テディ=ベア
第九章 山田聖来は本当は甘やかされたい


 夜会が終わったその翌日に、次の夜会のドレスの打ち合わせとはこれいかに。そこまでドレスに時間をかける意味がわからない。
 青い色を扱える仕立屋は少ないそうで、クマ五郎が懇意にしている仕立屋が前回同様打ち合わせに来た。
 前回のドレスはすごく着やすかった。それまで着ていた服はなんだったんだってくらい、縫製がしっかりしていた。どうせエロ爺は安さにつられて腕の悪い仕立屋を利用していたのだろう。安物買いの銭失いだ。来客用の予備の服すら用意したくなかったのかもしれない。
 その御用達デザイナーが言うには、ドレスの色は薄い水色から少しずつ濃くなって、最後は鮮やかな青になるらしい。
 この仕立屋、腕はいいのに話が長い。セレブたちは優雅にお茶を飲みながら時間をかけて打ち合わせするのかもしれないが、庶民の私には時間の無駄としか思えない。もう本当に面倒なので、残り三回分のドレスの打ち合わせも、ちゃちゃっと一回で済ませたい。
 ってことで、デザインはお任せした。
 クマ五郎は我が物顔で、侍女は控え目ながらもクマ五郎に負けじと、時々家令も加わって、デザイナーにあれこれ注文を付けている。三人とも実に楽しそうだ。
 私はほぼトルソー状態で、みんなの意見が変わる度にアシスタントたちに寄って集ってぐるぐる布を巻き付けられたり、ぶすぶす長いまち針みたいなもので仮留められたり、ざくざく縫われてギャザーを寄せられたり、自分ではよくわからない位置にリボンが結ばれたりしている。実に楽しくない。

 打ち合わせの合間に、うちの全従業員分の採寸もしてもらう。
 ついでだから新しい制服を作る、と言ったら喜んでもらえた。彼らは隙あらば平伏そうとするのでしつこく「ついで」を強調しておく。困ったものだ。
 家令と執事には黒のスリーピーススーツに白いウイングシャツ、グレーのアスコットタイ。侍女には黒いロングワンピースに白いエプロン、白いふりふりキャップ。袖は膨らませて胸元にフリルも付ける。料理人には白いコック服にコック帽、作業用にカーゴパンツとワークシャツも作ってもらう。ついでに全員分の普段着も何枚か注文する。平民は色のついた服を着てはいけないそうで、たいていは生成りやグレー、黒を着る。
 アシスタントの中でも一番テキパキした人に制服のデザインを説明していると、目を爛々と輝かせて興奮し始めた。彼女が慌てたようにデザイナーを呼んで私の説明を繰り返すと、デザイナーも怖いくらい目を輝かせて興奮している。
 どうやらここでは斬新すぎるデザインだったらしい。
 それぞれ一着ずつ試作品を作ってくれるそうで、それを見て調整することになった。
 こっそり白いスリーピーススーツと白いロングドレスも注文しておく。婚姻の儀式の時に着てもらいたいので、できるだけ光沢のある華やかな布で作ってほしい、とお願いすると、テキパキアシスタントが心得たように頷いてくれた。
 彼らの婚姻の儀式は、夜会シーズンが終わった頃に行うことが決まった。元々収穫が終わった時期に行うことが多いらしく、お祭りのようになることもあるらしい。いっそのこと収穫祭も兼ねればいいと思う。



 次々と夜会をこなし、参加する度にテディのお母さんやお父さん、弟が紹介された。
 毎回最初の一曲だけを踊り、すたこらさっさと帰ってくる。長居は無用だ。
 夜会に参加すればするほど、舞い込む釣書の数が減っていき、最後の夜会に参加した後は一切なくなった。
「なんで?」
「俺の相手だって周知されたんだろ」
「釣書って夜会のパートナーの申込書だったの?」
 てっきりお見合いの時に写真と一緒に渡されるプロフィールみたいなものかと思っていた。
「そうでもあるな」
 なるほど。紙のチェックだけして中身を見ていなかったからわからなかった。
 庭でおやつを食べながら納得していると、テディがわかりやすく呆れた顔をした。クマ五郎と違ってテディは表情がわかりやすい。
 最近使用人たちはそれぞれアベック同士で休憩している。木陰に隠れていちゃこらしているのだろう。羨ましい。あっ、アベックも死語だ。
 おかげであぶれた私とテディがいつも一緒にお茶をするはめになる。
「多分お前が考えているのとは違うぞ」
「なにが?」
「いいか、よく聞け」
 思わず姿勢を正す。テディに「いいか、よく聞け」と言われると、なぜだかちゃんと聞かなければいけないような気がする。時々テディは妙に威厳のある声を出す。いつもの偉そうな声とは違って、他者を自然と従わせるような声。
「中央夜会のパートナーは婚姻候補だ」
「は?」
「ワンシーズン全ての中央夜会を同じパートナーで通すのは、婚姻相手だけだ」
「え?」
「最初の一曲を踊るのも婚姻相手だけだ」
「へ?」
「つまりお前は俺の相手だ」
「ん?」
 つまりそれって……。
「私って……、もしやテディと結婚するの?」
「そういうことになるな」
「なんで?」
「愛称で呼んでいるだろう。それは家族になる事の了承の意味があるんだぞ。愛称は家族だけが呼ぶものだ」
「は?」
「俺の家族もみんな愛称で呼んでいいと言っていただろう」
 茫然と頷けば、テディがにやりと笑った。最近はたまにしかクマ五郎になってくれない。
「それは婚姻を認めるということだ」
「そう、なんだ」
 言葉に力が入らないのは、現実逃避したいからだ。

