月影奇譚
第三章 因んで
24 ちり紙と香と和歌


 月向こうと呼ばれる世界には、ワープシステムのようなわけのわからない技術が存在している。かと思えば、トイレが和式だったり、トイレットペーパーがロール状ではなく束になった、医者のおばあ曰く、ちり紙状だったりする。けれどセンサーで水が流れるあたりは今までと同じで、元の世界を基準としてしまうからか、新しいのか古いのかがわからなくなる。

 王家が住まう御所は京都と東京にある。前回は大王の住まいである東京だった。今回は王子たちが住んでいる京都にある御所だ。(みやこ)御所、(あずま)御所と呼ばれている。京御所の方が主となるものの、首都が東京なのは同じだからか、大王は普段、東御所を住まいとしている。

 宮中に用意された控えの間で、完全に私の付き人化している医者のおばあが、ここに来てトイレに入るたびに膝が痛いと愚痴っている。山神様の存在のおかげで大きな病気にはならない彼らも、加齢による不調はどうにもならないらしい。

 前回とは違うドレスが用意されており、さすがに今回は和装じゃないのかと思いきや、ここでも正装はドレスにモーニングで、その辺りは元の世界と同じなのかと思ったりもする。王族や華族の本来の正装は平安装束だというのだから、儀式以外は楽な洋装になるのも頷ける。会食もテーブル席らしい。
 洋館のような東御所とは違い、京御所はどこからどう見ても平安絵巻のような建物なのに、そこにいる人たちは普通に洋服を着ているのがなんだか残念だ。かといって平安絵巻のような衣装を着たいわけじゃない。

「採寸されたわけじゃないのに、今回もぴったりだわ」
 用意されるドレスだけじゃなく、ドレス用の下着から靴までまるであつらえたようにぴったりだ。今回は靴ではなく室内履きだけれど。採寸などされた覚えはなく、兄に訊いたところで私のサイズなど知らないだろう。
「しかも今回もよく似合ってるわ」
 着替えを手伝ってくれた医者のおばあの満足そうな顔が鏡に映っている。

 そう、ドレスとは対極にあるような日本人顔なのに、なんというか、妙に似合っているのだ。シンプルなデザインだというのもあるし、メイクの力もある。宮中で施されるメイクは独特らしく、ここの職員のような人がメイクをしてくれる。私の顔を見ることができるのは華族以上という決まりがあるため、おそらくこのメイクさんも華族なのだろう。
 前回同様、医者のおばあを介してのやりとりが面倒だ。直接話し掛けることなくさりげない仕草で意思を伝えてきたり、直接触れないよう真っ白な手袋をはめたりするのは、それらを禁じられているのかもしれない。なんというか、宮中は作法や仕来りが多そうだなとげんなりする。ここで暮らさなくてもいいようにがんばってくれた、兄や年寄りたちに心底感謝する。

 控えの間に活けられたススキの穂に、そういえば今日は中秋の名月だとニュースで言っていたことを思い出す。ここでのそれは、カレンダーに記された決まった日のことではなく、本当に満月に当たる日のことをいう。こっちの人は何をおいても満月が好きだ。



 案内された広間には、畳の上に分厚い絨毯が敷かれ、テーブル席が設けられていた。歴史の一場面で見たような和洋が混在する空間は、よくわからない重厚感が漂っていて、タイムスリップでもしたかのような気分になる。

 やはり前回同様すでにほかの年寄りたちや兄、学者の息子が席に着いていた。年寄りや兄たち付き添いの者と、学者の息子やお隣の息子さんたち候補者の席は別になっており、私との席とおそらく第一王子のだろう席はそれぞれほかより間隔を開けて用意されている。心細い思いでおばあと別れる。

 ふたつの席の背後には言葉を伝える宮中の職員の席があり、おばあほどの年嵩の女性がすでに控えていた。この人も前回と同じ人だ。それに少しだけほっとして、「よろしくお願いします」と小声で伝える。いまいちよくわからないものの食べ方から、発言している人の説明など、前回きめ細やかに教えてくれた女性だ。

 ほぼ同時に入室していた第一王子も席に着いた。正直ベールが邪魔だ。どんな人なのかがまるでわからない。体格は兄よりもよさそうだけれど、気付いたときにはすでに着席していたので実際のところはわからない。なんとも静かな人だ。音も立てずにいつの間にかそこにいた。

 食べた気のしない会食は、背後の女性のおかげで滞りなく終わった。本当にベールが邪魔だ。兄がおいしそうに食べているのが目の端に映り、なんとなく八つ当たりしたくなる。いちいちこぼさないよう慎重にベールの下から口に運ばなければならないせいで、味わうどころじゃない。もういっそテーブルごとベールで隠してほしい。

