閒宵人の涙
閒宵人の血 01


「この第九要塞が存在している時点で、あの予言の先である可能性は薄れたな」
「だが、我々の意識が多少なりとも反映されるとなれば、存在していてもおかしくはない」
 ケビンの声音に合わせるかのように、マッド佐伯も低く潜めた声を出す。

「それにだ。以前この地点にこれがあったかどうか、前回確かめてはいないだろう?」
 まあな、とどこかばつが悪そうに答えるケビンに、マッド佐伯は気を落ちつかせよとしてか、ふうっと大きく息をついた。

「そもそもだ。君たち二人が同じ日に迷い込んだのは偶然なのか、まずそこから始まる」
 四人揃って、建物内の確認をしている。

「偶然というものは、全て必然から派生する。だが、この不条理だと思われる第九世界で、果たして第三世界でいうところの必然が存在するのか。それは大変興味深いが、私の専門ではないな」
 哲学は苦手だ。そう呟くマッド佐伯は、どうやら考えるのが面倒になったらしい。彼は、自分の興味がないことは、どうでもいいとばかりにその辺に放置しておくような、かなり都合のいい性格をしている。

「偶然同じ日に迷い込んだ君たち二人が、第九世界では二十八年の時を超えて偶然にも二人は出逢った。果たしてこれは偶然か?」
 建物内には、私たち以外の気配がない。

「ケビンの前にケイが現れたことは偶然か? ケイがミウに出逢ったことも偶然か?」
 ケイがざっと周囲を確認しに行き、敷地内にもなんの気配もないことがわかった。

「もし、全てが必然だとしたら、そこから導き出されるものはなんだ? 全てが必然だからこそ、この第九要塞がここに存在しているとしたら? それはやはり──」
 さっきから苦手だと言いながらも哲学的なことを呟き、一人悦に入っているマッド佐伯の低く抑えながらも隠しきれない興奮の声に、私たちは返す言葉がない。
 どうやら昂ぶる気持ちを抑えようとして、どうでもいいことを呟いているらしい。
 なんとなくケイティの気持ちがわかった。一応耳に入れてはいる。素通りしているけれど。

 第九要塞は、思ったよりも荒廃していない。埃にまみれているものの、あの別荘よりは状態がいい。あの別荘はほかよりも状態がよかったから、ここではかなり状態がいいと言える。
 それは、さっきのマッド佐伯の言葉通り、私たちがそう認識しているからなのか。それとも、新たにできた場所だからなのか。もしかしたら最初から存在していたのか。
 きっと正解なんて誰にもわからない。

「やはり文字はないのか……記号もないな」
 娯楽室の書棚を見ていたマッド佐伯の声に我に返る。
 すっかり日が暮れた暗闇の中で、さすがにこれ以上は確認のしようがなかった。



 揃って地下に用意されているセーフルームに足を向ける。
 この第九要塞は大きなドーナツ型の建物だ。真ん中の穴の部分にのみ採光と換気のために窓が設けられ、外側は全て壁だ。外から見ると丸い大きなコンクリートの筒が建っているかのように見える。
 地上はすべて宿舎となっており、研究施設や重要な部屋は全て地下にある。

 この建物に入り込むには、真ん中の穴の部分にヘリコプターで直接着陸するしかない。外出する時にすごく不便な建物だった。私とケビンは、ケイの跳躍のコマンドのおかげで一足飛びに出入りできる。逆に言えば、ケイほどコマンドが使いこなせなければ、外部から入り込むことはできないようになっている。

 驚くことにセーフルームはきれいなものだった。

「すごい」
 天井一面に蓄光塗料が塗られ、ぼんやりと淡い光を放ち、部屋全体をうっすらと浮かび上がらせている。
 以前見学した時は昼間だっかせか気付かなかった。地下なのにやはりどこかから光を取り入れているのか、そのときもその明るさに驚いて、同じように呟いた気がする。

「そのように造ったからな」
 マッド佐伯の誇らしげな声に、分厚い扉を閉めながら、ケイもケビンも「声を抑えろ」と口を揃えた。
 建築現場が二十四時間稼働していたおかげで、これだけの施設がたった一年で完成したらしい。

「さて、問題は、ここが本当に第九世界かどうかということだ。少なくともこの要塞がある以上、君たちが以前迷い込んだ時点より時が進んでいる可能性もある」
 しっかりと扉が閉ざされたのを確認したマッド佐伯は、どかりと勢いよく一人がけのソファーに腰を下ろし、声を上げた。

 彼も、白衣の下には私たち同様ボディースーツを着用している。毎日私たちと同じく、日暮れ前にはボディースーツに着替えていたマッド佐伯に、ケイティが微妙な視線を向けていたものだ。
 さすがにあの組織にいただけあって、マッド佐伯も夜目が利く。身体もしっかり鍛えている。

「一番確実なのは、朝霧の存在を確認することだ。ヤツが拠点としているビルを中心に、ケイ、明日にでも確認してこい」
 黙って頷くケイに「その場で殺すなよ」とケビンが釘を刺している。殺すなよ、そう言ったところで、あの人はどうあっても死なないのだろう。
 ずっと、この荒廃した不条理な場所で、止まった時の中を生きていくのだろうか。それとも、いずれ彼も第三世界に引き戻されるのだろうか。

 朝霧さんは、首都圏の観光地ともなっている超高層ビルを拠点としているらしい。帰還者である閒宵人の二人は、同じビルの名前を口にしていた。
 エレベーターが動かない中、最上階を拠点としているらしく、用があっても最上階までひたすら階段を上って会いに行くのが面倒だったと、二人は声を揃えていた。

