閒宵人の涙
閒宵人の声 01私は、再び目隠しをされて、今度は機上の人となった。
専用機と呼ばれているそこは、内部がリビングのような造りになっていた。しっかりと横たわることができそうな大きなソファーや、一人がけのまるでソファのようなシートがテーブルを挟んでゆったり並んでいる。
飛行機に乗るのは初めてだ。
これがファーストクラスというものなのかと目を丸くしていたら、この飛行機は、民間機ではなく専用機だと教えられた。ファーストクラスとはまた別のものらしい。
いまだケビンがどこの国の人なのかは教えられていない。
もしかして、国ではないのかもしれないと思うようになった。時々聞こえてくる「組織」という言葉。国ではなく何かの団体なのかもしれない。
数ヶ月後の高校の卒業を待たず、一週間しか滞在できないという二人にそのままついて行くことを決めた。
ケビンからは何度も考え直すよう言われたけれど、考えは変わらなかった。
もう二人がいない日々には耐えられない。こうして二人と再会し、そのぬくもりを肌で感じてしまえば、なおのこと離れがたい。たった半年が耐えられない。
私の決意が変わらないことを知ったケビンは、すぐさまあらゆる手配を始めた。
まずは両親への説明に、なぜか国の関係者がぞろぞろとやって来た。テレビで見たことがある政治家と一緒に。
話を聞いた両親は、なんともいえない顔をしながらも、二人といる私を見てあっさり折れてくれた。
「死んでいるかのように生きるより、笑って生きなさい」
その両親の言葉は忘れない。
どれほど心配をかけていたのか。どんな思いで送り出そうとしてくれているのか。
こみ上げるたくさんの思い出と気持ちの中、「ありがとう」と謝れば、二人とも泣き笑いの笑顔を見せた。
おそらく二度と会えない。それでも私は、この二人を選ぶ。
「私もそんな想いでお父さんを選んだわ」
母がそう耳打ちをしたあと、その目を涙で潤ませながら、子供の頃にしてくれたように頬をその両手で包み、おでこをこつんと合わせ、「幸せになりなさい」と笑ってくれた。
二人の男の人を同時に選ぶ娘に、一瞬父は複雑そうな表情を見せたものの、それ以上に政治家がわざわざ面会に来るという事態に気を取られ、そこはうやむやになった。
「一切の具体的な説明はできませんが、娘さんは我が国にとって、非常に重要な立場となります」
政府の関係者は、私が特使となったことをこれでもかとしつこく何度も強調していた。それはまるでケビンに言い聞かせているかのようで、その声を聞くたびにケビンの目の奥がおもむろに冷えていく。
「現職大臣の私が、娘さんのことは保証する」
そんな、なんの当てにもならない、いい加減な保証を口にする政治家に、両親は隠すことなく顔をしかめていた。この政治家は大臣だったのかと、そこで初めて知った。
ケビンが数枚の書類を渡し、父がそれに目を通していくうちに、それまでとは違い、納得の表情に変わっていった。その書類をその場で母に渡し、母が読み終えると、我々にも見せろと言いたげな大臣の無言の圧力を無視した父は、その場で火をつけてその書類を燃やしてしまった。
大臣の猛烈な怒りは、ケビンのひと睨みで簡単にしぼむ。
あれは両親へと宛てたものだ。私もその内容は詳しく知らされていない。けれど、大まかなこれまでの経緯と、これからのことが書かれていると聞いている。
ケビンが父に握手を求め、父がそれに応じ、固い握手を交わす。父がぐっと口元をひき結んだままケビンの手の上にもう片方の手を添えると、ケビンも黙ったままそれにひとつ頷いて応えていた。
私は、身ひとつで日本を離れることになる。全てを置いていく。
二人についていくと決めた瞬間から、もうこの家に帰ることもできない。
簡単に部屋の整理をし、全てを残していくことに両親は複雑そうな表情を見せた。写真一枚持って行けない。
それでも、ケビンが父に言って画像データを自分のタブレットにコピーしてくれた。形のないデータであれば持って行けるらしい。
ケビンのタブレットには、子供の頃からの私と両親の写真が収められた。それを見たケイが私以上に喜んだのを見て、母が柔らかな笑みを浮かべ、ケイに私のことをくれぐれもと頼んでいた。
短時間のうちに、政府が大いにごねて無理矢理ねじ込んだ私の特使という身分は、日本政府との太いパイプとなり、私の存在をこの国に縛り付ける。
実家からの帰り、車の中でケビンはそれはもう嫌そうな顔をしていた。
「まあ、出国した時点で特使なんて関係なくなるが」
離陸した機内で、ケビンはそう言いながら、今度は不敵な笑みを浮かべていた。
こうして日本を出国した時点で、私はどの国にも帰属しないらしい。
とはいっても、日本人であることに変わりはない。
両親や幼馴染みにも護衛がつき、生涯秘密裏に護っていくそうだ。
高校も卒業したことにされるらしい。
