青の深淵
二人ぼっちの生きる意味
32 十四


「誰?」
 わかっていてあえて口にした。その途端それは、よろめきながら大げさなほど天を仰ぐ。本当にリアクション芸人になればいいと思う。

 サンちゃんの本来の姿は、全くもってかわいくない。
 青緑の色はそのままに、ぐうんと大きくなったその姿は、彼よりも背が高い。人と同じ姿勢で立っている彼らは、両足と尾の三点でバランスを取っているようで、のっぺりとしたトカゲのようなサンショウウオのような顔つきはそのままに、相変わらず偉そうに仁王立ちしている。
 耳のないつるんとした頭部、高さのない鼻孔、まさにトカゲやサンショウウオのようなその姿は、シルエットだけ見れば尾のある人、けれど人とは全く違う生きものだ。

 しかもだ。その衣装がどこからどう見ても古代ローマ人。なぜ服は進化しなかったのかと頭を抱えた。足下は編み上げのサンダル。手の形はほぼ人と同じ。けれど足の形は少し違う。人の足の指よりも長く、手と似た位置に親指がある、手と足を足して割ったような形だ。

 案内されたクリスタルのお城は、全てが透明や白っぽい石でできている。テーブルも椅子も、全てが石。石なのに、軽々とそれを動かしている。見た目が石の別素材なのか、水中だから浮力が働いているのか、頭にたくさんの疑問が浮かんだものの、とりあえず脇に置いておく。どうせ説明されたところでよくわからない。

 問題は、なぜ私が彼の膝の上に乗せられて座っているかということで。しかも離してなるものかと両手でぎゅっときつく抱きしめられている。
 大観衆の前で盛大な告白劇をやらかし、我に返った途端羞恥に沈み、腰が抜けた私を嬉々として抱き上げようとする彼に精一杯抵抗し、腰を支えられながらここまで連れて来られ、にこにこ顔の彼の膝の上に横向きに抱えられている。

「なんで?」
「俺のものアピール!」
 なぜそうもご機嫌なのか。

「本当は?」
「こうしてくっついてないとのぞみが奪われそうだから」
「ひかりもでしょ?」
 途端、嫌そうに眉が寄せられた。思わず笑うと仕返しに脇腹をくすぐられる。

 本当はぎゅっとしがみつきたい。大好きだということを全身で知らせたい。たくさんキスして想いを伝えたい。今はとにかくくっついていたい。
 けれど私には羞恥心というものがある。いくらフードを被っているとはいえ、さすがに人前は恥ずかしい。自分からは無理だ。
 それがわかっているからなのか、彼が抱きしめてくれることが本当は嬉しくて仕方がない。ほんの少しだけ彼に寄りかかると、抱きしめる腕の力も少しだけ強まった。嬉しくてにやけそうになるのを必死に堪える。人目があっても嬉しいものは嬉しい。



 この透明なお城は神殿のようで、その大聖堂のような場所の一番奥、一番高い場所に設けられている大層立派な石の椅子に座っている。私のためにとこれまた立派な椅子が急ぎ用意されたものの、使わず仕舞いだ。

 どうやら彼のことを「天上の主」と呼んでいることがなんとなくわかる。さっきからサンちゃんが偉そうに講釈をたれていて、しきりにその言葉が繰り返されている。
 しかもサンちゃんの胸にはあのオパールが宝石のごとく輝いていて……本当に微妙な気持ちになる。

「あれ、動力源なのになんだかメダルみたいに首にかかっているけれど、いいの?」
「いいもなにも、どう使うかはチビの勝手だろう?」
「そうだけど、見せびらかしてるみたいに見える」
「見せびらかしてるんだろう。あいつは本当、なんか色々間違ってるよなぁ」
 互いにしか聞こえない声で、こそこそ話す。

 少しでも声が周りに漏れるとうっとりされてしまうそうで、私たちの周りには声が漏れないよう彼のラップが薄らとかけられている。小声で話す分には漏れないけれど、しっかりと声を上げれば相手に伝わるようになっているらしい。

「あのさ、なんで影があるの? 上にはなかったよね、影」

 下に降りて気付いたのは、影がちゃんとあることだ。大気そのものがきらめいていたせいで、私たちがいたパラディススでは影はできなかった。仄かな暗がりを作ることはできても、影はできない。
 けれどここには影があり、光が真上から届いている。

