夜も昼も
降っても晴れても
11 戀、思い切る降っても晴れても
「いやー俺、絢斗見直したわ」
「でもあれ、結城にとってはマイナスだろ」
「てか、見てるこっちがドキドキした! いきなりぎゅって! 振り向きざまぎゅって! おまけにココロが我に返る前にエスコートしながら教室に入るとか! なにあれー! 三井のくせに! しかも……ざまあ!」
木村のはしゃぎっぷりが戀の心をざくざく抉ってくる。
「三井のくせにってなんだよ」
「だって三井だもん」
「木村さん、もうその辺で」
「ココロが照れてる! もう! いきなりなんなのあんたたち!」
「愛、気持ちはわかるけどはしゃぎすぎ」
「だって見た? あの顔! 現実突き付けられた途端ショックで逃げ出すとか!」
「だから、結城にとってはマイナスだろ」
「愛、はしゃぐのやめて。いい加減黙って」
最後まで黒田と今井は戀の立場で心配してくれて、木村は完全に面白がっていた。ホームルームの間中、彼女はにやにやしながら戀に何度も目配せを送っていたのだ。一歩間違えば嫌がらせだ。
しかも、元凶の絢斗は悪びれるどころか開き直っているのだから始末に負えない。
肝心の彼女はホームルームが始まる前に教室を飛び出したきり戻って来なかった。
うちの学校は至る所に防犯カメラがついている。したがって犯人特定は容易く、教師に申告すればあっという間に判明する。学校は校内イジメゼロを謳っているくらいだ。当然、校内でバカなことをする人間は少なく、何かあるとしたら校外ということになる。絢斗が戀の送り迎えを徹底しているのはそういう訳だ。
ちなみに担任の大内には子細に事情を説明してある。心得ている担任はロッカーの補修代金を犯人に請求すると言っていた。おそらく実行犯は彼女ではないだろう。ああいう人間は自分で手を下さない。だから今まで逃げ切れていたのだろう。
「でも、そういう女って頭悪いから懲りないんだよ。戀ちゃんは一人にならないよう気を付けた方がいい」
海音のマネージャーが訳知り顔で参加してきた。思わずみんなの視線が彼に集中する。
「ああ、海音から詳細に実況中継されてた」
「暇か」
「暇だろ、校長の話の間は」
「それにだ。戀ちゃん、もう少ししたら身辺が騒がしくなるから」
またもや訳知り顔のマネージャーはかなりの強面にもかかわらず甘い物が好きなのか、メニューにあったパンケーキを全種制覇している。次々と運ばれてくるふわふわのパンケーキにご満悦だ。食後には苺パフェを頼んでいた。
みんなが集まったこの店も、このマネージャーの趣味であるカフェ巡りの賜で、少し奥まったところにあるせいか、お昼時にもかかわらず店内は空いている。
「なに? なんかあんの?」
「戀ちゃん、CMデビューするんだよ。ミツさんの実家の創業百周年記念CM。これを機にうちの事務所と契約しない?」
「しません。後ろ姿だけで顔は出てませんから誰だかわかりませんよ」
お正月の間にいきなり撮影されたのだ。呉服商は業績が厳しく、この数十年で老舗と呼ばれる店がどんどん廃業している。なんとか生き残っている充の実家は代々のお得意さまに支えられているようなもので、若い人にもっと手軽に着物を着てもらいたいと試行錯誤している中、モデル代をけちってCM撮影をすることになったのだ。撮影に協力してくれたのは充の専門学校時代の友人たちで、実は海音のマネージャーもその一人だった。
「結構いい出来で、見返り美人をもじって、振り返る瞬間に店のロゴに遮られるんだよ。モデル名は公表されないことになってるんだけど、まあ、見る人が見ればわかるでしょ」
「CMっていってもテレビじゃなくてウェブだし、着物関係の検索しない限り表示されないし」
みんなの顔がぽかんとしている。
「やばっ。てか、また激怒する顔が浮かんだ」
木村の呟きに我に返ったのか、みんながなんとも言えない顔をする。
「サンプルあるけど見る?」
海音のマネージャーから差し出されたスマートフォンの映像にみんなの頭がぎゅっと寄った。
「うわ、やばいね。てか絶対に激怒するよ」と、どこか面白がっている木村。
「結城マジできれいだな」と、なぜかうっとりしている黒田とそれにこくこく頷く太田。
「俺のかんざし……」と、小さく呟く絢斗。
「いい演出だなあ。本気で顔見たくなる」とは海音だ。
「結城さん、自分で着物着れるの?」と、黒田を小突く今井に訊かれた。
