閒宵人の涙
閒宵人の涙 11


 目が覚めるとケイとケビンの腕の中だった。がっちりと両側から抱え込まれ、身じろぎすらできない。
 光の入り方からここがセーフルームの寝室だとわかる。

 一瞬状況が飲み込めず、どうして二人と一緒に寝ているのかと、眠る前の記憶を辿ろうとして──おぞましい囁き、喉の痛み、息苦しさ、引き裂かれる痛み──。

「ぃやぁ……」
 吐き出された声は、情けないほど小さかった。

 声を上げた瞬間、同時にぐっときつく抱き込まれた。二人の腕の中、狂ったように泣き叫んだ。
 昨日はどれだけ叫びたくても出なかった声が、ほんの数時間でなんの苦もなく響き渡る。身体中の痛みが嘘のようになくなっている。どれほど叫んでも、喉の痛みすらない。

 閒宵人の身体は呪縛だ。あれほど痛め付けられて、絶望に突き落とされて、それでも死ぬことすらできない。肉体は元に戻るのに、おぞましさも、痛みも、絶望も、何もかもを覚えている。心も身体も覚えている。

 そのまま二人に抱かれた。
 きっと、そうされなければ私は壊れていた。

 まるでおぞましさを上書きするかのように、丁寧に大切に抱かれた。
 何度も、何度も、繰り返し耳元で名前を囁かれ、私が私であることを教えてくれる。
 全身に唇が寄せられ、まるで残された痛みを吸い取るかのように、二人の唇が首に触れ、喉に触れ、おぞましい感覚を、汚れを、浄化してくれる。
 耳元で囁かれる厭らしい言葉には悦びが込められ、厭らしく触れるその手には愛おしさが込められ、厭らしく揺さぶられる身体には二人の全てが込められているかのようで、こびりついた穢れた絶望を癒し清めてくれる。
 指を絡め、腕を絡め、足を絡め、舌を絡め、身体中を二人に絡め取られ、その存在ごと搦め捕られる。



 彼はもうここにはいない。

 ただ、それだけが伝えられた。
 それ以上は聞かなかった。聞きたくなかった。

 二人は、閒宵人を保護しないと決めていた。
 それに私は、何も言わず頷いた。

 ケイは、私以外に種付けしたいとは思えない、そう零していた。
 私もケイ以外から種付けされたいとは思えない。ケビン以外から快楽を与えられたいとも思わない。
 二人以外を受け入れられない。

 私たちは、いつの間にか三人で完成されていた。
 そこに誰かが加わることができないほどに。
 それは、きっと愛情であることに変わりはない。それがどんな種類の愛情なのか、私にはまだわからなかった。わからなくてもいいと思った。



 三人だけの穏やかな日々が淡々と過ぎていく。

 夢を見ることなどないはずなのに、嫌な夢でも見たかのようにうなされて飛び起きる。そのたびに、ケイやケビンに強く抱きしめられ、その体温に安心する。
 そんな目覚めが徐々に減っていくにつれ、なんとも言い難い疑問が頭をもたげ始めた。

 どうして、ケイの卵ができないのか。

 ここに迷い込んで、ケイに種付けされるようになって、もうずいぶん経つはずなのに、一向にケイの卵ができない。もしかして私は、子供を生めない身体なのか、そう思い始めていた。

 あれほど卵ができることを恐れていたのに、今度はできないことに不安を覚える。

「そういえば、拉致される女性は大抵ミューよりも年上だな」
 ケビンたちは、自分たちが男だったからか、それほど閒宵人の女性については調べていなかったらしい。

「もしかして、身体が成熟していないと産卵できないのか? 女性っていくつで成熟するんだ?」
「人によるんじゃない? たぶん……二十歳くらい?」
「そうか、ミューはまだ十七歳だったな」
 微妙な表情で呟いたケビンに、改めてまじまじと制服姿を眺められる。

「改めて考えるとすごいな。十七歳の女の子か。俺の人生には縁がなかったなぁ……若いなぁ」
 しみじみ呟くケビンが、なんだかじじくさい。さすがに六十年も生きていればお父さんというよりお祖父ちゃんに近い。見た目は若いけれど。

 そこにケイがお風呂から戻ってきた。ケイは毎日日暮れ前にお風呂に入る。私は朝起きたら顔を洗うついでにケイと一緒に、ケビンは気が向いたときに入る。
 ケイは私を一人にしなくなった。見回りも偵察も私をケビンに預け、一人で出掛けている。もうここには三人しかいないのに。

「さっきからなんの話だ? 何が若いんだ?」 
「ああ、ミューはまだ十七歳なんだなと思うと、な」
「思うとなんだ?」
 言葉を濁すケビンに、ケイが訝しげな顔をする。

「俺たちの年で、十七歳の女の子と出会う機会なんて滅多にないってことだよ」
「そうなのか?」
「ああ。ある意味犯罪だ」
 はあ、と気の抜けたような声を上げるケイには、その倫理観はよくわからないものなのだろう。

