閒宵人の涙
閒宵人の声 03「俺も同じことを言うだろうな」
ケイに言われたことをケビンに伝えると、一瞬、訝しげな表情を浮かべ、ケイに視線を投げたあと、そう返ってきた。
ケイを見れば、そうだろうと言わんばかりに頷いている。
「その方がいい。できれば私もほしい」
近くの軍事基地からヘリコプターで宿舎に戻り、待機していたケイティを誘っての昼食の席。同席していたマッド佐伯のこの一言に、ケイは「絶対に嫌だ」と嫌悪をむき出しにし、ケイティは呆れた顔をしている。
生き残るために生きた人の肉を口にする。
本来なら吐き気を覚えるほどのおぞましい行為なのに、ケイの肉だと思うと、わずかにもおぞましさを感じない。そんな自分が信じられない。
「三人とも互いに摂取し合った方がいい。君たち三人は、常に同じ状態にある方が望ましい。互いに離れたくはないだろう?」
マッド佐伯がなんでもないことのように言う。人の肉を摂取し合うなんて、どう考えてもおかしい。
「信じられないって顔だね。食人文化は特に珍しくない。世界中どこにだってある。日本にだってその痕跡は残っている。現代ですらそのような事件が定期的に発生する」
食事の席で、そう説明しながら平然と肉を口に運ぶマッド佐伯。
そんな話を聞いて、目の前にあるお肉を食べる気にはならない。ケイティも微妙な顔をしていて、食事に誘ったことを後悔した。
私たちはあらゆるものが制限されている。国なのか、組織なのか、そこに属しているものは、専属のコックたちが作ったものしか口に入れない。
あの島で作られている野菜や果物、飼われている家畜の肉、あの島に湧き出ている水、それ以外は口にしない。必要があればお弁当も作ってくれる。ジュースやお酒、調味料、口にするもの全てが、あの島で作られている。
全て自然の材料で手作りされる食事はすごくおいしい。色々な国の料理がデザートまでフルコースで用意される。贅沢なことに、リクエストにも応えてくれる。
食べ物ばかりではない。洋服や化粧品まで、身体に直接触れるものは全てあの島で作られているものに限られる。医薬品などはマッドたちが片手間で作っている。
私やケイが身に着けるものは、全てケビンが選んでいる。身に付けるものは、ケイティのおすすめを使っている。
「できれば私も向こうに行きたい」
「俺はおっさんと美羽で手一杯だぞ」
食事をしないながらも同席しているケイの低い声に、マッド佐伯は「特に護ってもらえなくてもいいのだ」と笑う。
「肉を食らえば食われないなら、向こうで試したいことが山のようにある」
私でも行けそうなのは第九世界くらいだ、そうほくそ笑むマッド佐伯がちょっと怖い。
「それにだ。生きたまま食われて死ぬのもまた一興」
平然とそう言ってのける彼は、本当にそう思っているかのようで、冗談には聞こえなかった。
その日、ケイが現れた場所に新しくできた、要塞兼宿舎に併設されている研究施設で、太い針のついた注射器を使って肉をほんの少し採取され、小さな薬のカプセルに入れられた互いのそれを、二粒ずつ飲み込んだ。
どこかの肉を切り取られ、それを直接口に放り込むのかと思っていたので、痛かったものの注射で済んだうえに、カプセルに入れてもらえてほっとした。
マッド佐伯はいつの間にか第九世界専属になっている。彼がそう望んだらしい。
毎日、当たり前のようにケビンとケイに抱かれる。
いつ向こうに行くかわからない、成熟してしまった私の身体は、おそらく向こうでケイの卵を産む。そのとき、そこにケビンの精子が混ざっていれば、その卵がこちらに戻るための鍵となり、ケイの存在が確実になる。
そう、研究者たちは考えているようだ。
私たちの体液が互いに取り込み合おうとするのは、すでに実証されている。
戻るための鍵となるかどうかはわからないものの、私の卵子がケイとケビンの精子を同時に取り込もうとするだろうことは、容易に想像できた。
おそらくそれも、マッド佐伯たちはすでに実証済みなのだろう。
ケビンの精子は向こうでは出ない。ならば、常にケビンの精子が私の中にある状態にしておき、その身体で向こうに行き、すぐにケイが種付けする。おそらく、ケイの種に慣らされている私の身体は、一度で受精するだろうと、彼らはこともなげに言っているらしい。
