閒宵人の涙
閒宵人の血 10


 帰りもてくてくと歩いて戻ってきた。

「出鼻をくじくは、締まらないわ、お前は本当に何しに来たんだ!」
「ちゃんと施錠しただろう」
「鍵閉めただけだな」
 そう、ケイの言う通り、鍵を閉めただけだ。

 鍵が閉まらないと思い込んでいた彼らは、ただ鍵が閉められただけで、マッド佐伯の「封印」の言葉に、閉じ込められたとパニックになった。
 私も、鍵が閉まるとは思っていなかったので、どうやって開けるのかと首をかしげていたら、マッド佐伯はあっさりサムターンを回して解錠した。

 五十階以上から一気に飛び降りようとするケイとケビンを、マッド佐伯がなんとか説き伏せ、またしても時間をかけて階段を降りてきた。
 マッド佐伯は、かなりマイペースなくせに、ひょんなところで仲間外れを嫌がる。一人で何かしている時は、絶対にそばに寄るなと威嚇するくせにだ。

 当初の予定では、隙を見てマッド佐伯が私の肉を彼に注射器で打つはずだった。他の人たちは放置。
 けれど、マッド佐伯が予見した通りになった。
 まさか焔というコマンドが使えるようになっていたとは、マッド佐伯以外は気が付いてはいなかった。
 最悪、肉を打つことに失敗すれば、唾液に混ぜた血を彼に与える必要があると覚悟していた。
 簡単に死を与えたくはなかったものの、私の肉の効果がわずかにも残っているのであれば、彼ひとりだけ生き延びる可能性がある。
 なにより、最上階から降りなければ、ここに棲むものがじわじわとその高さを克服するまで、生き延びることができてしまう。その間に互いに和解し、互いの肉を取り込み合い、再び閒宵人の女性が現れるのを待つかもしれない。そんな可能性すら許せない。
 どうにもならなければ、彼らを最上階から突き落とそうとまで考えていた。

 そんなふうに、人を殺すための手段を冷静に考えられるなんて、それまでの私であれば信じられなかっただろう。
 何かを護ると決めてしまえば、それ以外には冷酷になれる。
 大切なものさえ失わずに済むのであれば、他は何もいらないと思える。
 きっと、正しくも間違っているのだろう。人はそれだけでは生きていけない。人は矛盾だらけの生き物だと思う。



 その日のセックスは、いつまでも続いた。
 互いに私の身体を気遣い合いながら、それでも求めることをやめなかった。

 何をどう取り繕っても、どんなふうに正当化しても、結局、人を殺してきた。
 誰かのためでもなく、正義のためでもない。自分のために。

 それに後悔はないけれど、そんな自分を受け入れてくれる二人に対しては、申し訳ないような気持ちになる。それでも二人を求める自分の浅ましさに自嘲する。

「ごめんな、美羽。俺、ものすごくすっきりしてる。まるで罪悪感がない」
「俺もだ。むしろこれで憂いはなくなったとすら思う。ごめんなミュー。俺たちは正気じゃない」
「私も。私も、狂ってる。それでも一緒にいて」

 三人で、笑いながら交わった。いつもは抑えている嬌声をこれでもかと上げ、快楽だけに支配されて、欲のままに腰を振り続けた。ほしいだけ二人を求め、ほしいだけ求められた。



「あまり激しいのは困ると言っただろう」
「激しくはしていない」
「一般的には一晩中の性行為も激しいと言うのだ」
 翌朝のマッド佐伯の一言に、聞こえていたのかと驚いた。第九要塞の防音は完璧だ。部屋の扉もとんでもなく分厚い。

「見ればわかる。ミウ、閒宵人のくせに目の下にクマができている。とりあえず今日は三人とも寝ろ」
 呆れ顔でそう言われ、遠慮なく再び寝室に戻ることにした。

 体液がたいして出ないはずなのに、シーツはこれでもかと汚れていて、それにすら三人で笑った。
 新しいパッドとシーツに変え、眠りにつくことなく夜明けにリビングに顔を出せば、妙にすがすがしい顔から一転、渋い顔になったマッド佐伯に出迎えられ、かけられた言葉があれだった。

「一眠りしたらミウ、検査する。大丈夫か?」
「お前がするのか! 俺が嫌だ」
「ケイティがいないのだから仕方ないだろう。ここで一度確かめておく必要がある。産卵まであと七日もない」
 そのマッド佐伯の声に覚悟を決める。
 きっともう大丈夫だ。ましてやマッド佐伯なら怖くない。

「一緒にいてくれる?」
「当たり前だ」
 ケビンの大きな声に、ケイも大きく頷く。

 眠る前に、洞窟風呂でシーツとパッドを洗い、ゆっくりとお風呂に浸かる。それだけで気怠さが抜けていく。気怠さが抜けていくと同時に、眠気に襲われる。

「美羽、そのまま寝ていい」
 ケイに後ろから抱え込まれ、身体がお湯の中をたゆたう。
 お湯の温かさと、ケイの体温。すぐそこにあるケビンの存在。お腹にいる子供の存在。それらを感じなから漂うように眠りに落ちる。



