シロクマのたなごころ
第五章 §3結局、エルちゃんは答えを先延ばしにした。
相変わらずマルクさんとは清い交際が続いているらしい。でも、時々すごく不安そうな顔をしている。マルクさんはそれに気付いていて、見ないふりをしている。ポーラさんは相変わらず静観だ。
「紗奈。魔女殿には魔女殿の考えがあるんだ、紗奈が気を揉んでも仕方ないだろう?」
「そうだけど! でもさぁ……」
「魔女殿には納得する時間が必要なんだ」
「そうなの?」
「そうだろう? ポーラさんは人ではないんだ。魔女殿も人ではないかも知れないが、少なくとも体自体は人だろう?」
「そういうの気にするもの?」
「紗奈は気にしないだろうが……普通は気になるだろう?」
ラウルが少し呆れながらも、その手で私のまだたいして膨らんでいないお腹をなでなでしながら、嬉しそうな顔をしている。
「そっか。私はラウルが人外でも気にしないけど……」
「紗奈はそうだな」
そういえば、クロエさんも「赤ちゃんができてなかったら、蔵間さんとの関係に悩んだかも」って言ってたなぁ。蔵間さん、まさに人外だもんなぁ。
ジョゼさんやネリーさんも悩んでるのかなぁ。
でもクロエさんが「呪われた経験があるから、案外なんとかなるかもって思った」って言ってたしなぁ。
エルちゃんも魔女なんだから、案外なんとかなるかもって思わないのかなぁ。思わないんだろうなぁ。エルちゃん、魔女的自己評価が低いからなぁ。
そのまま、何も変わらないまま、数ヶ月が過ぎて、私のお腹がびっくりするくらい膨らんだ。おへその周りが痛痒いのなんのって。色んなところに変な痛みや気持ち悪さがあるんだけど、このおへその周りの痛痒さが結構辛い。せっせとクリームを塗り込んでいたら、様子を見に来たエルちゃんが何かをしてくれた。途端にすっと痛みも痒みもなくなる。おおっ!
「エルちゃんすごい! 久しぶりにすっきりした」
「もう。我慢しないで言えばいいのに」
「だって、なんで痒いのかわからなかったんだもん」
「さーちゃん、いくら私がついてるからって、雑誌くらい読みなよ」
「たまごとかひよこの?」
「そう。さーちゃんの旦那様が熟読してるでしょ」
「うん。だから私はいいかなって」
「ダメだから。本人が一番熟読すべきだから」
なんだかエルちゃんの様子がいつもと同じようでいて違う。
「エルちゃん、何かあった?」
「んー…」
「どうした? もうすぐお母さんになる私に話してごらん」
「……さーちゃんがお母さんとか、激しく不安。あー。でも、さーちゃんがお母さんかぁ……」
エルちゃんが遠い目をした。なんなんだ? 失礼な。
「なに。何か文句ある?」
「ない。さーちゃんがお母さんもいいかもって思っちゃった」
「そうだろう、そうだろう。苦しゅうないぞ、近う寄れ」
「なに、あまりにも暇で再放送の時代劇とか見てるわけ?」
「なんでわかったの!?」
「誰でもわかるから」
へらりと笑うエルちゃんは、なんとなく元気がない。
「で、どうしたの?」
「んー…マルクとできなかった」
「そっか」
「直前までは何とも思わなかったんだけど、いざとなったら……」
「違うって思った?」
「違うっていうか、ダメだって思った」
「そっか」
エルちゃんが情けない顔でへらりと笑う。
「ポーラの顔が浮かんだ」
「うん」
「シロクマの方」
「そっか」
「シロクマでもいいってわかった」
またエルちゃんがへらりと情けない顔で笑った。
「ようやく?」
「ようやく」
「マルクさんは?」
「わかってたって言われた」
「そっか」
マルクさん、辛いだろうなぁ。ここまで待たされた上に直前でお預けとか。泣ける。
「私に、幸せになれって、言って、くれた」
エルちゃんがうわーんって泣き出した。
マルクさん、最後に格好付けすぎだよ。何その男前なセリフ。
よっこらしょって立ち上がって、セレブなティッシュをエルちゃんに渡すと、早速ずびーっと鼻をかんでいる。
