テディ=ベア
第九章 セオドアは本当は甘やかされたい③


 その期の閉会を兼ねる央家主催の夜会は、最後とあって一番盛大なものになる。
 既に婚約が発表されている俺たちは、いつも以上にぎりぎりで入場し、いつも以上にさっさと退場した。
 舞踊の直前に弟と挨拶を交わし、やはり愛称を呼ぶ許可をもらったキヨラは、「これでテディの家族全員に会ったね」と無邪気に笑っている。
 最後の夜会で完全な青を纏ったキヨラが今期夜会の最大の関心事となっていることなど、キヨラにとってはどこ吹く風だ。




「ねえ、テディ、最近高級紙のゴミが少なくなったんだけど」
「だろうな」
「ついに一枚も来なくなったんだけど」
「だろうな」
「なんで?」
 こてんと首を傾げるキヨラは、アホなほど可愛い。
「俺の相手だって周知されたんだろ」
「釣書って夜会の同伴の申込書だったの?」
「そうでもあるな」
 キヨラは「ふーん」と軽く小首を傾げながら、どこかおかしな方向に納得したらしき顔で、ちまちまと焼き菓子をかじっている。
 最近家令たちが気を利かせて二人きりにしてくれる。彼らは彼らで自分たちの婚姻の儀の準備に忙しいのだろう。俺たちの婚姻の儀の準備は既に終わっている。
「多分お前が考えているのとは違うぞ」
「なにが?」
「いいか、よく聞け。中央夜会の同伴相手は婚姻候補だ。同期全ての中央夜会を同じ相手で通すのは、婚姻相手だけだ。最初の一曲を踊るのも婚姻相手だけだ。つまりお前は俺の相手だ」
 言い含めるようにゆっくりと話してやれば、キヨラは奇声で合いの手を入れながら、呆然とした表情になっていった。
「私って……、もしやテディと婚姻するの?」
 何とも自信なさげに呟かれた。俺以外との婚姻は俺が認めん。
「そういうことになるな」
「なんで?」
「愛称で呼んでいるだろう。それは家族になる事の了承の意味があるんだぞ。愛称は家族だけが呼ぶものだ。俺の家族もみんな愛称で呼んでいいと言っていただろう」
 キヨラはどこか不安げな顔でこくりと小さく頷いた。
「それは婚姻を認めるということだ」
「そう、なんだ」
 よくわかってないような、わかっていてわからないことにしたいような、そんななんとも言えない顔をしているかと思えば、何をひらめいたのか、身を乗り出してきた。
「ん? ちょっと待って。うちの使用人たちのことも愛称で呼んでるけど」
「だから奴らも喜んでいるだろう。主人に愛称で呼ばれるのは信頼の証だ」
 驚きながら「知らんわ」と小さく呟いているキヨラは、俺との婚姻をどう思っているのか。
「ついでに侯爵領じゃなくて、公爵領になるぞ」
「なんで?」
「俺の爵位が公爵だからだ」
「は? ……テディ、央族なの?」
「おう。父親が国央だ」
 きょとんとした顔してやがる。
「あのおっさん国央なのか!」
 びっくり眼のキヨラが小さく叫んだ。あのおっさんが国央なんだよ。一見その辺にいるおっさんだろう? あれでいて結構な切れ者なんだぞ。
「巷で噂の放蕩央子って……」
 知っていたのか、その噂。さては賄い方だな。仕方なく「俺のことだ」と答えてやれば、目を細めて胡散臭げに見上げてきた。
「あの聖職さんの集落って……」
「公爵領だな」
 正確には婆の領知だ。何故か遠い目をするキヨラに首を傾げる。公爵領がどうかしたか?

 ふと、キヨラの目に険が浮かんだ。
「私、クマゴローに売られたんだけど……」
「悪かったよ」
「好色爺に襲われそうになったんだけど……」
 好色爺って、言い得て妙だな。
「本当に悪かった」
「すごく怖かったんだけど……」
 そうだな。何も知らないキヨラは、あの爺にその身を穢されるかと思っただろう。キヨラを抱き上げ、膝に乗せ、その折れそうに細い体を抱きしめる。そうだな、キヨラは何も知らなかった。
「私きっと一生許さないと思う」
 そう言いながらも、不安そうな顔で俺にしがみつくキヨラが愛おしい。
「いいぞ。それでも側にいてほしいんだろう?」
 しがみつくキヨラの手に力が加わる。不安になるな。
「俺はお前の側にいる。ずっとだ。お前が俺を許せなくても、俺はお前とずっと一緒にいてやるよ」
 瞳を揺らしながら、キヨラは俺の気持ちを推し量ろうとするかのように、じっと俺の目を見つめている。
「キヨラ」
 その名を呼べば、何を思いだしたのか、その顔が嫌悪に歪み、「あの爺に襲われるくらいなら死のうと思った」と、声を震わせながら、吐き出すように小さく呟いた。
「そうだな。あの時のキヨラならそうしただろうな。……お前は、最初から生きようとしていなかっただろう」
 キヨラが大きく目を見開き、ひっと喉の奥を引きつらせた。
「聖地で朽ちるつもりだっただろう。だから、巻き付く青蔦も、飛びかかろうとする一角青兎も、お前は避けようとすらしていなかった。俺にあそこで出会わなければ、そのまま死ぬつもりだっただろう」
 責めるような言い方になってしまったのは、俺自身に対する苛立ちからだ。

