アンダーカバー / Undercover
第三章 因縁44 聖女の力
「私の力って何のためにあると思う?」
「知らない」
「ノワの力ってどんな感じ?」
「わりとなんでもできる感じ」
「やっぱ最強じゃん」
「前から言ってるけど、最強なのよ私。おまけに万能なの。崇められる存在なの」
さらっと自慢を入れてきた。
「じゃあさ、私のってより聖女の力って──」
「もう知らないってば。しつこい!」
自慢したなら私の話も聞いてよ。
ファルボナからメキナに戻って以来、ことあるごとに聖女の力について考えてはノワに質問している。聖女について一番知っていそうなのがノワしかいないのに、ノワは興味がないことは一切知ろうとしてこなかったせいか、最強のノワをもってしても聖女の力についてはよくわからないままだ。ノワ自身もノワの力についてはよくわからないらしい。単純に、できないことはない、らしい。ただし、この世界に限る。おまけに人には強すぎて使えない。ついでに私を元の世界に帰せるほどの力ではない。なんとも微妙。
ブルグレには訊きすぎて今軽く避けられている。傷付く。
そのせいか、最近ではすっかりレグルス副長の肩の上が定位置になっている。それをもうひとりの副長であるアリオトさんがちらちら意識しているのを見ると、どうやら羨ましいらしい。レグルス副長がさり気に自慢気なのがちょっと笑える。
今連合本部はファルボナの独立と支援、聖婚式の準備で大忙しだ。
「そんなに忙しいなら聖婚式しなくていいのに」
「そう言うなよ。みんな楽しみにしているんだ。サヤ、これさっきの書類と一緒にエニフに渡して」
「他人の結婚式の何が楽しいんだか」
「聖女の結婚式だからだろう。サヤ、これはアリオト副長に渡して」
シリウスが忙しすぎて心配になる。エニフさんが本部に残ってくれたおかげで私は伸び伸びできているのに、シリウスがきりきりしていて休みもなくデートもできない。
で、執務室に顔を出して仕事っぷりを眺めているうちに、エニフさんが手伝いに駆り出され、ついでのように私も手伝っている。初めのうちこそアリオトさんは驚いた顔をしていたけれど、数日で慣れたのか、シリウスからの書類を差し出すと当たり前に受け取ってくれ、代わりの書類を渡される。執務室とそれに繋がるレグルス副長とアリオトさんの仕事部屋でもある控え室までが私のテリトリーだ。それ以外はエニフさんが引き受けてくれる。
「ああそうだった。定期的に神殿に顔を出してもらえないかとの要請が来ているんだが……」
「えー、めんどーだからヤだ」
拉致監禁は未然に防ぐに限る。
「これまでも断ってきたんだ」
「これからも断ってよ」
「連合本部が聖女を軟禁していると難癖つけられてるんだよ」
嘘でしょ、と思ってエニフさんを見れば、本当です、と言わんばかりに頷いている。
シリウスに呼ばれでもしたのか、控え室にいたレグルス副長とアリオトさんが執務室に入ってきた。
「聖婚祭には神殿の存在が外せないんだ」
ポルクス隊長のしたり顔が浮かんだ。だったらなおさら聖婚祭なんてしなくていいのに。
「だってシリウスも一緒に行くんでしょ?」
「当然」
だよね。シリウス以外に私の言葉が通じないのだから、シリウスの同行は外せない。おまけに護衛としてポルクス隊も動くことになる。
「そしたら今以上にシリウス激務になるでしょ?」
「大丈夫だ。ポルクス隊長に手伝ってもらうことになっている」
ヤバい。笑いそうだ。
「そのくらいの仕返しはしてもいいだろう?」
「いいと思う!」
なにせ停戦中だ。砦に軍の最高司令官が常駐していなくてもいいはずだ。かわりにポルクス隊はデネボラさんが指揮を執るらしい。
