閒宵人の涙
閒宵人の声 08


 いつものように日暮れ前にケビンに中に出され、シャワーを浴び、ボディースーツに着替え、研究所のセンサーの部屋に三人で入る。
 滞在先の違いはあれど、ずっと続く日課のようなものだ。

 日本のこのセンサーの部屋は、まさにケイが現れたその場所に造られている。
 もこもこして見える壁や天井、床には様々なセンサーが施されているらしい。余計なところを踏むとそれらが壊れるからと、三十センチほどの板の上をうっかり転ばないよう気をつけながら、中央まで進んでいく。

 その日、珍しいことに要人も見学に来ていた。
 日本への随行に関しては、私たちはあの島に戻ることなく、到着予定の軍事施設で待てばいいと言われ、到着した専用機に一度乗り込み、その機内から護衛が開始される。

 私が組織の一員になって以降、要人が日本に滞在するのは二度目だ。その移動中、どうしてか私の実家の前を通る。そこには決まって、まるで示し合わせたかのように両親が立っている。大きな車が余裕で通れるような道幅ではない。このルートをとる必要もない。けれど、必ず一度は通ってくれる。
 決して停まることはないものの、決して黒いフィルムが貼られた窓が開くことはないものの、両親の様子を目にすることができる。
 気遣ってくれているのは、きっと要人その人だろう。

「ありがとうございます」
 そう独り言のように呟くと、かの要人は、いつも微かにひとつ頷き返してくれる。

 七人乗りの縦に長い大きな車を運転しているのはケビンだ。ドアの厚みが自分が知る車の何倍もあるような、かなり厳つい黒い車。
 私とケイ、要人と側近の三人が常に乗っている。要人の左右にある程度スペースが必要なのだろう、私はいつもケイの膝の上にのせられ、そのスペースを確保している。
 色々思うことはあるものの、そもそも要人と同乗できることを誉れのように思っている側近たちの渋い顔を見ていると、毎回同乗できる私たちは我慢せざるを得ない。
 私自身も側近である男の人たちのそばで身をすくませているより、ケイの膝の上でその体温を感じている方が安心する。どういうわけか、要人に対しては身がすくむようなことはない。
 おまけに車内であっても遮蔽のコマンドを使うために、要人と同じシートに座っている。大地に固定しない遮蔽は、維持するのが難しいらしく、できるだけ近くにいる方が確実らしい。それが一層側近たちを呻らせる。
 当然のごとく、要人に直接声をかけることなんてできない。だからいつも、独り言のように、誰にも聞こえないような小さな声で呟く。それでも、きちんと届いているようで、本当に微かな頷きを返してくれる。



 その要人が見学するのは二回目だ。島にいるときにも一度見学に来ている。
 初めてのことではないのに、どうしてか胸騒ぎを覚えた。

「引き戻される!」
 そのケイの焦ったような声に、咄嗟に二人にしがみつく。あの日同様、ケビンが私ごとケイを力一杯捕まえた。

「すごい! この波形! 記録し──」
 スピーカーから聞こえていたマッド佐伯の声がぷつっと途切れ、あたりは闇に包まれた。

 互いに顔を見合わせる。先ほどと寸分違わない状態で、暗闇の中、三人ともその場に立ち尽くしていた。
 二人と離れることなく迷い込めた。それにほっと胸を撫で下ろす。

「もう前回のように、幸福感だけでは、戻れないだろうな」
 ケビンがため息をつく。その言葉通りだろう。そもそも二人と一緒にいること以上に幸せなことはない。

 軋むような耳障りな音を立てながら、入り口のドアが開いた。わずかな光が入り込んでくる。

「どうしようもないほど興奮する。まだ引き戻される訳にはいかないのだ。ああ、私は不幸。ケイティと引き離された私は不幸。万が一あれが記録されていなかったら最大の損失。大いなる絶望」
 ぶつぶつと自分に言い聞かせているマッド佐伯の声に、ケビンがあからさまなため息をついた。強ばっていた身体から力が抜ける。

「私は席を外す。その場でまずはケイの種付けをしろ。話はそれからだ」
 急に真面目な声に戻ったマッド佐伯は、言いたいことだけを言って、再び耳障りな音を響かせながらドアを閉めた。