 ここのセーフルームは三つの個室とその中央に位置するリビングのような部屋がある。元々私たち三人のために造られたセーフルームだ。

「三部屋とも完全防音となっている。私はこの一室を使うが、君たちはどうせ三人一部屋でいいのだろう? そのサードルームのベッドを特大サイズに変えておいた。感謝しろ」
 そう一方的に言い置いて、マッド佐伯はファーストルームと名付けられている部屋に消えた。

 念のためにと、ケビンと私をセーフルームに残し、ケイがもう一度周囲の見回りに行き、以前と変わらない荒廃した景色を少しだけ懐かしみながら戻ってきた。

「まだなんとも言えないが、以前と変わりがあるようには思えないな」
 三人、いつものように川の字になってベッドに転がる。

 どうせ朝には着ていることになるだろうと、ボディースーツは脱いだ。至る所にプロテクターの付いたそれを着たまま眠る気にはならない。
 なにより、ベッドカバーを剥がせば素肌で潜り込んでも平気なほど、ベッドがすごくきれいだった。

「そうか。まあ、明日ついでだからあちこち足を伸ばしてみよう」
 両サイドに肘枕をして向かい合う二人。

「いや、おっさんはミウと一緒に残れ。俺一人で行く」
「私なら大丈夫だよ」
 慌ててそう言えば、ケイは無言で首を振った。

「俺が嫌なんだ」
 そう言って、触れるだけのキスを落とした。

 ケイは、一度もあの時のことを口にしない。それが、より一層ケイの後悔を感じさせた。ケイのせいでも、ケビンのせいでもない。強いて言えば、あの時油断した自分が悪い。
 襲ったあの人はただの悪だ。私の中にはそれ以外ない。

「襲われてしまって、穢されてしまって、ごめんなさい」
 零れ出た言葉は、意図したものではなかった。知らず知らずのうちに声になった。
 そこに滲んだのは悔しさだ。

 息をのんだように言葉をなくした二人に、次の瞬間、同時に同じように抱き込まれた。
 二人は私のことをとても大切に扱ってくれている。それは、この場所にいた時からずっとそうだ。穢される前からも、穢された後も、変わらずずっと。

 第三世界に戻って、それまでの日常に戻って、どうして私が二人にそれほど大切に思ってもらえているのかがわからなくなった。
 それは卑下でもなんでもなく、私よりもずっと魅力的で、二人と並んで見劣りしない女性が、本当にたくさんいた。
 組織の中にも、ケビンに気があるであろう女性も、ケイに興味を持った女性も、一人や二人ではなかった。

 けれど二人は、ただ私だけを目に入れ、私だけを大切にしてくれる。
 二人の男の人に大切にされている場違いな私は、とにかく周りから浮いていた。気にせず話しかけてくれる女性もいたけれど、大半は遠巻きにされていた。

 帰還者であり、特例で組織の一員となり、二人の男をパートナーとする娘。そう、囁かれていた。
 あの組織の宿舎には、二十五歳以上の人しかいない。組織の一員となっても、二十五歳までは専門知識を伸ばすべく、組織の外で学ぶ。
 わずか十八で組織の一員となり、宿舎に当たり前に存在し、要人のそばにいることができる、特別な存在。そんな風に言われていた。

 それなのに、その私は、彼ら以外の人に穢された、汚れた女だ。
 それはこの先も変わらない。その事実が消えることはない。
 それでも二人は私のそばにいてくれる。私を必要としてくれる。だから私は、私でいられる。

 この場所で出逢ったからこそ、私たちは一緒にいる。ここに迷い込まなければ、きっと私は二人とは出逢わない。出逢っていたとしても、きっとこんな関係にはなっていない。

「ミューの考えていることはだいたいわかるが、ミューが思う以上に、俺の方が色々思う……」
 ぼそっと呟いたケビンの言葉は、そのあともぼそぼそと続いた。

「どうせミューは俺たちとは釣り合わないとか、こんな私でいいのかとか、そんなことを考えているんだろうが、それはそのまま俺のセリフでもある」
 ぎゅっと抱き込まれたまま、耳元で囁かれる言葉。

「考えてもみろよ。俺の精神年齢いくつだと思ってる? 実年齢だってミューより十五も上なんだぞ。そんないい年した男が、若い娘に入れあげているんだ。相当の覚悟がなければ手元には置けないだろう?」
「俺は最初から美羽しかほしくない」
 ケイは確かにそうかもしれない。ケイは私以外の女性にまるで興味を示さない。ケビンも、言われてみれば、端からはそう見えるのかもしれない。
 そんな意味で年の差なんて考えたこともなかった。ただ、大人のケビンやケイに釣り合わないとしか考えていなかった。
 私はいつだって自分のことばかりだ。

「ミューがどんな目に遭おうが、ケイがどんな存在であろうが、俺がどんな間違いを犯そうが、ミューがミューであれば、ケイがケイであれば、俺が俺であれば、それでいいだろう?」

 それでいい。本当に、その一言に尽きた。

 私たちが私たちのままであれば、この先どんなことが起きようと、どんな存在になろうと、どれほど間違いを犯そうと、きっと私の想いは変わらない。私たちは私たちのまま。そう、在りたい。

 この二人と一緒だったから、離れることなく迷い込めたから、この不条理な場所に再び迷い込んでも、なんとも思わない。
 ただ、生きる場所が変わっただけだとしか思えなかった。