それは、ケイとケビンの子供なのに。
「俺たちはモルモットなんだよ」
日が暮れる前に、必ずケビンが中に出す。一度しっかり身支度を整え、研究施設の中にある様々なセンサーが山のように施された部屋に入り、揃って日暮れを迎え、日没まで何事もなければ部屋に戻り、今度はケイにも中に出される。向こうに行った瞬間から、私の存在を誤魔化すためだ。
毎日二人に抱かれ続ける私は、変な意味で体力がついてきた。
「モルモット?」
「ああ。俺とミューは第九世界からの帰還者であり、ケイは第九世界の人型生物だ。俺たちの自由を勝ち取るにはそれしか方法がなかったとはいえ、気分がいいわけじゃないからな、俺も」
三人でお風呂に入ったあと、川の字になって眠るのはもはや恒例だ。
「俺たちは、少しおかしいのかもしれないな」
互いにしか聞こえないよう、ケビンが声を潜めた。そのケビンの顔を見れば、少しだけ眉を寄せている。
「ケイもミューも、俺たちに限って言えば、互いの肉を食らうことになんの抵抗もないだろう?」
二人の肉であれば、そこに抵抗はない。はっきりと頷けば、ケイも「そうだな」と同じように声を潜めた。
「ケイはこっちの身体になりつつあるし、俺とミューは向こうで少なからず身体に影響を受けている。特に俺は、長い時をあそこで過ごしたからか、余計にな」
あそこにいるときにはわからなかったけれど、大気になんらかの作用があったのではないかと、ケビンは考えている。
「ミュー、朝霧という男を覚えているか?」
思わず首をかしげた瞬間、フラッシュバックのように浮かんだ映像。
身体が強ばる。血の気が引く。
あの荒廃した景色の中、男の人に暴行されたような記憶はある。けれど──。
レイプ。
その言葉がはっきりと頭に浮かんだ瞬間、息ができなくなった。
淫乱。
耳に残っていたその言葉。どこでそれを知り覚えたのか……。
「ミュー、大丈夫だ。落ち着け」
「美羽、ゆっくり息をしろ」
左右から同時にそう囁かれ、その声にゆっくりと落ち着きを取り戻す。
どうして忘れていたのだろう。──違う。忘れたかった。自分が穢れてしまったことなんて。
「私、汚れ──」
「美羽、俺たちはずっと美羽のそばにいる」
「ミュー、思い出させてごめんな。でも、大事なことなんだ」
そう言って、ケビンは低く声を潜め、あのときのことを重苦しく口にした。
私を見付けたのは、ケビンだったらしい。
なんとなく胸騒ぎを覚え、いつもなら一緒に戻るケイを待たず、先に走って戻ってきたところで、私を見付けた。
首を絞められながら、意識を失うまで犯された私は、応接間のソファーの上にそのまま放置されていたらしい。陵辱の痕もそのままに、身体がひどく冷え、呼吸がほとんど止まりかけた状態で。
慌てて身体中を確認し、ひとまず私をケイの部屋に運び、死なないとわかってはいても、必死に私をあたためた。ケイを呼ぶことすら後回しにして。
ケイが戻ったところで私を預け、自室にいた彼を問い詰めたところ、私を共有する権利は自分にもある、そう主張されたらしい。
「ケイの頭に声が響く。俺は、それをどこかで過信しすぎていたんだ」
ミューが襲われたのは、俺のせいだ。本当にすまない。そう言ったケビンに、ぎゅっと抱きしめられた。
「大事なのは、ここからなんだ。これはケイも知らない。ケイが戻ったときにはミューの身体は修復されていた」
ぎゅっと抱きしめられたまま語られたケビンの言葉に、私もケイも耳を疑った。
陵辱の痕。ケビンが私を見つけたとき、それは全身に残っていた。
首を絞められた痕、乳房に残る指の痕、赤く腫れ上がった膣口。それ以外にも、全身至る所に青あざや噛み痕があったらしい。
「ミュー、聞きたくないだろうが、知っておいた方がいい」
耳をふさぎたくなるのを必死にこらえる。左右から二人がぎゅっと抱きしめてくれていなければ、逃げ出していたかもしれない。
「あのとき、あのときミューの乳房の一部が──」
そう言ったあと、ケビンは一瞬口を噤み、わずかに身体を強ばらせた。