普段着というコンセプトだったので、唯一の抵抗で絢斗から貰った玉かんざしを挿した。半幅帯を蝶結びにしたあとで髪をかんざしで簡単に纏め、ふと振り返ろうとする映像だ。顔が出ないという条件だったうえ、あれよあれよという間に着替えさせられて、帯を結ぶところでカメラのセッティングが始まり、髪を纏めて、呼ばれて振り返ったときには撮影が終わっていた。これから撮影が始まるものだとばかり思っていた戀は拍子抜けしものだ。
「もしかして今井さん、着物に興味ある?」
「ある。でも着付け教室とか着物関係って敷居が高いっていうか、なんとなく興味があっても軽い気持ちだと躊躇するっていうか。実は卒業式に袴が着たいって思ってるんだけど……」
「今度一緒に行く? 着付け教室のマネキンになってもいいなら教室代は無料で着物も貸してもらえるよ」
今井の目が輝いた。戀は二週間に一度のバイトだ。あの撮影もバイト代出すからと若旦那である充の兄に説得されたのだ。
「いいの?」
「あ、でも、じっと姿勢よく立ってるだけなんだけどそれが結構きつい」
「どうしよう」と悩む今井に、「夢の着物姿見て見たい」と黒田が言い出したことで、「お願いしてもいい?」と腹を決めた。
「ん、じゃあ訊いてみとくね。たぶん春休みになっちゃうけど」
「充さんに訊いたら、女子高生大歓迎だって。着付けの様子SNSで拡散してってさ」
絢斗の行動の素早さに戀は目を見張った。
「私もいい? 浴衣くらいは自分で着られるようになりたい」
太田が控え目に手を上げると、木村がテーブルに身を乗り出して「私も!」とどう見ても仲間外れは嫌だと言わんばかりに手を上げる。
「じゃあ、太田も参加で。プラス見学者一名」
絢斗が抗議する木村を無視してすぐさま充にメッセージを送った。
冬休み中に黒田が集めた戀の噂は、それまで以上のものは出てこなかった。
一つ一つ真偽を確かめていく。両親祖父母が事故で亡くなったのは本当。その事故の生還者であることも本当。叔父に引き取られたのも本当。その叔父の親友が子育てに参加していたのも本当。叔父とその親友と一緒に暮らしていることも本当。あとは全部嘘。全てを判じたのは絢斗で、事情を知る海音とそのマネージャーもそれを後押しした。
「ゲイって、あのミツさんがゲイって……ヤバ、笑える。みんなに拡散しとこ」
充の友人である海音のマネージャーはやたらと面白がっていた。あの、と含みを持たせた言い方はまるで充が遊びまくっているかのように聞こえて、戀を複雑な気持ちにさせる。
「ってかさ、ココロが三井を脅して無理矢理付き合わせてるってやつ、そうであってほしいって願望そのまんまで、なんか気持ちわるっ」
「まあ、それも絢斗自身が今日思いっきり否定したようなもんだからなあ」
海音がしたり顔で絢斗を見遣る。絢斗はそれを無視するかのように素知らぬ顔で水を飲んだ。
「当然付き合ってることもわかっただろうし」
「あとは卒業記念告白にさえ注意しとけば周りは平気そうだな。三年に結構しつこいヤツがいるんだよ」
海音にすかさず黒田が反応する。
「ああ、あの芸能組のだろ」
「なんでああいうふうに上から目線で、付き合ってやるけど、とか言うんだろうな。お前何様だよ」
「なに、海音現場に遭遇したの?」
「したんだよ。結城がめちゃくちゃ嫌がってんのに、照れなくていいから、とか言い出して、俺バカって救いようないなって心底思ったもん」
「ああ、だからか。なんかそいつ海音のこと叩いてたんだよ。俳優デビューした俺を妬んでるとかなんとか。まあでも、逆に海音のファンにお前誰だよって反撃食らってたけど」
海音と黒田の話を聞いていた海音のマネージャーが苺パフェをつつきながら極悪顔で「うちの海音に張り合おうなんて身の程知らずだな」と呟けば、怖い物知らずの木村に「こわっ、カイマネこわっ」と勝手にカイマネ呼ばわりされた挙げ句、海音に「俺も今日からカイマネって呼ぼ」とからかわれていた。
騒がしいテーブルの片隅で、今井と太田は着物の柄の話で小さく盛り上がっていた。二人とも本当に好きなようで、太田は普段の彼女とは違って金魚柄について熱く語っていた。
「ごちそうさま」
お店に向かう途中のコンビニでお金をおろそうとしたら、絢斗が奢ると言い出したのだ。しばらく押し問答したのち、そのくらい甘えて、と言われ、戀はごちそうになることにした。
「ん。値段の割に旨かったよなあ」
ランチメニューはどれも千円以下で、女性をターゲットにしているのかボリュームは控え目だったが品数は多く、どれも手が込んでいた。男性には少し物足りないかもしれません、と注文の際に店主が申し訳なさそうに教えてくれ、男子たちは追加で頼んだピラフをシェアしていた。ピラフに付くミニサラダとスープを二人分余計にサービスしてくれたり、ピラフ代を三人で割ってもひとり千円を少し超えるくらいで、食後にはドリンクと小さなデザートまでついて、大満足だった。
