青の深淵
二人ぼっちの異世界トリップ05 ツタ
「ねえねえ、どこかに縄の代わりになりそうなツタみたいなの生えてないかな」
「なんに使うの?」
「洗濯物干すのに」
開け放されている扉の先に見えるのは、木の枝に引っかけて干してある私の服だ。
家の中から声をかけると、赤い実の種を割ったあと、屋外でそのまま手足を投げ出して寝そべっていた彼が勢いよく身体を起こした。
「探しに行く?」
「ついでにあの赤い実以外の食べ物もないか探そうよ」
そうだな、と言いながら立ち上がった彼が、家の中に入ってきて鉈を手にした。私は先ほど見つけた一メートル四方の布を二枚持とうとして、自分の姿を見下ろす。
「あのさ、ひかりのシャツとカーゴパンツ借りてもいい?」
「いいけど……ああ、そのワンピースは動き辛そうだよなぁ」
「この下に、たぶん下着代わりなんだろうけど、膝下まであるハーフパンツっぽいのと、タンクトップっていうかビスチェみたいの着ているから、それでもいいといえばいいんだけど、やっぱ寒いかな」
「寒いんじゃない? 俺この厚手のシャツ一枚着てちょうどいいよ」
スカートの裾をめくって見せてみたら、本当に微妙な顔をされた。真っ白じゃなく生成り色というのも中途半端に思える。
ちなみにまるで下着には見えない。生地も厚手で見られても恥ずかしくないものだ。幅広の肩紐と小さな前ボタンの付いたビスチェのようなものも、色っぽい感じではなく野暮ったい感じ。おそらく彼の下着も似たようなものだろう。
「スカートの裾切ろうかな」
「もったいなくない?」
「だよねぇ。三着しかないし」
話ながらワンピースを脱いで、彼が出してくれたシャツを羽織る。
「ってか、この格好でもよくない? このシャツの裾長めだし」
「んー、一応これも履きなよ。万が一何かでかぶれたら嫌だろう?」
おしりや太ももまですっぽり隠れたシャツの袖をまくっていたら、カーゴパンツも出してくれた。が、ウエストがぶかぶかだ。ベルトがないのでどうしようもない。サスペンダーが付いているものの、その長さも私には合わず、調節もできない。
「ひかりって意外とウエスト太いんだね」
「普通だと思うけど。のぞみが細すぎるんだよ」
まあ、そこは否定しない。スタイルがいいという意味の細いではなく、女らしさの欠片もないがりがりの方の細いだ。
「これ膝下まであるし、ブーツとの間はほんの少しだから大丈夫だよ」
自分の足を見下ろしながらそう言えば、「うーん」と難しい顔をしながらも、仕方がないとばかりに頷かれた。
昨日とは反対方向の森に入る。下草はくるぶしくらいの高さまでしかなく、特にかぶれの心配もなさそうだ。
私以上にほっとして見える彼は、もしかしたら案外心配性なのかもしれない。
どのくらい歩いただろう。
息が上がり始めたところで、木に巻きついているツタのようなものがいくつも生えている場所に出た。何本か根元から切り、巻きついているツタを力任せに外していく。思いの外頑丈だ。彼が少し太めのツタを外している横で、それよりも細めのツタも集める。何かに使えそう。
「一本三メートル、四メートルはあるかなぁ。三本くらいでなんとかなる?」
「ならなかったらまた採りに来ればいいよ」
「だな」
ツタの葉を落としながら束ねていく。丈夫な上に柔軟性もあってなかなか使いやすそうだ。束ねながら周りを見渡していると、ふと黄色が目に飛び込んできた。
「ねえ、あれ。なにかの実だよね」
指さしてその方向を示せば、彼の目にも黄色が映ったのか、ツタを束ねながらその方向に歩き出した。すかさず後をついていく。
「食べられそうだな」
黄色いナスのような形の実を見上げて、彼が呟く。赤い実の木よりも少し高い木だ。枝の広がりもあまりない。
「とりあえずいくつか採ってみる」
採ったばかりのツタをロープ代わりに枝にかけながら、なんとか木によじ登った彼が、上から黄色の実を、「重いよ」と落としてくる。ナスほどの大きさに見えたそれは、落ちてきてみればリンゴほどの大きさで、ずっしりと重い。
四つほど落としたところで、彼が木から下りてきた。ふと見たその手のひらは擦り剥けて真っ赤だ。すごく痛そう。顔を上げると、見つかったと言わんばかりに苦笑いされた。
「大丈夫?」
「平気。ちょっとひりひりするけど」
慌てて持っていた四角い布を渡して真っ赤な手のひらにあてる。彼が再び持とうとしたツタは、とりあえず全部私が持って、風呂敷代わりの布に包んだ黄色い実は背中に斜めに背負った。
「どっちか持つよ。重いだろう?」
「平気。それより先に行って泉で手を洗った方がいいよ。万が一ってこともあるんだから」
よからぬ感染症にでもかかったら、薬もワクチンもないここではあっさり死にそうで怖い。
「大丈夫だよ。頭にも大丈夫って浮かぶし」
「それでも。いいから先に行って手を洗って」
暢気な彼が心配になる。感染症は大丈夫でも、かなり擦り剥けているのだからちょっとどころかかなり痛いはずだ。ひりひりとした痛みを想像し、顔をしかめてしまう。
「じゃあ一緒に急いで戻ろう」
私を一人にするのが心配なのか、そう言いながら歩き出した彼の後ろを追う。