 このあとは別室に移動し、第一王子とのお見合いだ。外野は一切シャットアウトの完全孤立状態で望まなければならない。それに不安な面持ちでいれば、背後にいた女性がそのまま付き添ってくれたのでほっとした。「殿下はとてもお優しい方でございますから」という慰めの言葉まで頂戴した。この際優しさは関係ないものの、意地悪な人よりはマシだ。

 やはり同じタイミングで別々の扉から入室する。シンプルでいて上品な肘掛け椅子に腰をおろす。すぐ近くに腰をおろした第一王子は、やはり物音を立てない。衣擦れの音を立ててしまう自分がすごく下品な気がして落ち込んだ。

 ふと香った香草の匂い。

 一瞬にして頭がクリアになる。心臓が痛いくらいに騒ぎ出す。
 それぞれの紹介が背後の人たちによってなされる。聞こえてはいても頭に入らない。落ち着け、落ち着け、そう何度も自分に言い聞かせ続けた。

「この香りは?」
「殿下の香にございます。王家ではおひと方ずつそれぞれの香をお持ちになります」
 間違いなくタロンはこの人のそばにいた。タロンから香っていたよりもずっと強い香りに確信する。タロンのはきっとこれの移り香だ。
「ここでは直接お声掛けしても大丈夫ですか?」
 それに背後から小さく差し支えないことを知らされる。頭の中がひとつのことで一杯になって、教わっていた作法なんて忘れた。

「教えてください。私の護衛だと称して向こうの世界にいた特使の行方を捜しています」
「いかような御心積もりでございますか」
 答えたのは第一王子の背後にいる初老の男性。
 思わず身を乗り出した私とは違い、向かい合う正面の第一王子もその背後の男性も微動だにしない。
「私は、あの人と縁を結びたいと思っています」
「しかしながら、あなた様はその御印に触れられる者との御縁をお望みだと伺っております」
 背後に控えた男性の、ほんの一瞬の動揺を見逃さなかった。口調にかすかな戸惑いが混じっている。間違いなく知っている。
「あの人以外にこの印に触れられるものはいません」
 その途端、音もなく第一王子が立ち上がった。目の前でひざまずき、額にその指を伸ばす。なにを、と思う間もなく、その指先がベール越しに印に触れた。
 驚きすぎて何も考えられない。
 目の前にいる第一王子は、ベール越しで顔が見えるわけでもないのに、なぜか笑っているような気がした。

 呆然とした私を残して、第一王子は再び音もなく退室していく。
「王家の方々は、少なからず月の力をお持ちになります。特に殿下はその力がお強い」
 背後から聞こえてきたひそめられた声。
「日の力ではないのですか?」
「いえ、月の力でございます」
 どういうことなのかがわからない。大王は日の神の子孫ではないのか。



 その日は宮中に部屋が用意された。長い廊下を曲がりくねりながら延々と歩いた先にある、離れのような場所に案内される。
 平安絵巻のような一段高くなった床の間に敷かれた布団は、それはもうふかふかで、絹でできているのかすべすべの手触りなのに、気になることが多すぎてそれどころではない。
 兄に相談したいものの、彼らはまた別の建物に部屋が用意されているらしく、あまりに広大な御所で案内もなく迷わず兄の部屋にたどり着ける自信はない。
 こんなことならこっちの世界の携帯電話を買っておけばよかった。基本的に元の世界を軸に暮らしているため、必要だとは思わなかった。元の世界の携帯電話は、こっちの世界では使えない。そもそも携帯電話が元の世界より進んでいる。ガラケーのようなフリップ型で、きっかり九十度に開くと、そこに3D画像が浮かび上がる。
 隣の部屋に医者のおばあが控えてくれているものの、あの背後にいた女性も同じく控えているために訊くに訊けない。

 焚き込められた香は眠りを誘うものだと説明された通り、布団に横になった途端、このところすっかりご無沙汰だった眠気に襲われる。眠剤代わりにこの香が欲しいと思いながら、あっという間に眠りに引き込まれていった。

 絡まる手足に涙が止まらない。
 どうしていなくなったの、そうなじりながら、必死の思いでしがみついた。
 かすかに聞こえる耳に馴染んだ囁きは、もしかして和歌だろうか。

 翌朝目覚めたときには、寝る前と何一つ変わらなかった。昨日嗅いだ香の影響で見た夢だったのか。そこに残る薄らとした香りは昨日の移り香か、それとも──。

 今になってようやく気付いた。そもそもタロンは、私と一緒にいたいと思っていたのだろうか。