隣にいる人
第八話


 翌日、サツマイモを山盛り持って蓮さんのお店に顔を出せば、何故か山本さんと渡辺さんがいた。
「もしかして、佐々木?」
「マジで佐々木? あー、確かに河野が言ってた通りだな。あれは変装だよ。すごいな、服装ひとつでこんなに変わるんだな」
 基さんを見た二人が挨拶したあと、私も挨拶したら驚かれた。そんなに違うのだろうか。自分では鏡を見ても自分でしかないからよく分からない。
「もしかして佐々木、その姿山木に見られたんじゃない?」
「なるほどな。納得。だから執拗にダサい格好するなって言ってたのか」
 思わず首を傾げる。基さんを見れば、「ひとまず座ろう」と椅子を後ろに引いてくれた。またよじ登るように座ると、それを見てにやりと笑みを浮かべる基さんが「すっきり系」と蓮さんに注文するから、むっとしながらも同じものを頼む。いつか私も格好良く座ってやる。

「でも、私服で事務所に行ったことはないと思うんですけど」
 山本さんに答えると、二人揃って「でもなぁ」と顔を見合わせている。
「この佐々木を知っているって考えると、あいつの言ってることの意味も分かるんだよ。こう、優越感入っている感じとかさ。俺だけが知ってるみたいな」
「その彼の家は?」
「あー、どこだっけ? でもこの辺じゃないですよ」
「柚、休みの日って遠出しないよな」
 頷けば、山本さんと渡辺さんが揃って「うーん」と唸り出す。
「たとえどこかで見かけたとしても、あの平日のゆうさんと今のゆうさんが同一人物だってよくよく見ないと分からないと思うんだけど」
 蓮さんがガリガリと豆を挽きながらそう言うと、「だよなぁ」と同期の二人が頷く。
「あっ、入社してすぐの時に、一度だけ私服で行ったことがあります。土曜日の電話番」
「電話番?」
「えっと、土曜日に各フロアに一人、電話番をするために交代で出勤するんです。現場は土曜日も動いているので。だいたい半年に一回くらい回ってくるんですけど、最初に休みの日だからって私服で行って、なんだかちょっと気まずかったので、次からは通勤用の服で行ってたんですけど……」
「それだな」
「だな」
 基さんに説明していると、横から山本さんと渡辺さんが納得したような声を上げた。

「実はさ、事前に知らせた方がいいと思って来たんだよ。俺たち佐々木の番号知らなかったから。河野たちも知らないって言うし、教わったここに来れば少なくとも野々宮さんが加藤さんに知らせてくれると思って」
 そう言って山本さんが教えてくれたのは、昨日、第二の同期の佐藤さんから聞いたという話だった。彼が言うには、山木さんは「あれは絶対に騙されてるから俺が目を覚まさせてやる」らしきことを言っていたらしい。騙されてもいない上にすごく大きなお世話だ。
「その言い方やその時の雰囲気がどうにも気になるって言って知らせてきたんだよ。ちょっとヤバい感じだったって」
「年明けには台湾への出向が決まってるから、何とか今月を乗り切れば平気だろうけど……。佐々木、朝は佐野さんと出勤してるだろう? 佐野さんには連絡しておいたから、ホーム下りるとこの階段で待っててくれるって。帰りは俺たちか河野たちがなるべく一緒に帰るようにするけど……」
「ああ、帰りは俺が迎えに行くよ」
 そんなことさせられないと慌てて断れば、そのくらいは何てことない、と基さんは軽く笑う。
「佐々木、そうして貰った方がいい。いざ何かあっても、事務所は佐々木のことは庇わない」
 そうだろうなと思う。
 どういう事だ? と首を傾げる基さんと蓮さんに渡辺さんが続けた。
「山木の父親がうちの事務所出身の建築家なんですよ」
「もしかして、山木 克(やまき すぐる)?」
 基さんと私の前にコーヒーを置きながら上げた蓮さんの声に、山本さんが頷く。

 淹れて貰ったコーヒーを一口含めば、なんだか頭がすっきりとしてくる。自分の事なのに、頭の中がごちゃごちゃしていて考えがなかなか纏まらない。さっきから「大きなお世話」という言葉だけがぐるぐるしている。
「うちの事務所で学会賞取ったのって、山木克以降いないんですよ。だからなのか独立しても発言力が強いみたいで。株主でもあるし」
「最悪、ReMontoにも影響が出ます」
 うちは平気だよ、と暢気に笑う蓮さんを見て、そこまで思い至らなかった自分に腹が立つ。今は攻撃が全部私に向いているけれど、基さんを知ってしまったら、基さんに攻撃が向くかもしれない。ひいては二人の会社に矛先が向かないとも限らない。

