青の深淵
二人ぼっちが生み出すもの
13 両性


「どうした?」
 小首を傾げる仕草が相変わらず妙に似合っていて、以前はなんとなく負けた気がしてむかついたはずなのに、今日に限ってどくんと心臓が跳ねるのはどうしてだろう。
 おまけに、今まで当たり前に入り込んでいた彼の腕の中に気後れする。どうして今まで平気な顔であの中に入り込めていたのか、自分の行動がまるで解せない。

 顔をしかめ、ベッドの脇に突っ立ったまま悶々と考え込んでいると、目の前で寝転んでいる彼から、ふっと鼻で笑うような音が聞こえた。とはいっても、それはバカにしたようなものではなく、気を抜いた感じの笑い方だ。

「もしかして、やっと俺が男だって気付いた?」
 なるほど。そういうことか。
 一気に頭の中が整理されたような気がして、思わず大きく頷いた。

「そうかも。なんか、うん、そんな感じ」
 納得したら妙にすっきりして、彼の隣に潜り込んだ。

 色々わかった上で、腕枕はどうなのかと思ったものの、彼も当たり前のように腕を広げている。その腕の中が快適なことを知ってしまえば、少しくらいの恥ずかしさよりも快適さを優先する。このあたたかさだけは失いたくない。

 ふと間近で見た彼の瞳の色が、それまで以上に青く見えて、思わず口走ってしまった。

「青が濃くなった?」
 その瞬間、彼の身体があからさまに強張った。触れてはいけないことだったかと、咄嗟に謝ろうとして、けれど、謝れば彼は余計に気にするような気がして、結局どうしていいかわからずに、彼の目を見たまま黙り込んでしまう。

 吸い込まれるような青から目が逸らせない。
 肩に回る彼の腕に、ぎゅっと力が込められた。

「俺は……ハーフなんだ」
「そうなんだ。きれいな色だよね」
 強張りの中から聞こえてきた声に沈黙が破られ、それにほっとしながら思うままを答えた。と同時に彼の強張りが緩む。
 間近にある瞳は、光の加減なのか本当にきれいな青がその表面を覆っていた。教室で見ていた時より青が強く出ているような気がする。

「ここは光の感じが違うからかな……」
 目が少し細められると、青が黒に変わる。黒といっても真っ黒ではなく、私と同じような濃い茶色だ。
 不思議な瞳。

 初めて彼の顔をまじまじと見たような気がする。こんな顔だったっけ? 一瞬そう思うほど、それまでちゃんと見ていなかった。けれど、確かに彼はこんな顔で、よく見れば肌はつるつるだし、ハーフだと言われてみれば肌の色も少し青みがかった白とでもいうのか、肌のつるつるさも手伝ってまるで白磁のようだ。元々かわいいと言われていただけあって、中性的に見えなくもない。
 なんだろう、色々負けている気がする。

「ひかりって、男のくせに肌とかきれいだよね」
「くせにってなに?」
 どういうわけか嬉しそうに聞こえたのか気のせいか。目の前の瞳も嬉しそうに細められている。肌がきれいなのは男の人にとってもうれしいことなのかもしれない。

「なんか、色々負けてる気がする」
「慰めた方がいい?」
「むかつく!」
 その言い方が珍しくはしゃいで聞こえて、癪に障る。腕の中から抜け出そうと背を向ければ、背後から両手両足を使ってがっちりホールドされた。背中があたたかい。途端に力が抜けて、そのぬくぬくとしたあたたかさに満足してしまう。

「そういえば、ひかりって顔も小さいし、手足も長いよね」
「そうかなぁ? 普通だろ?」
「たぶんそうだよ。確かクラスの女子とかもそう言ってたもん」
「なにそれ、他人の意見鵜呑みにしてんの?」
「違うよ! 言われてみるとそうだなって納得してんの!」
「今更?」
「今更!」
 真後ろから聞こえた呆れたような声に、本当に今更だな、と思う。

 つい今し方思い浮かんだ「中性的」という印象が頭にこびりついている。だからこそ、こうやって一緒に寝ていても気にならないのかもしれない。時々男子の色々でのっぴきならないことになっていたとしても、それ以上に彼には妙な安心感がある。異性として認識していてもそう感じるのだから、彼は不思議な存在だ。普通ならもっと警戒してもおかしくないのに、性的ないやらしさを感じない。

