閒宵人の涙
閒宵人の声 06


 ふと何かを感じて、あたりを見渡す。

「ミュー、またか?」
 ケビンの心配そうな顔からケイに視線を移せば、同じ表情を浮かべていた。

 宿舎の私たちの部屋には、当然私たちしかいない。
 広めのリビングに、書斎までついた寝室が二つ、各部屋にバストイレがついたその部屋は、テレビで見たことがある豪華なホテルのようだ。ホテルとの違いは、簡易キッチンと洗濯機が置かれたスペースがあるくらい。

 日に日に強まっていく幻聴のような感覚は、直接声をかけられて呼ばれているというよりは、視線を感じるような感覚に近いのかもしれない。
 いつから始まったのかははっきりとしない。気が付くと、何かの気配のような、視線のようなものを感じる。どこか遠くからなんとなく呼ばれているような、そんなはっきりとしない感覚。
 それは、どことなく不思議な感覚で、はっきりと誰かが見ている、呼んでいるとわかった方がすっきりするような、なんともいえない気持ち悪さがあった。

 最初は、ケイ同様二人の声が頭に響いて聞こえるようになったのかとも思った。マッド佐伯が言うようにコマンドを使えるようになるのであれば、その可能性もあるのでは、そう考えた。
 二人の声と言われれば納得できてしまうほど、得体の知れなさはあっても、その感覚自体は嫌なものではない。けれど、私よりケイと強く繋がっているケビンには、その兆候がない。

 その結果、まさかと思いつつもたどり着いてしまう可能性は、背筋に冷たいものを走らせる。

「もしそうだとしたら、あいつがそこまでミューを求める意味はなんだろうな。時空を超えてまで届くくらいだ、相当の執着だぞ」
 ケビンの表情は険しい。ケイはあからさまに嫌悪を滲ませている。
 絶対に違うと否定したい。考えたくない。
 咄嗟に頭を振りながら、それを頭の隅に追いやった。



 一人目の閒宵人が現れたのは、私がケビンたちと再会してからほぼ半年後、その約半年後に二人目の閒宵人が現れ、そこから更に半年が過ぎた。
 私は十九歳になり、半年後には二十歳になる。
 二人と再会し、閒宵人が現れ、朝霧さんの名前を思い出して以降、あの荒廃した場所の記憶がゆっくりと戻ってきた。
 私は、私自身であの場所の記憶を忘れていただけだった。忘れたかっただけだった。
 自分があの場所で何を口にしていたか、それもぽつぽつと頭に蘇ってくる。

「もしかしたらだけど、私が二十歳になったときに戻るんじゃないかな」
「どうしてだ?」
「私が自分で言ったから。成熟するのは二十歳じゃないかって」
 眉間にしわを寄せたケビンは、わずかに考え込んだあと、携帯電話でマッド佐伯を呼んだ。

 二人とも訓練を終えた昼下がり、三人でソファーに座り、まったりと音楽を聴いている時に思いついたことだ。
 尋ねてきたマッド佐伯が正面に腰を下ろした途端、ケビンが私の思いつきを口にする。

「ミューはそう言うんだが、どう思う?」
「有り得るな。日本には言霊という概念がある。ミウが古来の神道を根底に持つなら、言霊がそこに反映されているとしてもおかしくない。報告を入れておこう」
「あの、単なる思いつきなんですけど……」
 ケビンとマッド佐伯のやりとりがあまりにも真剣で、思わず自分が言い出したこととはいえ、ちょっと自信がなくなってきた。なんとなく、そう思っただけだ。

「なんとなくであっても、そう思って、それをわざわざケビンに伝えたのは、そういうことだ」
 珍しくマッド佐伯の声が柔らかに聞こえた。時々ケイティと話しているときにその声が柔らかく聞こえることがある。それと同じような響きだ。

「ミウの場合は、むしろあまり深く考えず、思いついたことはたとえそこに大きな意味があるとは思えずとも、ちゃんと伝えた方がいい。その解釈を考えるのが、私たちの仕事だ」

