閒宵人の涙
閒宵人の血 12日に日に卵は成長している。
すでに卵ではなく胎児と呼ばれるようになり、映し出された画像を見れば、その姿も人の胎児と同じだ。
不思議なことに、卵の殻は薄くなっても壊れることも破けることもない。その中で育つ胎児は、どう見ても人の姿なのに、それは間違いなく卵胎児と呼ばれる状態だった。
「無力だな。結局、君たちの子供は、それ自身の力で育っている。人工子宮は温度調節に使われているだけの孵卵器だ」
戻って以来、初めてマッド佐伯が地下から姿を現した。彼はずっと、それこそ眠る時ですら私たちの子供のそばから離れていない。
「もう、わかっているのだろう?」
私たちの部屋を尋ねてきたマッド佐伯は、すごく疲れた顔をしていた。まるでため息をつくかのような張りのない声に、ケビンが覚悟を決めたかのように、目にぐっと力を入れて聞き返した。
「あの子は、世界そのものか?」
「そうだ。ゼノと同じ存在だ。そして、おそらくゼノのなくしたものだ」
それを聞いた瞬間、ケビンが呻った。
「どういうこと? なくしたものって?」
「だから、存在がふたつなのか!」
「おそらく」
「どういうことなの!」
自分の声が、力ない悲鳴に聞こえた。
もう知らないわけにはいかない。私たちはきっと、その存在ごとこの組織の深部にいる。
急にケイの膝の上にのせられ、ぎゅっと抱きしめられる。いきなりどうしたのかとその顔を見上げると、ケイの目がせつなく揺れていた。
「俺は……、本当は俺が、第九世界そのものだったのか」
「おそらく」
ケイのとてつもなく悔いた声に、マッド佐伯の静かな声が応えた。
どうしてか、ケイを逃がさないよう、ぎゅっとその身体にしがみつく。そうでもしないと消えてしまいそうだった。
「だとしたら、俺がアダムで、ミューがエバか」
「たとえるならば、そういうことなのだろう。いずれにせよ、君たちが全ての始まりだ。あの第九世界は、焔によって浄化され、おそらく新たに生まれ変わる」
「子供の誕生と同時、か」
「そうだ」
「佐伯、いつ気付いた?」
ケビンのとがった声に、マッド佐伯に目を向ければ、その顔が悲しみと後悔に歪んだ。
「戻ってからだ。ふたつの性を持ち、第三世界の全てを拒絶する育ち方をみて、まさかと仮説をたてた。ことごとく肯定され、それ以外は有り得ないと思うようになった」
「俺たちは、最初から戻って来てはいけなかったんだな」
「おそらく」
その瞬間、ケビンの怒号が響いた。
「勝手に引き戻したくせに! 俺たちはあそこでも幸せだったんだ!」
「だからだよ。だから君たちは第二世界に選ばれた」
マッド佐伯の声が、力なく零れ落ちた。
「もっと早く気付いていたら……すまない」
そう懺悔するかのようなマッド佐伯の声に、ついに黙っていることができなくなった。
「ちゃんとわかるように説明してください」
低く紡がれた声に、抱きしめるケイの腕の力が強まった。
ケイは、ゼノと同じ存在だ。それはつまり、ケイは第九世界そのものでもある。
そのケイが自らと重なる世界から離れる時、その代わりが必要になる。それが、もうひとつの虚ろな卵。その虚ろは、ケイの代わりに第九世界そのものとなり、遍在する第二世界の依り代でもある可能性が高い。
第九世界は、冥王星になぞられる通り、二重惑星と考えられるほど衛星の存在、つまりは第二世界の存在が強い。
ゼノは両性。完全なる両性だ。私たちの子供も、おそらくそうなる。だからこそ、ひとつの身体に存在がふたつある。
「ミウが生み、持ち帰った存在は、厳密には君たちの子ではない。第一世界と第二世界の狭間の存在だ」
「それってつまり、第一世界と第二世界の子供ってこと?」
「そうともいえる。ミウが生んだのは、世界そのものもだ」
「だから、私の身体は何も変わっていないの?」
「そうだ。ミウだけじゃない、ケイもケビンも変わっていない」
あの時、命が芽生えたと感じた、あの時の光は──。
「俺が、あの世界を離れなければ、こんなことにはならなかった」
「それは違う。俺はケイと離れようとは思わなかった」
「私も。私たちがこっちに引き戻されるなら、ケイと一緒じゃなきゃ絶対に嫌だって思った」