「あの、三井くん、怒ってる?」
「ん? 怒ってないけど、何に?」
「勝手にかんざし使って」
「いや、あれは正直嬉しかった」
「じゃあ、CMのこと?」
「んー、まあ、知らなかったのはちょっとショックだったけど、すげーきれいだった。うなじ触りたい。筋のあたりとか特に」
「もしかして、ずっとそれ考えてたの?」
「わりと」
「だから静かだったの?」
「静かだった? 俺みんなの前だとあんなもんじゃない?」
そうだった、と戀は思い出した。彼は戀の前ではよく喋るが、教室ではいつも物静かだった。
「みんなの前で話さないようにしてるとか?」
「それはないな。俺わりと自己完結してるから、あんま話すことないんだよ。大抵話の内容と違うこと考えてるし」
「うなじとか?」
「そう、うなじとか。あとで触ってもいい?」
「だから、公道でそういうこと言わないでってば。彼氏じゃなかったらセクハラだから」
「彼氏じゃなかったら大抵のコミュニケーションはセクハラになるんじゃないの?」
みんなと店の前で別れ、少し大回りして帰ろうと誘われたのは早く二人きりになりたかったからに違いない。すぐさま繋がれた手をいつもより執拗に確かめているのは、朝言っていたストレスからなのか、不機嫌からなのかがわからなくて戀は不安になる。
「本当に怒ってない?」
「怒ってない」
ん? と戀の顔を覗き込むように彼が背を丸めた。
「なんでロッカーの鍵壊されたときより不安そうなの?」
「あんなの、所詮借り物でしょ。わたしのものじゃないもん」
「ってことは、俺は結城のものだから不安になったってことか」
「そうはっきり言われると否定したくなるけど。今の言い方ちょっと充くんに似てて嫌」
なんだそれ、と絢斗が声を上げて笑った。
閑静な住宅街。前方に人影はない。ちらっと振り向いた背後にも人はいない。
戀は思い切って絢斗の胸に飛び込んだ。ぎゅっと抱きついて、すぐさま離れた。
大きく息を吐いて暴れる心臓を宥めていると、次の瞬間には再び絢斗に抱きしめられていた。今度はすぐに離れない。
「人が来るよ」
「まだ誰も来てない」
少しだけ、と自分に言い訳しながら戀も絢斗の背に腕を回した。
「結城、リュック邪魔」
「三井くんのだって邪魔だよ」
「コートが分厚くて感触がわからん」
「そういうセクハラっぽいこと言わないで」
「なんでマフラーでうなじ隠してんの」
「寒いから」
犬の鳴き声が聞こえた途端、ぱっと離れた。お互いの慌てぶりがおかしくて、バカみたいに笑った。
「なあ結城、ちょっとでもなんかあったらちゃんと俺に言ってね」
「何かって?」
「結城の身に起こること全般」
「CMのこととか?」
「あー、まあそれも言ってほしいっちゃ言ってほしいけど、結城が楽しかったならいいんだよ。どうせ充さんに強引にやらされたんだろうし」
「なんでわかるの?」
「なんとなく。結城は目立つこと好きじゃないだろ。でも充さんは結城のことみんなに自慢したいんだろうし」
「なんでわかるの?」
その通りすぎてびっくりする。幸太も大概だが、充の親バカっぷりは彼の家族ですら呆れている。
「だから、なんとなくだって。充さんからも幸太さんからも結城の着物姿何回も送られてきたし」
「そうなの?」
「そう。かわいいだろうとかきれいだろうとか、いちいち自慢気に送ってくるんだよ。地味に腹立つ」
完全に隠し撮りだ。戀は断固誓った。二人とはしばらく口を利かない。
「消しといてね」
「消すわけないだろ。実際かわいいしきれいなんだから」
彼はちょくちょくストレートだ。それでいて、言ったあとで思いっきり照れるのだから、言われた戀はどうしていいかわからなくなる。顔が熱い。
「三井くんって、割とストレートだよね」
「俺も自分でびっくりする」
お互いに照れてもじもじして、なんだかバカみたいなのに嬉しくて、妙にふわふわした感覚はこれまでにない楽しさで、それでいて貪欲にもっともっとと何もかもが欲しくなる。
「わたしね、最初はそんなことなかったのに、今は三井くんによく見られたいって下心がすごくて、自分でも嫌になる」
「それは俺も。やっぱよく見せたいし、よく見てほしいし、わかってほしいし、わかりたいし、すごく触りたいし、ずっと触ってたい」
「三井くんは絶対的に触りたいんだね」
「そりゃ触りたいでしょ。念のため言うけど、エロい意味じゃないからね」
ブレないね、と言ったら、一生ブレないよ、と返ってきた。顔が熱い。落ち着かない。