「エニフさんはデネボラさんと離れ離れで平気?」
「任務となれば数ヶ月離れることもある」
「そうだけどさ」
淋しくないのかな。私なんてシリウスと十日離れただけで淋しくて泣きそうだったのに。思わずエニフさんを見たら、話の内容を察知したのか、にこっと大人の笑顔を向けられた。五年も六年も婚約期間があると、気持ちに余裕ができるのだろうか。できるかな、私。できないだろうな、たぶん。とりあえず姿隠してノワに乗ってこっそり後をつけるな。
──それはやめろ。
あーあ。シリウスには筒抜けだ。こっそり尾行ができない。だったら堂々と尾行してやる。
──俺がサヤを尾行する方が現実的だな。
『そうかなぁ。シリウスの任務に私がくっついていく方が現実的じゃない?』
──俺の最重要任務はサヤの護衛だ。
「あ、そっか」
うっかり声に出したらみんなに注目された。しまった、話の途中だった。
……えっとなんだっけ。
「神殿側からの要請は、最低でも十日に一度、できれば三日に一度は顔を出して欲しいそうだ」
シリウスの助け船に感謝。
「あのさ、神殿に顔出して何するの?」
「ただそこにいるだけでいいらしい」
意味わからん。聖女を神格化しているからか。ということは、神殿という言葉はきっと正しくない。聖殿とか、この世界では霊殿とか、そういう感じか。
その微妙な違いがよく伝わらなかったのか、シリウスが一瞬、ん? という顔をした。ノワを見ればどうでもよさそうに窓枠で寝そべり、気持ちよさそうにブルグレと一緒にひなたぼっこをしている。
「あのコルアでの面会みたいな感じ?」
「そうなるだろうな。世界中の神殿から聖職者が面会に来るだろう」
「だったらさ、神殿じゃなくてここでもよくない?」
シリウスが副長ズに私の言葉を伝えると、難しい顔で副長ズが考え込んだ。レグルス副長が何かを言い、アリオトさんがそれに答えている。今度は逆だ。エニフさんがそれに意見している。
「このビルの一画を神殿に貸し出すかと話しとる」
いつの間にかブルグレ解説員が肩にいた。
「なーんか神殿に行くの嫌なんだよね。拉致監禁になりそうで」
なんかなぁ。言葉の通じないのをいいことに、聖女がああ言ったこう言ったと自分たちの都合のいいように騙られそうな気がする。以前私の護衛をしていた人たちがやった些細な騙りを思い出す。
「お前さんがそう思うならやめとけばいい」
「わがままかな?」
「聖女を呼びつける方が罰当たりじゃ」
一理ある。聖女を神格化しているなら、聖女を呼ぶより自分たちが出向くべきだ。
シリウスを見れば、もっともだという顔をしていた。ああ、だから断っていたのか。
会ったこともないから、私の一方的なイメージで悪く思っているところもあるだろうけれど、シリウスやノワが積極的に会わせようとしないなら、それが正しいということだ。
「毎度ビルの前での面会でいいんじゃない? 本部に入り込まれる方が危険だよ」
「いや、一階は誰でも入れるから大丈夫なんだが、サヤがそこに降りる方が問題だろう、聖女なんだから」
にやっと笑わないでほしい。うっかり釣られそうになるじゃないか。
「んーとさ、私がここにいるのは私がいたいからで、神殿には行きたくないから行かない」
声に力を込めた。たぶん合っているはず。
シリウス以外の三人が、途端にしゃきっと背を伸ばした。私が何を言ったかはわからないものの、私の意思がたぶん無意識下に伝わっているはずだ。私の意見だとシリウスが今の言葉を通訳すると、三人とも納得顔をする。シリウスの言葉が偽りではないことを無意識下で理解する。
ファルボナでの独立宣言の時も同じ効果を生んだはずだ。
「正解。いいのよ放っておけば。私だって顔なんて出してないもの」