 私が二十歳になるまでには、まだふた月もあった。
 日に日に強くなる呼ばれているような感覚は、私だけではなくケビンやケイも感じるようになり、ついにはマッド佐伯まで感じるほど、強いものになっていた。
 それと同時に、私たちの繋がりもずいぶんと強まり、そのおかげなのか、採血される程度であればマッド佐伯の存在に身がすくまなくなった。

「呼んでいるのはなんだろうな。朝霧の可能性も否定しきれないが、どうも違うな」
 マッド佐伯のその呟きを、彼の研究室で聞いたのはつい数日前だ。

「私も違うと思います。もしそうなら、もっと嫌な感じがすると思う……」
 いつのもの互いの肉の摂取のついでの雑談。

 朝霧さんの経歴は、巧妙に作られたものだった。
 マッド佐伯が追って調べた彼の経歴は、ケビンが調べた以上のことは出てこなかった。
 あまりにも自然すぎるその経歴に首をかしげたマッド佐伯が、組織の総力を挙げて調べた結果、彼は別の組織の人間だったことがわかった。

 人の経歴には、どこかしら不自然な箇所があるものらしい。
 人は思いつきで行動する。私が急に高校を辞めてしまったことも、それまでの私の行動からは不自然であり、端からははっきりとした理由付けができない行動に見える。そういう不自然な箇所がいくつか見受けられるのが、ある意味自然な経歴だ。
 詳細な身辺調査をしたところ、全ての行動や経歴にきちんとした理由付けがなされていた。一見不自然に思える経歴にすら、調べていくとしっかりとした理由が用意されている。それはむしろ不自然であり、なんらかの手が加わっている証拠なのだそうだ。

「そもそも、あの別荘に姿を現している時点でおかしいとは思っていたのだ。あそこはひと山全てが私有地だ。用もない人間が足を踏み入れる場所ではない」
「でも、営業だって……」
「まあ、不自然ではあるが、可能性がないわけじゃない。地元では金持ちの別荘があると知られていたわけだからな。地元の営業マンだと言われれば、当時は納得できた」
 マッド佐伯とケビンの話に、彼はなぜあの場所にいたかが気になった。

「彼は、我々と敵対する組織の人間だ。あの別荘は、我々の組織の理解者であり出資者の別荘だ」
 偵察に来ていたのか、何かを仕掛けに来ていたのか。

 そう言われてみると奇妙なことを思い出した。
 もしかしたら、朝霧さんが苛立ち紛れに壁を叩いていたのは、隠し扉の存在を調べていたのかもしれない。大きく足を踏み鳴らして歩いていたのも、床下に何かあるのを調べていたのかもしれない。実際に私も隠し扉の周囲の壁を叩いて、音の違いがないかを興味本位に確かめていた。
 そうかと思えば、ケイやケビンと同じように足音を一切立てない歩き方をしていたこともあった。その気配に気付かないこともあった。
 掃除する私について回っていたのは、建物の内部を確認するのにちょうどよかったからかもしれない。
 あの時は気付かなかったことに、次々と思い当たる。

「彼の方を否定したい人間がいるのだよ。彼の方の存在を疎ましく思っているものが」
 そこまで言われてしまっては、聞かずにはいられなかった。
 どちらにせよ、帰還者である私たちはこの組織から逃れることはできないだろう。その時点で深部に入り込んでいるようなものだ。
 モルモットにも知る権利はあると思う。モルモットだからこそ、知るべきだ。

「彼の方って……」
 恐る恐る口に出せば、マッド佐伯は「ようやくか」と、どこか呆れ交じりに笑った。

「ゼノだ。第一世界から第二世界に迷い込み、第一世界に戻るために足掻いた挙げ句、第三世界に迷い込んだもの。わかりやすくたとえられているのは、ルシファーだ」
 驚いて思わずケビンを見れば、黙ってひとつ頷き返された。

 私の知るルシファーは堕天使だ。確か天国から追放されて地獄に落ち、悪魔になった大天使。

「大いに脚色されているが、第一世界から第二世界に迷い込み、更に第三世界に迷い込んだものだ」
 本当は、私たちと同じ、迷い込んだ人。違う、人ではないのかもしれない。

「彼の方の存在は、光そのものだ」
 私の気持ちを読んだかのように、マッド佐伯の言葉が続いた。だから、あんな暗幕みたいな黒い布をかぶっているのか。身体が光っているという意味ではないだろうけれど、おそらく直視できないのだろう。