「俺たちがいた場所、あれが太陽みたいなものなんだよ。ほら、泉の水が底に染みこんでるって言っただろう? あれが染み出して光になってる」
「じゃあ、私たちがいた場所って宙に浮いてるってこと?」
「まあ、考え方としては間違ってない。空飛ぶ島って、ガリバー旅行記にあるだろう? あれって第七世界の様子を描いたものなんだ。その第七世界の影響を受けている第八世界にも、それがあるってわけ。それが俺たちがいた場所」
 ふーん、そう呟いたらなぜか頬と頬がくっつき、頬で頬が撫でられる。フードが脱げてしまいそうで、慌てて押さえた。

「のぞみってさ、あんまよくわからないけど別にどうでもいいやって時に『ふーん』とか、『へーえ』とか呟くよな」
 声音を真似しながら言われて、むっとする。

「ほかにどう言えと? 意味わからん! とか叫べばいい?」
 くつくつと笑う彼にむっとする。

「馬鹿にして」
「馬鹿にしてないよ。俺も似たようなもんだからさ。自分見てるみたいでちょっと面白いだけ」
「大概の人はそうじゃないの? 他に言い方ないし」
「いやあるだろう。世の中の人はもっと上手く取り繕うよ」
 ぐっと言葉に詰まって黙り込めば、それがさらにおかしかったのかくつくつ笑いがしばらく続いた。むっとしながらも、その微かな振動が心地いい。彼が笑っているだけでなんだか幸せな気持ちになる。

 その間にようやくサンちゃんの大演説が終わったのか、満足そうな顔で振り返られる。ドヤ顔だ。大きな姿のサンちゃんの表情は無駄にわかりやすい。

「で、要約すると?」
 彼のその冷めた一言に、一瞬うっとりしかけ、大げさなほどショックを受けたように目を見開いたリアクション芸人は、次の瞬間には小さく舌打ちしながら「天上の主、ご降臨」と声高に叫んだ。

 舌打ちが耳に入ったであろう彼の周りにいる者たちの冷たい視線と慌てたような仕草に気付かないサンちゃんは、すでに跡継ぎ候補から外されてる。間違いない。当然、聞こえないふりをしてくれている彼にも気付けない。
 世界一の宗教国であるこの国で、神のような存在であるはずの彼に対し、いくら皇子といえどもサンちゃんの行動は目に余る。親しさではない傲慢さが端々に見え隠れしている。仲のいい友達ですらそれはないと思うような態度。
 端で見ているとわかりやすいほどの危険性に、サンちゃんは威張り散らしているだけで気付く素振りもない。



 前回途中退場した彼から学んだのか、各国代表が一堂に会しての顔合わせとなった。
 さっきの壇上でもそうだったけれど、フードすら取らないのは失礼ではないかと思うものの、彼がその方がいいと言うので、それに従っている。どうにも失礼な気がして落ち着かない。

 この世界の主立った国は十四あり、色とりどりの衣装は各国の色を表しているらしく、その中で白を纏うのは私たちだけだ。青もない。どうやら白は天上の色、青は世界の色らしい。フードまで被っている私たちは白の塊に見えるだろう。
 よくよく彼らを見ていると、背にある飛膜や尾の存在から、その服が合理的なのだとわかる。サンちゃんのようにサンショウウオ寄りの顔もあれば、トカゲのような顔もあり、カメレオンみたいな顔もある。青緑の肌もあれば、緑、黄緑、オレンジがかっていたり、紫がかっていたりと、かなり個性的だ。

「なんか、十四って数字が象徴的なんだけど」
「ああ、ここって十四がひとつの区切りなんだよ。十四進法? そんな感じ」
 思わず「へーえ」と口走れば、その途端吹き出すように笑われた。感じ悪い。

 高みから見下ろしている自分たちの存在があまりにも意味不明で、どうして自分たちがこうまで傅かれているのかの意味はわかっても、心情的には理解できない。そういう存在だから、の一言で片付けられてしまうこともそれに拍車をかける。

 よく神話に出てくる神様の自分勝手さや自由奔放さに呆れたものだが、あれも勝手に神だと崇めた人たちが作り出したものだとしたら理解できる。
 一方的に崇められ、傅かれ、何かを期待されるのは、かなり気持ち悪い。プレッシャーより不気味さを感じる。

 各国代表が口々に、自国の困った事態を説明されても、だからどうした、自分たちでなんとかすれば、としか思わない。大変ですね、とは思っても、そこでどうして私たちがその事態を鎮めて回らなければならないのかが理解できない。そもそも、八方上手く収められるわけがない。
 神頼みが、こんなに厄介なものだとは思わなかった。