ノワの声に勇気をもらう。そうだよ、最高神の霊獣が自由なんだもん、聖女だって自由でいいはずだ。
「聖女は聖獣に倣います」
ついでに宣言しておいた。ノワに丸投げだ。文句あるならノワを連れて来いってことだ。
厄災の乙女しかり、聖女しかり、結局は自分たちの都合のいいように扱おうって魂胆が嫌だ。
「そもそもシリウスが神殿を蔑ろにしているから神殿側も躍起になってるのよ」
「どういうこと?」
シリウスがため息を吐いた。
「元々俺がここの長になるときに、神殿の長になるべきだとの声もあったんだ」
「なんで?」
「俺が霊力持ちだったから」
「シリウスだけでしょ、私とコミュニケーションとれるの」
なるほどね! と思わずぽんっと手を叩いたら、シリウスが嫌そうな顔をした。それに、珍しいものを見たとばかりにアリオトさんの眉が少しだけ上がる。
「霊獣と意思を交わせるからといって、霊獣が姿を現さない限りどうしようもないだろうと断ったんだ」
「ところがどっこい、シリウスの周りには霊獣も聖女もいたりするわけだから、神殿側としては逃した魚は大きかったってわけよ」
また得意気にことわざを使って。子供か。
わしもおる! と主張するブルグレがシリウスの肩に移動した。レグルス副長がちょっと淋しそうだ。そういえば、アリオトさんもブルグレが見えているってことは能力持ちってことか。
──アリオトは記憶力だ。
それってすごい人なんじゃ? それにしては……なんだろう、一見穏やかな紳士に見えるのにどこか影があるようにも見えるというか……。
「忘れたいことも忘れられない、些細なことすら記憶に残るって残酷だと思うわよ」
「そういうもの?」
「そういうものでしょ。あなただって元の世界のこと、忘れられた方が生き易いでしょ」
生き易いかもしれないけれど、それはもうきっと私じゃない。
「そういう葛藤の中、彼も生きているってことよ」
力は慶事だとシリウスは言うけれど、苦労している人を見ているとそうは思えない。才能のひとつだと考えると、それを伸ばすのも殺すのも本人次第なのであれば、オリンピック選手になるようなものなのかもしれない。
力というものを特別視しているから、この世界の人と同じように考えられないのかも。だからといってオリンピック選手も特別な人のように思えるのだから、やっぱり特別なのは変わりないような。
あーあ、思考力がないな私。もっと賢くなりたいものだ。
「サヤ、一度神殿の長に会っておくか? サヤ自身が彼の人となりを見て判断すればいい」
というシリウスの解せない提案に渋々頷いた。わざわざ会えと言うくらいだ、何かあるのだろう。
アリオトさん自ら使いに立ってくれた。今この時以外に面会の機会は与えられないという脅しのような伝言を持たされたアリオトさんは、小一時間ほどで神殿の長である一人の老人を連れ帰った。
アリオトさんが出掛けるときにシリウスが指示したことは、二人乗りの低空飛行船で迎えに行くこと、一時間以内に戻ること、ブルグレも一緒に連れていくこと、その三点だ。それにアリオトさんは少しだけ驚いた顔を見せた。
ここから神殿の総本山までは片道二十分と少しかかるらしい。アリオトさんは親書も何も持たず、ただ口頭で伝言を伝えるだけだ。
「神殿のトップって一国の王様と同じような感じでしょ?」
頭に浮かぶのは法王だ。かの人が単身で出歩くなんて想像できない。それともこっそり行きつけのバーとかに顔を出したりするのだろうか。
「サヤ、姿を隠して見ていろ」
そろそろ一時間が経つだろう頃に応接室に移動し、シリウスに言われるがままノワと一緒に姿を隠した。