 私たちは要人の意向もあり、普段は日本の要塞で過ごしている。第九世界専属の研究者であるマッド佐伯の研究チームも、同時に日本に拠点を移している。
 要人が出掛けるときは、その前日までにあの島に移動し、要人の警護を終えると、あの島から日本に戻ってくる。

 ケイが現れた場所にできた要塞は、基本的な動力は湧き水でほぼ補っている。
 あの荒廃した場所には水だけがあった。

「ねえ、あそこにいるときにはまるで思い浮かばなかったんだけど、火って使えたの? 火を使おうって気にならなかったような気がするんだけど……。電気やガスは思い浮かぶのに、火が思い浮かばなかったような……」
「ミューも気付いたか。あそこにいるときに火の存在をはっきりと思い浮かべることはなかっただろう?」
 頷けば、ケビンはすごく奇妙な顔をした。

「俺もだ。文字がなく火がない。もしかしたら、言葉すらなかったのかもしれない。ケイが言うには向こうに棲むものの言葉は、動物の唸り声や鳴き声に似ているらしい」
「はっきりと言葉だとわかるような感じじゃなかったんだ。もしかしたら、俺はおっさんから言葉を教わっていたからこそ、わからなかったのかもしれない」
 閒宵人の女性を見つけたときの、あのロケット花火のような音も、実は人の声だと聞いて驚いた。

「人って、あんな声が出せるの?」
「出せるんだろうな。こっちでだって、かなりの高音を出せる人もいるだろう? 喉の使い方が違うんじゃないか?」
「ケイも出せる?」
 思わず聞けば、首を振って否定された。ケイの声は低い。ケビンに声の出し方を教わったケイは、ケビンと似たような低く心地いい音を出す。

「銃のような火器が一切見当たらなかった。だからこそ余計に思い浮かばなかった。明かり代わりにしょうとも思わなかったし、何かを食べるという行為がなかったからか、頭の隅にはあっても試そうとは思わなかった」
「私たちが思いつかなかっただけなのかな?」
「どうだろうな。あそこでは火花すら目にしなかったからなあ……」
 火をおこすのは思った以上に大変だ。通常の勉強のほかに、サバイバル術のようなものも習っている。火のおこし方だけじゃなく、銃の使い方まで教わっている。

「ないものは簡単に思い浮かぶ。あるからこそ思い浮かばなかったのかもしれないな」
 そのケビンの言葉を聞いて、ふと思い浮かんだこと。

 あの荒廃した不条理な場所に迷い込んだ人は、年を取らず、その死はあの場所に棲むものに食われることでしか与えられない。
 けれど、食われることすらなくなったら、閒宵人はどうやっても死ねなくなる。
 食われたいとは思わないけれど、死ねないというのはどうなのか。止まった時の中で、ただ、生きていくだけ。それは生きていることになるのだろうか。

「ねえ、閒宵人って、どこまでを食べられたら死ぬのかな。心臓食べられた時点とか?」
「全てだ。ヤツらは頭部を最後まで残すように食う。目だけは先に食われるが、絶叫を聞きながら食べるのが作法とでもいうかのように、最後まで聞こえてくる」
 肉だけじゃなく骨を咀嚼する音すら聞こえていた。閒宵人は余すところなく全てを食われる。

「もしかして、火葬なら死ねるのかも」
「それもどうなんだ? 生きたまま火あぶりか?」
 ケビンがものすごく微妙な顔をする。

「生きたままっていうより、意識のないときに?」
 首を絞められると意識がなくなることは、身をもって知っている。一瞬背筋が冷え、左右にある大きなふたつのぬくもりを引き寄せた。

「難しいだろうな。それほどの高温にできるだけの何かがあの場所にあるわけじゃない。最悪、身体の修復と同じ速度で焼かれることになったら目も当てられない」
 言われてみればそうだ。火葬するための設備があるわけじゃない。

「そうだよね、死ぬって簡単なことじゃないんだね」
「あそこでは、生きることと同じくらい難しいだろうな」
「ここでは人は簡単に自ら死を選ぶのにな」
 ケイのぽつりと呟いた言葉に、何も言えなくなった。

