時の間の邂逅
Hidden Story五年後 迷い込んだ決意
「お母さんたちが──から連絡をもらったて駆けつけた時には、全てが終わっていたわ」
そこにやるせなさを滲ませた母は、隣り合う私に身体をしっかりと向け、まるで睨みつけるかのように目に力を込めた。
「綾、お願いだからこの先、何があっても一人で抱え込まないで。綾さんに言い辛かったら、私やお父さん、そうね、佐山先生やお友達でもいいから、必ず誰かに相談して。それがたとえどんなことでも。私たちはあなたを一人にしたくないの。一人だと感じさせたくないの」
そんなふうにしてしまったのは、私たちなのにね。それでも、一人で抱え込まないで。
そう懺悔するかのように続いた言葉に、母がどれほど悔いているのかがわかった。
この先、私が自分勝手にしでかすことが、これほど母を傷つけた。
私は何を考えて、姿を消したのだろう。母がこれほど傷ついているならば、父も同じだろう。それ以上に綾は傷ついたはずだ。
大切な人たちを傷つけてまで姿をくらまさなければならない何かが、そのときの私にはあるというのか。今の私にはわからない何かが、結婚後に待ち受けているのか。
「あなたが綾さんに出会って、ああこれで綾にも頼れる人ができたって、どこかで安心していたの。親として失格だわ」
涙ぐむ母が、もう一度しっかりと私を抱きしめた。伝わってくる母の体温が、やるせないほどあたたかい。
確かに私は、一人で考えるくせがつきすぎている。一人で考えて、一人で決めて、一人で行動する。それが当たり前だった。
綾に出逢う前は、自分で決めて行動することを大人だと思っていた。けれど、そうではないことを彼に出逢って知った。
いつだって綾が一緒に考えてくれているのに。それでも少し未来の私は、一人で決めてしまうのだろうか。その染みついてしまっているくせのような考え方は、綾が寄り添ってくれていても抜けないのだろうか。
ほんの数年後の自分の考えがこれっぽっちもわからない。
結婚を控え、大好きな綾とずっと一緒にいられる幸せに有頂天になっていた。この世には不幸なんてないとまで思えるほど、うれしくて楽しみで、たくさんの期待に胸を膨らませていた。
だから、再び迷い込んだ意味がわからなかった。
そして今は、迷い込んだ意味が大きすぎてどうしていいかがわからない。
「あのね、よくわからないんだけど、病気で死ぬって、誰にも、家族にも知らせずに入院したりできるものなの?」
「そういう専用の──、……場所があるのよ。入所者の意向に最大限添うような」
病院と言おうとしたのか、それとも別の言葉だったのか、とにかくそういう場所があるのだろう。
「本当に、あっという間だったようなの。だから、私たちが気付く前に……」
言葉をつまらせた母の手を握る。本当に未来の私は何をやっているのか。少しずつ未来の自分への怒りが膨らんでいく。
「ねえ、それ本当に私なのかな? なんだか、まるで実感が湧かない」
九年前に迷い込んだあとで、佐山先生からタイムパラドクスを教えてもらった。突き詰めて考えると頭がおかしくなりそうで、おおまかに理解したのは、過去に行って自分の先祖を殺しても、未来から来た自分は消滅しないというような話だった。
佐山先生は未確認飛行物体を呼ぶほかにも、色々なオカルト知識が豊富だ。しかも話し出したら止まらない。
過去に迷い込んだ私と、今未来に迷い込んでいる私は同じ私だ。けれど、この母が知る私は、この私と同じだとは限らない。確か、そんな意味だったような気がする。
私なら、もうすぐ死ぬと言われても、きっと綾のそばにいる。そのせいで綾が苦しむことになったとしても、きっと私は一緒にいたいとわがままを押し通す。一緒にいない方がさらに綾を苦しめることになると思うから。
私を待っていた、希望があるのかないのかわからない九年間は、すごく不安で苦しかっただろう。そんな思いまでして待ってくれていた人を、自分から一人にするなんて、私には考えられない。
