閒宵人の涙
閒宵人の涙 08その日、それは突然だった。
鳴り響いたのは、塀の向こうに侵入者ありの鐘の音。塀の外側にも、侵入者用の鳴子システムが塀の中ほどではなくも張り巡らされている。それは一律に低く鈍い鐘の音が鳴るようになっている。
この別荘の持ち主はどんな人なのか。本当に死体でも埋まっているのではないか。緊迫した中、思わずそんな考えがふと浮かんだ。
「美羽はここにいろ」
どんなに暢気に過ごしていても、日が暮れる頃になると私たちは必ずセーフルームにいた。そして、二人はセーフルームのピアノの部屋で待機する。
もし侵入者が現れるなら、それはここに棲むものではなく閒宵人の可能性の方が高い。ケビンもケイもそう考えていた。
現れた閒宵人が、全て善人だとは限らない。ケビンの言葉が頭をよぎる。
もし現れたら仲間が増えるね、そう暢気に言った私への答えがそれだった。
それがまさか、十四年先ではなくこんなに早く現れるとは、そのときは考えもしなかった。
たとえ保護しても、このセーフルームの存在は知らせない。それは、三人で決めたこと。知らせるときは、三人の意見が一致した場合だけ。一人でも難色を示したときは決して知らせない。
その場合に備えて、各自が使う部屋も決められていた。私の部屋はセーフルームの入り口に一番近い、ヨーロッパ風のインテリアの部屋。ホテルのようにお風呂も洗面所も備え付けられている。
その部屋がゲストルームの最奥に位置し、その手前の部屋がケビン、正面の部屋にケイの部屋が位置している。
そして、もしそれが女の閒宵人だった場合、種付けするかの判断はケイに一任される。もし、ケイが種付けを拒んだ場合、逆にその人は常にセーフルームで過ごすことになる。
しばらくすると、ケイが険しい顔で戻ってきた。
「美羽、閒宵人の男だ。この部屋のことは知らせない。しばらくここは封鎖する。明日から日暮れ時は俺が常に美羽と一緒にいる」
「種付けはどうするの?」
「美羽の部屋でこっそりやるしかないな」
「この先ずっと?」
相手に事情をちゃんと話すのかと思っていた。
「男の閒宵人の状況は話すが、女の閒宵人についてはまだ話さない。おっさんともそういう結論になった」
どうしてなのか、訝しむようにケイの顔をじっと見上げると、ケイの眉間のしわが深まった。
「どうもいけ好かない」
「それは、信用できないってこと?」
黙って頷くケイの表情は硬い。ケイ自身のことも、しばらくは話さないそうだ。
そのままこっそりセーフルームから抜け、何食わぬ顔で応接間のような部屋に顔を出すと、ケビンと一緒にいるのは若い男の人だった。
「はじめまして」
そうにこやかに笑うその人は、私には悪い人には見えなかった。ケイやケビンが厳つい感じだからか、より一層ソフトな印象を受ける。
日本人特有の愛想笑いのようなものを浮かべ、紺色のスーツ姿のその人は「朝霧です」と会釈した。こんな場所に迷い込んで、たとえ愛想笑いでも笑えるなんてすごいと思う。
もしかしたら、ケイにとってはこの愛想笑いが気になるのかもしれない。
「はじめまして、美羽です」
「へえ。高校生? 中学生じゃないよね」
そう目を丸くされた。制服を見てのことだろう。昔ながらの紺地に白の三本線が入ったセーラー服。スカーフもソックスも濃紺の地味な制服だ。
そこからその人は、まくしたてるように色んなことを質問してきた。本当にここはそれまでとは別の場所なのか、いつ迷い込んだのか、これまでどうしていたのか、本当に閒宵人は食料なのか、ここは安全なのか。
ケビンに説明されただろうに、不安からなのか再度同じことを聞いているらしく、彼の隣に座るケビンの目が鋭く細まっている。それは私に対する警告のようにも見えた。
「私も、よくわからないまま二人に助けてもらって、すぐにここに逃げてきたので……」
実際に本当のところなんて、私にはわからない。
にこやかに笑っている、そこにほんの一瞬、何かが混ざったような気がした。気になって思わず確かめるように朝霧さんを見つめると、何? とばかりに首を傾げられる。そこに浮かぶのは人当たりのいい柔らかな笑み。
気のせいかと思い、軽く笑って誤魔化した。
ふと、テレビで見た俳優に似ているなと思った。誰だったか、似たような感じの笑みを浮かべる人だった。それを自覚しているのか、彼の作り笑いはどこかその俳優に似ているように思えた。
