シロクマのたなごころ
第六章 §1


 三人目の子供は、アンナさんとほぼ同時に出産した。めでたいたい。

 あ、ほら、おめでたいことがふたつだからね、鯛もふたつ。……エルちゃんが哀れんだ目で見てる。アホすぎて哀れ? 頷かれた。
 エルちゃん自身に関する思考は読めないくせに、どうでもいい思考は読めるって、便利なのかなんなのか。あっ! 脳内でエルちゃんの悪口言ってもわからないってこと? エルちゃんのあんぽんたん! とか。
 ……なぜげんこつ食らった? エルちゃんに関する思考は伝わらないんじゃないの? あっ、エルちゃんとポーラさんに関する思考だけが伝わらないのか! とすると、妨害してるのはシロクマか! ……触らぬドSに祟り無し。なむなむ。



 またもやエルちゃんの超簡単出産で産まれた女の子は、ニナと名付けられ、ラウルだけじゃなくシリルもサラも黒目黒髪のニナに夢中だ。ようやく私の要素が出た! だがしかし、髪の色と目の色が黒というだけで、顔の作りはラウルそっくりの美乳児だ。エルちゃん曰く、中身もラウルに似て賢いらしい。喜んでいいんだよね?

「色だけでも似てよかったね。色だけでよかったとも言えるけど」
 エルちゃんの毒舌が心に突き刺さる。私はそんなにアホの子なのか……。

「自覚してないところがさーちゃんっぽいよね」
 最近、さーちゃんっぽい=アホっぽいと変換されるのはなぜだろう。謎だ。謎すぎる。むへへへと笑うエルちゃんが恨めしい。



 実は。アンナさんとセドリックさんには、一人娘がいたらしい。

 呪いをかけられて以降、娘さんはどうしても二人の姿を直視できなかったらしく、両親を拒みたくはないものの、どうしても受け入れられない我が子の苦しみに、アンナさんたちの方から距離を置いたらしい。娘さんはすでに結婚していたこともあって、それほど心配はなかったと、少し寂しそうに話していた。

 娘さんがいたことにも驚いたけど、更にその娘さんが結婚していたとは! アンナさんっていくつなんだ? と思っていたら、元の世界では成人が十五歳で、アンナさんは十六歳で結婚、十七歳で出産、その娘さんも十六歳で結婚していたらしく、アンナさんは呪い期間を除けば三十代半ばだそうだ。頑なに正確な年齢は教えてくれない。

 そのアンナさんのご懐妊情報に、ラウルがすごく喜んだ。ラウルは二人の娘さんのことをかなり気にしていたらしく、自分の子供ができたことで、一層申し訳なく思っていたらしい。

 年齢不詳のアンナさんは、私がニナを産んだ数時間後に男の子を産んだ。もちろん、エルちゃんの超簡単出産で。次は女の子を産むつもりらしい。そして我が子の執事と侍女にするのだと張り切っている。我が子に執事と侍女は不要なんじゃ……と言う私の呟きは誰の耳にも入らなかった。
 ラウルが当たり前のようにそれを許可していて、ちょっと引いた。



 未だ、超簡単出産時のパンツの謎は解けていない。今世紀最大の謎である。



 で、ラウルのビルの一階の一画に、今度は託児所ができた。

 お隣の和菓子屋さんの夜のお菓子の常客のオネエさんが、実は保育士の資格を持っていると聞いた里子さんが、エルちゃんに話を持ちかけたらしい。
 エルちゃんとラウルとうちのお父さんで、あっという間に手続きを終え、常客のオネエさんとそのお仲間の二人の保育士がエルちゃんの面接に合格し、開設の運びとなった。

 どうやら常客のオネエさんの本名が翼という名前だったことが、エルちゃんがオネエさんを気に入った最大の理由らしい。エルちゃんが「本物がいた!」とぐへぐへ笑っていてちょっと引いた。ポーラさんまでもがぐへっと笑っていた。
 翼という名前の偽物のオネエの知り合いでもいるのだろうか。偽物のオネエってなんだ?

