青の深淵
二人ぼっちの異世界トリップ
06 腕枕


「のぞみは風呂、夜入る方だった? それとも朝?」
 食べ残した黄色い実を適当な木の枝に引っかけて戻って来た直後に訊かれた。

「今までは夜っていうか夕方入ってた。本当は寝る前に入りたかったんだけど」
 祖父母は夕方に入る人たちだったから、必然的にその残り湯をもらう私も早い時間に入るようになった。

「そっか。じゃあ、寝る前に水浴びする?」
「そうする。ひかりは?」
「俺も基本寝る前。でもなぁ、風呂と違って身体が温まるわけじゃないからなぁ」
 テーブルに頬杖つきながら、彼は少しだけ唇をとがらせた。その仕草が妙に似合う。

「だよね。お風呂ほしいけど、どうやってお湯沸かすかだよね」
「俺はまだしも、のぞみは身体冷やしそうだな」
「実際すごく冷える」
 肉の薄い身体を失礼なほどまじまじと眺められながら、「だよな」と心配そうに零した彼は、悪意の欠片もなく眉間にしわを寄せている。じっと見られていたのが胸のあたりだというのは、この際気にしないでおこう。

「ここの明るさって、太陽みたいに暖かくはないからなぁ。さっき外で寝そべっていても、日に当たってる感じが全くしなかったし。ぽかぽか感がまるでない。水を太陽の光でそこそこ暖めるとかできないよなぁ。そもそも太陽じゃないしなぁ。これって白熱灯じゃなくてLEDだよなぁ」
 唸りながら思いつくままを口走っている彼に、先に水浴びするかを訊けば、「あとでいい」と返ってきた。遠慮なく先に水浴びすることにする。

「のぞみが水浴びしている間に、木の間にツタ張っておくよ」
 着替えを用意しているとそう声がかかり、よろしく、と言い置いて泉に向かう。

 どうせ洗うのだからと、下着代わりのハーフパンツとビスチェもどきを着たまま水に飛び込んだ。裸を見られる恥ずかしさより、裸を見せてしまう申し訳なさの方が強い。こんながりがりでみっともない身体。
 そうだ、むだ毛の処理はどうしよう。
 こうなってみると、バイト仲間に無理矢理連れて行かれたサロンで脇だけは永久脱毛していたことが幸いした。当時は無駄遣いだとかなり落ち込んだけれど。
 むだ毛についてをひとしきり考えながら全身を擦り洗いしたところで、彼に借りたシャツを水の中でゆらゆらと揺らす。ツタを持った時に付いた汚れが水に溶け出してきれいになった。
 テーブルクロスサイズの布で頭をがしがしと拭き、パレオみたいに胸の位置から身体に巻き付け、着ていた服を脱ぎ、水の中でゆらゆら揺らす。

 こんこんと湧き出ている泉は、その縁ぎりぎりまで湛えられているのにどこにも流れ出ることなくその水量を保っている。湧き出た分の水がどこに消えているのかがわからない。
 しかも、水浴びしても洗濯しても、水が濁ることも汚れが浮くこともない。

 ふと聞こえた物音に顔を上げると、いつの間にか泉に近い木の間に、彼がツタを張っていた。私に合わせてなのか、その高さは彼の胸あたりで少し低め。
 早速そこに洗った服をよく絞り、シワを伸ばしながら干していく。ハンガーと洗濯バサミがほしい。
 私の目の位置に張られたツタは、ちょうどいい高さだった。干し易さに「ありがと」と声を掛ければ、はにかむような笑顔が返ってきた。

「ひかりの服も洗うから、かして」
「自分で洗うからいいよ」
 少し驚いたような顔で遠慮される。

「嫌じゃなかったら洗うよ。水の中で揺らすだけで汚れが落ちるからそんなに手間じゃないし。ひかりが水浴びしている間に終わるから」
 ためらいを見せる彼にじっと見られているなと思っていたら、「もしかして?」と小首を傾げられた。無駄にかわいい。

「のぞみ、眠い?」
 そう言われるとそんな気がしてくる。水の中で服をゆらゆら揺らしてると、まるで催眠術にかかったかのようにぼんやりしてくる。おまけに身体が冷えて寒い。

「そうかも」
「あー、じゃあ、お願いする。俺も急いで水浴びするよ」
 ぶるっと身震いした私を見たせいか、早足に家の中に戻り、着替えを手にした彼が豪快に服を脱いでいく。彼の下着も、それとは見えない膝までの生成り色のハーフパンツだった。
 ざぶん、と音を立てて泉に飛び込んだその傍らで、服を水に入れ揺らし始める。

「俺が絞るから、のぞみ揺らして」
「わかった」
 次々と揺らしていき、次々と絞られる服は、置いておく場所がないせいか、彼の頭に積み上がっていく。なぜ頭に積んだ? そう思いながらも、彼の頭から一枚ずつ受け取り、なるべくシワにならないようツタに干していく。
 最後にハーフパンツとビスチェを身に着け、身体に撒いていた布と彼が身体を拭いた布も洗って干す。彼は下着代わりのハーフパンツだけは自分で洗っていた。

「サンダルほしい」
 編み上げブーツに足を入れながら、彼がぼやいた。一応靴下みたいなものもある。伸縮性がない代わりに足の大きさにぴったりなサイズでできている。さすがに素足にブーツは嫌なのか、靴下着用だ。同じく私も。

