アンダーカバー / Undercover
第一章 始まり
04 霊果


「先に教えて」
 そう言っただけなのに、気付いているのかいないのか、羽ヒョウはすごくすごく申し訳なさそうに目を逸らした。
「言わなくていい。わかった。ごめん」
 何に対して謝っているのか自分でもよくわからない。すぐに謝ってあやふやに誤魔化してしまえることなんて、きっともうないのに。

 俯いたまま、帰れない現実から逃げ出したくなる。夢だったらいい。じくじくと痛む左手さえ、嘘だったらいいのに。
 ここにいる誰のせいでもないのに、誰かに文句を言いたくて、どうにかしてほしくて、どうにもならないとわかっているせいで、どうしようもなく苛つく。

「外界のお嬢さん、あなたはね、イレギュラーな状態で呼ばれてしまったのよ」
 イレギュラーなんて言葉よく知ってるよね。頭の中に浮かぶ嫌味に心底自分が情けなくなった。
「言葉の知識はあなたから得ているから……」
「つまり私以外には通じないってこと?」
「そうね。それと目の前の彼と……もう一人」
 浮かんだドヤ顔を殴りつけたい。一発くらい殴っておけばよかった。グーで。
「そうしてもよかったのよ。あなたがここにいるのは惑わしの乙女に起因しているから」
 惑わし? 驚いて顔を上げると、羽ヒョウの呆れ顔が目に飛び込んできた。
「祝福の乙女じゃないの? 自分でそう言ってたけど」
「それ、自分で言っちゃう?」
「そうだけど……なんか、お姫様待遇だって色々自慢されたよ?」
「まあそうでしょうね、自分が祝福の乙女だって惑わしているんだから」
 羽ヒョウの声が一層低くなった。

 なんというか、調子いいな、あの女。そういえば、いつもなんだかんだと話題の中心にいて、わざとらしいほどきゃっきゃしていた印象がある。誰にでもいい顔するのはお疲れさんとしか思わない一方で、私なら間違いなくストレスでハゲるだろうなとも思っていた。

「でも、嘘吐いてる感じじゃなかったような……妙にテンションは高かったけど」
「本人にとってはね」

 本来は、厄災を肩代わりする者を呼び出すはずが、呼び出してみれば、聖女ともたとえられる祝福の乙女だったものだから、国中が諸手を挙げて歓喜したらしい。
 呼び出された瞬間、勝手に自分は聖女なのだと思い込み、惑わしの力を持っていたために周りが彼女を祝福の乙女だと思い込んだ。そういうカラクリらしい。
 何を根拠に自分が聖女だと思い込んだのか。まるで理解できない。

「実際は、あそこでいう厄災の乙女なんだけどね、彼女」
 お、うまいこと逃げたな。
「何暢気なこと言ってんの。そのせいであなたが呼ばれる羽目になったのに」
 絶対許さん!
「で、本来はひとつしか存在できない外界の生きものをふたつも呼び出しちゃったのよ大帝国の馬鹿者たちは。で、すでに存在している乙女という存在よりも上の存在にしか空きがなかったから、格上げされちゃったのね、たぶん」

 つまり?

「あなたは聖女ってこと」
「聖女と乙女って同じじゃないの?」
──違う。乙女と呼ばれるものとは桁違いの力を持つといわれている。

 それまで黙って聞いていたシリウスがそう伝えてきた。そういえば、シリウスも最初は「光の聖女」と間違えていたような……。

──乙女はこちらから呼び寄せる存在だが、聖女は違う。聖女は降臨するものだ。

 意味がわからない。ってことは、呼べるわけじゃないってこと?
「そう。本来は人の力に左右されない存在なの。私に近い存在かな」
「私も大きくなれたり小さくなれたりするの?」
「無理ね。あなた肉体持ってるでしょ」
 ちょっと残念。

 それより、考えるだけで伝わるって便利だ。しゃべらなくてもいいなんて楽で仕方がない。
「そのだらけた根性、どうにかしなさいよ。あんたが足掻けばもっと早くなんとかなったのに」
「そうなの?」
「そうでしょ、私すら癒やす力を持ってるのよ、あなたは」
 うっそ! 私って最強?
「最強でもないけど」
 なんだよ、がっかりだよ。
「面倒がらずにちゃんと喋りなさいよ!」
「いいじゃん別に。伝わってるんだから」
 クソガキ! という思いっきり低い声が頭に響いた。うわー……さっきまでちょっと上品ぶってたくせに、あっという間に素が出た。
 隣でシリウスが引きつっている。

