青の深淵
二人ぼっちの生きる意味33 渇き
降り立ったその一帯は、旱魃とは真逆の泥濘だった。
本来、水中のような場所であるこの世界では、ぬかるんでしまっているこの一帯は、元いた世界でいうとことの干上がっていることと同義らしい。頭の中にたくさんの疑問が浮かぶも、そういうものだと理解しておく。きっと言葉が上手く変換されていないのだろう。
泥濘といっても泥のようなものではなく、水浸しの砂地のようで、歩くとその足下にじんわりと水が染み出してくる。正しい状態だと、水が染み出してこないパラディススのような大地になるらしい。
間違いなく旱魃という言葉がおかしい。おかしいけれど、よくよく考えると間違ってはいないような気もして、なんとも理解に苦しむ。
この地を潤してほしい。それが、ここに棲む者たちの切なる願いだ。
それは、心の大部分を占めていた、他人事、面倒くさい、という気持ちをそこそこ覆すほどの強い願いだった。
干上がった大地に作物は育たず、疫病が蔓延する。実際にここに棲む多くの年寄りはその疫病の犠牲になったらしい。もともと育ちにくい子供は第二成長を遂げずに死に至る。
ひとまず、第二皇子に念のためにと持ってきていた万能薬を渡す。現状病と闘っている者には効果があるはずだ。
第二皇子はそれをそのまま第十一都市の年若い長に譲り渡した。サンちゃんなら間違いなく半分、うっかりするとその大部分を自分の懐に入れるだろう。サンちゃんの評価が底辺を突き破りそうだ。
その第十都市の長も、すぐさまそれを重篤患者から与えるよう指示を出し、集まっていた者たちがあっという間に動き出す。よく訓練されているな、と感心する一方で、それほど切羽詰まった状況であることも理解する。
ふと、かすかな寒気を感じた。
ふるっと身体を震わせた私に、密着している彼が気付かないわけもなく、ひとまず休ませてくれるよう第二皇子に伝えてくれた。
これまたあっという間に白亜のお城のような場所に案内され、おそらく一番豪華な部屋に通される。
ただ、その全てが石造りだ。ソファーらしきものも、テーブルや椅子も、全てが石で作られている広々としたワンルーム。どこで寝るのかと見渡せば、数段高くなった床に敷かれているラグの上だと、言われなくともわかってしまった。サンちゃんの寝姿が目に浮かぶ。
何くれと世話をしようとする者たちを全て断り、彼が部屋をラップで覆った。
「俺が一刻も早く家に帰りたかった気持ち、わかってくれる?」
その情けない顔に笑ってしまう。笑った途端、再び寒気に襲われ、ぶるっと震える。
「なんか、寒いんだけど」
「わかってる。俺の血の効果が切れそうなんだよ。まだ完全に馴染んでないからか、ここではもって丸一日だな」
そう言いながらマントコートが彼の手で脱がされ、自らもそれを脱ぐと、カーゴパンツのポケットに忍ばせていたナイフを取り出し、その指先を傷つけた。
ふわっと漂う花の香り。それを吸い込んだだけで、たちどころに足の間からきらめきが舞い上がる。
「あ、万能薬……」
「あー、渡しちゃったね。でも取り込まないと。どうする? しながら取り込む? のぞみ、準備万端だろう?」
いやらしく笑うのはやめてほしい。
いつの間にか、セックスの最中に彼から香る花の匂いをかいだだけで、足の間からきらめきが立ち上るようになってしまった。
その香りを凝縮した彼の血の匂いは、足の間を湿らせるどころか滴るほどに体中を疼かせる。
それを中和してくれるのは、あの万能薬か彼の精液で、そのどちらかを取り込まないと身体はずっと燻ったままになる。
血の匂いをかいだだけでこれだ。取り込んだらもう、ただの痴女になる。すでにもう、欲しくて欲しくて堪らない。
「俺、片手使えないから、のぞみ、自分で入れる準備して」
まるでルビーのような真っ赤な一粒をのせた指先が、鼻先で揺らされる。その艶香に惑わされる。
恥ずかしさよりも疼きが勝る。
自分からハーフパンツを脱ぎ、彼のカーゴパンツを下着代わりのハーフパンツごと引きずり下ろす。すでに準備万端なのは彼もじゃないかと思いつつ、ラグの上にあぐらをかいたその上にワンピースをたくし上げながら跨がった。
「ほら、自分から腰落として。俺片手使えないから、自分で入れて。それとも、あそこで直接血を取り込む?」