「閒宵人の第九世界での在り方は、彼の方に通じるものがある。だからこそ、煉獄や辺獄のような場所である可能性が否定できない」
 第九世界は、煉獄や辺獄のような場所、第三世界から派生した予言の先の世界、このふたつの意見に分かれていた。
 マッド佐伯の意見は前者だ。ただ、後者の意見も否定はできないらしい。証明ができないだけで、そうであった方が辻褄が合うとも言っていた。

 以前マッド佐伯が言っていた「ゼノの呼ぶ声」とは、第一世界と第二世界から迷い込んだものの声のことだ。ゼノは、異物や異種、異なるものを指す言葉らしい。つまりは、人ではない存在。神にたとえられるような存在。

 そんな存在がわざわざ再び見学に来た意味は、こういうことだったのかもしれない。
 今日まであった、仄暗さを孕んだ幸福な日々は、きっともう二度と私たちには訪れない。



 その場で種付けしろ、そう言い置いて消えたマッド佐伯の声が、もこもこした壁に吸い込まれるように消えた後、互いに顔を見合わせ、足下に目を向ける。
 三人が立っているのは三人立つのが精一杯の狭い台の上だ。お互いに肩を寄せ合っている。

「ミュー、前を開けろ」
 ケビンに言われ、ボディースーツの面と線のダブルのファスナーを開けると、その下は素肌だ。下着は着けていない。おへそあたりからおしりまでのファスナーを開けると、用を足せるようになっている。この場合の用は、排泄ではなく種付けだ。まさにモルモット仕様のボディースーツ。

 背後に回ったケビンにひょいと身体が持ち上げられる。その意図を理解し、ケイの腰を両足で挟み、足をその背中に巻き付け、その首に腕を回して抱きついた。

「美羽、少しだが、濡れている」
 ケイに舌を絡めながら口づけられ、指先で入り口を確認された。驚いてケイの顔を見れば頷き返された。どういうことかとケビンに顔を向けた途端、口づけられ、唾液に濡れた舌が入り込む。

「ケイの肉の影響か。唾液も口から出るな」
 互いの唾液で唇が湿っている。口の中に唾液がほんの少しだけ溜まる。以前にはなかったことだ。

「だったら、ケビンも精子が出る? 同時に種付けできる? その方が確実でしょ?」
 耳に届いた自分の声に、縋るような響きが含まれていた。自分でもどうしていいのかがわからない。まだ答えは出ていない。

「大丈夫だ、ミュー。俺たちはわかってる。卵を置いていけないなら、俺たちもここに残ればいい。どこにいようが、どんなことになろうが、三人一緒なら平気だろう?」
 思わずケビンの顔を凝視する。暗闇の中、すぐそばにあるその表情は、その声と同じく穏やかだった。

「俺たちの子だ。俺たちが望む、俺たちの子供だ」
 ケイの力強い声にケビンも頷く。ケイを見れば、ケビンと同じ表情で笑みすら浮かべていた。
 ぎゅっとケイに抱きつく。私たちの子供……。ケイは絶対に失いたくない。だからといって、二人の子供でもある卵を残してはいけない。

 身体が二人の精子を望んでいるのがわかる。どうしてか、わかる。
 ケイが舐める必要もないくらい、自分の中から潤みが滲み出ているのがわかる。

「ちょうだい」
 その一言に、ケビンに身体を軽く持ち上げられ、宛がわれたケイのものが痛みもなく入り込む。身体からケビンの手が離れた途端、その位置が下がり、ケイのものがぐっと最奥に突き刺さった。
 訪れたいつもより強い絶頂の中、ケイが種付け、すぐに身体の向きが変えられ、今度はケビンが入り込む。おしりを持ち上げられ、身体を上下に揺さぶられる。いつも以上の強すぎる快感に、のけぞるように背がしなる。背後のケイに背を支えながらぎゅっと抱きしめられ、首元にキスが落とされ、口づけ、舌が入り込んでくる。

 互いの息遣いだけが聞こえる静寂の中、まるでそれは、何かの儀式のようだった。
 いつにない強烈な悦楽の中、どうしてかそれは、とても神聖な行為に思えた。
 暗闇の中、まぶたの奥に光すら感じた。

 間違いなく、私の中に命が芽生えた。