青の深淵
二人ぼっちで一人ぼっち24 自覚
好きだと認めた途端、それまで平気だった何もかもが、いきなり恥ずかしくなった。
水浴びすることも、彼の腕の中で眠ることも、不用意にキスされることも、指先が触れるだけでも。
ただそばにいるだけでいちいち顔だけじゃなく全身が熱くなって、心臓が無駄に騒いで、泣きそうになるほど恥ずかしい。
「のぞみさ、俺のこと好きって自覚したのはいいけど、いまさら恥ずかしがられると俺まで恥ずかしくなるんだけど」
「だって!」
「かわいいからいいけど」
どうしてそうぺろっと口にするのか! それに一気に羞恥が膨らむ。すでに私の羞恥は弾けそうなほどにぱんぱんだ。
一言も自分の気持ちなんて口にしていないのに、こうもはっきりバレていると、もう隠すことが馬鹿馬鹿しくなってくる。
そんなにわかりやすいのか──わかりやすいだろうなと自分でも思うほど、今の私は挙動不審だ。変質者並みに。
「そういうところでイタリア人発揮しなくていいから」
「それ、イタリア人に対する偏見だから。シャイなイタリア人だっているし。だいたい、照れて真っ赤になってるのぞみは誰が見てもかわいいから」
自分が今まで通りにできない以上、今まで通りにしてとは言えない。にやにや笑いながらからかわれることすら、どうしようもないほど恥ずかしい。
恥ずかしさの裏で、鬱陶しがられていないかが気になる。自分がこんな挙動不審なことをされたら、間違いなく鬱陶しい上に迷惑だ。
「迷惑じゃない?」
「何が?」
「こういうの」
「嬉しいって思っても迷惑って思うことはないよ」
ほらおいで、そう言いながら腕を掴まれ、言われたことに胸を高鳴らせる間も安堵する間もなくベッドに転がされる。
今までなんとも思わなかったのに、急に見られたらどうしようなんて今更な恥じらいが出て、焦りながら落ち着きなく水浴びを終え、いざ寝る時になって、今まで当たり前に寝転がっていた彼と同じベッドに入ることができず、ベッドの脇に突っ立ったまま途方に暮れていた。
「今からこんなことじゃ、この先どうすんの?」
「この先って?」
「あのね、今すぐじゃなくてもいいけど、俺のものにするって言っただろう?」
犯すと言われたそれを思い出し、一気にかーっと身体が熱を持つ。
物騒な言葉のはずなのに、彼の口から出ればただ恥ずかしいだけの言葉に変わってしまう。私も大概単純だ。
「そういうかわいい反応されると、今すぐ犯したくなるんだけど」
「ごめっ、今すぐは無理。もうちょっと、色々慣れるまで無理」
「今まで散々してきたことだろう?」
「それでも! ちょっと今は色々無理!」
恥ずかしすぎて吐きそうだ。心臓が痛い。むしろあまりの激しさにいきなり止まってしまいそうだ。
今になって、どれほど彼が気持ちを伝えてくれていたのかがわかる。直接的な言葉だけが嘘くさく誤魔化されていただけで、何気ない言葉ひとつ、仕草ひとつ、キスにいたってはもうそのままダイレクトに伝えられていたのに、それを全て見ないふりをして、頑なに拒んできた。
たくさんの想いを伝えられていたからこそ、安心してその腕の中にいられたと、今なら簡単にわかるのに。本当に私はずるい。
「まあいいけど。健全な十代男子の肉体だから、そんなに待てないのはわかって。それに、下に一緒に降りるなら、そんなに猶予はないから」
「えー…だったらここで待ってる」
「どれだけかかるかわからないよ? 一人で待てる?」
途端に心細くなって、咄嗟にしがみつけば、ふっといつものように息を吐きながら笑われる。
「俺ものぞみ一人残していくのは不安だから、できれば一緒に降りたい」
「降りて何するの?」
顔を上げた途端、あまりに近い位置に彼の顔があって、慌てて離れようとしたら軽く声を上げて笑われながら抱き込まれた。
自分でも馬鹿じゃないかと思うほど、何もかもがいきなり恥ずかしい。それまで平気だったことが、自分のことながら信じられない。以前、彼が男だと自覚した時のように、上手く自分を誤魔化せない。
「さあ。崇められるんじゃないの?」
「いつ帰ってくるの?」
「できるだけ早く」
ふと、ここで待っている方がいいのかもしれない、そう思った。今思い返しても、私に外はキツイ。間違いなく足手まといになる。
「やっぱり待ってようかな。足手まといになりそう」
「足手まといだとは思わないけど……そうだなぁ、何度か俺の血を取り込んで、身体がある程度慣れたとしても、のぞみにあそこはキツイかもなぁ。常に俺のそばにいることになるだろうし、それも窮屈だろう?」
「窮屈だとは思わないけど……でも、私がいるとできない話もあるでしょ?」
うーんと唸りながら考え込んだその顔を腕の中からそっと窺う。目が合わなければ、そこまで恥ずかしくない。
白磁の肌のきめ細かさに、自分の肌が今どんな状態なのかが気になり始めた。鏡のないここでは手触りだけが頼りだ。自分の頬に指をすべらせ、ここに来てずいぶんとなめらかになった肌を確かめる。目の前の白磁との違いを知りたくて、その指を白磁の頬にもすべらせた。
「私よりなめらか……」
怪訝な目線に気が付き、慌てて指を引っ込める。
「俺の肌がなめらかなのは中性だからだろうな。ヒゲも生えてないだろう?」
