閒宵人の涙
閒宵人の血 13


 私たちの様々な想いを置き去りにしたまま、ふたつの存在である子供は日に日に成長を遂げ、ついに殻を破った。

 その瞬間に立ち会ったのは、ゼノただ一人。
 全ての研究者を遠ざけ、ゼノだけが見守る中、卵が孵った。

 私たちは手も足も、口も出せなかった。
 ゼノが望んだ。
 その一言で、全ては片付けられた。

 そして、ゼノ同様、真っ黒な布で覆い隠された我が子を、ただ一度も腕に抱くことも叶わず、ふたつの存在はゼノの所有(もの)となった。
 私たちだけではなく、マッド佐伯すら孵化した子供を見ていない。ただ、ゼノと同じ完全なる両性である事は間違いない。
 ゼノがさがしていたのは、両性として生まれたもの。
 私たちが卵を持ち帰って以降、ゼノは、さがすことをやめた。



 私は、二人だけを望みながらも、子供の存在も諦められなかった。
 たとえそれが究極の中には含まれないとしても、それは両親に対する思いと同じものであり、切っても切り離せない大切な存在だ。

「諦めろ。ゼノの腕に抱かれた以上、ゼノはどんなことがあっても手放さない」
 マッド佐伯の諦観した声に、怒りを覚える。

「我が子を諦められる親がどこにいるっていうの!」
「あれは、人の子ではない。ゼノの片割れだ。ゼノが第二世界に迷い込んだ時に失くした、ゼノの半身だ」
「だったら、私たちの子供はどこにいるっていう、の……まさ、か……第九世界に残してきた卵が、私たちの子供だったとでもいうの?」
「その可能性も今となっては否定できない。始めからあのふたつの存在がひとつの卵に宿っていたとしたら、残してきた卵に第二世界がすでに宿っていた可能性がある」
 そのとき、マッド佐伯の研究室の扉が勢いよく開き、慌てたようにケビンとケイが駆け込んできた。

「ミュー、さがしただろう?」
「ごめんなさい。でも、どうしても聞きたいことがあって」
 一人でマッド佐伯の研究室に乗り込んだ。ケイティの代わりに就いた護衛さえ撒いて。

「ミウ、できるだけのことはしている」
 マッド佐伯の声は、とても静かで重い。そんな声を聞いてしまえば、それ以上は何も言えなかった。

 彼が私たちのために動いてくれていることは知っている。直接ゼノに掛け合ってくれたことも知っている。そのせいで、その地位をひとつ落としてしまったことも。私たちとの接触を断たれたことも。
 その余波で私の護衛からケイティが外された。新しく就いた護衛は有事の際、きっと私よりも自分の命を優先するだろう。彼女からは蔑みしか伝わってこない。

「ミウ、アダムの名の由来は土だ。忘れるな」
 マッド佐伯の研究室の扉を閉める時、その意味のわからない言葉を投げかけられた。振り返り、閉まりつつある扉の隙間からのぞき見た彼は、どこか思い詰めたような顔をしていた。



 ふたつの存在が孵化して三ヶ月ほど経つと、ゼノが島に戻ることを望んだ。
 それを受け、第九要塞にマッド佐伯を含めた必要最低限の人員を残し、私たちは島に戻ることになった。
 おそらく、二度と日本に戻ることはないだろう。

 護衛するゼノの隣に座れることを、これほど嬉しく思ったことはない。
 わざわざ遠回りして私の家の前を通ってくれた。おそらく最後になるだろう両親の姿を車窓から目に焼き付け、複雑な思いを胸に抱いたまま小さくお礼を呟く。
 するとゼノは、微かに頷く代わりに、ほんのわずかな間、黒い布の塊を腕に抱かせてくれた。