たとえ私は、数年後にあっという間に死を迎えることになったとしても、決して綾から離れない。
なんだか、佐山先生が綾に会わない方がいいと言っていた意味がわかった。
過去は変えられない……そんなことはない。過去が変わったからこそ、私と綾は再会できた。
だからきっと、必ず、未来を変えてやる。戻ったら絶対に綾から離れない。私は死なない。これだけ聞いても実感できないのだから、死ぬわけがない。
いっそ綾の会社に就職しようか……あの会社、高卒の採用してるかな。バイトで雇ってくれないかな……。
父が佐山先生と一緒に戻って来た。
二人とも無言で、まるで口をきいたら私が引き戻されるとでもいうかのように、口を固く閉じたまま何かの準備を始めた。母がそれに加わる。
三人とも私に背を向け、リビングとひと続きになっているダイニングテーブルの上で微かな音を立てながら、何かをしている。まるで私に見せたら消えてなくなるのではないかというくらい、三人の背でその手元は隠されている。
「綾、念のために、目をつむりなさい。未来のものは見ない方がいいかもしれない」
佐山先生に色々聞いたのだろう。父の声に素直に従う。何をされるにしても、私のためにならないことはない。
少しすると、腕をまくられ、ひんやりとした何かで拭われ、そこに何かが突き刺さった。
「いったっ」
薄々わかってはいたものの、思ったよりも痛い。思わず声をあげた瞬間、目を開けそうになって慌ててぎゅっと瞼に力をいれる。強く鈍い痛みが広がっていく。針が抜かれたあと、腕をさすってくれているのは母の手だ。
「井上、もしかしたら効果はないかもしれない。俺たちの知る井上と、目の前にいる井上は別の井上かもしれない。俺たちの知る井上が、今目の前にいる井上の延長上ではないかもしれないけど、少なくとも、お前の知る加納が幸せになれるなら、俺はそれでいいと思う」
ぎゅっと目をつむったまま聞こえてきた佐山先生の声は、まるで全身に染みこむようだった。視界がなかったからこそ、余計に佐山先生の声に込められた思いが伝わってきた。先生は、本当に彼のいい友達だと思う。
何かを片付けている音が聞こえなくなると、隣で腕をさすり続けていた母が、「もういいわ」と声を上げた。
ゆっくり目を開けたそこには、両親しかいない。
「あれ、先生は?」
「ああ、お帰りになったよ。親子水入らずで過ごせと」
父が照れくさそうに、親子という言葉を口にした。
佐山先生の言う通りなら、この両親にとって、私は最後に触れあえる娘だ。
そう思った途端、喉の奥から何かがこみ上げた。胸がつまる。いなくなるって、そういうことだ。最後の私……。
「お腹すいたでしょ? ああ、でもせっかく綾と一緒なのに、この家にはたいしたものがないわ」
母が、微かに声を震わせながらもおどけるように笑い、苦笑いする父と一緒に何を食べるか話し合っている。結局デリバリーのピザやお寿司を注文し、せめてと麩や乾燥わかめを使って味噌汁を作ってくれた。母の味噌汁なんて久しぶりだ。
「明日、お父さんたちは仕事を休むから、綾、どこか行きたいところはあるか?」
少し考えて、首を横に振った。
「どこにも行かなくていい。明日は、家にいてたくさん話そう?」
そう言葉にするのは照れくさかった。
ゆっくりと話したことなんてない家族だった。いつもせわしなくて、いつも寂しくて、ある意味互いに自由だった。両親は夫婦と言うよりも、同士や仲間という感じだったし、実際にそうだったのだろう。私は彼らの子供というよりは、やはり仲間だった気がする。
最後に、家族になろうと思った。
そんなこと、恥ずかしすぎて絶対に口にはできないけれど。それでも、言わずとも通じていたような気がする。二人とも、照れくさそうに笑っていたから。
それなのに、明日を迎えることなく、私は元の時間に戻っていた。
未来に迷い込んだことなど忘れて──。