 道楽経営なので許可外保育施設となり、その設備は思いっきりゴージャスだ。
 我が子のシリルとサラ、クロエさんと蔵間さんの子の光太郎君、里子さんと強面で悪人顔の和菓子職人かつ鬼族でもあるご主人との間に生まれた、里子さんの要素だけが出て「俺に似なくてよかった」と鬼の目にも涙な展開に里子さんが悶えまくった、思いっきり可愛い美里ちゃんの四人が、毎日悠々自適に過ごしている。完全セレブ待遇だ。羨ましい。

 すでに光太郎君がサラをロックオンしていることには、気付かないふりをしている。二歳児なのにロックオンって……。さすがエロ天狗の子。
 クロエさんがサラにべったり張り付く光ちゃんを見ては暢気に笑い、蔵間さんが「さすが俺の子だ」と自慢気なのとは対照的に、ラウルはものすごーく渋い顔で、光ちゃんからサラを引き離している。サラが嫌がっていないので、私は気付かないふりだ。エルちゃんはいつも通りにたぁと笑いながら面白がっている。

 目梨さんはなんとか美里ちゃんに好かれようと、あの手この手でアプローチしているものの、効果はイマイチで、里子さんにしっしっとハエのように追い払われている。哀れ目梨さん。いい人なのにな。人じゃないけど。最近三ツ目族の幼馴染みが祝言を挙げたと悔しがっていた。幼馴染みとかいるんだね、|妖《あやかし》も。



 友達の唯ちゃんときょんちゃんに結婚の報告をしたあと、結婚式、出産、育児、また出産、と慌ただしく、二人も社会人一年目、二年目、三年目にしてようやく落ち着いたと言うことで、我が家に遊びに来てくれた。

「ちょっ、何! さーちゃんお金持ちと結婚したの?」

 エントランスでお迎えした瞬間に叫んだのは唯ちゃんだ。隣できょんちゃんが「唯ちゃんうるさい」と呟いている。なぜかエルちゃんもちゃっかりお迎えする側にいたりして。

「エルちゃんもここに住んでるの? なにそれ! 羨ましい!」

 唯ちゃんうるさい。疲れた顔のきょんちゃんが隣で顔をしかめている。

 唯ちゃんときょんちゃんがエルちゃんを忘れてなくてよかった。マメに連絡は取っていたけど、実際に会うのは久しぶりすぎるくらい久しぶりなんだもん、ちょっと冷や冷やしちゃったよ。



 この三年間の出来事を、それぞれが怒濤の勢いで話し、聞き、大いに頷き、大いに笑い、大いに憤り、また大いに笑い、疲れたところでお隣の和菓子をうまうまと食べ、ずずいとポーラさんの入れてくれたおいしい玉露を啜り、また怒濤の勢いで話し、聞き、頷き……を繰り返し、それぞれ気が済んだところで、エルちゃんが一言。

「きょんちゃん、今のブラック企業辞めてうちで働く?」
 きょんちゃんが泣いた。余程辛かったらしい。

 今日はなんと二ヶ月ぶりになんとかもぎ取った完全休日だったらしい。丸一日の休みが与えられないって……きょんちゃんの艶のなくなった肌や髪、やつれて疲れ切った顔を見れば一目瞭然なんだけど、それにしても酷い。よく我慢した。
 一緒に働いているみんながいい人で、その人たちに迷惑をかけられないからと、なんとか頑張っていたらしい。でももうそれも限界だって、自分でも思ってたんだって。もっと早く会えばよかった。

 きょんちゃんはシステムエンジニアだ。
 ニナを腕に抱いたラウルが呼ばれ、ラウルの美形っぷりに暫し呆けたきょんちゃんは、簡単な面接の上、あっさり採用が決まり、きょんちゃんは土下座する勢いでお礼を言っていた。ちょうどその方面に長けた人が欲しかったらしい。
 同じくラウルの美形っぷりに暫し呆けた唯ちゃんの会社は、ラウルの会社並みにのほほんとしているいい会社だそうだ。ただ、経営難らしい。のほほんとしているから経営難なんじゃ? と思ったけど、ラウルの会社ものほほんとしているのに経営は順調どころか右肩上がりなので、一概には言えない。

「今の会社がやばくなったら、唯ちゃんもうちの会社においで」
 エルちゃんはただの美人受付嬢ではない。一応会社の偉い人だ。たしか会長らしい。伊達に自分の名前が会社名になってはいない。

 そんなエルちゃんの鶴の一声に、唯ちゃんがにんまりして、必要な人材をラウルに聞いていた。それに合わせて資格を取っておくらしい。経理方面に長けた人が欲しいとラウルが言うと、唯ちゃんが再びにんまり笑い、現在経理課にいること、すでに取得している資格をつらつらと並べ、BATICを取得しておくと気合いを入れていた。
 なんじゃそれ? と思ったのは私だけで、BATICは国際会計検定というものらしい。聞いたところでなんじゃそれ? と再度思った私はやっぱりダメ人間なのだろう。凹む。
 唯ちゃんにまで「やっぱりさーちゃんと一緒にいると和むー」と言われた。やっぱりってなんだ? 今までも思ってたってこと? もしや私って出会ったころから色物だった? ……せめて大いに和んでくれ。

