閒宵人の涙
閒宵人の声 02ケビンとケイは組んで仕事をしている。要人がこの島にいるときは、基本訓練さえ欠かさなければ、仕事自体はお休みだ。逆に要人が出掛けるときは何があっても随行する。
「ミュー、今度は西海岸だ」
必然的に私も彼らに同行することになる。組織の一員と認められて以降、目隠しされることはなくなった。
ケイの遮蔽のコマンドは、ここに来てずいぶんと強化され、今では弾丸すら止めるほどになっている。ただ、そこまで質を上げ、それを使い続けるには私の唾液の摂取が絶えず必要になってくる。
私とケイの存在は周りからは光学迷彩で隠されている。とはいえ、数十分に一度は人前で舌を絡めたキスをしなければならないのは、直接見られてはいないものの、知られていること自体が恥ずかしい。
マッド佐伯が作った私の人工唾液を摂取しても、効果はないらしい。おまけに保存した唾液では効果が低下する。結局、私を連れ歩き、その都度直接摂取した方が早いと判断された。
私も自分の保存された唾液をケイが摂取するのには抵抗がある。それに抵抗ないケイは、ケビンの唾液はどうしても嫌だと、それには頑として抵抗した。
初めて目にした彼らが護る要人は、その全身をすっぽりと、それこそ頭の天辺から足の爪先まで、顔すら見えないよう、暗幕のような真っ黒な布で覆い隠していた。
私よりも背の高い、けれどケビンやケイよりは低い、ケイティほどの背の高さ。その線の細さから女の人かと思えば、その歩き方を見れば男の人のような気もする、とても不思議な感じの人だった。
一切声を出さず、護衛というよりも側近のような人たちに、簡単な身振りでその意思を伝えている。その指先すら、覆われた布の先からちらりとも覗かせない。
いざというときは、ケイの光学迷彩で姿をくらますのが一番手っ取り早い。けれど、それには直接触れる必要がある。それに側近たちが猛反対したらしい。
結局、遮蔽のコマンドを強化することになり、ひいては私を連れ歩くことになった。どれだけ質を上げようと、直接触れない限り光学迷彩はかけられない。
ケビンはその護衛兼側近の一人に数えられている。ただし、一番下っ端のただの護衛だと笑っていた。
これまでの一年で、ケイが現れた土地周辺を短期間で買い占めた彼らは、そこに要塞を造っていた。
おそらくそこに第九世界との扉ができているはずであり、再び私たちが向こうに行ってしまったときの拠点となるよう、あの別荘よりも手の込んだ忍者屋敷が出来上がっているらしい。
ただ、私もケビンも、その建物が再び向こうに迷い込んだとして、そこに存在するかどうかについては、首をかしげている。
私とケビンは、たまたま同時期に向こうに行っていたからこそ、二人とも目にする景色が同じだった可能性がある。もし同じ時間軸に戻ったとしたら、この要塞は存在しない。そもそも、本当に全ての閒宵人が同じ景色を見ていたという確証はない。
ケイも同じものを目にしている以上、同じである可能性は高いものの、ケビンの涙だけを糧に成長してきたケイは、純粋に向こうに棲むものと同じではないはずだ。
結局、様々な専門知識を持つ人たちが検証したとしても、わからないものはわからないままだ。数多くの仮説を生み出すだけで、そこに真実が紛れ込んでいるのかすらわからない。
そんな中、日本で人が人の肉を食べるという事件が発生した。
それは今までにも起こってきた、死人の肉を食べる事件とは違い、生きた人の肉を食らう事件。まるで向こうに棲むものと同じ蛮行。
私たちは組織の指示で、急遽日本に向かい、その犯人を秘密裏に尋問することになった。
「まさか、閒宵人か?」
そのケイの声に息をのむ。咄嗟にケビンを見れば、その表情は険しく強ばっていた。
私たちが戻って来られたなら、私たち以外に戻ってきた閒宵人がいてもおかしくはない。
おかしくはないけれど……。
どうして閒宵人が人を食らおうとするのか。
閒宵人は食らわれる立場だ。決して食らう立場ではなかったはず。
モニタ越しに見るその男は、向こうに棲むものとは違っていた。
向こうに棲むものはきちんと服を着ることができない。
ケビンがいうところのネアンデルタール人たちは、着るということに思い至らないのか、服をそのまま身体に巻きつけていた。結ぶということすら思いつかないらしい。そんな人たちが群れて、毎日閒宵人を求め、彷徨っている。
滅多に見ることがなかったクロマニョン人たちは、どうにか服を着ようとして、おかしな着方をしていた。Tシャツを履いている人が当たり前にいる、そんなおかしな格好。ただ、結んだり紐を使うことはできていた。それゆえ、ネアンデルタール人の中にいると、その違いは明らかだ。
そんな中で、身体にぴったりと沿った服を着ている閒宵人は、ある意味目立つ。
正しく服を着ているその男は、俯いて自分の指先をいじりながら、ぶつぶつと呟いていた。
向こうでどんな体験をしてきたのか、どんな瞬間に戻ってきたのか。
もし、ケビンの仮説が正しければ、彼はあの荒廃した場所で、今まで生きてきて一番の幸せを感じたはずだ。それなのに人を食らう。食らわれる立場の閒宵人が、だ。
