閒宵人の涙
閒宵人の涙 03


 日が沈み、あたりが闇に包まれると、比較的安心できる。

 ここに棲むものは、夜に行動することは滅多にない。閒宵人狩りは日暮れに集中して行われる。それ以外は、日のあるうちに行動する。
 そして、彼らが棲みかとするのは、大抵一階部分。高いところが苦手らしい。

「でもケイは平気だよね?」
「ケイは生まれたときから高いところで育っているから平気なんだよ」
 さらっと言うケビンに対し、ケイが渋い顔を見せた。実際は訓練されてそれを克服したのだろう。

 私たちは、なるべく高層ビルの最上階を転々としている。数日滞在することもあれば、一晩で移動することもある。
 電気もなければガスもない。ただ、どういう訳か水道だけは使える。それは、見慣れたきれいな水ではなく、濁った少し生臭い水。

 ケイがコマンドを使って私とケビンを守っている。
 数日同じ場所に滞在するときは、私たちを遮蔽のコマンドを使って隠し、ケイは一人で偵察に出掛け、いつ移動するかを判断し、光学迷彩で姿をくらましながら屋根伝いに移動する。二人は互いに手首を握り合い、ケイのスピードに引かれるように、ケビンがその隣を疾走し、跳躍する。ケイと身体の一部が繋がっていると、ケビンにも光学迷彩がかかるらしい。
 ケイのスピードについてこられるケビンもすごいけれど、私を片腕に抱きながら走るケイもすごい。私はケイの邪魔にならないよう、言われたとおりに必死にしがみついているだけだ。

 ケビンとケイは、親子のようであり、仲間のようであり、親友のようであり、師弟のようだった。

「ケイは王の組織の子だ。だからミューに単独で種付けできる」
 そのケイは、その身体能力の高さから、おそらく王と呼ばれる組織の子の一人として生まれ、何かしらの理由があって置き去りにされたのか、捨てられたのかではないかと、二人は考えている。

 ケビンは迷い込んだ当初、逃亡中に生まれたばかりのケイを見付け、思わず腕に抱いたとき、最後の力を振り絞るかのようにケイがむずかった。その指先がケビンの目に入り、あまりの痛みに流れた涙がたまたまケイの指からその口に入り、小さな命は生き延びることができたらしい。

 閒宵人の涙は、その一粒でこんなにも身体の大きなケイの命を十日も維持してくれる。生命維持に必要な分以上に摂取すれば、それは身体能力に付加され、ひいてはコマンドの質が上がるらしい。

 ケビンに与えらる快楽によって生理的に零れる涙を、ケイは一粒たりとも無駄にせず、丁寧に舐め取っていく。



 ここでの暮らし──これを暮らしと言っていいのか、生活とは言えない、ただ生き延びるだけの毎日──それにも徐々に慣れてくる。
 私にとってここでは、ケイの腕に抱えられて逃げているか、ケビンに愛撫されケイに種付けされているか、二人の訓練の様子を眺めているか、ただそれだけの日々だ。

 ケビンの愛撫に慣らされ、快感を覚え、軽い絶頂を知ると、外から与えられる刺激だけでは物足りなくなる。ケイは行為に快感が伴わないからか、射精以外の何かを求めない。何度か腰を打ち付けてもらっても、自ら腰を動かしても、中途半端な快楽を与えられるだけで、一層もどかしい思いをする羽目になった。

 その結果、ケビンを求めた。
 私に背後から快楽を与えているケビンの股間が、背中越しに膨らんでいることを知っている。
 ケビンも勃起はする。射精感もあるらしい。ただ、精子がその先から出ることはない。

 最初は頑なに拒んだケビンも、身体の疼きを持て余す私を見て、渋々頷いてくれた。
 ケビンに抱かれ、それまで以上の快感に身をよじり、だらしなく悦ぶる私を目の当たりにしたケイは、ケビンの動きを真似るようになった。

「俺も美羽を気持ちよくさせたい」
 ケイは私の反応を確かめながら、腰を動かすようになった。それはもう、種付けとは別の行為で、ただのセックスだった。



 私たちはただひたすら隠れ逃げる。

「戦ったところでキリがない」
 ケビンがここまで生き延びてきたのは、軍人だったから、の一言に尽きる。

「それがなかったら、俺もとっくに食われてただろうな」
 それと、ケイの存在だ。

「初めはただの気まぐれだった。足手まといになったら捨てる気だった」
「ひどいだろう?」
 ケイがわざとらしく顔をしかめると、ケビンが珍しく歯を見せて笑った。

「ケイを腕に抱えた途端、俺の存在が窓や鏡に映らなくなった。影すら消える。ヤツらからも見えなくなっていた。だから、これは使えると思って育てたんだ」
「本当にひどい親だろう?」
 ケイが呆れたように肩をすくめた。