かわいい顔に凶悪さを浮かべて、深紅の粒をこれ見よがしに目の前に差し出される。口から摂取してあの痴態なら、直接体内に入れられたら間違いなく狂う。
その恐怖に震えながら、いつかそんな日がくるかもしれない期待に目眩を覚え、足の間からそれまで以上のきらめきを立ち上らせた。
「なに、想像した? そうなったら、どれだけ乱れるんだろうね、のぞみは」
凶悪な顔でくつくつと笑いながら意地悪を言うその口を塞ぐ。仕返しとばかりに口内をくまなく犯された。
彼の片手で狙い定められたそこに、ゆっくりと腰を落としていく。入り口に宛がわれただけで伝わってくる熱に、お腹の底がざわめきながらとろけだす。円を描くように入り口の回りを刺激され、のみ込もうとするたびに一番敏感な場所を擦りつけるように狙いが外される。焦らされる。それなのに気持ちいい。だから早く欲しい。
「俺のに滴ってくる」
含むように笑うその青に色がのる。煽られる。さらにそこが潤んでいくのが自分でもわかる。目映いほどのきらめきに彼の笑みが深まる。
ぐちゅっ。自分の身体がこんなにもいやらしい音を立てるだなんて、彼に出逢わなければ知らなかった。
淫らな音を立てながらその先をのみ込めば、のけぞるほどの気持ちよさに、熱く湿ったため息が彼の名前とともに零れた落ちた。
全てをのみ込む直前に彼の指が口に入れられ、その瞬間、全身が沸騰する。口の中に広がる淫靡な甘さと、むせかえるような花の香り。欲しいままにその指に舌を這わせ、本能のまま舐めしゃぶる。甘く香る吐息が絶え間なく滴り落ち、腰が勝手にくねり出す。
口内から指が引き抜かれた途端、ぐっと力任せに腰が掴まれ一気に落とされた。打ち込まれた最奥が悦楽に震える。口から零れ落ちるのは悲鳴のような嬌声。自分の内側がこれでもかと彼を抱き締める。
勝手に振り動く腰が止まらず、その強すぎる快感に狂おしいほど激しさが増す。
きもちいい。もっとほしい。彼だけが欲しい。彼しかいらない。
怖いほどの快楽に、頭の中が焼き切れそうだ。全身が熱くてたまらない。擦られる身体の中が熔けてしまいそうなほどの熱を生む。
「かわく……」
身体の奥が渇く。潤いが欲しくて、自らの唇をゆっくりと舌で潤す。そのまま彼も潤したくて、彼の唇に舌を伸ばし、何もかもが潤うようにとひと舐めする。
細められていた黒が、一瞬大きく見開かれ、青が爆ぜた。
勢いよく身体を押し倒され、激しすぎるほど腰を打ち付けられる。乱暴なほどに快楽が積み上げられていく。
聞こえてくるのは、粘ついた水音と打ち付けられる肉の音。そして、自らの絶え間ない嬌声と、彼の激しい息遣い。
「のみ込め!」
その言葉が与えられた瞬間、それまで積み重ねてきた快楽が一気に崩れ落ちる。絶頂の果てには何があるのか。渇いた身体が潤っていく。
いつの間にかはだけていたワンピース。ビスチェのボタンが外され、その隙間から入り込んだ大きく熱い手のひら。鷲掴まれた胸。これでもかと起ち上がったその先を、ぐりっと指の腹で押し潰される。
潤ったはずなのに、中和されたはずなのに、その熱が冷め切らず、中にいる彼の熱も冷め切らず、再びゆっくりと動き始めた彼に、絶頂を迎えたばかりの身体が悲鳴を上げる。
「や、むり」
「大丈夫、ゆっくり動くから」
その言葉通りゆっくりとした動きが続き、いつしかそれにもどかしさを感じ始める。体中を這い回る指先がそこかしこに再び熱を灯していく。せつなさに涙が零れる。
「のぞみ、腰動いてる」
「だって……」
緩やかな刺激が物足りない。ぎゅっとつままれた胸の先の強い刺激に、身体が跳ねる。それでも足りない。
「ちゃんと言って」
「ひかり、うご、いて」
「動いてる」
潤んだ視線の先の細められた黒が、艶色を纏って突き刺さる。見ないで、そう思う一方で、もっと見て、と何もかもをさらけ出したくなる。
「や、もっと」
「もっと?」
ゆっくりと快楽が浅い場所だけを刺激される。
もっとほしい。たくさんほしい。奥まで欲しい。彼だけが欲しい。
「たくさ、んっ」
「たくさん?」
「おくまで、きて、ひかりっ」
羞恥で体中がぎゅっと縮こまる。くっ、と息を詰めた彼の動きが、望み通り最奥までひと突きし、一気に腰を打ち付け始める。気持ちいいところをこれでもかと擦られ、突かれ、快楽が叩き込まれる。
一度悦楽に沈んだ身体はあっさりその虜になった。