「マルクさん、いい男だね」
「うん。ずっと、ずっと、優しかった」
「ん」
「いつも、私だけを好きでいてくれた」
「ん」
「一緒にいて、すごく幸せだった」
「ん」
マルクさんはエルちゃんの中身を好きでいてくれたんだと思う。見かけの綺麗さだけじゃなく、中身の可愛らしさをすごく愛していたように思う。ぐへへへって笑うエルちゃんをものすごく愛おしそうに見ていて、一瞬変態かもって思ったこともある。内緒だけど。いい歳した大人が、清い交際のままなんて、よっぽどエルちゃんのことが好きだったんだろうなって思う。
「マルクさんも幸せになるといいな」
「ん。お礼にすぐに幸せになれる呪いをかけといた」
「エルちゃん、それ、大きなお世話なんじゃ?」
「だって! 他にできることないんだもん」
またもやうわーんって泣き出した。
なんか……エルちゃんの思考が斜めすぎて困る。よしよしって頭を撫でておく。珍しくポーラさんが現れない。まあ、今現れても追い返すけど。今はエルちゃん一人で泣くべきだ。
その日エルちゃんは私の家に泊まった。大きなベッドで、私のお腹に手を当てながらこてんと寝入った。ラウルがなんともいえない顔をしながらソファーで寝てくれた。
エルちゃんとマルクさんは、お互い距離を置くこともなく、それまで同様仲良しだ。
ただ、仲良しの質が変わった気がする。マルクさんは時々愛おしそうにエルちゃんを見ているようだけど、少しずつその熱が収まって、妹を見守るようなものに変わっている気がする。
ポーラさんは何も変わらない。エルちゃんとポーラさんの関係も何も変わってないようだ。
そして。双子が生まれた。
なんていうか……エルちゃんにかかると出産がすごく楽だった。陣痛もなく、ふいにエルちゃんが「産むよ」って言って、我が家の空いている部屋に連れて行かれて、ころんと大きなビーズクッションにもたれるように寝転んだあと、「はい! いきんで!」って言われてお腹に力を入れたら、するっと何かが出ていった。いや、赤ちゃんなんだけどさ。すぐさまもう一度同じように「いきんで!」って言われて、もう一度お腹に力を入れたら、またするっと出ていった。
すかさずお母さんとアンナさんに赤ちゃんが渡され、二人が赤ちゃんを抱えてどこかにいった後、エルちゃんによって体を整えられた。産声が聞こえてくる。
さっきまで膨らんでいたはずのお腹がぺったんこになっていて、目を疑った。思わず二度見したもん。
部屋も全く汚れてない。ってか、このビーズクッションいつからこの部屋にあった? ってかパンツ履いてるよね? パンツ履いたまま子供産んだ? パンツ?
「さーちゃん、パンツパンツ言ってないでよ。もう普通に生活できるからね」
そうしれっと当たり前の様に言われて、ぽかーんとしたのは私だけだった。
みんなは事前に聞いていたらしい。普通に部屋から出てきた私に驚くこともなく、おめでとうと声をかけられ、見れば、両腕に一人ずつ赤ちゃんを抱いたラウルがにっこにっこしていた。
……出産の感動が皆無なんですけど!
男の子はシリル、女の子はサラと名付けられた。
赤子のくせに彫りが深いとか、何事? って思う。エルちゃんが溺愛中だ。
「超絶可愛い! 私がアホじゃない子に育ててあげる!」
超絶失礼なことを言っていた。
まあ、超絶可愛いのは認める。美形の子は美乳児だ。アホじゃない子に育ててもらえるならそうして欲しい。
ここにお母さんとアンナさんまで加わって、私の入る隙間がない。私がお母さんなのに……。私が必要とされるのは母乳を与えるときだけという、なんともせつない状況にある。
ラウルが苦笑いしながら慰めてくれるけど、一番二人を独り占めしているのがラウルだ。両腕に二人を抱えて毎日にまにましている。美形はにまにましても美形だ。何それ詐欺? ってなくらい美形だ。
エルちゃんがシリルとサラのおかげかすごく落ち着いている。赤ちゃんの癒やし効果抜群だ。
だがしかし!