「なんだか面倒だよね。帰りたい」
 思わず呟けば、小さく「帰る?」と耳元で囁かれる。

「えっ? 帰っていいの?」
「いいんじゃない? とりあえず降りたし」
 その彼の軽い一言に、一も二もなく頷いた。

 立ち上がった私たちに、一同が焦ったようにざわめく。その中でも一番年若く見えた代表者の一人が、必死の形相で進み出た。
 どうやら彼の国では旱魃(かんばつ)が続いているらしく、どうにかできないかと、周りの制止も振り切って、足下にひれ伏した。よく見れば周りと比べてずいぶんと痩せて見える。その格好もほかの代表者よりも簡素だ。つまり、身体に巻きつく布の量が少ないという意味で。一番無駄に布を巻き付けているのがサンちゃんなのは言わずもがな。国王である彼の父親よりもふんだんに布が巻かれている。その時点ですでに色々ダメな気がする。

 一瞬彼と顔を見合わせる。
 水の中なのに旱魃? 思わず小声で訊けば、彼も首を傾げている。

「俺たちでなんとかできるかはわからない、けど、見るだけ見てみる?」
 しばらく考えて、「そうだね」と返した。

 一度こうした行動を起こしてしまえば、その先の事態が予想できて、本当に面倒だとしか思えない。けれど、なんとかできるならなんとかしたいと思う気持ちもないわけではない。そこに命がかかっているなら尚のこと。

 このあと、天上の旋律を再度披露させようと目論んでいたサンちゃんの嫌そうな顔と、その隣にいたおそらく第一皇子と第二皇子の表情が対照的で、思わず笑い出しそうになった。
 さっき広場で私が必死に言い募っていた声が、彼らには天上の旋律に聞こえたらしい。うっとりしたあとの盛大な歓喜を鎮めるのに、サンちゃんはかなりむっとしていた。どうやら自分の意図した瞬間に私の声を響かせようと目論んでいたらしい。

「サンちゃん、いずれ敵になるね」
「だな。さすがにこの状況であの顔はまずいだろう」

 私たちが何とかしようとする気配を察知し、ほっと息をついた第一皇子。その手配にすぐさま声を上げた第二皇子。再び自分の思う通りにならなかったせいで顔を歪めた第三皇子。わかりやすい。彼らの父親は私たちに礼の姿勢を示しながらも、黙ってそれを眺めている。
 どうやら、第一の遣わされしものは、国王と同等の立場となるらしい。だから、誰もサンちゃんを止められない。
 サンちゃんの国は、全ての国をまとめる立場にある第一都市だ。

自分たちではどうにもできず、周辺国からの支援でなんとか凌いできたという、旱魃に喘ぐ第十一都市。そこへと向かう手筈が性急に整えられる。
 どうしてこれほどまで急ぐのかと疑問に思えば、前回いきなり彼が戻ってしまったがために、気まぐれな天上の主の気が変わらないうちにという、切羽詰まった思いが彼らにあるようで、それが言葉の端々や伝わってくる思考から窺えた。まあ、言葉といってもギャィギャィキュワキュワ聞こえているだけだけれど。



 第十一都市は、ここから半日ほど宙を駆けた場所にあるらしい。すねたサンちゃんを置いて、第二皇子が指揮を執り、護衛の人型飛竜たちともに彼の腕に抱えられながら宙を駆ける。
 ゆっくりと尾で舵を取りながら飛膜を羽ばたかせる彼らとは違い、彼はきらめく翼を広げるだけで自在に空を飛ぶ。そのきらめきがまるで飛行機雲のように遙か後方にまで棚引き、これに眼下の翼のない尾の生えた人たちが上空を見上げ、喜んでいるのが伝わってくる。

 天上の主の降臨は、その輝きで示される──そんな言葉が頭に浮かんだ。

「なんだっけ、こういう航空ショーってあったよね」
「あったねぇ」
 呆れたような彼の声に、「運んでくれてありがとう」とその耳元で囁けば、抱き直すふりをして唇が重なった。
 周りに見られているようで、その唇から逃れようと身をよじりかけ、逆に慌ててしがみつく。うっかり手が離れたら死のダイブだ。深まるキスが恥ずかしすぎる。

「大丈夫、フード被ってるから周りからは見えてない」
 キスをしながら器用に囁くその余裕が癪に障る。わざとらしく音を立てて唇を離すのは本当にやめてほしい。

「コマンド使う動力源が、のぞみの体液なんだよ」
「そうなの?」
 驚いて訊き返せば、そう、と再び唇を塞がれる。入り込んできた舌から送り込まれる唾液を、喉の奥へと運び落とせば、その瞳の青が黒へと変わり、その目も唇も柔らかに弧を描いた。