テディ=ベア
第十章 セオドアは本当は愛されたい①


「最初から全部説明して!」
 だいぶ日が翳ってきた。庭からキヨラの部屋に場所を移す。
 キヨラはさっきまで大泣きしていたくせに、部屋に入るなり今度は腰に手を当てふんぞり返り、偉そうに命令している。本当に見ていて飽きない。しかもだ、偉そうに命令する割に長椅子に腰を落ち着けた俺のすぐ隣にちょこんと並んで腰掛けるのだからアホ可愛い。

 最初から婚姻までの流れを大まかに教えてやると、キヨラはむすっとした顔と不機嫌そうな声で俺を責める。怒りをぶつけられていることよりも、キヨラが自分の怒りをちゃんと表に出せていることが嬉しくて仕方がない。
「全部テディの仕組んだ罠だったと」
「罠じゃねぇ。下準備だ」
 部屋に控えている家令と侍女が、跡継ぎのいない領主の死を直前になって俺に知らされ、領知存続の危機を盾にそのまま俺の手先にされ、キヨラをを暫定領主の座に就けたにもかかわらず、キヨラは何も知らないまま使用人たちの待遇を改善してくれたことへの謝罪と感謝をこことぞばかりに訴えてやがる。
 俺一人が悪者かよ。お前たち、不敬罪って知っているか? 俺一応これでも央子なんだが。
 家令たちの訴えを聞いたキヨラが顔に不機嫌をてんこ盛りにして「知らぬ私がアホだった」と呟いた。ようやく自覚できたのか。本当にキヨラは面白い。
「テディさ、いつから私を丸め込もうと思ってたの?」
 最初から、と答えてやれば、「この野郎。しれっと言いやがった」と、ぽろっと零している。時々考えていることが口から出ているってことにキヨラはいつになったら気付くのか。面白いから教えてやらん。
「だったら売るなよ!」
 キヨラにしては大きな声を出す。もう少し大きな声が出せるようになるといいな。
「売った後で気付いたんだよ」
 キヨラはすかさず「先に気付けよ」とむすっとふて腐れた後、「ってか何に気付いた?」と首を傾げ、「いつ気付いた?」と不思議そうな顔をする。コロコロと変わる表情が面白い。家令と侍女が微笑ましそうに互いの主を眺めている。
「お前、売った直後に俺に笑いかけただろう? そんときだよ。あんな顔されて反応しないのは不能だけだ」
 真っ赤な顔をしたキヨラがあわあわと全身で慌てている。可愛いなぁ、本当。
「どんな顔だったの?」
 顔を赤くしながら不思議そうに訊いてきたキヨラに、言い聞かせるようにゆっくり話す。
「いいか、よく聞け。ああいう顔は俺以外にするな」
 あんな顔は俺にだけ見せればいい。俺以外に見せることは許さん。
 そもそもキヨラはただでさえ庇護欲をかき立てられるような存在だ。よからぬ輩に浚われかねない。しかもキヨラは簡単に騙されそうだから気が抜けない。常に見張っておきたい。可能な限り誰にも見せたくない。どこかに閉じ込めてしまいたい。とりあえずこれ以上中央には置いておけない。
 俺の言うああいう顔がどういう顔だったのか、キヨラにはさっぱりわらないようで、小首を傾げて考え込んでいる。
「まあいい。婚姻の儀が済んだら領知に居を移すぞ」
「そうなの?」
「ここにいると甘い蜜を舐めようとする馬鹿共が押し寄せて、アホなお前はあっという間に舐め尽くされるのが目に見えている」
 もう少し危機感を持ってくれ。脅してやれば不思議そうな顔をしながらも、あっさり「じゃあ、屋移りする」と素直に従う。この騙されやすさは自覚させた方がいい。俺以外に騙されることなどあってはならん。
 控えていた家令と侍女が居を移す準備は既に調っていることをキヨラに伝える。どことなく不満そうなキヨラは、大方家令たちが俺に従っているように見えて拗ねたのだろう。あいつらの忠誠はお前にしかないというのに。運命に表れるほどの忠誠だぞ。
「ねぇ。婚姻の儀って?」
 ……そこからか。そうだよな。彼方人のキヨラにとっては馴染みのない儀式なのだろう。
「国を挙げての儀式だ。俺一応央子なんでな」
 キヨラがこれ以上ないほど嫌そうに顔をしかめる。そんな顔をするのは本当にキヨラくらいだ。だからこそ手放せない。
「未亡人なのに央子と結婚していいの?」
「ああ、言ってなかったな。ジムが提出したのは縁組みの届けだ。お前はあれの養女だ」
 キヨラのぽかんとした間抜け面も可愛いと思う俺は相当だ。
「俺が裏で手を回しておいた」
 ほらキヨラ、口閉じろ。さっきから「は?」しか言ってないぞ。
「だから、お前が襲われそうになったら助けに入れるよう、ジムもビディも側にいただろう?」
 不意にキヨラは全てを悟ったかのような顔になった。
 かと思えば、キヨラは見る見るうちに顔を歪めていく。不意に自分を抱きしめるようにして両手で腕をさすり始めた。
「どうした?」
「おぞましいこと思い出した」
 思った以上にあの爺に襲われそうになった事実は、キヨラに根深く残ってしまっているようだ。それは完全に俺の誤算だ。ここまで傷を残すとは思っていなかった。
 キヨラを膝に抱きかかえ、細い腕をさすってやる。
「ついでにお前の名前も訂正しておいたぞ」
「へ? そんなことできるの?」
「おう。俺を誰だと思ってる」
「クマゴロー」
 キヨラの頬を抓ってやった。いい加減お前は俺が央子だと認識してくれ。
「私、身ぐるみ剥がされて捨てられる?」
「は? 身ぐるみは剥ぐが、捨てはしねぇよ」
 どうしてそう思えるんだ。俺がお前を捨てるとでも思っているのか? 何があっても、どれほどお前が手放してくれと願っても、俺が手放すことはない。
「公爵の俺が侯爵領や財産を欲しがると思うか?」
「クマゴロー食い意地張ってるし」
 こいつは……。両手の拳で頭をぐりぐりしてやった。
「ずっと一緒にいてやるって言っただろ。俺を信じろ」
「でも身ぐるみは剥ぐんでしょ」
「そりゃ剥ぐだろう」
 にやりと笑えば、キヨラが顔を真っ赤にして、潤んだ瞳で俺を睨めつける。
「お前、そういう顔も俺の前以外でするなよ」
 全く。そういう顔は男を煽るだけだ。



