青の深淵
二人ぼっちが生み出すもの
08 知的生命体


 彼と二人きりの生活は、穏やかに過ぎていく。
 それまでの生活と比べてずいぶん不便ではあるけれど、その不便さにもいつの間にか慣れていく。
 それまでのバイトに追われるだけのせわしない日々とは違い、ゆったりとした毎日に心も体もそれまでよりずっと健康になった。私だけではなく、きっと、彼も。



「のぞみー、変なもん拾ったー」

 なんの毛皮かわからない、けれど妙に手触りのいいラグの上に座り、細いツタでなんとかサンダルみたいなものが作れないかと、ここ最近、試行錯誤しながら見よう見まねでわらじのようなスリッパのようなものを編んでいる。
 これがなかなか上手くいかない。履き心地は最悪だ。やはり藁のようなもので作るべきか。そもそも作り方を間違えているから、履き心地が悪いのか。

 ツタを指先で弄び、軽く唸りながらとりとめなく考え込んでいると、散歩を兼ねた現地調査に出掛けていたはずの彼が戸口に姿を現した。いつもより帰りが早い。
 これ見よがしにずいっと前に出している彼の手にお腹を掴まれ、ぷらぷらとぶら下がっているのはトカゲのような生きものだ。

「トカゲ?」
 片手でなんとかブーツを脱いだ彼が、すぐそばに腰をおろした。

「見た目はね。でもこいつ、毛が生えてるんだよ」
 目の前で見せられたその生きものは、トカゲのような、サンショウウオのような姿なのに、よく見れば全身に短い毛をびっしりと生やしていた。たとえるならトカゲのぬいぐるみ。色は青緑。全長三十センチといったところだ。

「かわいいんだか、そうじゃないんだか……」
 目と目が離れているせいか、正面から見ると間抜けな顔をしている。頭部は緑色が強く、尾にいくにつれ青が強くなる。お腹は色が薄くなって白っぽい。

「あ、背中に羽生えてる?」
 手とは別に背中から生えている羽をそっと広げてみれば、コウモリの飛膜のようなパステルブルーの翼だった。透き通るようなきれいな空色のそこには毛が生えていない。

「これたぶん、翼竜みたいなもんだと思う。しかもなんか生まれたばっかっぽいんだよなぁ」
「どこで見つけたの?」
「歩いてたら上から落っこちてきた」
 そこでようやく彼に目を向けた。すぐ隣であぐらをかき、眉をひそめ、難しい顔をしている。

「ここの生きもの、だよね」
 再び彼の手におさまるトカゲもどきに目を向ける。見返してくるのはきょとんとしたつぶらな瞳。爬虫類の目というよりも、ほ乳類の目のようなまん丸の濃い青の瞳。

「たぶん。生まれたばっかりみたいだからなんともいえないけど、言葉が通じるようになると思う」
 驚いて彼に目を向けると、難しい顔のままひとつ頷き、トカゲもどきを指さした。

「これ、たぶん知的生命体」 
「これが?」
「これが」
 サンショウウオのような、これが?

「ごめん、なんか……知的生命体って、もっと人っぽい姿かと思ってた」
 顔を見合わせ、なんともいえない気持ちになった。これと意思疎通できたところで、共存できるとは思えない。

「どうするの? これ」
「どうしようかと思って、とりあえず帰ってきた」
 不意に、彼の「帰ってきた」というその言葉に不思議な気持ちになった。ここは、彼にとって帰る場所。なんともいえない感情が渦巻いて、けれどそれは決して嫌なものではなく、自分の気持ちを掴みかねているうちに、彼の言葉が続いた。

「たぶん、放っておいたら死ぬ気がする」
「だよね。でも、育て方とかわかる?」
「それがさ、頭にこれの飼育法を考えても何も浮かばないんだよ」
 互いに顔を見合わせたあと、彼の手に握られている知的生命体に視線を落とす。つぶらな瞳は閉じられ、逃げるどころか全身の力を抜いてだらっと彼の手にぶら下がっている。

「とりあえず、放してみる。それでこいつがどこかに行くなら、それまでだよな」
「そうだね、野生動物は人の手で育つと元の環境に戻れなくなるって聞くし」
 頷きながら、彼が静かに知的生命体をラグの上に置いた──が、置かれたまま微動だにしない。顔を見合わせ、彼がそっとその身体に触れると手足が投げ出され、ぺしゃんと這いつくばった。焦って手を出そうとしたら、「ちょっと待って」と、止められる。
 彼がそっとその身体を仰向けにしてみるも、微動だにしない。

