閒宵人の涙
閒宵人の涙 09


 ケイのことはいずれ知られる。
 朝霧さんが現れた直後、ケビンはそう口にしていた。

 ケイだけが汗をかき、ケイだけが汚れ、ケイだけがトイレを使う。それだけはどれだけ隠そうとしても隠し通せないことだ。
 トイレの水を流す音は意外と響く。なんの音もない、鳥の鳴き声、葉擦れの音すらないここでは、ほんのかすかな音でさえ、どうしても気になってしまう。
 他にも、私がケイのシーツや服をふやかした石けんで洗っていることに首をかしげられる。なるべくこそこそと洗っているつもりでも、どうしたって気付かれてしまう。

「美羽ちゃんって、ケイのことが好きなの?」
 彼には、私がケイだけを贔屓しているように見えるらしい。

 もともと察しのいい人だったのだろう。細かなことを積み重ねていくうちに、ケイだけが私たちとは違うことに気付いてしまった。

「ケイって何者?」
 そうストレートに聞かれたらしい。それでも本人に直接聞かないのは、どこかに遠慮があるからなのか、聞き辛かっただけなのか。
 聞かれたケビンは、ケイについて大まかに答えると、「へえ。そうなんだ」と、彼は軽い調子で、一見何でもないかのようにそれを流したらしい。
 知られてしまったのならと、二人はその翌日、私をこっそりセーフルームに隠して、朝霧さんを外に連れ出した。

 あの荒廃した景色、ここに棲むものたちを目にして戻ってきた朝霧さんは、そこから少しずつ変わっていった。

 さりげなくケイを蔑むようなことを口にする。ケイと二人きりになることを避けるようになり、私に執拗につきまとうようになった。



 ここでは年をとらないからか、時間の感覚がはっきりしない。ケビンは今日が何月何日かをきちんと記して忘れないようにしているけれど、私はケビンに聞けばいいやという甘えもあって、あっという間に忘れてしまう。
 ここに迷い込んでどのくらい過ぎたのか、それすらも曖昧だ。

「美羽ちゃん、二人でここから逃げよう」
 そう言われるようになったのは、どのくらい後だったか。それほど日は経っていなかったように思う。

「ここが一番安全ですよ?」
 そう答えると、苦虫を噛み潰したような顔をして、ふいっと背中を向ける。

 けれど、また数日経つと同じことを持ちかけられる。あまりにしつこくて、段々と答える気も薄れていく。
 彼は最初からここにいる。だから、あの逃げ隠れる日々も、断末魔の絶叫も、聞きたくもない残酷な音も知らない。この安全が、この穏やかな毎日が、ケイとケビンに守られていることを知らない。

「美羽ちゃん、あまり彼のそばにいない方がいい。万が一ってことだってあるんだから」
 それには本気で頭にきた。

「私はここに、ケイやケビンと一緒にいます。この先もずっと」
 つい、きつい調子でそう言い返してしまい、はっと我に返ったときには遅かった。

 眦をこれでもかと上げた朝霧さんは、大きな足音を立て、物に当たりながら、自分の部屋に閉じこもった。
 ばたん! と大きな音を立てて閉まった扉は、まるで彼の心のようで、どうしてもっとうまく言えなかったのかと、自分に苛立った。

 それでも朝霧さんはできるだけ私のそばにいようとした。それはケイから守ろうとしているのか、単に人恋しいだけなのか、同じ日本人の私が一番なじみやすいからなのか。私にはわからなかった。



 その日、私はすごく機嫌がよかった。
 リネン庫のような場所を整理していて、針と糸を見つけた。まだ充分に使える状態だったそれに、ケイの下着を作ろうと、張り切っていた。
 ケイは下着を着けていない。それは、単純に新品の下着がなかなか見付からないからだ。ケイは私に出会うまで下着の存在すら知らなかった。ケビンを睨めば、「まあいいかと思って」としれっと返ってきてすごく呆れた。
 ショートパンツのような下着なら私でも作れるだろう、一番きれいなシーツで作ろう、ゴムの代わりは適当な紐で代用しよう、頭の中で色々考えているところで、朝霧さんに出会した。

「ん? 美羽ちゃん、なんか機嫌がいいね」
 そう言ったあと、なぜか目を見開いて、一瞬その顔に嫌悪のようなものを浮かべると、次の瞬間、にやっと嫌な感じに笑った。

「へえ。今時の女子高生って、やっぱりそうなんだ。もっとまじめな子かと思ってたよ」
 何を言われているのかがわからず、思わず首をかしげると、肩から二の腕にかけてすっと指先で撫で下ろされた。
 いきなりのことに驚くと同時に、一瞬、身体がびくっと震える。
 それに朝霧さんは、ますます嫌な笑みを深め、「見た目以上に大人だった訳だ」と、意味のわからないことを呟きながら、きびすを返した。