あの荒廃した場所や二人のことを話してしまった幼馴染みは、裏で政府関係者になることを強いられる。護衛がついていたことで私が話してしまったことはすでに知られており、誤魔化すこともできなかった。
彼女にその事実を告げることも、謝罪することも許されない。別れを直接告げることすらできない。巻き込んでしまったことを後悔するしかなかった。
「ミューが話したことを、夢ではなく真実として調べようと思わなければ、それなりの成功が約束されているだけだ。気にするな」
そのケビンの割り切りは軍人らしいと思ってしまう。
自然と自らが選択したように誘導されるらしく、彼女は知らず知らずのうちに政府に取り込まれてしまう。ただ、それをなんとか私に結びつけようとする政府のやり方には、ケビンも顔をしかめていた。
それほどケビンが護る要人の存在が大きいのだろう。
その存在は、普通に生きている限り知り得ないものだ。
着陸する前にも目隠しをされ、徹底的に到着した場所がどこかは知らされなかった。機内でも眠るよう勧められ、日本からどれほどの時間で到着したのかもわからない。
飛行機から降りるときには目隠しが外された。
到着したのは、空港というよりは小さな基地のような場所。
そこから車に乗せられ、その車窓から目に映る景色は、雨上がりのように澄んだ空気の中、どこかの外国の田舎町のように見えた。レンガ造りの家や、木造の家がぽつぽつと建っている。そのデザインは欧米風だ。決してアジアや中東風ではない。
広大な畑は収穫が終わったのか、ドラム缶のような枯れ草色の塊がいくつも転がっていた。
宿舎だと案内された建物は、とんでもなく広い敷地に建つ、いくつかの低層の建物だった。案内された部屋はホテルのように豪華だった上に、その宿舎がある周辺は自由に出歩けるらしい。
ただし、護衛はつく。その護衛がケビンの妹のケイティであることは、私にとってすごくありがたかった。彼女も護衛としてではなく妹のように接してくれる。
「ここって、もしかして島ですか?」
「ええ。北大西洋に浮かぶ島です」
あっさり答えが返ってきてびっくりした。
宿舎は少し小高い場所にあるからか、見下ろす景色のずっと先には、日の光にきらめく滄海が広がっている。散歩がてら町を歩いていると、よく「島」という言葉が耳に入ってくる。
ヨーロッパ沿いにある島なのか、アメリカ沿いにある島なのか、大西洋のどこに存在しているのかはわからない。ただ、日本と同じ季節、それまでよりも肌寒さを感じるから、少なくとも北半球だろう。
「色々気になるでしょうが、組織の深部に入り込みたくなければ、必要のないことはできるだけ耳に入れない方が利口です」
そう言って苦笑いするケイティ自身も、護衛に関すること以外は極力耳に入れないようにしているらしい。
「その深部に入り込むのであればかまいません。ですが、そうでなければ、何かあったときには確実に消されます」
聞き取れるかどうかの微かな声。唇すら動かさずにそう囁かれた。おそらく彼女以外にも監視がついているのだろう。
その組織から呼び出されたのは、この島に着いて二週間ほど後のこと。
ケビンとケイとともに呼び出されたそこは、宿舎と渡り廊下のようなもので繋がっている研究施設だった。
「色々面白いことがわかった」
そう切り出したその研究員は、ケビンほどの年に見える日本人。佐伯と名乗った彼は、この研究所の責任者であり、ケビンに言わせると気狂い、いわゆるマッドだそうだ。
ここではドクターの代わりにマッドが名前の頭につくらしい。
「そもそも研究所にはマッドしか生息していない」
そう言って顔をしかめたケビンに、ここに来る道すがら、研究材料にされないよう、絶対に「はい」と言ってはいけないと、しつこいくらい何度も言い聞かされた。頷くのも禁止だそうだ。
ケイがものすごく嫌そうな顔を向けているのを見ると、彼を検査したのは、もしかしたらこの人なのかもしれない。
私はこの島に到着してすぐにケイティに検査された。ケイティは護衛でもあり、医者でもある。ケイが言っていた通り、本当にありとあらゆるサンプルが採取された。
そのマッド佐伯が早速とばかりに話し始める。
彼の研究室はなぜか一面黄色かった。壁はレモンイエロー、天井はそれより少し濃い黄金色、床は茶色かがった琥珀色。理科室にあるような実験台の天板はさすがに黒かったけれど、デスクや椅子は黄色。彼の白衣の胸ポケットに刺さったペンも黄色だ。
「君たちの涙、唾液、血液のサンプルだ」
そう言って、いくつもの小さな試験管が並ぶ試験管立てを取り出した。
「まずは涙。これがケビン、これはケイ、これがミウ」
シャーレーに、私たちの名前を上げながら、一滴ずつ五ミリほどの間隔をあけてスポイトで滴下する。
その三滴が、しばらくするとふるふると生き物のように動き出し、三つが同時に寄り集まり、ひとつの塊になった。
驚いてマッド佐伯に目を向けると、それはもう得意そうな顔で、どうだとばかりにふんぞり返っていた。
慌てて彼から目をそらし、ケビンとケイに目を向けると、マッド佐伯に胡散臭そうな目を向けながらも、驚いているのがわかる。