『なに?』
──いや、なんで俺ここにいるんだろうな。
『俺って言うんだ。シリウスも素が出てるよ』
──なんというか、俺も無理に上品に振る舞うのはやめようかと……。

 なんともいえない顔をしているシリウスを見た羽ヒョウがにやにや笑っている。
 ふと、ブルグレが静かなだと思って小さな存在を探せば、テーブルの上にあるライチみたいな実を必死に頬張っていた。

「なっ! まさか、霊果か!」
「よく知ってるわね」
「れいかってなに?」
 思わずといった感じで声を上げ驚くシリウスに、感心している羽ヒョウ、意味のわからない私と、まるっと無視して必死に頬張っているブルグレ、四者四様。

──万能の実といわれているが……その実態は誰も知らない。文献では寿命すら延ばすという、幻の実だ。
「ただの実よ。ちょっと癒やしの力があるくらいで」
「だったら、これで治らなかったの?」
「治らなかったの。しつこいのよ、ぎっくり腰って」
 おじいちゃんだ。そう思った途端、羽ヒョウにむっとされた。

──人には過ぎた力でも、霊獣には微々たるものなんだろう。
「もしかして、これ食べたら左手も治る?」
「治るわよ。だから用意したの」
「筋肉痛も?」
「たぶん」

 とりあえず食べよう。喉が痛いからあまりしゃべりたくなかった。本当だから。本当だってば。胡散臭そうに目を細める羽ヒョウを視界から追い出す。

 見れば見るほどライチそっくりな実は、手にしてみるとものすごく皮が硬かった。四苦八苦していたら、シリウスがぱかっと剥いてくれた。彼の指先はクルミも割れそうだ。
 ありがと、と受け取り、ぽいっと口に放り込む。噛めば噛むほどキュウリみたいな味が口いっぱいに広がる。見た目に騙されたショックで一層まずく感じる。ライチみたいに透き通るような白い実なのに、甘さの欠片もない。むしろ青臭い。まずい。

「イマイチ」

 おー! 喉の痛みがない。なんとなく身体も楽になった気がする。なんだか心も楽になったような。左手の痛みもかなり引いている。自分では指の先を動かせなくなっていたのに、普通に動かせる。
 ただ、傷痕を見るのが怖くてハンカチを外す気にならなかった。

「そういうときだけしゃべらないでよ。そういうことは心で思って顔には出さないものでしょ」
 痛々しい目で左手をチラ見していた羽ヒョウがわざとらしくおどけた声を出す。
「でもどうせ伝わるし。シリウスも食べてみなよ、イマイチだから」
 いいのか、って顔で羽ヒョウを見たシリウスは、羽ヒョウに頷かれると嬉しそうにライチもどきに手を伸ばした。
 もうひとつ食べようと手を伸ばしたら、ブルグレが前歯で皮を剥いた実を差し出してきた。ちょっと微妙だ。
「人の親切はありがたく受け取るもんだ」
 おっさん臭い説教と一緒に、指先に実を押しつけられる。
「あー、うん、ありがと」
「心がこもってない!」
 面倒くさいヤツ。見た目はこんなにかわいいのに、中身おっさんとかナシだ。さりげなくシリウスが剥いた実と交換してもらう。

『なんかごめん。でも無理』

 微妙な顔でブルグレの前歯できれいに皮の半分が剥かれた実を眺めていたシリウスに、仕方ないな、と笑われた。羽ヒョウがぷっと吹き出せば、後ろ足で立ち上がっているブルグレが腕を組んで足先を不機嫌そうにたしたし鳴らす。
 で、口に放り込んだシリウスの顔が微妙になった。やっぱりイマイチだったのだろう。同じく口に放り込んで、最低限かみ砕いて微妙な味をごくんと飲み込む。種はない。

「イマイチでしょ?」
──まあ、うまくはないな。
「じゃあ、おいしくなーあーれーってあの変な呪文唱えなさいよ!」
「そんなことでおいしくなるわけないでしょ」
──なるんじゃないか?
「本当に? おいしくなーあーれー」