 腕が汚れていたかと見てもそんなことはなく、彼の後ろ姿を見ながら、その表情の変化にも、その言葉の意味にも、その行動にも、ただ首をかしげるしかなかった。

 見回りから戻ってきたケイに、見つけた針と糸を見せ、「下着を作ろうと思う」と張り切って伝えると、「別にいらない」と素気なく返されて意気消沈した。
 それでもケビンに「作ってもらえ」と勧められ、渋々頷いていた。ケイにしてみれば今更なのだろう。
 見本となるパンツを見せて欲しいとケビンに頼むと、ものすごく嫌な顔をされた上で、「やっぱり下着はいらないんじゃないか?」と、あっさり手のひらを返される始末。

 それを聞いていた朝霧さんが笑いながら、ふんどしにしたらいいと提案し、学生の頃一度締めたことがあると、手ぬぐいほどの長さの布に紐をつけて完成する簡単なふんどしを教えてくれた。
 彼はみんなと一緒にいるときは、爽やかで人当たりがいい。本来の彼はどっちなのか、それともどっちも彼なのか。



 翌朝、早速ふんどしを大きなダイニングテーブルで作る。
 針と糸を見つけたリネン庫を隈無く探せば、旅館にあるような薄手のタオルがいくつも見付かった。その大半は使いものにはならなかったけれど、それでもまだ充分使えそうなものがいくつかあった。これに紐をつけるだけで完成だ。
 使えそうな布を勢いよく裂き、細長く紐状に縫い、それをタオルの端に縫い付けていく。使えるハサミが見当たらないので、ケビンから借りたサバイバルナイフで布を裂くように切るしかない。これが結構大変で、かなり力がいる。

 布を裂く音が気になったのか、朝霧さんが様子を見に来た。
 見付けたタオルと作っていた紐を見せ、こんな感じでと説明していると、彼は突然、すっと目を細めた。

「美羽ちゃんは、彼のふんどしを作ることにも、それを洗うことにも抵抗はないんだ」
「作ることには抵抗はありませんよ。洗うことには……うーん、抵抗は、ない、かな」
 考えながらそう言えば、またもや少し嫌な笑みを見せる。

「ケビンの下着を見ることにも抵抗はなさそうだったよね」
 そう言われて、確かにそれは恥ずかしいことだと気付いた。あの時、今更下着くらい、そう思った自分が恥ずかしい。羞恥から、かあっと全身が熱くなる。

「ふーん」
 何かに納得したようにそう呟きながら、朝霧さんはまたもや指先で腕をなぞった。それに身体がびくっと震える。

「なんですか?」
 何がしたいのかがわからず、思わずそう聞けば、彼は「べつに」と言いながら、昨日と同じようにきびすを返した。
 彼なりのスキンシップなのかもしれない。けれど、あまり気持ちのいいものではなかった。

 出来上がったふんどしを一旦全て石けんで洗い、ケビンにワイヤーを張って作ってもらった、外の物干し場で乾かす。わずかに揺れるふんどしを見て、ちょっと笑ってしまった。あれほどいい体躯だから、きっとふんどしも似合うことだろう。

 今日はどこの掃除をしようか。そう思いながら屋内に戻ろうと振り返ったそこに、朝霧さんがいた。

「彼のふんどし姿でも想像した?」
 いつになく、にこやかに楽しげに聞かれ、つい「はい。似合うだろうなって」と返した途端、その表情を一転させ、またもや嫌な感じに笑われる。

 さすがに薄々わかってきた。私がケイを好きだと勘違いしているなら、そういう意味のからかいなのだろう。少しむっとしながら、彼の脇をすり抜けようとして、その手のひらが一瞬、胸に触れた。

「あっ、ごめん。わざとじゃないんだ」
 目を丸くして、さも驚いた顔をされる。
 ほんの一瞬触れただけ。けれど、その一瞬で胸をつかまれたかのような気がした。怪訝に思いながらも、その気まずさから「大丈夫です」と笑って誤魔化し、その場を逃げるように後にした。



 なんとなくもやもやとした気持ちを抱えたままケイに種付けされていると、終わった後、ケイの方から「何かあった?」と聞いてきた。

「どうして?」
「いつもより気持ちよさそうじゃなかったから」
 あまりにストレートなその物言いに、一気に恥ずかしさがこみ上げる。
 暗闇の中、目を細めたケイがいきなりキスをしてきた。絡め合う舌が今までの行為の余韻に熱を灯す。

「美羽」
 いつからだろう。彼らに耳元で名前を呼ばれることを嬉しく思うようになったのは。それだけで心も身体も歓ぶようになったのは。ほっとして身体の力が抜けるようになったのは。

「もう一回、いい?」
 頷けば、入り口を舐められたあと、ゆっくりとケイが入り込んできた。その膝に向かい合わせに抱えられ、ゆっくりと揺さぶられる。ケイはこの体位が好きだ。

「で、何があった?」
「ん、胸、触られて。わざとじゃ、ないって、言われた、けど、なんだか、そう、思えなくて」
 ケイの耳元で、囁くように小声で伝える。言葉の合間に吐き出される息は、熱を孕んで厭らしく湿っているかのように淫靡だ。

「わざと、だろな」
 そう言われた途端、下から強く突き上げられた。

「んんっ」
 仰け反った喉に吸い付かれ、そのまま口づけを交わす。口を塞がれた途端、その突き上げの速度が増した。