「のぞみさぁ」
「ん?」
「俺のこと好き?」
「好きだよ」
「あー…それって、恋愛的好きじゃないよね。即答だし」
「たぶん」
 振り向けば、すぐそこで難しい顔をしている。彼のことは好きだ。けれど、男女間の好きにはなりたくない。

「のぞみの好きって、どういう好き?」
「どういうって……人として好きな好き?」
「もし俺が人じゃなかったら?」
 またわけのわからないことを無表情で言う。

 この、時々わけのわからないことを無表情で問い掛けてくるのはなんだろう。無表情ということは大切なことを訊かれているのだろうことはわかる。ただ、毎回言われている意味がまるでわからない。どれだけ考えてもわからなくて、結局最後にはそのうちわかるだろうと匙を投げている。
 けれど、この表情で訊かれたということは、真剣に答えるべきことのはずだ。

「んーと、もしひかりが人じゃなかったら? んー……もしひかりが人じゃなくて、実は謎の知的生命体だったとして、本当の姿が虫とかじゃなければ、まあ中身ひかりだし、って思うかなぁ」
「虫は嫌なんだ」
「嫌だ。もし、ひかりの本当の姿が虫なら、できれば私の前では今の姿のままでいてほしい」
「本当は虫でも?」
「うん。申し訳ないけど、虫だけはちょっとダメかも。慣れるまではたぶん顔が引きつる」
「慣れれば平気なんだ?」
「たぶん。よっぽど……ごめん、慣れないかもしれない」
 生理的に受け付けない姿は無理だ。

「もしひかりが本当は虫の姿で、それが、あの台所のキングとか、無駄に足が多い系とか、毛がもっさり生えてる系とかだったら、本当に申し訳ないんだけど、今のままいてください。見えないところで本当の姿になることは、許す」
「許すって……」
 くつくつとくぐもった笑いが、声を上げてのたうち回るほどの笑いに変わるまでわずか数秒。こんなに笑う彼を初めて見た。ここまで笑われている自分がせつない。真剣に考えたのに。

「だって、私の知ってるひかりは今目の前にいるひかりだし、今まで本当の姿をちらっとも見たことないんだから、そのまま隠し続けることもできるでしょ? もし時々本当の姿にならなきゃいけないんだったら、私の見えないところでその姿になる分には、たとえ本当は生理的に受け付けない虫であったとしても許せるってこと」
 ひーひーと引きつった声を上げながら、お腹を抱え、身体をよじって笑うのはそろそろやめてほしい。やるせない。

「あのさ、そこまで笑うってことは、本当は虫じゃないってことだよね」
「虫じゃないね」
「だったら割といけると思う」
「いけるんだ」
「いける。虫だけは無理」
 涙を流すほど笑っているのを見ているうちに、どうしてかこっちまで笑いがこみ上げてくる。

「ひかりは? もし私が謎の知的生命体だったとして、これだけは無理って姿は?」
「俺、割となんでも平気」
「うそ、虫でも?」
「のぞみ、自分の本当の姿が虫だったら、どうする?」
「えー……それ最悪。あっ、でも自分の姿は自分じゃ見えないから案外平気かも。ってか、見ないようにする。そして常に人の姿で過ごす」
「それが偽りの姿でも?」
「うん。私にとっては虫の姿の方が偽りってことにする」
 いつの間に笑いがおさまったのか、妙な静けさに包まれた。じっと見られていることに少しずつ恥ずかしさが募っていく。それを打ち破るべく声をあげた。

「なに?」
「俺、男でいたいんだ」
 返ってきたのは妙に真剣な声。真剣な声の割に、またしてもわけのわからない言葉だった。

「ごめん、ひかりが女には見えない。確かに肌はきれいだし、時々かわいいけど」
「男に見える?」
「むしろ男以外の何に見えてほしいのかを聞きたい」
 あれだけ男子ののっぴきならないことになっていて、男でいたいとはどういうことか。
 訊いてもいいものかと考えて、訊いてみようと思った。どうしてか、今の彼なら答えてくれそうな気がした。