「驚くのはこれからだ。次に唾液」
先ほどと同じようにそれぞれ滴下すると、今度はケイの唾液が二股に分かれて私とケビンの唾液を取り込み、ひとつの塊になる。
「そして血液」
今度は、先に私とケイの血液が混ざり合い、次にケビンの血液を取り込んで混ざり合う。
「どういうことだ?」
険しいほどのケビンの声に、マッド佐伯がそれはもう嬉々とした表情を浮かべた。
「これに私のサンプルを滴下しても混ざらない。ケビンの血縁であるケイティのサンプルでも同様。あらゆるサンプルを試してみても、結果は同じ」
これはまだ極秘事項だ。そう言いながら、あっさり極秘事項をもらすマッド佐伯はどうなのか。
私たちが迷い込んだ、ケイが生まれた場所のことを、彼らは第九世界と呼んでいる。そして、今私たちがいるこの世界は第三世界と呼ばれている。
その第九世界は、以前ケビンも言っていた、煉獄や辺獄に近いのではないかと考えられている。
地獄や天国のような存在は、どの宗教や伝承、神話にも存在するものの、煉獄や辺獄の存在は限られている。
ただ、その存在を感じさせるような、それに繋がるような記述は、随所に見受けられるらしい。
「日本の神話の黄泉や根の国も、煉獄と言われればそうなのかもしれない。日本には地獄の一丁目という表現もある。それが辺獄を指すのかもしれない。君たちが見た第九世界の人間は、古代エジプトの死者の書におけるアメミットにも通じる。単なる族外食人ともいえるし、アンデットといわれればそうかもしれない」
ただし、あくまでも憶測、私はその方面の専門ではない。そう続けたマッド佐伯の表情は、いつの間にか真剣味を帯びていた。
「ケビンとミウが第九世界と往復したことで、おそらく道ができている。そして、ケイがこっちに来たことで、世界を開く扉ができたはずだ。おそらく第九世界は、ケイを引き戻すとする。第三世界がケビンとミウを引き戻したように」
そして、ケイが向こうに引き戻されるとき、私とケビンもそれに引きずられ、同時に向こうに行く可能性が高いらしい。
「君たちは第三世界では子供ができない。だが、おそらく第九世界ではそれが可能だろうと私は考えている。そのケイの卵を持ち帰ってほしい」
「ミュー! 頷くな! 返事もするな!」
ケビンの鋭い声とともに、ケイにがっちりとその身体を抱き込まれる。
「お前! ケイの卵はお前のサンプルには絶対に加わらない!」
「まあそういきり立つなよ。できれば私もサンプルはほしいが、ものすごくほしいが、問題はそこではない」
どう考えてもそこが問題だと思う。思わず小さく呟けば、ケイには響いてしまったのか、険しい表情のまま、頷くかのように瞬いた。
もしも、あの荒廃した場所でなら二人の子供ができるとしたら……そう期待してしまうのは、私が女だからだろうか。以前にも感じた母性のような気持ちは、あの頃よりも少しだけ強くなっている。
二人さえいればいい。その気持ちは今も変わらない。この先もきっと変わらない。
けれど、もしそこに二人の子供がいたら……そのささやかな願いは、無理だとわかっているからこそ、淡いあこがれのような気持ちを抱くのだろうか。
「ケイの卵ができるとき、そこにケビンの精子も混ぜたほうがいい」
その言葉のあとにマッド佐伯が語った内容は、私たちが再び向こうに行ったときの注意事項だった。
「まるで、私たちが必ず向こうに行くって確信しているみたいだったね」
「そう考えているんだろう、研究者たちは」
研究所からの帰り、二人の間に挟まれて、のんびりと緑に囲まれた敷地内を散策しながら、遠回りして宿舎に戻る。
ここは、自然豊かだ。吸い込む空気も気持ちいいほど澄んでいる。ここで呼吸しているだけで健康になれそうなほど、緑が濃い。
あのあと、嫌そうにするケイをマッド佐伯が説き伏せ、ケイはケビンの唾液を取り込んだ。ケビンに舌を出してもらい、そこにケイは指先をつけ、その指を嫌そうな顔で舐めていた。すでに私はケビンの唾液を取り込んでいるので必要ないと真顔で言われ、妙に恥ずかしかった。
そして、互いの血液を取り込み合った。
「定期的に摂取しろって、どのくらいの間隔?」
「血液は二週間に一度くらいでいいらしい。涙は今まで通り適時、唾液も……適時だな」
「おっさんの唾液だけを直接もらうくらいなら、美羽とおっさんがキスしたあとで俺が美羽からおっさんの唾液ももらう」
「それじゃ、私の唾液と混ざった状態になるからだめなんじゃない?」
ケイの嫌そうな顔に思わず笑う。
「ケイは、俺が舐めたあとの美羽の身体を舐めればいいだろう」
「直接もらうよりマシだな」
ふと、何かの気配を感じたような気がして、今のやりとりを聞かれたかと、焦って周りを見渡す。けれど、そこには私たち以外誰もいなかった。
気のせいかとほっと胸を撫で下ろしながら、白昼堂々と話す内容ではないだろうと二人を睨めば、二人とも同じ表情で肩をすくめていた。