 今思えば、俺は出会ったあの瞬間からキヨラを生かしたかったのだろう。虚ろな目の奥に見えた何かを、自分が納得するまで見届けたかったのだろう。それは俺の我が儘だ。なんだかんだと言い訳しながら、キヨラに生きることを強要した。生きることをキヨラに押しつけた。

「あの爺が数時間後に逝くことは判っていたんだ。だから、お前を売った」
 それだって、俺が勝手にキヨラに押しつけたことだ。そうしてまでも俺はお前が欲しかった。
「俺たち聖職者は、運命が判る。それゆえの聖職者だ。……誰にも言うなよ」
 結局俺は、ただ言い訳がしたいだけだ。
「あの時、キヨラの運命は全く見えなかった。それは死者と同じだ」
 キヨラが微かに頷いた。そうか、自覚はあったのか。
「いつもだったら放っておく。そういう奴はどこにでもいるからな。だがなぁ。最後に見たお前の表情がどうにも気になってなぁ」
 あの時のキヨラの目も、その表情も、俺は一生忘れないだろう。
 抱きかかえる腕に力が入り、思わずキヨラをさらに抱き寄せる。隙間なく密着するキヨラの体温を感じ、己の腕の中にキヨラがいることをどこまでも確かめたくなってしまう。
 二度とあんな顔はさせたくない。
「念のため、翌日確かめに行ったら、お前の運命が見えるようになっていた」
 キヨラの目の奥を覗き込む。
「お前には今のお前以外の記憶があるんだろう?」
 キヨラの目がゆっくりと見開かれていった。

 大きく見開いたキヨラの瞳が一気に潤み、その潤みが雫となって零れ落ちる。
 己の涙に驚いているキヨラを見て、俺は心の底から安堵した。

「泣けてよかったな」
 それがきっかけとなったのか、小さく声を上げて俺にしがみつきながら、キヨラはただひたむきに、その全てで泣いた。
「あの爺はあそこで女を拾い、その女をどうにかする前に逝く。爺の遺産はその女が手にする。判ったのはそれだけだ。あの爺は女を拾うより先にお前を買った」
 その背をさすりながら静かに話せば、キヨラが涙を流しながら小さく頷く。
「聖職者である俺たちは運命が判るだけで、それをどうにかできるまでの力はない」
 キヨラがほろほろと涙を零しながら、苦しそうに顔を歪める。
 あの時のキヨラが何を考えていたのかはわからない。アストン侯の死に様を見て、何を思ったかもわからない。だが、今キヨラがここにいる、それが全てだと俺は思う。
「その時感じたお前の感情は、生きようと思う者にとって当たり前のものだ。そう思った自分を信じろ」
 キヨラが顔を上げた。どうしていいかわからないようでいて、その実何もかもをわかっているような、様々な感情が入り混じったような顔で俺を見ている。

 本当に、たくさんの表情がその顔に表れるようになった。

「あの爺に襲われることはないとは判っていても、襲われそうにはなるかもしれないとわかっていてお前を売ったんだ。俺のことは許さなくていい。だがそれでも、お前は俺のことが好きだろう?」
 思わずといった様子でキヨラが頷く。お前は本当に素直だな。
「そう思った自分を信じろ」
 面白いほどキヨラの目が力を取り戻す。見る見るうちに目に力を込めたキヨラが俺をぐっと睨んだ。
「許すまじ」
 何を言うかと思ったら、目に涙を溜め、鼻声で、それでも声に力を込めながら、俺の服を握りしめて呟く。全身で俺のことを手離せないと訴えながら、出てきた言葉がそれだ。

 キヨラが初めて俺に偽りを言った。なんとも可愛い偽りだ。


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