怖い。聞くのが怖い。
「噛みちぎられていたんだ」
上がった悲鳴は、ケイの口の中に吸い込まれていった。
「美羽、俺がいる。美羽、大丈夫だ。俺たちがいる」
がたがたと震える身体を抱きしめるケイが、何度も耳元でそう囁きかける。
「俺たち三人は、おそらく目に見えない何かで繋がっている。それはなんとなくわかるだろう? 上もそう考えている。佐伯もその意見に同意している。となると、ヤツも美羽と繋がっている可能性が高い。もしかしたらそれ以上の存在に──」
聞こえたのはそこまでだった。
翌朝、目覚めたのは自分の呻き声でだった。
左右から肩とおなかにかけて二本の太い腕が巻き付いている。身じろごうとして、二人の足まで巻き付いていることに気付いた。重い。
いつもの窮屈な目覚め。ゆっくりと白く霞んでいた思考が色付いていく。
はっきりと覚醒すると同時に、一瞬にしてよみがえった忘れたかった記憶。
「ぃやぁ……」
自ずと上がった声は、あの時と同じく、情けないほど小さかった。
「大丈夫だ。俺たちがいる」
その瞬間、やはりあの時と同じように、二人にきつく抱きしめられた。
ぎゅっと目をつむる。震えだしそうな身体を必死になだめる。大丈夫、私には二人がいる。そう、繰り返し自分に言い聞かせた。同じことを左右から耳元で囁かれ続けた。
「あの人は、あのあと、どうなったの?」
ふりしぼるように出した声は、泣きたくなるほど震えていた。
逃げられない。それだけははっきりとわかった。
ケビンもそう思ったからこそ話したのだろう。何もなければ、きっと一生誰にも話さず、一人で抱え続けていただろう。私の知る彼はそういう人だ。
「あそこから一番近い高層ビルの最上階に連れて行った」
答えたのはケイだ。
「もし、向こうに棲むものの肉だけじゃなくて、閒宵人の肉を食べても、食べられなくなるとしたら?」
否定してほしくて、そう口にした。
「ミュー。違うんだ。閒宵人の肉なんだ。向こうに棲むものじゃなく閒宵人の肉を食らうと、閒宵人であっても食われなくなるらしい」
吐き気がこみ上げ、慌ててトイレに駆け込んだ。
閒宵人は、何も食べられないわけではなかった。同じ閒宵人の肉は食べられる……。
口の周りを吐瀉物で汚したまま、トイレにへたり込んでいた私を躊躇なく抱き上げ、お風呂に入れてくれたのはケビンだった。
「あのときケイは、あいつを殺そうとしたんだ。それを俺は止めた。まさか、肉を食らっているとは思わなかったんだ」
俺は、何度も間違いを犯している。そう言って、歯を食いしばるケビンからは、後悔だけが滲み出ていた。
「食らったんだよね、やっぱり」
「そうだろうな。俺は、ミューとケイを探しだしたあと、あいつのことも調べた」
彼は、迷い込んだときに聞いたその日から、行方不明になっているらしい。それは、こちらに戻ってきていない証拠であり、未だ食われていない証拠でもある、そうケビンの低い声が続いた。
「もし食われていたなら、少なくとも行方不明にはなっていない」
それは、研究者たちがこれまで積み重ねてきた共通見解らしい。
いろいろな場所に迷い込むものがいる。
そこから戻ってきたものがいる。
それらは、大抵迷い込んだその瞬間に戻っているらしい。いわゆるタイムラグがない。迷い込む前とは別の場所に戻ることはあっても、時間をおいて戻る例は今のところ確認されていない。
「俺たちがあいつを覚えているからこそ、その存在がここに残ったままの可能性もある。俺たちがあいつの存在を知らなければ、迷い込んだ瞬間に消滅していたのかもしれない」
だからこそ、彼と対峙し、その存在をはっきりさせる必要があるのではないか。そうケビンは低く静かな声で私を諭した。
一体何が現実なのか。時々それがわからなくなる。
あんな場所に迷い込まなければ、それはきっと薄らぼんやりとした、幻想のような感覚だったのだろう。
今いるこの場所も、迷い込んだあの場所も、はっきりと現実だとわかっている。
だからこそ、自分にとっての現実がどこにあるのかがわからなくなる。
二人がいなければ、気が、狂っていたかもしれない。