「逮捕されて以降、こちらの質問には一切応えず、どうして戻ってきたんだと、それだけを繰り返しています」
そう言って眉を寄せる警察官に、ケビンが直接尋問の許可を取った。
「閒宵人は食われる立場だっただろう?」
取り調べ室に入るなり、いきなりそう問いかけたケビンに、その男はそれまで俯いていた顔を勢いよく上げた。そして、じっとケビンを見つめたあと、突然、にたりと不気味に笑った。それはまさに狂気じみた笑み。目にした途端、ぞっと肌が粟立つような、目にしたことを後悔するような、歪んだ笑み。
「食えば食われないんだよ。そんなことも知らないのか?」
そう言ったあと、その男は狂ったようにひとしきり笑ったあと、むっつりと口を閉ざした。
「英語、話せるのか?」
「だったら、なぜ英語で返さない?」
同じ部屋にいる警察官たちがぼそぼそと囁き合っている。どうやらケビンは英語で話しかけ、あの男は日本語で返したらしい。
私たちが戻って以降、向こうで何が起こったのか。少なくとも私たちは閒宵人が人を食らうなんて知らない。ケイを見れば、思っていたことが通じたのか、黙って首を横に振った。
私とは違い、ケビンやケイはその記憶をしっかりと持ったままだ。
「佐藤進。二十五歳。会社員。前科前歴なし。会社での評判も悪くない。ごくごく普通のサラリーマンが、帰宅途中、突然すれ違った女性の腕をつかみ、その腕に噛みつき、食いちぎり、その肉を飲み込んだ」
「幸い、人通りの多い場所だったため、目撃者たちにすぐに取り押さえられ、被害者の女性は軽傷で済んだものの、精神的ショックが大きく、現在入院中」
気を取り直したように、二人の警察官が交互に状況を説明してくれる。ケビンはモニタの向こうで尋問を続けている。
「まずは、あの男の涙、唾液、血液を採取する」
マッド佐伯の声に、頷く警察官。ただし、現状では本人の了承が必要だと言う。
「今は色々うるさくて」
「本人に気付かれないよう採取する。近いうちに精神鑑定と称して全身を調べる」
平然と答えるマッド佐伯に、彼よりずっと年上の警察官が渋い顔をしている。けれど、了承の返事をしているあたり、マッド佐伯の方が立場は上なのだろう。
私たちが日本に向かう専用機に乗り込むと、私の護衛であるケイティと一緒に、なぜかマッド佐伯もいた。自分も同行すると主張する彼に、ケビンは渋い表情を浮かべたものの、止めることはなかった。
彼ら研究者は、成果さえ出せば、その行動は何に縛られるわけでもないらしい。興味があれば世界中どこにでも顔を出す。
要人所有の専用機は、どの国の空港、軍事施設でも緊急離着陸、給油、整備が可能で、主にその手軽さから、軍事施設を利用することが多いらしい。
ケイティの助言を忘れて、ついうっかり尋ねてしまい、それにマッド佐伯がぺらぺらと答えてくれた。軍事施設を手軽と言ってしまう彼らの感覚がわからない。
ケイと一緒に取調室の隣の部屋から出て、先に車に戻る。
マッド佐伯は、彼曰く、気付かれないように体液の採取をするために、取調室に入っていった。きっと私も、二人に会えなかった一年の間、気付かないうちに採取されていたのだろう。
「今までこっちに来てから、閒宵人の声が聞こえたことってある?」
「ない」
隣に座り、不安のあまり難しい顔をしているケイに擦り寄れば、肩に手を回してしっかりと抱き寄せてくれた。
道ができた。扉ができた。
研究者たちの意見は一致している。それがこれで証明されてしまった。
第九世界と呼ばれるだけあって、私たちが迷い込んだ場所以外にも、はっきりとその存在がわかっている別の場所がほかにもある。まだはっきりとしない場所はそれ以上にいくつもあるらしい。
第一世界は天国にたとえられる場所、第二世界は地獄にたとえられる場所、そして現世といわれる第三世界がここ。そこまではなんとなくわかった。ほかは詳しくは知らない。ケイティの言う通り、知らない方がいい気がする。
「本当に向こうに引き戻されると思う?」
「どうだろうな。その兆候を感じたことはないが……美羽たちはこっちに戻るときにその兆候を感じた?」
首を振って否定すれば、だよな、とケイは薄く笑った。
「戻されるとしたらいきなりだろう」
二度と二人と離れたくない。ぎゅっとケイにしがみつく。
問題は、同時に向こうに引き戻されたとして、同じ場所に引き戻されるかどうかがわからないことだ。こっちに戻ってきたときのように、三人別々の場所に現れる可能性もある。
そうなったとき、おそらく私は生き残れない。
「美羽。俺の肉食っておくか?」
じっと考え込んでいたケイが突然放った言葉。
信じられない思いでケイの顔を見上げれば、いつになく真剣な顔で見下ろされていた。
「そうすれば、閒宵人は食われないんだろう?」
知らず知らずのうちに零れた涙を、ケイがせつなそうに舐め取る。どうして涙が零れるのかがわからない。何を思えばいいのかがわからない。
私を死なせないために自分の肉を食らわそうとするケイ。
何を思えばいいのかがわからなかった。