 きょんちゃんも唯ちゃんも優秀だ。二人とも首席を争うくらい優秀だ。ぎりぎりなんとか卒業出来た私とは月とすっぽん。今思えば、よく友達になってくれたよ。
 もしかしたら陰でエルちゃんがちょちょいと誤魔化してくれていたのかもしれないと思うほど、私は大学に入れたことが奇跡のような存在だ。本当、よく卒業できた。みんなが手伝ってくれたからこそだ。明らかに実力じゃない。胸を張って言える。

 きょんちゃんは真っ黒な会社をとっとと辞めて、すぐに来てくれることになった。真っ黒な会社は、去る者は追わずだそうで、簡単に辞めることができるらしい。黒すぎる。シロクマ並みだ。

 エルちゃんとラウルから基本給の最低ラインを聞いたきょんちゃんは、飛び上がって喜んだ。しかもお昼休みにおやつ休み、完全週休二日、二週間ほどの夏期休暇に冬期休暇、残業一切なしを聞いて、またもや泣いた。おいおいと泣いた。世の中にはそんな素晴らしい会社があるんだと、えぐえぐ泣いた。

 きょんちゃんは割と物静かなほうで、あまり感情を表情に出さない。そのきょんちゃんが声を上げて泣くほど、追い詰められていたらしい。
 二人に挨拶した後、別の部屋で遊んでいたシリルとサラがやって来て、きょんちゃんの頭をなでなでしている。それに一層きょんちゃんがぐしぐし泣いた。今まで我慢していた分、たっぷり泣くがいい。
 唯ちゃんとエルちゃんと一緒にもらい泣きした。きょんちゃんからたっぷり分けてもらい、揃って泣いた。
 エルちゃんにはセレブなティッシュがシリルから渡され、サラはエルちゃんの鼻にティッシュを押しつけている。二人ともできる子。



 散々泣いたきょんちゃんのおなかが、ぐうっと鳴ったところで、お昼を食べにみんなで食堂に行き、お城のみんなにきょんちゃんが紹介され、唯ちゃんがちゃっかり「そのうちお世話になります」といい笑顔で挨拶していた。

「今日は日曜日だから全員いないけど、みんな美男美女のフランス人だよ。あ、紺野さんとシリルはたぶん日本人だけど」
「なに? その、たぶんって」
「えーっと、純粋な日本人とは言い難い感じ?」
「ああ、ワンエイスとか?」
「たぶんそんな感じ」

 ……唯ちゃんときょんちゃんが勝手に解釈してくれた。あぶないあぶない。まさか人外だとは言えない。

「フランス人にしてはみんな日本語が流暢だね」
 唯ちゃんが妙に感心している。まさかエルちゃんのちょちょいだとは言えない。でも絶対そのうちバレる。二人は賢い。

「それにしても、すごくおいしい。賄いにしとくのもったいないくらいだよ」
「一階のバールの料理も料理長とアルノーさんが作ってるんだよ」
「へーえ。今度行ってみる」
「うん。最近は料理目当ての人もいるんだよ。お持ち帰りもできるから、お昼は結構賑わってる」

 今日のお昼はイタリアンだ。アンティパストのブルスケッタやエルちゃん直輸入のプロシュットやカプレーゼが絶品だ。生ハムうまー。

 シリルとサラは、元メイドさんたちにご飯を食べさせてもらっている。もぐもぐと一生懸命口を動かす二人を見て、元メイドさんたちが悶えているのは、見ないふりが大人ってなものだ。
 シリルとサラのご飯を食べさせる順番が、元メイドさんたちの中で密かに決まっているらしい。時々元侍従のポールさんやロイクさんもそれに加わって、二人にご飯を食べさせながら悶えている。みんな楽しそうなのでお任せするのが大人ってものだと思う。決して楽だからじゃない。

 その様子をにこにこと眺めながらも、唯ちゃんもきょんちゃんもその手が止まることはない。うまうまと平らげていく。男の人たちはパスタの後にお肉も食べるけど、私たちはパスタで終了。ひと口だけお肉をもらって満足する。でもドルチェは別腹。エルちゃんがどこぞの秘伝のレシピを持ち帰ったおかげで、激うまティラミスが食べられる。