 それは重くて軽い、不思議な存在。
 ほんのつかの間腕に抱いただけなのに、どうしようもないほどの愛おしさがこみ上げる。

「煉、凜」
 小さく呟いたそれに、腕の中の小さな存在が微かに身じろいだ。

 生きている。

 たとえこの先、二度とこの腕に抱くことは叶わなくとも、ただ生きていてくれる、それだけで充分だと思えた。
 今になってわかる。あの時の両親の気持ち。
 たとえ二度と会えなくとも、二度とこの腕に抱けなくとも、幸せでいてくれればそれでいい。

 零れ落ちた涙が、黒い布にいくつも染みこんでいった。
 私を膝に抱くケイの腕に、力がこもった。



 軍の施設に到着し、専用機のすぐ脇に車が着けられ、ゼノを遮蔽しながら機内に乗り込もうとした瞬間──。

 ケビンが倒れた。
 じわじわと地に広がる深紅に呆然としていると、驚きのあまりコマンドを解いたケイが、小さな肉片を飛び散らせながら、ゆっくりと倒れていく。

 真っ直ぐに向けられている憎悪。
 その先に目を向けると、遙か彼方、肉眼では見えないはずの彼方に、擬態して狙撃銃を構えるあの男がいた。

 周りが怒号であふれかえる中、思わず笑い出してしまう。
 どうして気付かなかったのだろう。
 あの荒廃した不条理な第九世界での浄化、それは、第三世界では真逆になる。

 あの世界で浄化されたあの男は、あの世界に汚染された状態で戻ってきた。私の肉の欠片を媒介にして。
 数年もの間、この時をひたすら待っていた。ケイの体液で形作られた私の肉を糧に擬態しながら。
 あの男は、私たちが覚えていたから行方不明になっていたわけではない。己の意思で行方をくらませていた。
 私の肉の欠片を通して、断片的な記憶が一瞬にして流れ込んでくる。



──いいよ。二人と同じにして。

 撃ち込まれた弾丸が、衝撃とともに胸を突き抜けた。



 私の中のケイを感じる。
 私の中のケビンを感じる。
 傍らに二人の存在を感じる。

「焔」

 口にした途端、発動するコマンド。

──お返しに焔をあげる。

 私たちの焔がゆらめいた。

 第九世界では凜炎だったそれは、私たちから離れた瞬間、第三世界では煉炎に変わった。
 一瞬にして全身から焔を噴き出し、次の瞬間には灰と化したあの男の終焉を、どこか頭の片隅で感じながら、ゆっくりと二人の間に倒れていく。

 最後の力をふりしぼり、二人の腕をつかんだ。
 絶対に離れたくない。
 この二人のそばであれば、きっと安らかに逝ける。

 たとえその先が常夜の闇であったとしても──。

 もう、私たちを放っておいて……。












「ミュー」
「美羽」

 ゆっくりと目を開けたそこに、見慣れたふたつの表情。少し心配そうで、けれど安堵して見えた、同じ表情がふたつ。

「あれ? 夢?」
「いや。夢じゃない。俺たちは第三世界では死んだはずだ」
「第三世界では、って……」

 見回したそこは、第九要塞だった。その地下のサードルームのベッドの上。
 ここで目覚めたということは──。

「まさか、ここって第九世界?」
「だろうな。この部屋を使うのは第九世界でだけだ。それにな、ミュー」
 そう言って差し出されたケビンの手のひらには、焔に包まれたままの卵がひとつのっていた。

「美羽の腹の上にのっていた」
「問題は、どうたって孵化させるかだ」

──アダムの名の由来は土だ。
 唐突によみがえったマッド佐伯の声。もしかして彼は、予見していたのかもしれない。

「土に埋めよう」
「はあ? 土って……ああ、地下か。そういえば、ここは第二世界の力が強いって佐伯が言ってたな」
「うん。佐伯博士が言ってたの。アダムは土だって」

 揃って中庭に出てみれば、そこにあった小さな看板。それには割れた卵の殻から子供が顔を出している絵が描いてあった。妙に可愛い。

「これ……佐伯か。ここに埋めろってことか?」
 ご丁寧にその看板の隣には小さな園芸用のスコップが土に刺さっている。そのスコップを使って穴を掘っていけば、中から人工子宮が現れた。