最近ポーラさんがじわじわとエルちゃんを囲いにかかっている。エルちゃんは気付いてないみたいだけど。あまりのさりげなさ具合に、気付いたときに戦慄いた。こわっ! 鳥肌立った!
あーんとか、でこちゅうとかが、いつの間にか当たり前になっていた。膝抱っこはすでに当たり前だったけど、でこちゅうしてるのはそれまで見たことなかった。あまりに自然にでこちゅうしてるから、当たり前に目に映していたけど、ふと気付いたときにびっくりした。
いつからだろう……双子が生まれたときはまだだった気がする。離乳食を始めた頃にはでこちゅうしてた。数ヶ月ほどの間に何があった?
エルちゃんを見ている限り気付いていないっぽい。膝抱っこと同じように当たり前に受け入れている。ポーラさん、恐るべし。いつか気付かぬうちに食われてたとか、ありそうでコワイ。いや……今もうすでに……。
やめよう。
私の心の平和のために。エルちゃんのことはポーラさんに任せよう。
最近のエルちゃんは綺麗になったと思う。元々綺麗だったけど、内側から輝いているみたいに、その綺麗さに磨きがかかっている。
マルクさんが「あれを見るとお手上げです」って苦笑いしていた。
そのマルクさんは、なぜか今時の女子大生になった妹の玲奈とお付き合いしている。玲奈の猛攻にマルクさんが落ちたらしい。エルちゃんの呪い効果だろうか。まあ、二人とも幸せそうだからいいかって思う。
クロエさんも男の子を産んだ。蔵間さんが毎日でれでれしているらしい。目梨さんが女の子じゃなかったことに肩を落としていた。
私同様クロエさんもエルちゃんの超簡単出産を経験している。互いに、楽だけどあれはないと言い合っていたりする。だって、三分で終了だよ。感動も何もない。クロエさんは一人だったからか更に早かったらしい。そしてパンツの謎は解けていない。クロエさんも「言われてみればそうですねぇ」ってのんきなことを言っていた。いやいや、不思議すぎるでしょ。
「ねえねえ、光ちゃんって鼻長くないよね」
クロエさんと蔵間さんの子供は光太郎と名付けられた。
「ああ。実際に鼻が長いわけじゃないそうですよ。そう言われているからそう見せているだけみたいです」
「そうなの?」
「ええ。前に里子さんに赤ら顔に鼻を伸ばして見せたら、のぼせてしまったって言ってました」
「里子さん、人外好きだもんね」
その里子さんももうすぐ出産だ。これもエルちゃんによって取り上げられることが決まっている。「私が人外を産む!」とぐへぐへ笑ってた。ちょっとコワイ。
「光ちゃんは日本男児って色だねぇ」
エルちゃんが光ちゃんとシリルを見比べて言う。
シリルもサラもラウルに似た薄い金髪と青い目、光ちゃんは真っ黒な髪に真っ黒な目だ。クロエさんも濃い茶色の髪に濃い茶色の目なので違和感がない。なぜ我が子には日本人要素が皆無なのか……。エルちゃんに抱かれていると、エルちゃんの子供に見える不思議。
「……私の子だよね?」
思わず呟いたらエルちゃんにアホの子を見る目で見られた。いやだって、私の要素はどこにある?
「さーちゃん、残念ながらシリルもサラもさーちゃんのアホっぽさをしっかり受け継いでいるから。アホの子にならないようしっかり育てないと」
「そこ? そこなの? 私の要素!」
「そこ以外にどこにあるの?」
泣く。エルちゃんの心底不思議そうな顔が一層涙を誘う。慰めてくれるクロエさんまで「和みますよね」とか言ってる。我が子も色物要員?