 どうしてこうなった!

 最初にテディと呼ぶときに言われた「自己責任」の意味が今頃になってわかった。
「ん? ちょっと待って。うちの従業員たちのことも愛称で呼んでるけど」
「だから奴らも喜んでいるだろう。主人に愛称で呼ばれるのは信頼の証だ」
 マジか……知らんわ。いや間違いなく信頼はしているけど……。愛称恐るべし。
「ついでに侯爵領じゃなくて、公爵領になるぞ」
「なんで?」
「俺の爵位が公爵だからだ」
「は?」
 公爵って……たしか王家の血縁者じゃなかったっけ?
「テディ、王族なの?」
「おう。父親が国王だ」
 あのおっさん、国王なのか! でっかいくせに妙に愛想と気前のいい人だった。国王……腰の低い人だったよなぁ。テディと違って全然威張ってない。ってことは、テディのお母さんは王妃で、テディのお兄さんは王太子かぁ。王族なんて一生会うことのない人たちだと思っていたのに。
「巷で噂の放蕩王子って……」
「俺のことだ」
 いやいやいや、胸張って言うことじゃないし。殿下はやっぱり王族に使う敬称だったのか……。そりゃあ威厳のある声だって出せるわ。
「あのクマさんの集落って……」
「公爵領だな」
 ものすごく素朴だったけれど。うちの領主の館の方がよっぽど立派に見える。丸太はそんなに価値があるのか? 価値観の違いに目眩がする。木製の窓扉よりガラス窓の方が便利だろうに。
「私、クマ五郎に売られたんだけど……」
「悪かったよ」
「エロ爺に襲われそうになったんだけど……」
「本当に悪かった」
「すごく怖かったんだけど……」
 テディにひょいと抱えられて、いつも通り片膝に乗せられる。

 私を売り払ったくせに。許せると思う?

 許せないという思いと同じくらい、テディとクマ五郎への好意はある。
 その好意が恋愛感情なのかはまだよくわからない。でも側にいてほしいし、側にいると安心する。
 だったら許せるのかというと、それとこれとは話が別だって思う。
「私きっと一生許さないと思う」
「いいぞ。それでも側にいてほしいんだろう?」
 なぜそう偉そうなんだ。その通りだけど。
「俺はお前の側にいる。ずっとだ。お前が俺を許せなくても、俺はお前とずっと一緒にいてやるよ」
 だからどうしてそう恩着せがましいんだ。ちょっと嬉しいけど。
「聖来」
 ふかふかしないテディの膝に乗せられるのも、もふもふじゃないテディの腕の中も、最近慣れてきたと思う。
 いつだって側にいてくれて、こんなふうに体温を分けてくれる人は今までいなかった。
 それは嬉しい。すごく嬉しい。
 でも……やっぱり許せる気がしない。
 最悪あのエロ爺にいい様にされていたかもしれない。あの時の絶望を思い出すと、とても許せるものじゃない。
「私、あの爺に襲われるくらいなら死のうと思ったんだけど」
「そうだな。あの時の聖来ならそうしただろうな」
 目の前には、どこかせつなげに、どこか怒ったように目を細めるテディがいた。
「お前は、最初から生きようとしていなかっただろう」
 思わず息を呑む。喉の奥が引きつったような音を立てた。
「聖地で朽ちるつもりだっただろう。だから、巻き付く青蔦も、飛びかかろうとする一角青兎も、お前は避けようとすらしていなかった。俺にあそこで出会わなければ、そのまま死ぬつもりだっただろう」