「のぞみ、方向音痴だろう?」
振り向いた彼の声に、なぜ知っているのかと驚いて目を瞠れば、少し呆れたように笑われた。
「昨日の帰り、ことごとく違う方向に歩き出そうとしてたから。誰でもわかるよ」
前を向いた彼の後を、無言で追った。
背中に背負った黄色い実が、思った以上に重かった。それ以上に心が重い。
彼が木に登るのをどこかで当たり前だと思っていた。もしかしたら、昨日も手を擦り剥いていたのかもしれない。それに気付かないどころか、気にもしなかった。
さっきだって、たまたま目にしなかったら、きっと彼は何も言わずその手のひらを隠したていただろう。
泉が見えてきたところで彼の足が一層速まり、ついには駆け出した。それにさらに落ち込む。きっと今まで私の歩く速度に合わせてくれていた。本当は一刻も早く手を洗いたかったのかもしれない。
申し訳なくて情けなくて、泉が見えていることに安心したせいか、一気に足取りが重くなる。
彼の服は私が洗おう。私は木に登れない。だったら、代わりに私ができることをしよう。
できれば対等な関係でいたい。彼の負担にはなりたくない。彼にまで捨てられたくない。ここでまで粗大ゴミにはなりたくない。
「のぞみ?」
いつの間にか戻って来ていた彼に声をかけられ、驚いて顔を上げれば、彼の方が驚いた顔をした。
「大丈夫? 重かっただろう?」
背負っていた木の実入りの布を軽々と抜き取られ、それを片手で持ち、束になっているツタまでもう一方の手で持った。
あっという間の出来事に、慌てて荷物を取り返そうとする。
「大丈夫だよ。ちゃんと手は洗ったから」
それに反射的に頷けば、彼はさっさと歩き始めてしまった。
もしかして、先に行ったのは私が手を洗うことを強要したから? それでとにかく先に手を洗って、荷物を持ってくれようとした?
慌てて後を追いながらそう思い至り、気遣ってもらえたことが、泣きそうなほど嬉しかった。
「ひかり、ありがと」
それまでとは違い、ゆっくりと前を歩く彼にそう声をかけると、振り向くことなく「どういたしまして」と、なんてことない声音が返ってきた。
ここに一緒に来たのが彼でよかった。
そのとき、しみじみそう思った。
家に着き、彼の姿が見えなくなったと思ったら、両の手のひらをしかめっ面で眺めながら戻って来た。
「やっぱり痛い?」
見て、と目の前に差し出された手のひらには、あったはずの擦り傷がきれいさっぱり消えていた。驚いてその手を取り、顔を近付けまじまじと眺める。傷どころか痕すらない。
「どうなってるの?」
「あー…、うん、万能薬を使ってみた」
慌てて彼の手を離すと、「ちゃんと洗ってきたから」とむすっとされる。
「結晶を粉にして手にすり込んだら、なんかきらきらして、傷が消えたっていうか、癒えた?」
「なんっていうか、びっくりするより微妙すぎてなんって言っていいかわかんない」
「俺も」
「でも、一応集めておいた方がいいのかなぁ」
「そうかもね。いざっていう時に都合よく出るかわかんないし」
実は、あまりトイレに行きたくならない。いまだ固形燃料がどんなものなのか、私も彼も知らない。ここに来て彼は二度目の結晶化だ。私はまだ一度だけ。
「入れ物がないんだけど……どうする?」
「とりあえず固形燃料入れに。あとで蓋になりそうな何か探してくる」
「固形燃料は?」
「あーっと、その辺に?」
その辺──本当に微妙すぎて情けなくなる。つくづく好きな人と一緒じゃなくてよかった。
「異世界って微妙なんだね。こんなだって知ってた?」
「いや。もうちょっとこう、殺伐とした冒険系かと思ってた」
「だよね。こんなまったりした感じじゃないよね」
椅子に座った彼が、「だなぁ」と声を上げながら、ナイフで黄色い実を半分に割った。洋梨をもう少し細長くしたような実は、半分に割ると中はメロンのように真ん中に米粒ほどの種がみっしり詰まっている。
「この実はただの食料っぽいなぁ。頭に食べられるとしか浮かばない」
中の種をどこに出そうかと目を彷徨わせたので、とりあえず両手を差し出した。遠慮なく手の中に種が落とされる。家から少し離れた場所に種を捨て、泉で手を洗って戻ると、マンゴーのようにさいの目にナイフが入れられ、皮がぺこっとひっくり返っていた。
「食べ方知ってたの?」
「いや、なんとなくこんな感じかなって。なんか、マンゴーぽい果肉だったから、まねしてみただけ」
いただきますと、二人同時にかぶりつく。まったりとした食感はマンゴーと言うよりアボカドみたいだ。それなのに、味は柿に似ている。
「思ったよりも甘いね」
「うん。悪くはないけど、飽きそうだな」
確かにそんな感じだ。甘さに少しくせがあって、しかも食べ進めていくうちに舌に渋みを感じる。
「なんか、生で食べるより、火を通してアク抜きした方がいいのかなぁ」
「そうかもなぁ。これより赤い実の方が食べやすい」
「干し柿みたいに干したらおいしいのかも」
「色々試してみるか」
とりあえず、お互いの半分以上残っている黄色い実を、干してみることにした。太陽の光があるわけではないここで、ドライフルーツになるのかはわからない。