 万事滞りなく婚姻の儀が終了した。
 夜会閉会の三日後、本来なら三日三晩かける婚姻の儀式を半日に端折ったら、各所から苦情が殺到したらしい。知るか。三日三晩もさらし者になってたまるか。そういうのは央太子の仕事であって放蕩央子の仕事じゃねぇ。
 半日に短縮された腹いせか、無駄に派手に仕上がっていた。ちっ。
 婚姻の儀の衣装を、最後の夜会に知らぬうちに披露していたと知ったキヨラは、面白いほど呆然としていた。「よく似合っているぞ」と言えば、「そういうことじゃない」と唇をとがらせる。思わず口付けたらぷりぷりと怒り出した。ぽんぽんと頭を撫でてやり、もう一度「よく似合ってる」と繰り返すと、むすっとしながらもキヨラの機嫌はころっと直る。ちょろい。

 中央広場にせり出した露台で、央に婚姻を誓い、集まった民に向かって婚姻の宣誓をする。
 俺が先に婚姻したせいで、央太子妃争いが激化しているらしく、アルがうんざりしていた。そのアルも年明け早々婚約が発表されることになっている。既にアル付きの侍女はアストン家の娘だ。婚約と同時にキヨラにも紹介する予定だ。
 やはりアルも、獣型に怯えず、変わりなく側に仕える侍女に心を許したらしい。そういえば、両親は幼馴染みだったとか。父親の側にも母親が変わらずいたのだろう。

 披露目の宴であるにもかかわらず、なぜ俺は臭い女たちに取り囲まれねばならんのか。一体どういうつもりだ。それにしても臭ぇ。キヨラを蔑ろにして俺に群がる女たちの顔をしっかり覚える。あとで絶対に仕返ししてやる。こういう縁戚は切り捨てるに限る。
 存在を無視されたキヨラが央妃の紋章入りの扇を顔の前で仰いでいる。おおかた鼻の利くキヨラもこの悪臭から逃れようとしてのことだろうが、臭い女たちは王妃の紋章入りの扇を見て、諦めたかのように次々と離脱していった。でかしたキヨラ。