光ちゃんは天狗の子だけあって、まだ乳児なのに妙に聡い。ほとんど泣かないし、ちゃんとこっちの言葉を理解してるっぽいところがある。なんというか、目に知性が表れている。
それに比べるとうちの子は……。二人とも無駄に泣くことはないけど、いつもにへにへ笑ってる。お母さんが「紗奈の子供のころにそっくり」って言ってたのは、そういう意味だったのか。泣ける。
そして。
ついにエルちゃんがポーラさんに落ちた。いや、堕ちたという方が正しい。
ポーラさんのエルちゃんを絡め取る見事な手腕におののきます。
数日に渡ってトリノに出掛けた二人が帰ってきたら……エルちゃんが壮絶な色気を纏っていた。どんだけやられたんだってくらい、エロくなったその姿に、ラウルが受付業務から外すほどだ。
あれが受付にいるとか、……ないわぁ。受付が犯罪多発地点になる。ラウルが苦笑いしていた。
「エルちゃん! どんだけやられまくったの?」
思わず聞いたら、びくっとしたあと、悩ましげな溜息をついた。その溜息が聞こえた男の人は確実に股間がヤバいことになるってなくらい色っぽすぎる溜息に、ポーラさん恐るべし! を再確認した。
「まだ」
「は?」
「まだしてない」
……お預け? お預けなのか! ドS過ぎるわ!
「私ってね、ポーラの番なんだって」
「番?」
「うん。ほら、母様と父様は宿命だって話したでしょ、力魂にも宿命みたいな番って存在が現れるんだって」
よくわからないけど頷いておく。宿命は確かベターハーフとか魂の片割れみたいな存在だって言ってたけど、じゃあ番って何だ? シロクマだから番? つまり獣姦……。ディープ過ぎる。
「さーちゃん、またアホなこと考えてる」
「だって、番の意味がわからないんだもん」
「番は本能だって」
本能……ますますわからん。
「私とポーラって繋がってるから、なんていうかさ。快感も倍になるっていうか……。あまりの快感に意識がなくなっちゃって、最後までできないの。今ゆっくり慣らしてるとこ」
絶対ポーラさんがドSを発揮しているだけに違いない。だとしたらポーラさんだって意識が無くなっているってことでしょ! なぜエルちゃんは気付かない! どうしてエルちゃんは魔女的チェックが自分のことになると働かないのか。
「エルちゃん、それって──」
教えようとしたら、ポーラさんがエルちゃんの後ろに現れた。壮絶に綺麗な笑顔で笑いかけられて、鳥肌が立った! 黒いわ!
そのポーラさんがエルちゃんを腕に囲うと、触れられたエルちゃんがびくっとなって、エロい溜息を堪えきれず漏らした。だめだ。ここにいたらあてられる。
すたこらさっさとエルちゃんの家から逃げ出して、自分の家に戻り、シリルとサラに癒やされた。コワイ。シロクマコワイ。そんな私を見てお母さんとアンナさんが首を傾げていた。
知ってる?
シロクマって熊の中じゃ一番の肉食なんだって。あんなにほわんとした癒やし系の姿なのに、かなり強烈なドSらしい。
その後、ひと月もかけてエルちゃんはポーラさんに堕ちていった。
その間エルちゃんに会えたのは私だけ。ポーラさんがのらりくらりとエルちゃんを囲い続けた。
エルちゃんの代わりにポーラさんが受付業務をしている始末だ。
ひと月後、みんなの前に姿を現したエルちゃんは、それまでと同じようでいて、まるで違っていた。見た目は変わらない。でも、一言で言うなら、穏やかだった。
「エルちゃんが大人になっちゃった」
「少なくとも私はさーちゃんよりは大人だったと思うけど」
「そういう事じゃないよー」
「わかってるよー」
私の言い方を真似するエルちゃんは、やっぱり前とは違う。何がって言葉では説明できないけど、安定しているような、満ち足りているような、そんな感じがする。あれほどあったエロい雰囲気もきれいさっぱりなくなっている。
そのエルちゃんが、にたぁっと笑った。あれ? 前と同じ?
「さーちゃん、第三子! ご懐妊おめでとう!」
またか!