「これさ、寝てるよな?」
「うそ! トカゲって仰向けで寝るの?」
「いや、それは今俺が裏返したからだろうけど……」
 困惑したような彼の声同様、困惑する。まさに、未知との遭遇だ。鼻の穴が開いたり閉じたりしているから生きているのは間違いない。

「野性味ゼロだね」
「あの場所に置いてきたら、確実にのたれ死んでたなぁ」
「連れて帰ってきてよかったねって言った方がいい?」
「微妙」
 だよね。白っぽいぽっこりとしたお腹を晒して寝ているその姿は、知的生命体の片鱗もなく、かといって野性的であるはずもなく、なんとも間抜けだった。折りたたまれている翼が身体の下になっていても平気なのかが心配になる。

「のっそりした生きものなのかな? 弱ってるって感じじゃないよね」
「そうかもな。それか、生まれたばっかだから?」
 それはありそうだ。きっとどんな生きものも、生まれたては寝てばかりだろう。

「何食べると思う? うちには赤い実か黄色い実しかないよ」
 ほんの一瞬、彼の口元が弧を描いた。どことなく嬉しそうに見えて、何が彼の口角を上げたのかと不思議に思う。

 不思議といえば、あの赤い実も不思議で、彼と同じ量を食べているのにちょうどいい満腹感が得られる。彼も彼で、私と同じ量では足りないかと思えばそうでもないらしく、いい感じにお腹いっぱいになるらしい。
 最初の頃に少し残し、彼がそれを食べて以来、半分ずつ同じ量を食べているにもかかわらず、そのときと同じだけの満腹感が得られる。まるで満腹感を記憶して自動で調整してくれているような、そんな不思議。
 おまけに起きて寝るまでに彼と二人でひとつの実で十分だ。寝起きに半分食べるだけで、寝るまでお腹がすくこともなく、喉も渇かない。再び目が覚めると軽くお腹がすいたと感じる。
 ちなみに黄色い実は、干してもドライフルーツにはならなかった。いつまでたっても見た目が変わらないことに首を傾げながら、ほんの少しかじってみたら、思いっきり渋みとえぐみが増していた。慌ててぺっと吐き出した私を見て大笑いする彼に、かなりむっとした。

「どっちか食べるだろう」
「まさか、肉食じゃないよね」
 主食が人だったりしたらシャレにならない。

「トカゲって肉食だっけ?」
「たぶん。地球のトカゲと同じじゃないと思うけど……」
 顔を見合わせ、いまだお腹を晒して寝ているトカゲもどきに視線を落とす。

「サボテン食ってるトカゲもいたよな」
「いたね」
「まあ、なんとかなるんじゃない? それより、こいつの親が探しに来たら面倒なことになりそうな気がする」
「恐竜っぽいかな?」
「ドラゴンっぽいかも?」
 野性味ゼロで仰向けに寝ているこれの成体がドラゴン──ない気がする。見れば彼も同じことを思ったのか、自分の発言に微妙な顔をしていた。

「でも、今まで空に何かが飛んでるの、見たことないよね」
「ないな。結構森の奥まで入ってるけど、何かの鳴き声すら聞いたことない」
「これ、どうやってここまで来たんだろう?」
「さあ。上からぽとって落ちてきた」
「木の上に巣があったとか?」
「今まで生きもの見たことないのに?」
「だよね」

 大気が発光しているからこそ、森の中でも明るいけれど、もし太陽のように遙か上空から光が届いていたとしたら、間違いなく周りの森は鬱蒼としていたはずだ。
 森に入って上を見上げても、木の枝や葉ばかりが見えてその上が見えない。おそらく木漏れ日すら届かない。
 この泉の周りだけがほんの小さく開け、青白くきらめいて見える空がぽかりと浮いているかのように見える。ただ、私たちが知る空とこの空が同じなのかはわからない。

「もしかして、空の上を何かが飛んでても気付かないだけなのかな」
「そうかもな。完全に木が空を遮ってるからなぁ。この泉の上さえ飛んでなければ気付かないだろうし」

 思わず天井を見上げる。
 この家はどこからどう見ても地球上の建築物に見える。ただし、掘っ立て小屋。簡素な造りは世界を越えても似たようなものになるのだろうか。

 指先でトカゲもどきのお腹をくすぐると、一瞬手足をじたばたと動かしたあと、ゆっくりと力が抜けて、ぱたっとそれらが投げ出される。妙に可愛いその動きに、思わず顔を見合わせて笑い合う。

 とりあえず様子を見ようと、微動だにしない青緑のサンショウウオもどきはそのままにしておくことにした。