テディ=ベア
第九章 セオドアは本当は甘やかされたい① 仕立屋が前回以上に気合いを入れてやって来た。
本来であれば、最初の夜会までに全てのドレスを作り終えておくものだが、今回ばかりは仕方がない。
仕立屋の力みすぎた話によれば、夜会が進むにつれて花が綻んでいくような意匠にしたいらしい。
「本人もいい感じに綻ばせなさいよ」
キヨラが仮縫い用のドレスに着替えるために部屋を出た途端これだ。俺だってできることならそうしたい。
「残りのドレスの打ち合わせも一度に終わらせていいですか?」
このキヨラの発言に、可愛いもの好きの仕立屋は相当の衝撃を受けたようで、しばらく動けなくなっていたのは見物だった。前回しつこく三日も掛けた報いだ。おまけにキヨラから意匠を一任され、完全に意識をどこかに飛ばしていた。依頼主から意匠を一任されるなど仕立屋にとってこれほど名誉なことはないというのに、キヨラとの戯れを取り上げられたことがそんなに衝撃なのか。……衝撃だな。俺も意識を飛ばしかねん。
意気消沈した仕立屋をなんとかその気にさせるべく、侍女と家令が奮闘している。仕方ない、俺も手を貸そう。
キヨラが仕立屋の助手に使用人たちの制服を依頼し、使用人たちも一人一人採寸されていく。
「あのね、ついでだから。ついでに作るんだからね。ついでだよ」
キヨラはしつこいほど「ついで」を強調して、なんとか感謝の礼をさせまいと必死だ。そんなキヨラを使用人たちは目を和ませて嬉しそうに眺めている。
キヨラはいつになったらこいつらがわざとやっていることに気付くのか。面白いからまだ教えてやらん。
俺たちがキヨラのドレスを打ち合わせている傍らで、使用人の制服の意匠をキヨラから聞き取っていた助手が、興奮して仕立屋を呼びつけた。
「師匠! 師匠! 見てくださいこれ!」
キヨラが書いたらしい意匠図を助手が仕立屋に見せ、その意匠の説明をし始めると、みるみるうちに仕立屋の目が輝きだした。仕立屋が意匠図を凝視している隙に、キヨラがこっそり使用人たちの婚姻衣装を助手に依頼している。興奮した仕立屋の奇声がうるせぇ。
この世とは別の知識を持つキヨラの素性を、どうやら俺の密偵である仕立屋が勘ぐり始めた。俺に訊くな。ラリーに訊け。この仕立屋はラリーの妻だ。趣味が高じて伯爵令嬢が仕立屋を始めたと、一時期中央でも話題になった。
ラリーの尽力により、キヨラの名の訂正が終わり、アストン侯との縁組みの届けも残すはアルの侍女の署名だけとなっている。俺とキヨラの婚姻証明はすでに出来上がっている。
「それにしても、あそこまで懐に入れているとは思いませんでした。今じゃ中央の話題はそれ一色ですよ。あのセオドア殿下が愛称を呼ばせた、あのセオドア殿下が跪いた、あのセオドア殿下が腕に抱えた、あのセオドア殿下が微笑んだ、あのセオドア殿下が、セオドア殿下が、とまあ、誰も彼もが口を開けばセオドア殿下ですよ。そういえばアルフレッド殿下も愛称の許可を出したらしいですね」
人の名を連呼するな。最近のフィルは楽しそうでなによりだ。
「ああ。しかも滅多に見せない微笑み付きだぞ」
「それも別の意味で話題になってましたよ。両殿下を虜にする悪女って」
キヨラのどこが悪女なんだよ。どこからどう見ても聖女だろうが。
「グレネル家のお嬢が良からぬことを企んでるぞ。その噂を流しているのもそいつだ」
「そっちは父親がなんとかする。青を纏ったキヨラを悪しく言うなんぞ、己の首を絞めるだけだってことがわからないのか。これだから頭の悪い奴はいやなんだよ。ああそうだ、ラリーに臨時手当を用意するって言ってたぞ」
「俺の苦労が報われる……」
わざとらしく涙を拭うフリをするラリーに、そういえば、とフィルが思い出したように言う。
「最近ラリーに裏からの勧誘が来ています」
「諜報なんかにやらねぇよ。ラリーもフィルも俺のものだ」
「俺だってお前以外の主は嫌だよ。今更貴族らしくなんざしたくねぇし」
「ですね。ここまで自由にさせてくれる主はそういません」
フィルとラリーが顔を見合わせてにやりと笑う。言うほど自由にさせているつもりはないが、縛り付けようとも思わない。この二人は好きにやらせた方がいい仕事をする。
「セオドア付きになりたい者も相変わらず多いぞ」