 しかもキヨラは、控えの間で父親に向かってこう言ったのだ。
「以前欲しいものはないかと仰っていただいた、あのお言葉はいまだ有効でしょうか」
 父親が穏やかに頷けば、意を決したようにキヨラが口を開いた。
「あの、テディを私にください」
 父親があれほど大笑いしたのは、俺が知る限り初めてだ。
「おうおう、くれてやる。返品すんなよ」
 予想外のキヨラの発言に虚を衝かれたのか、父親が思いっきり素で返していた。
「ありがとうございます」
 キヨラが心底嬉しそうに笑うから、思わず口づけてしまった俺は悪くないはずだ。人前でちょっと濃いめの口づけをしただけなのに、キヨラに「人前でするな!」と思いっきり頬を叩かれた。とはいえキヨラの力だ、勢いの割にぺしょっと間抜けな音が鳴り、父親のみならず母親まで大笑いしていた。
 なかなか衝撃的なこの発言は、キヨラにとっては通過儀礼的な婚姻の挨拶らしい。どこか当たり前のように説明され、父親がさらに呵々大笑したのは言うまでもない。



 中央の俺の宮に泊まらせようとする父親たちを振り切り、アストンの屋敷に戻る馬車の中で不意にキヨラが訊いてきた。
「あのね、婚姻証明の署名ってしなくていいの?」
「……既に届けてあるぞ」
 言い忘れていたな。キヨラが憮然とした表情で「色々問い詰めたい」と呟いている。考えていることが口に出ているぞ。ラリーが声を出さずに笑っている。
「テディの妻かぁ」
 キヨラにとっては、王子の伴侶もただの妻。俺はつくづく得難い妻を手に入れた。
 逃げ道が塞がれていたことを知ってもなお、キヨラはまるで最初からここが己の居場所だとでもいうように、変わることなく俺に全身を委ねる。
「でも、嫌じゃないだろう?」
 満更でもなさそうな顔をしているキヨラは、本当に素直で可愛い。手放せるわけがない。
「お前は妙に素直で可愛いな」
 思わずそう言えば、「そういう事言うな」と、照れに照れている。
「すぐ照れるし」
 ぽんぽんと頭を撫でてやれば、照れ隠しなのかその手をぺしょりと撫でる。叩き落としたつもりか?

 何を考えているのか、むすっとしたり、でれっとしたり、はぁぁぁっと溜息をついたり、「すまんね、不細工で」と呟いたり、ころころ変わるキヨラの表情をいつまでだって眺めていたい。
 相変わらずここまで表情が現れるのは、俺が側にいるときだけだ。それでも日に日に気を許し始めた使用人たちの前でも自然と表情が出るようになり、声も随分と大きくなってきた。
 馬車に乗り合わせている家令と侍女も嬉しそうに顔をほころばせている。フィルとラリーもなぜか楽しそうだ。
「最近クマゴローが会ってくれない」
「他人が聞いたら不貞を疑われるようなことをぺろっと言うな。どっちも俺だ」
「もふさが足りない。せめて腕一本」
「そんな器用なことできるか。腕だけもふってたら不気味だろうが」
「いや。もふけりゃなんでもアリだよ」
「今日はもふらせんぞ」
「なぜだ! 記念すべき夫婦となった最初の晩は思う存分もふりたい」
「……お前、初夜が獣型でいいのか?」
 お前はいきなりそれでいいのか? さすがに発情期以外は獣型では厳しいぞ。なんとかなりそうな気もするが。
「人前で初夜とか言うな! クマゴローを穢すな」
「どっちも俺だと何度言えばわかるんだ、お前は」
「クマゴローは安心するんだもん。テディだと恥ずかしいんだもん、色々!」
「ほう。俺だと恥ずかしいのか」
 どうしてこうも素直なんだか。
「お前それ、俺が大好きだって言ってるようなもんだぞ」
「ちがっ、そんなこと言ってないし!」
 そうかそうか、真っ赤になって狼狽えている時点で認めているも同然だ。
「お前気付いてるか? 俺の前だと考えてることが全部顔に出てるぞ。わかりやすくて可愛いよな、お前は」
 キヨラが「うそっ」と素っ頓狂な声を上げ、心底びっくりしている。気付いていないのはお前だけだ。侍女に無言で頷かれたキヨラは、面白いほど呆然としている。
「俺の前だけにしとけよ」
 そう耳元で囁くと、キヨラはどこか満足そうに頬を緩めた。全く。本当にわかりやすくて可愛い奴だ。