 セーフルームのリビングのソファーに座るケイの髪を、後ろに回って乾いた布で丁寧に乾かす。ケイはこうして髪を乾かしてあげると喜ぶ。
 ケイの髪はケビンがナイフで切っているからか、ある意味ワイルドだ。これでもだいぶ上手くなったとケビンは胸を張るけれど、次は私が切ろうと思うくらい、大雑把にざっくりカットされている。無造作ヘアといわれれば納得できないこともない。ちょっと無造作すぎるけれど。

「何がいけないんだ?」
「えっと、たぶん、ロリコン?」
 ケイに顔を向けられ、聞き覚えのあった言葉をなんとはなしに口にすると、ケビンが珍しくうろたえたように咳き込んだ。慌ててその隣に駆け寄り、その背を軽く叩きながら撫でる。

「小児性愛ってなんだ?」
「ミューは子供じゃないだろう!」
 慌てたようなケビンに、じゃあなんと言えばいいのかを聞けば、苦虫を噛み潰したような顔になった。

「だから、俺は手を出したくなかったんだ」
「ケビンが最初に拒んだのは、私が十七歳だったから?」
「それ以外に何がある」
「好みじゃないのかと思ってた」
 それはどこか拗ねたようにも聞こえて、自分で言っておきながら自分でも驚いた。

 ふっと笑ったケビンに顎を取られ、上向けられた途端、落とされたキス。
 ケビンからの初めてのキス。ケビンは、今まで一度も唇にキスしたことはなかった。
 思わず口元を押さえる。かあっと全身が熱を持つ。

「可愛いな、ミューは」
 そんな風に言われるのも初めてだった。

 同じように隣に座り直したケイにも顎を取られ、キスが落とされた。二人の間に挟まれ、その窮屈さにどうしようもなく心が緩む。

 照れくささとともに胸が高鳴り、唐突にわき起こった言葉にできない感情。
 胸が苦しくて、けれどどうしようもなく嬉しくて、溢れ出しそうな何かに訳もわからず気持ちが昂ぶる。

 初めて自覚した。私は二人が好きだ。人としてだけではなく、男として。
 思わず自分からケビンにキスを返し、ケイにキスを返す。

 もういい。
 この二人がいてくれるなら、私はこの荒廃した不条理な場所でもきっと幸せになれる。

 ただひとつ気がかりなのは──。

「私、ケイの子供を産めないかもしれない」
 私の体は変わらない。ケビンの予想が正しければ、それはこの先もケイの卵を望めないということになる。

「いいよ。俺は美羽がいてくれるだけでいい」
「でも……」
 なんと答えていいのか、言葉につまった。

 ケイは自分が死んだ後のことをひどく案じていた。ケイがいなくなった後のことを考えようとしても、何も浮かばない。考えられない。ケイがいなくなり、ケビンと二人だけになることが想像できない。
 ぎゅっと制服のスカートを握りしめた手に、ケビンの大きな手が重なった。

「俺は、ケイが死んだら、ケイをこの地に弔って、どこか高いビルの上から飛び降りるつもりだったんだ。飛び散った肉の塊は、ヤツらがきれいにしてくれるだろう?」
 ケビンの言葉に驚いたのは、私だけじゃなくケイもだ。

「ケイがいるから、俺はここでも生きてこられた。ケイがいなくなってもここで生きようとは思えなくなるほど、俺にとってはケイが生きる全てだ」
「うん。そうだね。そうしたら、私もケビンと一緒に飛び降りる」

 ケイがいなくなったら、きっと私もケビンもここで無意味に生きることをやめるだろう。ケビンを見れば、そうだろうとばかりに、にっこりと穏やかな笑みを返された。
 ケイだけじゃダメだ。ケビンだけでもダメ。二人がいて初めて、私はここで生きていける。

 驚いたように目を見開いていたケイは、次の瞬間、その顔をくしゃりと歪めた。私ごとケビンを抱きしめ、その大きな身体を小さく震わせた。

 ゆっくりとあたりが薄闇に包まれていく。二人の腕の中で、私はそれまで感じたことがないほど、迷い込む前ですら感じたことがないほど、幸せだった。



 その瞬間──。



 引き戻される。

 突然、はっきりとわかった。
 慌ててケビンを見れば、ケビンも驚いた顔をしている。

「ケイ!」
 咄嗟に唇を力一杯噛み、ケイに口づける。ケビンが私ごとケイをしっかりと力一杯捕まえた。
 ケイも一緒じゃなきゃ嫌だ。三人一緒じゃなきゃ、たとえ戻っても生きていけない。
 唇に滲んだ血をケイの舌が唾液ごと受け取る。
 ケビンとケイの腕の中、離れないよう、必死に二人にしがみついた。



 三人一緒じゃなきゃ──。
 ただ、それだけを望んだ。それ以外はいらなかった。