彼に今日の日付を聞けば、私とケビンが迷い込んだ日から一年以上も前だった。ちょうどあのゲームが発売された頃。ケビンと顔を見合わせ、プレイしていたゲームのタイトルを聞いても、共通するものはひとつもなかった。
「どうしてここに?」
ふと気になってそう尋ねると、答えは「営業に来たんだ」というものだった。
ケイと同い年の営業マンだと聞いて驚いた。思わず二人を見比べると、明らかに年上に見えるケイが嫌そうな顔をする。
俳優に似ているくらいだ、いわゆるイケメンなのだろう。厳ついケイに営業は無理だなと、勝手な想像をしてしまう。
「名刺やパンフレットでもあれば信じてもらえるんだけどな」
迷い込んだとき、持ち物はどこかに消えている。
私も、唯一持っていたのはポケットに入っていたタオルハンカチ一枚きり。手にしていたはずの鞄も、同じポケットに入っていたはずの携帯電話も消えていた。
彼も同じだったらしく、ポケットの中にはハンカチとマスクが一枚きりだった。
その朝霧さんは、いっこうにお腹が空かず、トイレにも行きたくならないことに首を傾げていた。正直、すぐに実感が湧くことはないと思う。
どれほど口で説明されても、どれほどおかしな情景を目にしても、どれほど恐ろしい音を聞いても、それはどこか遠いところで起きているような気がして、なかなか現実を受け入れられない。それなのに身体は得体の知れない恐怖を感じて縮こまる。
そして、一日二日と経ち、自分の身体の異常を目の当たりにして、ようやくこれが現実なのだと実感できる。実感してしまう。
翌朝、朝霧さんが叫んだように。
彼は何度も、「どうなっているんだ」と呟いていた。脱いで寝たはずのスーツをきっちり着込んだ状態で目覚めたことに驚いたらしい。ケビンにできるだけ声を上げるなと注意され、わかったと言いながらも、ことあるごとにぶつぶつと呟くことをやめない。
彼は、自分自身の変化しか見えていない。あの荒廃した景色も、ほかの閒宵人の絶叫も、知らないからこそ、どこかで現実を受け入れられないのかもしれない。
この別荘は、時間があれば掃除していたせいか、それなりにきれいだ。物の状態もかなりいい。
日中、ケイが塀の外を、ケビンが塀の中の警戒に当たる。夕暮れ時になると、みんなで応接間に集まりその日の報告をし合う。
そして、明かりの一切ない夜は、ただじっと朝がくるのを待つように、各自の部屋で大人しくしている。
迷い込んだ当初、朝霧さんは苛々したようにあちこち移動したり、時々物にあたったり、かと思えば部屋に閉じこもったりと、現実を自分なりに受け入れようとしているようだった。
そして、数日経つと落ち着いたのか、別荘中を掃除して回っている私を手伝うようになった。
掃除といっても、掃除機も何もない。ボロになってしまった布を見付けて、温泉のお湯を使って拭き掃除するだけだ。見付けた箒やデッキブラシは、先がばらばらと抜け落ちて使えなかった。
「電気が使えないって、こんなにも不便なんだね」
見付けたモップの先に、ボロを巻き付けて床を拭いている朝霧さんが、面倒そうに手を動かしながらそうぼやく。
「私が暇つぶしにやっているだけですから、朝霧さんまで掃除することないですよ」
「ああ、いや、そういうつもりで言ったわけじゃないんだ」
ばつが悪そうな顔で、手を動かす彼は、掃除当番を要領よくサボるタイプだろう。クラスの顔のいい男子も、なんだかんだと要領よく誰かにそれを押しつけていた。男女問わず、顔のいい人は要領もよくなるのか、たまたまそんな人ばかりと同じクラスになってしまったのか。
タオルハンカチを口に押し込み、ケイに揺さぶられる。
「んんっ」
どこもかしこも快楽を覚えてしまった身体は、どれほど我慢しても喉の奥から鼻に抜けて小さく唸るような音がもれる。
快楽を知ったケイは、それまでのようにただ入れるだけでは射精することができなくなっていた。
互いの荒い息遣いが、淫靡な空気を震わせる。
「美羽、声を抑えろ」
そんなことを言うくらいなら、声の出ることをしないでほしい。
ベッドがきしむからと、床に座ったケイに向かい合わせに抱えられ、そのまま奥まで貫かれた。腰を掴まれ、ぐりぐりと我慢できない場所を押し上げるように擦られる。ただでさえこの体位は深くまで入り込むのに。
咥えたハンカチを抜き取られ口付けられる。耐えきれなかった嬌声が、淫靡な余韻ごとケイの口の中に飲み込まれていった。