再び向こうにケイが引き戻された時、すでにケイはあの世界とは離れ始めていた。だからこそ、彼には焔が見え、焔のコマンドが使えたのだろう。
それとも、それが新たに生まれ変わるということなのか。
私は、世界から託卵されたのだろう。
それなのに、どうしてもあの存在が、自分の子供だと思える。それは、ほんの一時であれ、自分のお腹にいて、その存在をわずかながらも感じていたからだろうか。
「それでも、私の子供だって思う」
「俺もだ。あれは俺の子だと思える」
そのケビンの声にケイも頷く。
「それはそうだろう。あの子供は、ある意味君たちの子供でもある。少なくとも君たちから形作られている、君たちの血統だ」
私たちの血に連なるもの。ただし肉体だけ。それは、私たちの子供だといえるのだろうか。
もしも──。
「佐伯博士、もしも、もしも存在がひとつになっていたら……」
私が望んだからなのか……。
「たとえケイと同じように第九世界そのものであったとしても、君たちの子供として生まれただろう。肉体だけではなく、その精神も」
やはり、私が望んだからなのか。私が、あのとき自分のわがままで、自分勝手な感情で、ふたつの存在を望んだから、大切な彼らの子供を失った。
「ミューも、望んだのか」
その静かなケビンの声に、目を瞠る。まさか──。
「ケビンも?」
「ああ。ふたつの存在を俺とケイに置き換えれば、お前たち二人に置き換えれば、ひとつになればいいとはどうしても思えなかった」
「私も……。二人は、二人だからこそだって思ってた」
「おそらく、だから君たちは選ばれたのだろう。私は、何の迷いもなくひとつになればいいと思っていた。ケイも二人と同じだろう?」
頷くケイは、思い詰めた顔をしていた。
「もし、俺が向こうに戻れば、向こうに置いてきた卵と入れ替われるのか? 二人に子供を──」
「馬鹿なこと言うな!」
「絶対に嫌! ケイがいなくなるなんて、絶対に嫌! ケイがいなくなるくらいなら──」
──私は、今、何を言おうとした?
心ともなく紡がれそうになった、自分の中にあった思いがけない思考に愕然とする。
「ミュー、大丈夫だ。俺も同じことを思う。だからこそ、きっと俺たちだったんだよ」
「君たちは、三人で完成されているのだ。そこに、何も入り込めない。たとえ君たちの子供であってもだ」
「だから、私たちだったの?」
「おそらく。君たちだからこそ、ゼノが動いた」
そうだ、以前マッド佐伯が言っていた。最初に私たちを引き戻したのは、ゼノの呼ぶ声、だ。
「私たちは、本当にモルモットなんだね」
「人の存在など、彼の方から見れば、全てがそうだろう。私など、モルモット以下だ」
これが罰なのだろうか。
焔の代償なのだろうか。
二人を望んだ、報いなのだろうか。
嗚呼。
それでもいいと思う私は、きっとどこかが狂っている。
何を失っても、二人がいればいいと思う私は、もう正気ではないのかもしれない。
「俺はそれでも、二人といることを望む。望んでもいいか? 子供を失ってでも、世界がどうなろうとも、俺は二人のそばにいたい」
思わず笑いがこみ上げた。
「私も、それでもケイを望む。ケビン、そんな私がそばにいてもいい?」
見れば、ケビンも笑っていた。
「俺もだ。俺にとっては、二人だけが現実なんだ。二人の存在しか確かなものがない。あんな場所に迷い込んだ俺たちが、それまでと変わらずにいられると思うか? きっともう正気じゃない。たとえ世界がどうなろうと、二人が俺のそばにいてくれるなら、俺は、命以外の全てを失ったっていい」
同じだ。同じことを思っている。
私たちは、最初から狂っていたのか。だから、あんな場所に迷い込んだのか。
それとも、あんな不条理な場所にいたから、狂ってしまったのか。
それでも、この二人と出会えたことに比べれば、それすら些細なことだと思える。あんな荒廃した不条理な場所でさえ、二人との思い出の地として愛おしさすら感じてしまう。
だからきっと私だったのだろう。こんな狂った私だから、あの不条理な世界を生み出せたのだろう。
煉と凜を、生み出せたのだろう。