「なんでお前の道具は普通に存在しているんだ?」
「埋めておいたのだ」
 検査のあと、その検査器具が第三世界と同じ状態で、それこそぴかぴかの状態で揃っていたことに、ケビンが首をかしげた。なんと、顕微鏡まで無事だ。

「君たちの話を聞いて、おそらく地下にあるものは比較的荒廃を免れる可能性があるだろうと、試しに埋めておいたのだよ」
 言われてみればそうかもしれない。実際、第九要塞も地下はことごとくきれいだ。あの別荘も地下にあったセーフルームは他よりも比較的きれいだった。そうだ、あの別荘のお風呂も半地下のような感じだった。だからお湯がきれいだったのかもしれない。
 あの頃、常にビルの上階を移動していた。もしかして、だから水が濁っていたのかも。
 言われてみなければわからなかった。

 ふと気になった。地下であれば荒廃を免れる。それにどういう意味があるのか。

「ここは、第二世界の影響が強いということだ」
 マッド佐伯の潜めるかのような声に、ケビンが驚いた顔をする。

「やはりここは煉獄なのか?」
「煉獄も宗教上の表現だ。正しくはない。ここは、第一世界と第二世界の狭間だ」

 第一世界と第二世界、光と闇の狭間。だからここは、全てが灰色なのだろうか。迷い込むのは禍時なのだろうか。

「それが第三世界じゃなかったのか?」
「第三世界は、第一世界と第二世界の影響下にある世界。ここは、それよりも繋がりが強い」

 それまで見つかっている世界は、太陽系の惑星にたとえられる。第一世界が太陽にたとえられるようなものだ。宗教上でも太陽を崇めているものは多い。
 第二世界は月にたとえられる。その第二世界は遍在するらしい。

「おそらく、この世界が確定される時、第三世界では新たな惑星が発見される」
「まさか、確定はミューの産卵か?」
「おそらく」
 渋い顔をしているマッド佐伯の言うことは、わかるようでいてよくわからない。

「ここって、別の惑星なの?」
「いいや、そうであってそうではない」
 地球以外に生命が存在しないのはおかしなことだと思ったことはないか? そのマッド佐伯の一言でなんとなくわかった。別の世界は、惑星に重なった存在なのだろう。ということは──。

「第九世界は、九番目の惑星? 冥王星ってこと?」
「冥王星は惑星ではない」
 そうだった。子供の頃に見ていた宇宙大百科には第九惑星との記述があったのに、いつの間にか惑星ではなくなっていた。

「第九世界が冥王星に重なる可能性は高い。なぜ冥府の王の名が命名されたか」
「煉獄か」
「そういうことだ。それゆえ、私は煉獄の可能性を推していた」
 マッド佐伯とケビンのやりとりに、なんとか必死についていく。

 冥王星は、確かプルートでギリシャ神話のハデスのことだ。ハデスは冥府の王で、地獄とは別の場所だという説もある。地獄はゲヘナ。このあたりは諸説あって断定できない。
 ぶつぶつと呟いていると、ケイが隣で相づちを打ってくれる。私もケイも、宗教に関してはまだ知り始めたばかりだ。

「もし、この世界が確定されて、そのとき新しく惑星が発見された場合、それが第九世界になるの? 煉獄じゃない別の世界?」
「いいや。それは第十世界だ。第九世界が確定された時、新たな世界の存在が示される。第十世界は第九世界の影響を受けている可能性が高い」
 これ……知らない方がいいことだ。つまり第八世界が発見されて確定された時に、冥王星が見つかったということだ。

「聞かなかったことにしてもいいですか?」
 思わずそう声を上げたら、マッド佐伯ばかりかケビンにまで呆れた顔をされた。

「一応、第九世界に関することだから、大丈夫だろう」
「第二世界の遍在は、知らない方がいい」
 月にたとえられている時点で、遍在する可能性は示唆されているが。そして、衛星は数々の星に存在する。そうマッド佐伯が続けた。

 そのとき、ふとお腹に感じた違和感。
 思わずお腹に手を当て、動きを止めた。

「ミウ、痛みか?」
「違います。なんとなく違和感があるような、違和感? 違和感じゃなくて、なんだろう……」
 うまく説明できなくて、少し不安になって顔を上げると、ケイがその手をお腹に伸ばしてきた。

 じっとお腹の様子を窺うケイが、不意に目を見開きながら顔を上げ、驚いたかのように呟いた。

「存在がふたつある。伝わってくる」
「よし!」
 マッド佐伯のガッツポーズなんて、初めて見た。

 自我が芽生えたということだろうか。まだ卵なのに。

「ケイ、今私が強く思い浮かべている記憶を覗け。そしてそれをそのまま、子供たちに伝えろ」

 ケイが伝えたマッド佐伯の記憶は、子供たちをひとつにすることだった。