「俺はお前たちだけで十分。お前たち以外はいらねぇ。必要なら俺付きじゃなく、お前たち付きにすればいい」
それだけの権限も与えている。
「アストン家のジェームスが欲しいですね」
「ロバートとティモシーも欲しい」
「だろう? あいつらお前たち並みに優秀だぞ。だが中央に誘ったら断りやがった。キヨラに忠誠を誓っている」
「ほう。それほどまでのご令嬢ですか」
「セオドアが欲しがるんだ、それほどのお嬢さんだろうよ」
フィルもラリーもどこか納得したような顔をしている。身分の隔てなく使用人たちと接し、その能力を正しく評価しているキヨラを目の当たりにしているのだから、理解も早い。
「でしたら、侯爵家ごと囲い込んでください」
それもそうだな。俺の領は俺たちの子供に譲り、アストン領はあいつらに譲るか。そのうちあいつらを俺と縁組みさせるか。
そうだ、俺よりも婆がいい。一旦アストンを俺の領知として、それからあいつらに譲る方が穏便だ。
いや、婆自体をアストンに引き入れるか。そうすれば、アストン領に薬師を増やすこともできる。問題は、婆がキヨラを気に入るかだが……待てよ、あの減摩液! あれをくれたってことは、認めるもなにも、すでに気に入ってたってことか! あの時、すでにこうなることがわかっていたってことか。すげーな婆。
あの婆のことだ、すでに居を移す準備を始めている気がする……。
「もしかしたら、婆がアストンに居を移すかもしれん」
「まさか、キャンディス様がですか?」
目を丸くする二人に「おそらく」と答える。
「つまりそれは、アストン暫定侯爵の後ろ盾になるということですか?」
「それはどうかなぁ。キヨラのことは気に入ってはいるようだが……。いずれジェームスたちを婆か俺の縁者にしようと思うんだが」
「なるほど。アストンを与えますか?」
「さすがに侯爵位は俺の一存じゃ与えられないからな。父親に話してみてからになるが。そもそもアストン侯の存命中から知行しているのはジェームスたちだ。どうやらその前はジェームスの父親が代行していたらしい」
フィルとラリーが納得した顔をしている。そうなんだよ。あの知行をあのアストン侯がしていたとは思えなかったんだよ。
央妃主催の夜会に出席し、アルの時と同じようにキヨラを母親に引き合わせる。
アルと同じく、愛称を呼ぶ許可を母親から公然と与えられたキヨラは、つぼみがほんのり綻んだ程度ではあるが嬉しそうに笑った。
表情が出にくいキヨラのささやかな笑顔に偽りがないことを見て取った母親は、その場で己の紋章入りの扇をキヨラに与えた。
もらってもいいのかと目配せしてくるキヨラに頷きで応えると、嬉しそうに両手で丁寧に受け取った。その場でそっと広げ、その意匠の細かさに感心し、微かな声で「すごくきれい」と目を輝かせている。
扇を与えられたことだけを純粋に喜ぶキヨラに、厳しいことで知られる母親が珍しく柔らかな目を向けている。紋章入りの品を与えるということは、愛称の許可以上に相手を認め、その後ろ盾になるという意味も含む。
欲しがっても与えられることのなかった品を、目の前で他の者に与えられたグレネルの娘が、唯一の価値である顔を醜く歪めている。見た目にしか価値がないくせに、その価値すら自ら下げたお前に何が残るというのか。
やはり最初の一曲だけを踊り、話しかけられる前に会場を後にする。
俺に直接声をかけられる者はそうはいないが、キヨラに声をかけられる者はそれなりにいる。グレネルの娘もキヨラに自ら声をかけるだけの身分を持つ。話しかけられてたまるか。キヨラが穢れる。
前回同様キヨラを抱えて足早に会場を後にすれば、やはり前回同様入り口で待ち構える家令たちに、同じく正面で待ち構えるフィルたち。キヨラも心得たように大人しくその身を預けている。
馬車に乗り込む際、後を追ってきたグレネルの娘が視界の端に入った。追いかけてきてどうするつもりなのか。腕に抱えるキヨラに口付けてやれば、面白いほどに娘の目が見開かれ、その顔が一層歪んでいく。逆にキヨラは面白いほど頬を赤く染めて、恥ずかしそうに目を伏せた。くそ可愛い。
「締まりのない顔をしていないでさっさと乗り込んでください。後がつかえています」
俺にだけ聞こえるような小声で家令が容赦ないく言い放つ。尻を蹴られる前に急いで馬車に乗り込んだ。お前、不敬罪って知ってるか?