これだけ息をあげ、熱を放ち、身体を動かしても、汗ひとつかかない。あれほどの渇きを覚えても、喉が渇くわけではない。どれほど声を上げようと嗄れることもない。水中という意味をこんなところで実感する。
そういえば、見えていた景色に、川も海も湖もなかった。山脈や渓谷はあってもそこに水はない。それはここが本当に水中だからなのかもしれない。
「涙が結晶化してる」
指先に拾い上げられたそれは、まるで小さなダイヤモンドのようなきらめきだった。
「きれー」
「下だと涙が結晶化するんだな。上では結晶化しないのに」
何気なくだろう、彼がそれを口に含んだ途端、目を丸くした。
「なんだこれ、甘い」
一粒口に入れられたそれは、彼の血のように甘く、メレンゲのようにあっという間にほどけて消えた。
服を完全に脱ぐことなく、中途半端な状態で事を終えた後の間抜けさは、どうにかならないものかと思う。
「がっついた感じがして悪くないけど」
「そのがっついた感じが、冷静になった途端馬鹿みたいに思えるんだってば」
少しむっとしながら、服の乱れをなんとか整えようとする。
「のぞみが俺だけを欲しがってるの、かなり好きなんだけど」
どうしてこう彼はあけすけなのか。おまけになんとなく歪んだ発言だ。呆れているのが顔に出たのか、笑いながらキスで誤魔化された。
「ひかりしか欲しくないから」
恥ずかしさを押しのけて、ちゃんと言葉にして伝えたら、それはもう嬉しそうに笑ってくれた。唇から伝わってくる強い想いは、何よりも安らぎを与えてくれる。自分の居場所を教えてくれる。それがどれほど幸せかなんて、きっと彼なら、言わなくてもわかってくれる。
指先に力が入らず、なかなか留め終わらないのを見かねた彼が、ビスチェの小さなボタンを器用に留めてくれる。
「これ、別に着なくてもいいじゃん。ワンピースだけでも」
「そうだけど」
「その方が、しやすいし」
何を? と訊く気にもならず顔をしかめる。これからも絶対にビスチェは身に着けよう。ワンピースのボタンも全て留められ、いつもより背中が痛い、と文句を言うその腕に抱えられ、まどろみに沈む。
そのまま一眠りして目覚めたら、なぜか干上がっていた大地が潤っていた。
「のぞみが潤ったからだろうなぁ」
意地悪そうな顔でそんなこと言うのはやめてほしい。
私たちがこの世界に影響を与えるとは聞いていた。ただ、こんなふうに直接的な影響だとは思いも寄らなかったせいか、精神的ダメージが大きい。しかも、あれがそれして潤ったというのは、本当に嫌すぎる現象だ。いたたまれない。
できるならなんとかしたい、そう思う気持ちは本物だったけれど、この結末には頭を抱える。できるだけこの世界とは関わらない方がいい。羞恥の隣に深く刻み込む。
私たちが滞在していた部屋から、神々しい光が何度も溢れたそうな……。
涙を流さんばかりに感謝する第十一都市の代表者たちに、彼が素知らぬ顔で適当に応えている。フードの影に隠れた顔が引きつる。本当にいたたまれない。
そして、彼が同行していた第二皇子を近くに呼ぶと、私たちにもわかるようにだろう、白く色付いたラップがその周りを完全に覆った。
真っ白な空間に三つの存在。
「お前もあの万能薬ひとつまみ口にしろ。いいな」
念を押すようなその言葉に、手足を地につけ、顔だけを上げていた第二皇子の目が大きく見開かれた。
続けて、集めておいた私の涙の結晶を与える。
「それでおそらく一時的な力がつく。あとは努力して上まで来い。お前はお前の信念のままに動け」
よくわからないので黙って成り行きを眺める。
ただ、サンちゃんの野望がこれによってへし折られるだろうことは、なんとなくわかった。
第二皇子の背中の飛膜は、色を失っている。それでも必死に飛んで、私たちをここまで連れてきた。途中、何度も護衛の人型翼竜に支えられ、一瞬たりとも速度を落とすことなく懸命に飛び続けた。
おそらく色を失った飛膜では、高くも早くも長くも飛べないのだろう。
本来なら、第一の遣わされしものであり、力のあるサンちゃんが私たちとともに来るべきだった。
この瞬間から、おそらく第二皇子が第一の遣わされしものになる。
そのまま私たちは、事態が終息したのをこれ幸いと、逃げるようにパラディススへと戻った。いたたまれなさと、歌いたくないから逃げたのが本音だ。