 頭の中で、ライチになれ! 見た目ライチなんだからライチ味になれ! ならんと踏みつぶすぞ! と力一杯脅迫したら、なんとまあ、うっすーいライチ味になった。水で薄めてちょっとキュウリの青臭さを残した感じの、これまた微妙な味。

──すごいな。

 シリウスのめちゃくちゃ感動した顔を見て、なんとなくいい気分になった。私ってばすごいらしい。

「あんた、すごいわね」
「やるな、小娘」
 羽コンビの私の扱いが若干雑になっている気がするものの、やっぱり私はすごいらしい。ちょっと鼻息が荒くなった。

 それにしても、薄味の青臭いライチの威力はなかなかだ。喉の痛みも、頭痛も、筋肉痛も消え、左手に巻いたハンカチの上からそっと傷口に触れても痛みすらない。だだ下がり気味だった体力までもが回復された気がする。妙にやる気が漲る。まるで悪い薬を摂取したみたいだ。したことはない。

「まあ、ちょっとハイにはなるわね」
 羽ヒョウが霊果を皮ごと口の中に放り込み、ばりごりとかみ砕いたあと、ぺっと皮を吐き出した。お行儀悪い。
「それ、ダメなんじゃないの?」
「大丈夫よ。後遺症とかないから。命の力も回復するし」
 命の力ってなに? 思わず目の前にいる羽ヒョウを食い入るように見れば、少し得意気に笑われた。

──術の行使は命力を使っているんだ。
『え、じゃあ、シリウスとこうして話しているだけで、シリウスの寿命が縮まってるってこと?』

 なにそれ……知らないでずっと頭の中で話し掛けていた。

──大丈夫だ。このくらいなら自然と回復するだけの命力しか使わない。問題は、癒やしの力の方だ。
「しかもあんた、死んでもいいって思って思いっきり力使ってたでしょ」

 ほんの少し前までの忌々しい日々が一気に脳裏を駆け巡る。あの時は死んだら帰れると思っていた。羽ヒョウの痛ましそうな目を見れば、それすら叶わないことだとわかってしまう。

「まあ、あなたの場合、人の寿命を軽く越えてるから問題ないけど」
「なにそれ」
──聖女は千の時を生きるといわれている。

 千年……想像もつかない。そもそもここの千年と私の思っている千年は同じなのだろうか。
「同じね」
 羽ヒョウの声に申し訳なさが滲んだ。羽ヒョウのせいじゃないのに。

 この世界がどんな世界か知らなきゃいけないのに、知りたくないと思ってしまう。どうして彼女はあんなにあっさり受け入れられたのだろう。

「本来乙女と呼ばれるものはね、今いる場所から逃げ出したいと思っている者が呼ばれるのよ」
「それでこっちの世界の厄災を背負わされて、寿命を縮めて、使い捨てられるんだね」
 私の嫌味に怒るでもなく、羽ヒョウは淡々と言葉を続けた。
「そうね。そもそも、自らを殺そうとした者しか呼ばれないから」

 一瞬、言われた意味がわからなくて、わかった途端「どうして」という疑問だけが頭を占める。毎日楽しそうにきゃらきゃら笑っていたのに。

「あなたが見ていたものが全てじゃないでしょ」
「そうだけど……なんで?」
「さあ。さすがに私だってわかんないわよ」
「じゃあなんで私? 逃げ出そうとも死にたいとも思ってなかったけど」
「だから、あなたはイレギュラーだって言ってるじゃない」
 なにそれ。イレギュラーのひと言で済ませないでほしい。
「ずっとそばにいてやるから」
 ほっぺたをぱんぱんに膨らませたブルグレのおっさん声に、膨らみかけた怒りがぽしゃんと潰れた。嬉しいといえば嬉しいような……。

「そういうセリフはイケメンが言うからこそなんだよ。ちっこいおっさんが言ってもダメなの。最悪セクハラになるから気を付けなよ」
 むきー! とばかりに地団駄踏んでいるブルグレは一見かわいい。中身おっさんなのが途轍もなく惜しい。
 それでも、変な意地とか、苛立ちとか、やるせなさとか、たくさんあったどろっとした仄暗い感情が少し薄れた気がする。

「ありがと」

 どうあっても許せない。それでも、現状を受け入れなければならないことだけは理解している。受け入れられるかはわからなくとも。

 たしたし地団駄踏んでいたブルグレが偉そうに、ふん、と鼻を鳴らした。