閒宵人の涙
閒宵人の涙 12


 ふわっと香る清々しくも甘い匂い。

「美羽」
 不意に耳に届いた、聞き慣れていた声。

「美羽、借りてた本、返すの忘れてた」

 信じられない思いで、ゆっくりと振り返ったそこに、あの日別れたはずの幼馴染みの姿があった。

「美羽? どうかした?」
 心配そうに顔を覗き込まれ、その手が腕に触れた。

 その感覚のリアルさに息をのむ。

 慌ててあたりを見渡す。
 見慣れていたはずの景色。いつもの曲がり角。いつもの帰り道。いつもの夕暮れ。
 耳に届く喧騒。カラスの鳴き声。どこかから香ってくる花の匂い。



 どこにもいない、逞しくしなやかな体躯を持つ二人──。



 いつの間にか手にしていた鞄が指先から滑り落ち、鈍い音を立てた。

「美羽? 大丈夫?」
依里(より)ちゃん?」
 声が震えた。

「うん。大丈夫? 何かあった?」
 落とした鞄を拾い、いきなり泣き出した私を家まで送ってくれた彼女は、両親が帰ってくるまで一緒にいてくれた。

 泣いた理由を説明しようとしても言葉にできない。
 あれほど強烈な体験をしたのに、その全てが急速にぼやけていく。
 覚えているのはあの二人のことだけ。
 どれほどの間あそこにいたのか、それすらはっきりと思い出せなくなっていく。



「美羽、失恋でもした?」
 あの日からしばらく経って、心配顔の幼馴染みにそう聞かれた。

 唐突に戻った日常に、当たり前のように馴染んでいる自分が信じられない。
 当たり前のようにお腹が空き、当たり前のように食事をし、当たり前のようにトイレに行く。
 そんな当たり前の日常が当たり前に過ぎていく中、あれが夢なのか現実なのかがわからなくなっていく。

 けれど、身体は覚えていた。
 種付けが行われる周期で、身体が疼く。どうしようもないほど二人を求める。二人じゃなければダメだった。二人以外はいらなかった。

 そして、どうしてなのか全ての言語が日本語に聞こえる。
 それは、あれが現実だったことの確固たる証拠。

「そうかもしれない」
 ぼんやりと答えた私に、「泣きたくなったら泣いてもいいんだよ」と、彼女は痛ましげに目を細めた。

 戻ってきた日に涙を流して以来、泣くことができない。泣きたくない。
 舐め取ってくれる人がいない涙なんて、舐め取ってくれる人がいないことを痛感させられる涙なんて、もう二度と流したくない。



 ケビンも戻ってきたのか。
 ケイはどうなったのか。

 何もわからなかった。



 彼はあの日、要人と一緒に来日していたと言っていた。
 必死に調べても、何もわからなかった。
 そもそも彼がどこの国の人かがわからない。英語に聞こえると聞いて、勝手にアメリカ人だと思い込んでいた。
 あの別荘のことも、はっきりとした場所の特定ができなかった。

 もし、ケビンが戻っていたら、彼の方が私を見付けられる可能性が高い。
 ただ待っていればいいのか。
 それとも、戻ってきたケビンに私は必要ないのか。

 なにより、ケイを……。
 あの荒廃した、あの不条理な場所に、たったひとりで残してきてしまったのか。
 それすらわからなかった。

 狂おしいだけの日々が、ただ意味もなく過ぎてゆく。



 進路を決めることもできず、両親にも幼馴染みにも心配をかけながら、抜け殻のように漫然と生きていた。
 何もかもが体温と同じで、なんの刺激もなく、なんの痛みも感じない。
 浅い眠りだけをくりかえし、目覚めるたびに一人を思い知る。
 生きていることがわからなくなる。

 全ての感覚があまりにもリアルで、だからこそむしろ曖昧で。
 はっきりと自分の存在をここに感じるのに、だからこそよけいにわからなくなる。

 私は、どこにいるのだろう──。



 あれから一年が過ぎようとしている。

「夢の話なんだけど……」
 時々、思い出すかのように頭に浮かぶあの荒廃した景色を、そのたびに「夢」と言い訳しながら、ぽつりぽつりと幼馴染みに話す。
 忘れるどころか、日々その想いが募る二人のことも、少しずつ話す。
 彼女はいつも黙って聞いてくれた。話し終わった後、黙って手を握ってくれた。



 当たり前のように爪が伸び、髪が伸びる。
 私は昨日、十八歳になった。もう彼らが知る十七歳ですらない。

「ミューさんですね」
 それは確認というよりも、わかりきったことをあえて聞いた、そんな風に聞こえた。
 黙って頷くと、黒塗りの車の後部座席の扉が開けられ、乗るよう促される。

 いつもの夕暮れ。いつもの帰り道。いつもの曲がり角。
 つい今さっき幼馴染みと別れたばかり。ほんの少し戻れば、彼女の姿が見えるはず。

 日没直後、まだ明るいとはいえ、うっすらと闇の色が濃くなってきた薄暮の中、どうしようもなく胸が高鳴る。
 自分の鼓動をこれほどまで強く感じるのは、これほどまで生きていることを実感するのは、戻って以来初めてだ。