「だよね。いちいちブーツ履くの面倒くさい」
「いっそ裸足でもいい気がするなぁ。この辺は芝生みたいにびっしり草生えてるし。小石もなさそうだし」
 ぐるっと周りを見渡した彼は、ハーフパンツ一枚で寝るつもりなのか、シャツすら着ていない。もしかしたら、今までもそうだったのかもしれない。
 特別鍛えられているわけでも、かといってあばらが浮いているわけでもないその身体は、適度に筋肉がついた中肉高背だ。私は小肉中背。ものすごくどうでもいいことが浮かんで消えた。眠い時ほど、どうでもいいことが頭に浮かぶ。

「家の中では靴脱ぐ?」
「そうする。明日床掃除しよう。最初からそうすればよかった」
 彼は、失敗したとでも言いたげな表情を見せながら、家に向かって歩き出した。
 朝、洗って枝にかけていた服は、すっかり乾いていた。それを急いで回収しながら彼の後に続く。

 朝──普通にそう考えてしまう。ここには朝も昼も夜もないうえに、昨日と今日の境界もない。生活リズムが完全に体内時計頼みなのが、なんとも心許ない。



 家に戻り、小部屋のベッドにシーツを広げながら声をかける。

「やっぱり一緒に寝るの?」
「一緒に寝る。この敷き布団? 敷き毛布かな? これ二枚重ねないと眠れない。一枚は無理」
 そこはきっぱり断言された。ベッドでしか寝たことがない彼は、煎餅布団で寝ていた私よりその点ではひ弱だ。

「ごめん。のぞみはやっぱ嫌だよね」
 眉を寄せたしょぼくれ顔。思わず笑いそうになって、慌てて首を横に振って誤魔化した。

「別に嫌じゃないけど、男子は色々大変なんじゃないの?」
「そこはなんとかする」
 なんとかなるものなのかはさて置いて、実際二枚重ねの方が格段に寝心地がいいのは間違いない。おまけに寝ている間中あたたかいのも悪くない。

 ここに気温の変化があるのかないのかはわからない。今は半袖では少し肌寒いような、そんな気温だ。

「寝る時くらいは家の中暗くしたいな」
「無理じゃない? 電気もないのに明るいもん」
「だよなぁ」
 話しながら、彼は靴と靴下を脱ぎ、足元に畳んでおいたブランケット代わりのマントなのかコートなのかを広げながら、ベッドに横になった。

 家の開口部は、六十センチ角ほどの窓がひとつと扉がひとつ、小部屋に三十センチ角ほどの小さな窓ひとつあるだけだ。今までの環境ではどう考えても家の中は薄暗くなるはずなのに、明かりがなくとも屋外同様明るい。空気中にエネルギーが充満していて、それが明るさを保っているのだとしたら、暗くなるわけがない。

 彼の隣に寝転がり、ブランケット代わりを身体に掛ける。意外と狭い。互いの腕がしっかりと触れる。
 悩んだのは一瞬。あれは何ものにも代え難い。

「のぞみ? 何してんの?」
 彼の腕を持ち上げ、その中にもぞもぞと身体を入れる。頭を彼の脇の上に乗せると、ちょうどいい枕代わりになる。

「ん? 腕枕。快適だったから。ダメ?」
「いや、いいけど……」
 本当に汗臭い人じゃなくてよかった。好きな人の体臭であれば、多少は耐えられるかもしれないけれど。
 ……まさか、私の方がが臭かったりして。

「私臭い?」
 思わず横を向いてそう訊けば、彼は思いっきり顎を引きながら首を左右に振った。よかった。お互い臭くないならそれでいい。ほっとして再び仰向く。頭のおさまりのいい位置をここと決め、おやすみと目を閉じる。
 すぐ隣から、ふーっと深呼吸のような大きく息をつく音が聞こえた。枕代わりの彼の腕から力が抜け、その手のひらが腕に添えられる。そこから心地よい熱が伝わってきて、悪くないなと思った。

 人がこんなにもあたたかいものだとは思わなかった。
 水浴びで冷え切った身体がじんわりと温められていく。それにつれ、身体の力が抜けていく。

「のぞみって、一人でいるのが好きなのかと思ってた」
「好きってことはないよ。転校前はそれなりに友達もいたし。あの高校は、なんか今更輪の中には入れない雰囲気だったから」
「まあな。全員が子供の頃からの付き合いだからな、あそこは」
「でしょ、そこはかとなくよそ者扱いされてたもん」
「悪気はないんだけどなぁ、そんな感じなんだろうな」
「そんな感じだった。私も自分から積極的に近付こうと思わなかったし」
「あー…それはそう思った。だから余計絡まない方がいいのかなって思ってたんだよ」
「そっか。もっとぐいぐい行けばよかったのかぁ」
「まあ、それはそれで鬱陶しがられたかもしれないけど」
「えー…どっちにしてもだめじゃん」
「だなぁ」

 目を閉じてそんな話をしていたら、いつの間にか眠っていた。

 ふと眠りが浅くなるたびに、どこもかしこもぬくぬくとしたあたたかさに包まれていた。かすかに聞こえるのは、耳に心地いいゆったりとした息遣い。
 とろけるようなまどろみの中、どうしようもなく涙が零れた。その涙すら、あたたかかった。