと、どう思う?」
「カミングアウト問題?」
「うん。ラウルは言わないって言ってたんだけどさ」
「それでいいんじゃない? 人として生きてるんだから、人としてきょんちゃんと向き合えばいいんだよ。蔵間さんは祀られてるからね、人として生きるだけじゃ済まないもん」
「そうなの?」
「そうだよ。色々面倒くさいと思うよ、蔵間さんも」
「エルちゃんも面倒くさい?」

 エルちゃんがすごーく嫌そうな顔をした。

「面倒くさい。激しく面倒くさい。そういう存在だからやってるだけで、できればやりたくない。毎日だらだら生きてたい。正義の味方たちはよくやるなって思う。あれ、人に賞賛されなきゃ絶対にやらないよね。ヒーローって、つまりは自己満足のナルシストだよね。もしくは究極のお人好し」
「夢も希望もないことを……」
「じゃあ、さーちゃん。誰に褒められるでもなく、何をしてるか知られることもなく、ただひたすら使命感だけで見ず知らずの人の助けになんてなれる?」
「なれない。時々は褒めて欲しい。っていうか、自分でなんとかしろって思う」
「でしょ。面倒くさいんだよ、色々」
「うん。なんかお疲れ様」

 若干やさぐれ気味のエルちゃんを、もっと労ろう。
 シリルとサラがヒーローアニメを見ている横で話す内容じゃないけど。そのヒーローの活躍っぷりをエルちゃんが目を細めてみている。

「ああいうのはさ、フィクションだからいいんだよ。実際にそんな人いたらある意味犯罪者だから」
「確かにね。ヒーローってことで免除されてることってあるよね」
「でしょ」
「でもエルちゃんもちょちょいでおかしなことしてるよね」

 でへって笑って誤魔化そうとしてもダメだから。不法入国とか、密輸とか、公文書偽造とか、まだまだあるだろう。

「おかげでおいしいもの食べられてるのは誰?」
「エルちゃん」
「さーちゃんもでしょ!」

 確かにこないだのナポリピザはおいしかったけどさ。本場の石窯で焼かれたできたてが食べられて幸せだけどさ。イタリアのブラッドオレンジジュースって美味しいよね。今なら搾りたてがバールでも飲める。いいお値段だけど。



 結局、一つ目については保留のまま、きょんちゃんと目梨さんはお付き合いを続けている。

 きょんちゃんに隠し事されたらどう思うかを聞いたら、「知らなきゃいいことは知らなくていいんじゃない?」とさらっと返された。確かに。

 いつものおやつ休憩に、いつものバールで、ちゅうっと搾りたてのブラッドオレンジジュースをストローで吸い上げながら、きょんちゃんと話している。このブラッドオレンジはシチリア産だ。もちろんエルちゃんの密輸入。

 ラウルがバツイチだってことは、知らなきゃ知らないで別にどうでもいいことだ。知らなくても何も変わらないし、知っても何も変わらない。むしろ知らない方がよかったかも知れない。

「二人の関係がそれで変わる可能性があるなら考えなきゃいけないだろうけど、変わらないならあえて知る必要はないよね。知った方が複雑な気持ちになることってあるし」
「きょんちゃんって、相手のスマホとか見ない人?」
「見ない。見る必要を感じる時点で終わってると思う」
「そうかも。相手に不信感があるから見るんだろうし」
「まあ、知りたがりの人もいるから一概には言えないけどね」

 そういう意味では、人の思考を感じてしまうエルちゃんは大変なのかもしれない。知らなくていいことまで知ってしまうって、すごく残酷なことなんじゃないかと思う。

「ラウルがさ、全てを明らかにすることがいいことだとは限らないって言ってたんだよね」
「そうだね。私もそう思う」
「それってさ、大人の考え方だよね」
「大人かどうかはわからないけど、それを含めて受け入れるってことだから、大きくはあるよね」
「私はちっちゃいなぁ」
「私だってちっちゃいよ」

 きょんちゃんはそう言って笑うけど、きょんちゃんは大きいと思う。

「さーちゃんはさ、人の悪いとこを知ってもそれはそれって受け入れられるでしょ。でも私は無理なんだよね。知らない方が受け入れられる。だから自分に害がないなら知らなくていいって思うんだよ」
「あー…なるほど。そういう考え方かぁ」
「だから私にしたらさーちゃんは大きいって思うよ」
「私はきょんちゃんが大きいって思ってるよ」

 二人で言い合って互いに照れた。ちゅうっと吸い上げるオレンジジュースが甘酸っぱい。

「二人とも、バカップルみたいだよ」
 エルちゃん登場。さっきまで受付で生々しさ倍増のポーラさんといちゃこらしてたのに。

「そういう意味では、エルちゃんとお付き合いしているポーラさんが一番大きいのかも」
「確かに」
「私に対する批判? 虐め? セクハラ?」
「セクハラ違うし」

 エルちゃんが態とらしく泣き真似をするから、きょんちゃんと一緒に笑ってしまう。

 バールのカウンターの中で、目梨さんがほっとしたようにほにゃりと笑っていた。きっと目梨さんは目梨さんなりにきょんちゃんを大切にしているのだろう。言わない思いやりもあるってことだ。悩むってことはそれだけ相手を思いやってるってことでもあるんだろうし。

 だがしかし! 目梨さんのくせに盗み聞きするとは生意気だ。

 きょんちゃんが「とう君今日さ……」と目梨さんに話しかけている。
 聞いて驚け。目梨さんの名前、|瞳一《とういち》って言うんだよ。目梨瞳一。いつか絶対一つ目ってバレると思う。