 もうすぐそこ、あとひとつ角を曲がれば、我が家が見えるはずの場所。
 迷い込んだあの日、ケイに出逢った場所。

 私に声をかけたのは、背の高い女性。彼女の持つ雰囲気はまるで同じだった。同じ髪の色。同じ瞳の色。同じ目の細め方。ケイにも通じるその表情の作り方。
 まるで同じ名前の呼び方。

 乗り込んだ後部座席の隣に、ケビンによく似た女性も乗り込む。走り出した車の中で、申し訳ないですがと目隠しをされた。
 彼女にケビンのことを聞いていいのか、けれど何をどうやって聞けばいいのか、頭の中が混乱していて、何をどうすればいいのかがわからなくなる。

 どのくらい走ったのか。悶々と考えているうちに車が止まり、目隠ししたまま車からゆっくりと降りた途端、またもや申し訳ないですがと声をかけられ、びっくりするくらい軽々と抱き上げられた。
 同じ女性に抱きかかえられるのはどうかと思うけれど、目隠しをしている人を歩かせるより、抱きかかえて運んだ方が早いのだろう。
 それが一層、ケビンに繋がった。車を運転していたのも女の人だった。

 私は男の人が怖い。自分の父親でさえも、不意に近付かれると身がすくむ。
 首に、特に喉のあたりに何かが触れるのが怖い。マフラーだけじゃなく、シャツの第一ボタンを留めることもできない。

 連れて来られたのは、おそらく建物の上階。エレベーターに乗ったかのような浮遊感があった。
 どこかのドアをノックする音が聞こえ、扉が開き、彼女の腕からゆっくりと降ろされる。

「ご両親にはこちらから連絡を入れておきます」
 それでは、と続いた彼女の声。ほんの少し後で、背後から静かにドアが閉まる音が聞こえた。

 そっと丁寧に目隠しが外されると同時に、大きな何かに抱きつかれる。心から安心できる大きな何か。
 ぼろぼろとこぼれ落ちる涙を、愛おしそうに舐め取られた。
 背後からも抱きしめられ、あまりにも安堵した私は、全身の力が抜け、声を上げて泣き出してしまった。



「すごいな。こんなにも溢れるものなのか」
 くちゅくちゅと音を立てているのは、ケイの太い指だ。ケビンは相変わらず後ろから胸を揉みしだき、零れ出た愛液を指に纏わせ、陰核をくにくにと弄る。背後のケビンに顔を向けると、ねっとりと舌を絡めたキスを交わし合う。
 自分の中からしとどに溢れ出しているのがわかる。覚え込まされた快感に身体中が目覚めていく。

「ミュー、胸が育ったな。俺があれだけ揉んだ成果か?」
 そう後ろから囁かれ、「おじさんくさい」と呟けば、尖りきった胸の先を意地悪くつままれた。耳をなぶる舌が濡れている。ぐちゅっと頭に直接音が響く。

「そろそろここもいいんじゃないか?」
 湿った指先がお尻の穴の周りをするっとなぞる。それだけは嫌だと必死に首を振った。

「相変わらずだなミューは。両方使えば一度に俺たちも楽しめるのに。まあ、いずれ、な」
 絶対に嫌だと首を振れば、前に戻ってきた指が陰核をつまみ上げた。強すぎる刺激に、んあっ、と堪えきれず声と顎が同時に上がる。目の前にいるケイの目が細まり、喉仏が上下に動いた。

「だめだ、我慢できない。美羽、もういい?」
 頷けば、ケイの先がくぷっと入り込む。久しぶりすぎて、圧迫感がすごい。

 身体が割り開かれていく。
 閉じていた何かが開いていく。

 ケイが抜き挿ししながら奥に進むにつれ、愛液と一緒にぐちゅと厭らしい音も零れ出る。ぞくぞくとした快感が背を駆け上がってくる。どうしようもなく気持ちいい。

「ケイ、きもち、いい」
 思わず喘ぎながらその耳元で呟けば、ケイが一気に最奥を突いた。のけぞる首筋をケイの舌が這い上がり、そのまま口付けられる。絡まる舌が気持ちいい。

 どこもかしこも、体液で濡れている。濡れた唇に零れ落ちる唾液。胸の先を厭らしく音を立てながら舐められると、唾液に濡れた乳首がこれでもかとしこり尖る。
 ケイが抜き挿しするたびに、ぐちゅ、ぐちゅ、と水音が上がり、滴る愛液がそこかしこを湿らせていく。

「ミュー、咥えて」
 ケビンの声に、ケイにくるっと身体の向きを変えられる。突き刺さったままのケイのものがぐりっと中をえぐった。その刺激に背がしなり、堪えきれず嬌声が零れ出る。

 ケビンのものを咥え、唾液を纏わり付かせながら舌で愛撫し抜き挿しする。その動きに合わせるかのように、背後からケイに奥を突かれる。
 その位置が入れ替わり、背後からケビンの膝に抱えられ、下から突き上げられる。ケイのものを手で扱きながら、舌を絡め合う。
 私の身体は、二人の間を行ったり来たりしながら、二人に交互に貫かれながら、どうしようもないほど悦んでいた。