 厳つくガタイのいい男が、コミカルに肩をすくめる様子がなんだか面白かった。思わずふっと笑ってしまう。
 それを目にした二人は、揃って目を細め、同じような笑みを浮かべた。彼らはその仕草から表情の作り方までよく似ている。それは親子といえるほどに。

「美羽が笑うと嬉しいものだな」
「ああ、ミューの笑顔は悪くない」
 そんな二人の言葉が、妙に照れくさい。
 そして、こんな場所でも笑えるのかと思ったら、肩の力が少しだけ抜けた。

 ケイは王と呼ばれる組織の子だったからか、生まれながらにして身を隠す術を知っていた。ケビンが彼を見付けられたのは、その命が消える直前、身を守る擬態のようなコマンドが切れた瞬間だったらしい。それまでそこには何もなかったのに、突然現れた赤子に、ケビンは興味を持った。
 そのケイを腕に抱くケビンも、それを隠れ蓑にできることがわかり、ケイを育てる気になったらしい。

 王と呼ばれる組織は、少なくとも文明を持っているらしい。

「ネアンデルタール人とクロマニョン人くらいの違いがある」
 ケビンのそのたとえは、さっぱりわからなかった。どう考えても、コマンドを使うケイは、過去の人類ではなく、未来の人類に思える。

 そのケイが五歳になる頃には、自然と自分の意思でコマンドを使うようになり、元々備わっていた擬態のほかに、七歳の時、たまたまケビンとの諜報活動中に見た、遮蔽のコマンドを見よう見まねで会得したらしい。

「おそらく、身体強化や高速移動、跳躍もコマンドの一種だろう」
 ケビンはそう考えている。
 コマンドを使えるのは、王と呼ばれる組織、ケビンが言うところのクロマニョン人だけらしい。コマンドを使えるケイも、必然的にクロマニョン人ということになる。だからこそ、私に種付けができ、私を生かすことができている。

 彼らはこれまでにも閒宵人を保護しようとしてきた。
 ただ、閒宵人は、自ら見付かるような行動を取る。つまり声を上げてしまう。「誰かいないか」、「どうなっているんだ」等、決まって声を上げる。それは「獲物はここだ」と周りに知らせるようなものだ。

 訓練されていたケビンは、声を上げるより先に状況判断を優先した。そして、運良くケイに出会った。
 私は、迷い込んだ瞬間、運良くケイに出会った。

 おまけに、ケビンはここに棲むものたちよりはるかに賢かった。そのケビンに育てられたケイも当然賢い。
 ケビンに限らず、閒宵人はここに棲むものたちよりずっと賢いはずなのに、特にここに迷い込むのは日本人だからなのか、危機管理能力が低いらしい。
 なんとか大陸を渡ってみようとしたものの、船も飛行機も動かなかったらしい。単純な燃料切れでだ。車やバイクも動かない。自転車に乗るより、ケイの足の方が早い。

「俺が迷い込んでいるくらいだ、日本の自衛隊や警察関係者が迷い込んでいる可能性もある。そいつらと合流できればいいが、いまだ見付かっていない」
 ケビンが迷い込んで二十八年ものあいだ見付かっていないなら、この先も見付からないのではないかと思ってしまう。

「俺が迷い込んで、二十八年目にしてようやくミューを見付けられた。だったら、次はその半分の十四年後くらいにはもう一人見付かると期待しよう」
 途方もない話に、思わずケビンを凝視すれば、彼は薄く笑った。そこには、諦めや達観が込められているようで、なんともいえない、どうしようもない気持ちになる。

「だからな、ミュー」
 ケビンがその目を真っ直ぐ向けてきた。

「もう少し力を抜け。先は長い」
 静かな声でそう言ったあと、さっきと同じように薄く笑った。
 ケビンの目からその足元に視線を落とし、ゆっくりと息を吐き出してみる。

「美羽のことは、俺がなんとしても守るから」
 隣に座っていたケイに肩を引き寄せられた。その大きく逞しい身体によりかかりながら、意識してゆっくりと身体の力を抜いていく。
 そこで初めて、いままでずっと身体に力が入りっぱなしだったことに気付いた。

 ここはどこかのホテルの最上階。
 薄汚れてはいるものの、座り心地のいいソファーは、力を抜いた身体を優しく支えてくれる。
 そのまま目を閉じれば、驚くほど強い睡魔に襲われ、優しく耳に届いたケイの「おやすみ」の声に、抗うことなく眠りに落ちていった。