「あのさ、私から見たひかりはどこからどう見ても男なんだけど、その上で男でいたいって、どういう意味?」
「ん、のぞみから見れば、どこからどう見ても男なんだ?」
「男でしょ」
「だったらいい」
 妙すっきりとした声。本当に彼の言葉は意味不明だ。

「えっと、ごめん、だったらいいの意味もわからない」
「俺さ、両性なんだよ」
 まただ。感情を一切感じない声。その上意味もわからない。寮生でもなく、良性でもなく、両性だということはわかる。わかるけれど、それと彼が繋がらない。

「どっから見ても男なのに?」
「卵巣と子宮と膣がある」
 いつも以上に無表情で無機質な目に、それが本当のことだとわかる。わかれば、ことの重大さに心が怯む。

「でも、ひかりは男でいたい……」
「そう。男でいたい。俺は生まれてからずっと男だと思って生きてきた」
「だったら、それでいいんじゃないかな」
 自分の言葉に自信が持てなくて、声が小さくなる。青く無機質な眼差しがひと瞬きする。

「逆に今のひかりに女になりたいって言われたら、正直戸惑うけど、男になりたいって言われても、男にしか見えないし、男だとしか思えないから、それならそれでって思うんだけど……ごめん、なんか、上手く言えない」

 自分の身体の中に別の性を抱え込んでいるということが、正直なところよくわからない。自分に男の人のあれこれがあったらと考えると、それでも女として生きるのは、相当意識しないと無理な気がする。もしくは、開き直るか。私なら開き直りそう……いや、ぐちぐち悩むかも。
 もしかして、ひかりが色々な女の子と付き合っていたのはそういうことなのかもしれない。

「もしかして、女の子をとっかえひっかえしてたのは、だから?」
「とっかえひっかえって……」
「あ、ごめん、つい……」
「まあ、当たってるからいいけど。セックスするのが一番それを意識できるから」
 おい。誰もそこまで聞いていないだろうが。

「えっと、一人でがんばってね」
「のぞみは相手してくれないの?」
 声にからかいが含まれた。このやろう。

「別々に寝る?」
「ごめん、無理」
 そこまで眠れないものだろうか。さては煎餅布団で寝たことないな。

「私ね、ひかりとはできればずっと一緒にいたいから、男として好きになることはない。だから、そういうこともしない」
「んん? なんで一緒に生きていくなら男として好きにならないの?」
「恋愛したらずっと一緒には生きていけなくなるでしょ」
 できれば彼とは死ぬまで一緒にいたい。だから絶対に男としては好きにならない。

「んー…のぞみのその偏った恋愛観がどうして生まれたのかは置いといて、じゃあさ、男として好きにならないとセックスできないの?」
 できないの? あれ? できないのかな? 

「そういうことはしちゃいけないって思ってたけど……」
「俺とはできない? 気持ち悪い?」
「気持ち悪くなはいけど……」
 妙に真剣な声で聞かれ、思わず口走ったそれを改めて考えてみても、気持ち悪いとは思わない。

「でも、したいとも思わない。……ああ、でも、できないわけじゃないのか」
 それを想像したところで、積極的にしたいとは思わない。けれど、そうなったとしてそれが嫌だとも思わない。なるほど、これがセフレってやつか。

「今初めて、セフレの存在意義がわかった」
「は? どうしてそこでそれがわかったのかが俺にはわからない」
「ひかりと積極的にセックスしたいって思うわけじゃないけど、でもひかりとのセックス自体が嫌だとは思わないから、そういう関係は俗にいうセフレってやつなのかと理解できた」
「どうして俺とのセックスが嫌じゃないかは考えないんだ?」
「そこはそうとしか思わないから別に……生理的嫌悪感がないから?」

 その日はいつまでもそんな話をしていた。

 結局、そのうち試してみようか? で、その話は終わった。いい加減眠くなってからの結論なのでかなりいい加減だ。彼も本気じゃなかった。
 ただ、試す必要があるとは思えない。彼も人として私を嫌ってはいないだろうけれど、女として好きなわけではないはずだ。つまり、試さなくてもいい。
 その行為に興味がないわけではないけれど、一度してしまえばそれで終わるとも思えない。何度もしているうちに、うっかり好きになったりしたら困るのは私だ。この先も一緒に生きていきたいから、そうならないように気を付けないと。

 恋愛の先にあるのは、別れと憎しみと粗大ゴミだけ。