「この中に入れておけってことか。ここの土、妙にあたたかいな。下に温泉のパイプが埋まってるのか?」

──できるだけのことはしている。
 マッド佐伯の言葉がよみがえる。本当に、あらゆる手を尽くしてくれていた。胸にこみ上げる感謝の思いに、涙が滲む。

 丁寧に土を払った人工子宮を開けてみれば、中に封筒が入っていた。
 その表書きにある文字。

「私の家族たちへ。文字が……残ってる。しかも日本語だ」
「読んでみろ」

 それは、私たちがこれからなすべきことが事細かに書かれた、マッド佐伯の指示書だった。

「最後に。はじめに言葉ありき、そう始まる福音がある。もし私のこの文字が残っていたなら、それは私が神である証だ。佐伯薫……って。これ、佐伯博士のいつもの寒い冗談だよね」
 直前まであった感謝の気持ちが消えそうになる。マッド佐伯は最後までマッド佐伯だった。本当に締まらない。

「美羽、ここに小さな文字がある」
 ケイの指さす先、指示書の隅に小さく走り書きがあった。

「もしも、これが読めたなら、私たちを呼べ。私とケイティをそちらに呼べ、って書いてあるんだけど、呼べるの?」
「佐伯のことは後回しだ。まずは卵を埋めるぞ」

 ケビンが卵を人工子宮の中、マッド佐伯の指示通り、収めるべき場所にそっと収める。

「元気に生まれてきて」
 そっと指先で触れると、卵を護るかのようにゆらめいていた焔がふっと指に吸い込まれるように消えた。ケイも同じように呟きながら指先で触れ、ケビンも愛おしそうに目を細めてその指を伸ばした。

 名残惜しい気持ちを抱いたまま、人工子宮を密閉し、掘り起こした土の中に埋める。

「これ、孵化した時にはわかるって書いてあるんだけど、本当にわかるのかな。最悪、生き埋めってことにならないのかな?」
 不安になってそう聞けば、ケイが突然、声を上げて笑い出した。

「今わかった。あの声はこいつだ。こいつが俺たちを呼んでいたんだ」
「もしかして、何か感じるの?」
「感じる。ほんの微かだけど、あれと同じ感覚だ。あのふたつの存在が強すぎて気付かなかったんだ。こいつは、始めからここにいた」
 気付かなくてごめんな、そうケイが声をかけた途端、呼ばれたような気がした。あの不思議な感覚だ。

 ケイとケビン、二人と顔を見合わせる。笑顔が零れた。涙も零れた。










 第九要塞の屋上から見渡すそこは、微かな青にゆらめく透明な凜炎の海だ。
 ここに棲むものたちが、気持ちよさそうに炎の中を漂う。

 この第九要塞だけが、劫火から免れている。
 護っているのは私たちの子。
 第二世界の依り代となるべくして生まれた、けれど、第二世界そのものでもある私たちの子供だ。

 第九世界そのものであるケイ、その腕に抱かれた、第二世界そものもである私たちの娘。
 そして、いつの間にか第九世界の一部となっていたケビンと私。だから私たちは、世界を生み出せた。

「アウローラ」
 そう名付けたのはゼノだ。私には「レイメイ」と聞こえる。

 どれだけ私たちが声を合わせて呼んでも、心を込めて願っても、マッド佐伯とケイティを呼ぶことはできなかった。
 けれど、孵化した子供が産声を上げた途端、二人は第九世界に迷い込んだ。始まりの意味(Aurora・黎明)をもつ名前を携えて。中庭いっぱいの緑と一緒に。



 私たちは、この荒廃した不条理な世界で、生きて逝く。
 その言葉通り、壁に囲われた第九要塞(Paradisus)の中で。










 凜火に包まれた私たちの身体が、第三世界で朽ちることなく保存されていたとしても──。


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