 それまで黙って聞いていたマッド佐伯が、ぽつりと呟いた言葉。

「煉獄の始まりはこれからなのかもしれないな」
 第九世界に火が持ち込まれた瞬間、そこが煉獄のような存在に変わるのかもしれない。そう続いた。

「あそこってすごく乾燥していたよね。博士、木がミイラみたいになるのって自然じゃないですよね。草も枯れたり朽ちたというより、ドライフラワーみたいだった。土に還るってことがないような……」
 熱があったというよりは、ただ乾いていた。熱による乾燥なら、プラスチックなどは溶けたり変形していたはずだ。
 それなのに水はあった。川も涸れることなく流れていた。

「まさか、煉獄の次の世界か?」
「聞いたことないぞ、まだ何も発見されていない」
「もしくは、新たにできた場所……」
 そこまで言ったあと、ケビンとマッド佐伯は同時に席を立った。

「預言か……」
「だとすれば、第九世界はもうひとつの第三世界ということになる」
 ケイと二人顔を見合わせ首をかしげる。預言とはなんのことだろう?

 二人は慌てたように部屋を出て行った。
 ケイと二人、あっけにとられたように乱暴に閉められたドアを眺めていたら、しばらくしてドアチャイムが鳴り、モニタに映し出されたのはケイティだった。

「お二人に預言についてを説明しろとのことで……」
 どうやらマッド佐伯に頼まれたらしい。

 ケイティのためにウォーターサーバーからグラスに水を注ぐ。あの島でボトリングされた水だ。ケイティにひとつ渡し、自分の分を口に含むと、そのままケイに口づける。
 一度私の口に入れたものであればケイも飲める。冷静に考えると色々頭を抱えたくなるような行為だけれど、それ以外にケイが口にできるものはない。ケイの嬉しそうな顔を見ると、微妙な行為だとわかっていても、そんな気持ちはあっという間に霞んで消える。
 もうケイティとマッド佐伯の前では躊躇しなくなった。二人とも当たり前の顔で受け止めてくれる上に、日常的に一緒にいるので、家族のような感覚に変わりつつある。

「預言って、ノストラダムスとか、地球滅亡とか、そういうことですか?」
「そうですね。一般的にはそう言われています」

 ケイティの説明によると、予言でこの世の終わりのような解釈ができるものは、そこで新たな平行世界のような場所が発生している可能性があるらしい。予言者は帰還者の可能性が高い。
 そこで見た景色が、のちに予言として伝わっている可能性があるらしい。

「第九世界がそうだということですか?」
「その可能性は一度は否定されたのですが、再考の余地ありということなのでしょう」
 どちらにしても、明確なことがわかる訳ではないらしい。

 あの荒廃した景色は、数ある予言の中のうちのいくつかに結びつくらしい。ただ、あの景色を誰もが同じものとして目にしていたかがわからない。
 朝霧さんは私たちが迷い込む一年前から迷い込んでいた。戻ってきた閒宵人の二人は、私たちより一年半後や二年後に迷い込んでいる。数年程度の差であれば、その景色に大差はない。そもそも時間軸が狂っている可能性もある。私とケビンのように。
 はっきりと同じ景色を見ていたと明確に言える根拠がない。細部が違っていた可能性もある。

 あのゲーム機の存在、それが鍵なのだろうか。それには朝霧さんより前に迷い込んだ人の証言が必要だ。あのゲーム機を知らない人の存在。
 過去に帰還者がいたとすれば、すでに第九世界の存在は知られているはずであり、この組織がそのあたりに抜かりがあるとは思えない。
 文字のないあこそには、年代を示すような数字がどこにもなかった。

 第一世界は、天国や楽園のような場所だと定義されている。けれどそれも、そう結びつけられているというだけで、実際にそうだということではない。

「全てにおいてそうです。大多数がそうだと判じるからこそ、それはそういうものとして認識されますが、真実そうかと問われれば、全てが曖昧なものだとしか答えられません」
 ケイティの言葉は、正直なところよくはわからなかった。けれど、その意味するところはわかる。

 第九世界がどんな場所なのか。
 その答えは、きっといつまで経ってもわからないということなのだろう。
 以前ケビンが言っていた、私たちが戻ったこの世界すら、戻る前と同じ世界かどうかなんて、誰にもわからない。