 何も言い返せなかった。
 その通りだった。
 あそこでクマさんに出会わなかったら、もういいやって思っていた。
 死ぬも運命、生きるも運命。どっちでも良かった。
 自分の生死を他人事のようにしか思えなかった。
 もう一人は嫌だった。
 誰にもわかってもらえないのが嫌だった。
 甘えだってわかってる。
 わかってもらうための努力もしなかったくせに、わかってもらえないって嘆くのは違うってことくらいわかってる。
 でも言える? 前世の記憶があるって。言ったら信じてくれる? 
 普通は疑うよ。頭おかしいんじゃないかって引くよ。
 無条件で愛してくれるはずの人に愛されなかったら、それ以外に愛してくれる人なんて見付けられない。
 目の前で同じ立場の違う存在に注がれる愛を、どれほど羨ましく思っていても、それが自分に向けられることはないってわかってしまったら、もうそこにはいられない。
 価値観の違いすぎる人たちと一緒にいるだけで、どうしても心が疲れてしまう。
 同じにはなれなかった。同じものを見て、同じものを読んで、同じものを食べて、同じように過ごして、同じ口調で話しても、重なり合わない感覚はいつしか大きくズレて倦んでいた。
 ひたすら隠し続けることに精一杯だった。取り繕うことしかできなかった。
 自分なりに頑張った。
 どうにかしようと足掻いてもみた。
 でもダメだった。
 たった一度の失敗で、何もかもがなくなって、もう一度手を伸ばす勇気は、もうどこにも残っていなかった。

「あの爺が数時間後に逝くことは判っていたんだ。だから、お前を売った」
 思わずテディを見ると、何か苦いものを飲み込んだかのように顔を歪めていた。
「俺たち聖職者は、運命が判る。それゆえの聖職者だ」
 誰にも言うなよ、と小さく笑って見せたテディは、それでも苦しそうに顔を歪めたままだ。
「あの時、聖来の運命は全く見えなかった。それは死者と同じだ」
 死んでいるも同然。その通りだったと思う。
 抵抗するよりも死ぬことを選ぶくらい、それは自分の中に当たり前にあった。
「いつもだったら放っておく。そういう奴はどこにでもいるからな。だがなぁ。最後に見たお前の表情がどうにも気になってなぁ」
 ゆるく回された腕に少しだけ力が加わり、テディの体にぴったりとくっついた。テディの心臓の音が聞こえる。
「念のため、翌日確かめに行ったら、お前の運命が見えるようになっていた。お前には今のお前以外の記憶があるんだろう?」

 聞こえてきた言葉が信じられなかった。
 気が付けば、テディを見上げたまま、涙がだらだらと流れていた。
 だらしなく流れ落ちる雫にびっくりする。
 泣いている。
 私が泣いている。
 涙が流れるって、こういう感じなんだ……。
 誰にも言えなかったことが、知られていた。
 知られた上で、一緒にいてくれた。
 今まで一度も泣けなかったのに。
 泣きたくても泣けなかったのに。
 泣こうとも思っていないのに。
 泣いている。
 両親が愛することを諦めた原因が、いとも簡単に溢れ落ちる。
 初めて流す涙は、思っていた以上に生々しかった。
 テディが満足そうに笑った。「泣けてよかったな」と囁きながら。
 何もかもが知られていた。
 何もかも知った上で、この人は一緒にいてくれると言う。
 欲しくて欲しくてたまらなかったものを、いともあっさりくれると言う。

「あの爺はあそこで女を拾い、その女をどうにかする前に逝く。爺の遺産はその女が手にする。判ったのはそれだけだ。あの爺は女を拾うより先にお前を買った」
 ぎゅっと抱きしめてくれるテディの腕は、もふくなくてもあたたかい。
「聖職者である俺たちは運命が判るだけで、それをどうにかできるまでの力はない」
 それでもあの時、私にあのエロ爺の死に様を見せる代わりにその遺産を与えようと思ったのだろう。そのくらいの「どうにか」は今までもしてきたのだろう。

 あの爺に好きなようにされるくらいなら死のうと思った。
 あの爺にいい様にされる前に助けて欲しいと願った。
 あの爺が死んだとき、心の底からほっとした。
 目の前で人が死んだというのに、それを悼むよりも生き残ったことを喜んだ。穢されなかったことを喜んだ。
 自分の生死なんてどうでもよかったはずだったのに、死のうと決意したのに助けて欲しいと願い、死なずに済んで安堵した。

「その時感じたお前の感情は、生きようと思う者にとって当たり前のものだ。そう思った自分を信じろ」
 エロ爺の死を悼めない自分に罪悪感を持っている。でも同時に、当然の報いだとも思っている。私は性格が悪い。
 でも、そんな自分が嫌いじゃないって、今、わかった。
「あの爺に襲われることはないと判っていても、襲われそうにはなるかもしれないとわかっていてお前を売ったんだ。俺のことは許さなくていい。だがそれでも、お前は俺のことが好きだろう? そう思った自分を信じろ」
 どれだけ俺様なんだ。
 どれだけ偉そうなんだ。
 どれだけ恩着せがましいんだ。
 襲われないってわかっていても売るなよ。人の死に様を見せるなよ。おかげで生きようと思えたけど。それとこれとは話が別だ。
 翌日様子を見に来てくれた時、本当は嬉しかったなんて絶対に言わない。
「許すまじ!」
 力一杯宣戦布告すると、テディがさも楽しそうに声を上げて笑った。
 こいつ、ものすごく性格が悪い。私以上だ。でもそんなこいつが嫌いじゃない。許すかどうかは別だけど。


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