「んー…生えなくていい。せっかくきれいな肌なのにヒゲに侵されるのはもったいない」
「俺も、せっかくきれいなのに、俺に犯されるのはもったいないって思う」
思わず黙り込んだ。一瞬意味がわからず、次の瞬間に意味がわかり、恥ずかしくなるより先に気が付いた。
「もしかして、私が後悔するんじゃないかって思ってる?」
かすかな強張りが触れている身体から伝わってきた。もしかしたら、私が考えている以上に、それは彼の方に覚悟がいることなのかもしれない。
「正直思ってる。ここに連れてきたことも、俺の血を勝手に与えていたことも、俺の勝手な思惑でのぞみを騙していたから……」
「それは何度も言ってるけど、連れてきてもらってよかったって思っているし、血に関してはここにいる人たちから守ってくれようとしたのもあるんだから、まあ、いいかなって思う」
「それは、今のぞみが俺に好意的だからそう思えるんだよ。何かのきっかけでその好意が悪意や敵意に変わったら、何もかもが裏返るだろう?」
それに晒され続けてきた私は、すぐに答えられなかった。心がぎゅっと痛いほど縮こまる。
目の前にある無機質な青の眼差しにかすかな悲しみが混じり始める。そんな思いはさせたくないのに、それでも答えられないのは、それを知っているからだ。
人の思いは変わる。少しどころか真逆に変わる。愛情が憎しみに簡単に覆る。
「そう、かもしれないけど……それでも私は、今の私と、きっと少し先の私は、後悔しないと思う。ずっと先の私が何を思うかはわからないけど……できればそんなふうには思いたくない」
間違いなく始めは愛されていた。名前にはたくさんの愛情が込められていた。だから、諦めきれずにずっと足掻いてきた。それに縋って生きてきた。愛情が簡単に憎しみに変わるなら、憎しみが愛情に変わるのも簡単かもしれない。そうどこかで期待しながら。
結局、変わることはなかったけれど。
「ひかりが付けてくれた名前がある限り、きっと私はひかりを望む」
縋り付くよりどころがある限り、結局は諦めきれずに足掻き続け、それに疲れて何もかもから逃げ出した。
私に新しい名前をくれた人。今度は逃げずに、最後まで信じて縋り付く。
自分のことを話した。
全部をくれると言った彼に、私の全部を知ってもらおうと思った。
好きな人には知られたくない自分の事情を話すのは、とてつもなく勇気がいった。けれど、話すことで少しでも理解してもらえるなら、話すことで少しでも彼が安堵できるなら、隠しておく必要はない気がした。
「のぞみの感情以外は知ってた、って言ったら、のぞみは怒る?」
「そんな細かいところまで噂になっていたの?」
驚きと同時に、あそこならそうかもと納得する。
「のぞみの引き取り手、まあ、のぞみにしてみれば実の祖父母だろうけど、のぞみが来る前から周りに色々話してたみたいだから……。実の祖父母なのにな。息子の嫁が憎けりゃ孫まで憎い、か。思考回路が親子だな」
彼の静かな怒りを感じて、私も怒ればよかったのかと思った。怒れば何かが変わっていたのかもしれない。以前彼が「俺も笑えばよかったんだ」と言っていた気持ちがわかった。私も怒ればよかった。怒って、喚いて、足掻いて、子供らしく甘えればよかった。
「俺がのぞみのこと捨てるわけない。このうえなく大切にするし、思いっきり甘やかしたい。できればのぞみにも甘えてほしい」
まるで考えていることが伝わったかのように、そんな言葉を心に吹き込まれる。
「十分甘えさせてもらってるけど……」
そう、彼には十分甘えさせてもらっている。いままで生きてきて、こんなに誰かに甘えたことはない。
「足りない。もっと俺がいなきゃ死んじゃいそうなくらい、ダメになってほしい」
それは本当にダメな人だと思う。思わず呆れた目を向ければ、珍しく照れたようにふいっとそっぽを向かれた。
「自分のこと、こんなふうに受け入れてくれた人、のぞみが初めてだから……俺も色々必死なんだよ。初めて自分から欲しいって思ったんだ。そんなのぞみを俺が捨てるわけない」
急にがばっと身体の向きを変え、覆い被さるように真上から見下ろされる。
「俺の気持ちは、簡単に覆るほど軽いものじゃない。だから余計に、のぞみを俺のものにしていいのかわからない」
「そのくらいの方が、私は安心できると思う。きっとひかりが思っているよりも私はずるいから……」
目を逸らすこともできず、正直な思いを告げるのは、息苦しくもあり、心苦しくもあった。
放置という名の自由は、もう十分すぎるほど味わった。何かに囚われ、縛り付けられる安心感がほしい。
胸が締め付けられるほどの息苦しさの中、真っ直ぐに見つめられる青の中に、ゆっくりと沈み込んでいくような幻を見た。
「俺も、のぞみが思っているよりずっとずるくて卑怯だよ」
「ずるいもの同士だね」
思わず笑えば、その笑いごとのみ込まれた。キスが最初から気持ちよかったのは、最初から好きだったからで、好きだと認めた今は、そこにせつなさも混じるようになった。
淡い憧れのような気持ちはそれこそ数えられないほど抱いた。けれど、こんなにせつなさを含んだ気持ちは知らない。せつなくて苦しくて、それでも追い求めてしまう気持ち──それを恋と呼ぶのだと、触れ合う唇に教えられた。