「うわぁ。何このティラミス、今まで食べた中で一番美味しい」
「でしょでしょ。エルちゃんが本場のレシピを持って帰ってきたんだよ」
「エルちゃんでかした!」

 唯ちゃんのお褒めの言葉に、エルちゃんがぐへぇと笑った。

「相変わらずエルちゃんの笑いはキモい」
 きょんちゃんの辛辣な一言に、エルちゃんが嬉しそうに笑う。

 なぜ喜ぶ? エルちゃんMなの? あ、当たり前か。ポーラさんがドSだもんね。エルちゃんはドMか。……なぜげんこつ食らった? ポーラさんとのことは伝わらないんじゃないの? しかもわざわざ席を立ってまでげんこつ食らわせに来るとは……。
 あ、きょんちゃんが笑った。ちゃんと心の底から笑ってる顔だ。よかった。

 最後にカフェ・ラッテをごくごく飲んで、唯ちゃんときょんちゃんは帰っていった。きょんちゃんはすっきりしたからか、帰って辞表を書いた後、たっぷり寝るそうだ。唯ちゃんは帰りがけにバールでティラミスをしこたま買い込んでいた。そういえば唯ちゃんは甘い物に目がなかった。



「でね。うちの兄が留学するから」

 ……何に対しての「でね」なのか。おまけに世界を超えて留学って。

「エルちゃんのお兄さんって、彼女捜しに別の世界に行った人?」
「そっちじゃない方」
「あのお守りのペンダントくれた人?」
「そう。ちょっと医学の知識を高めるんだって」
「もしかしてあの指輪?」
「そう、あの指輪。改良してドアノブに固定することにした」
「最初からそうしといてよ!」
「最初からそうだったら面白くないでしょ」

 げんこつを食らわせてやった。ふふんだ。
 彼女を探しに行ったエルちゃんの二番目のお兄さんも、呪いの指輪の被害者らしい。



 改めて紹介されたエルちゃんの一番上のお兄さんは、ロルフさん。これまたびっくりするくらいの美形だ。そして確実に腹黒だ。ポーラさんと同じ雰囲気なので間違いない。
 ポーラさんと同じ存在だという、ランドさんも紹介された。当たり前のように超絶美形だ。もう何も言うまい。

 聞いて驚け! なんとランドさん、本来の姿はドラゴンなのだそうだ。ドラゴンとか、本当にいるんだねぇ。
 それなのにだ! ミニチュアサイズに変わった姿は、カメレオンってどういうこと? ドラゴンってミニサイズはカメレオンなの? 微妙すぎる。子供たちには大人気だけど。まさか本来の姿はでっかいカメレオンじゃないよね。なぜエルちゃん目をそらす? え?

 ロルフさんとランドさんは、色んな国の国立図書館で調べ物をしている。時々ロルフさんの奥さんとお子さんたちも一緒にやって来て、シリルやサラたちと遊んでいる。この奥さんがめちゃめちゃ可愛い。ロルフさんは奥さんのリーゼロッテさんにでろでろで、リーゼさんを前にすると真っ黒オーラが瞬時に消えて、パステルピンクのオーラに変わる。いや、オーラが見えてるわけじゃないんだけどね、雰囲気がさ、でろあま。

 元狼だったジュストさんと気が合うようで、時々食堂の片隅で三人で語り合っている。そこにラウルが加わったり、ポーラさんが加わったり、セドリックさんが加わったりして、男同士で静かに語り合っている。しかもウイスキーとかブランデー片手に、時々氷がからんと鳴ったりして、CMかってツッコミたくなる。あまりの美形率の高さに彼らの周りがきらきらして見える。……と思ったら、エルちゃんがきらきらさせていた。……何それ呪い?

「エルちゃんってさぁ。私をからかうことに全力だよね」
「うん。生き甲斐」
「他の生き甲斐探しなよ」
「これ以上の生き甲斐はない」
「断言しないでよ!」
「断言できる!」

 暫し無言で見つめ合った。目をそらしたら負けだ。やめて! 変顔はやめて!

「……」
「……」
「ぶはっ」

 ……負けた。美女の変顔は破壊力抜群だ。笑いすぎてお腹が痛い。苦しい。嘔吐く。そんな私を見て、エルちゃんがお腹を抱えて大笑いしている。
 くぅぅ、いつか絶対に勝つ!