アリオトさんと一緒に現れたのは、昔の修道士みたいな服を着た黒尽くめの小柄な老人だ。たぶん男の人。一見性別がわかわからないほど、顔中深いシワに覆われている。髪は元の色がわからない見事な白髪。開いているかどうかもあやしい細い目で入り口から応接室をぐるっと見渡し、迷うことなく真っ直ぐ姿を隠したノワの前に来て跪き、床におでこが着くほど頭を垂れた。
「なるほどねぇ」
ノワのしみじみとした声にシリウスが薄く笑った。老人は未だ土下座状態だ。このままでいいわけないだろうとおろおろしてしまう。
「サヤ、姿見せていいわ」
わけかわからないまま、今度はノワの声に姿を現す。
「サヤ、治癒してあげて」
「なにを?」
「いいから。左手のホラー珠、このじいさんの頭に一瞬くっつけてみて」
ホラー珠とはなんたる言い草。
渋々左手の手袋を外して血の珠を土下座したままの老人の頭に押しつけ、よくわからないながらも、「なーおーれー」と唱える。
老人が、びくっ、と大袈裟なくらい大きく震えた。かと思ったら、がばっと身体を起こし、両手を宙に挙げ、糸みたいな目をこれでもかと見開き、そこからぼたぼたと涙を量産しながら、うぉぉぉ……、と感極まったかのような叫びを上げた。
こわっ。
咄嗟に声が出なくて、思わず後退る。とんと背中に当たった気配はシリウスで、怖くなって咄嗟に振り向きざまにしがみついた。
怖い。もしかして狂わせた?
──彼には感情というものが欠如していたんだ。だが賢かった彼は感情というものを学び、それを擬態することでなんとか人並みに生きてきた。
何の説明だ? と思いながらも、よく犯罪に走らなかったな、とも思う。ああ、だからそのよりどころが信仰だったということか。
宗教というと過激なカルト系が浮かぶせいかあまりいい印象がない。敬虔な信者は洗脳としか思えない。
「スレてるわね」
「そういう世の中だったんだよ。自爆テロとか、制裁とか」
気が済んだのか、叫び終わった神殿の長は、再び土下座の体勢に戻った。しっかり場所を移したノワに向かって頭を下げているあたり、ノワが霊獣だとわかっているのだろう。
──かわりに、真実を見極める力を持った。
あーなんか宗教っぽい力だ。
──それによって軍にひた隠しにされていた俺の力が知られ、是非神殿にと勧誘されたのは力が発現した十日後だった。
『なんで断ったの?』
──彼以外は胡散臭かったんだよ。
彼、ってことはやっぱり男の人なのか。偉い人なのに土下座したまま放置はどうなんだろう。
──気が済んだら勝手に頭を上げるだろう。そういう人だ。
『で、私は何をやらかしたわけ?』
「感情を与えたのよ。そのじーさん、只今絶賛初感動中」
その言い方はどうなの、ノワさん。
「しばらく子供返りするから、迎えの人のところに連れてってあげた方がいいわ」
シリウスがアリオトさんにそれを指示すると、何しに来たのかわからないまま、まだここにいる、と駄々を捏ねる絶賛感動中の宗教法人トップを小脇に抱えるように応接室から出て行った。扱いが雑すぎて困惑する。一応法王的な人のはずなのに。
「あれで長の代替わりまで神殿は静かになるでしょ」
そのノワの言い方がどう聞いても悪役じみていて、ちょっと引いた。
「自分の身に起きた奇跡を語るだけでも十分神殿の権威は保てるわよ」
「そういうもん?」
「そういうもんよ」
私の力はなんだろう。今のは治癒じゃない気がした。それとも、精神疾患を治したということなのだろうか。
「治りたい、治したい。元に戻りたい、元に戻したい。そう思うから治癒になるわけ」
──サヤは、力を与えているだけなのか?
「そんな感じじゃない?」
答えは単純だった。ノワのしたり顔が少しだけ怖かった。この力が悪いことにも使われたら──そう考えただけでぞっとした。