「何って言うか、あいつも悪いやつではないんです。少なくとも俺たちは普通に付き合える。ただ、佐々木が絡むと訳分かんなくなるみたいで」
「なんだろうな、あの思い込み。ちょっと執拗すぎるんだよなぁ。でも犯罪起こすほどではないと言うか、そこまでじゃないと思うけど……こればっかりは分からないからなぁ。佐藤がヤバイって言うくらいだからなぁ」
 思わず右手首を押さえると、基さんがそっと手を握ってくれた。そして、金曜日にあったことを二人に話してくれる。
「マジか。当てつけって、まあ、あいつにすればそう思うのか?」
「当てつけるようなことを柚が言ったの?」
「ああ、違います。佐々木は基本的に相手にしてませんから。河野が佐々木の指輪を見て、それについてやりとりがあったんですよ。どうせ安物だ、とか。あとなんだっけ?」
「遊ばれてる、とか。そんなことじゃなかったか?」
「そうそう。そうしたら河野に、ちゃんとしたものだからそんなことない、って反論されて。顔真っ赤にしてかなり憤慨している感じでした」
 基さんと蓮さんが顔を見合わせて、呆れたように溜息をつく。

「正直に言うとさ、佐々木は事務所やめた方がいいと思う。ああ、佐々木がどうのって事じゃないんだ」
 言われた言葉に少なからずショックを受けていたら、慌てて否定された。山本さんが言うには、うちの事務所はどうしても女性を下に見ているのだそうだ。
「今時って思うだろうけど、現場にもそんな雰囲気はあるから。佐々木んとこの守谷さんだって、現場に行ったあと疲れた顔して帰ってくるだろう?」
 それは現場での打ち合わせで疲れているだけだと思っていたけれど、そうじゃないらしい。
「河野や水内たちだって、佐々木と似たような仕事しかさせて貰えてないんだよ。所詮女性社員は男性社員の補佐でしかない。はっきり言えばお嫁さん候補なんだ」
「だから、佐々木もそうだけど家柄のいい子ばっかりだろう?」
「うちは家柄はよくないですよ。父は地方公務員ですし」
「でも、確か母親が料理研究家だろう?」
 基さんがびっくりしているから、慌てて否定する。
「ほとんど自称ですよ。有名な料理研究家と違って、本や何かを出しているわけじゃありませんし」
「でも、テレビに出てるんだろう?」
「地方局ですよ? しかも月に一度か二度」
「確か父親は大地主だって聞いたけど」
「田舎の土地にたいした資産価値はありません。そもそもどうしてそんなことまで知ってるんですか?」
「うちの事務所に入るときに身辺調査されるの知らないの?」
 知らなかった。思わずぽかんと口が開いてしまう。
「身内に一人でも犯罪者がいた場合、入れないんだよ、うちの事務所」
「もしかして、守秘義務ですか?」
「だよな。図面や打ち合わせ内容が漏れたら困るだろうし」
 基さんの言葉に二人が頷く。確かにうちの事務所はテロの標的になりそうな建物の設計を数多くしている。そもそも建築士には元々守秘義務がある。
 それよりも、事務所内では個人情報は保護されてないのだろうか。思わず二人を見れば目を泳がせた。つまり盗み見たって事?
「自分の情報がどこまで調べられてるか確認するときに、ちらっと見えたんだよ」
 そう言葉を濁す渡辺さんに、山本さんが苦笑している。
「一応、佐野さんに連絡したときに粗方話してあるから。佐野さんから守谷さんにも伝えて貰ってるし。佐野さんは守谷さんから今までのことも聞いてたらしい。最悪有給使って年明けまで休んだ方がいいって佐野さんも言ってたよ」
「文句言ってくるだけならまだいいんだよ。でもそうやって手首掴まれたって話聞くとな。そのくらいって言うヤツもいるだろうけど、何かあってからじゃ遅いから。自分は大丈夫って思ってるヤツこそ、大丈夫じゃない事態に陥るものなんだ。自意識過剰と言われようが、大げさなくらい先回った方がいい」
 そう言う渡辺さんは、子供の頃にアメリカに移住して、二年スキップして向こうの工科大学を出てから日本に来て、もう一度日本の大学に入ったと聞いている。
 向こうでは、自分の身は自分で守るのが当たり前なのだそうだ。
 思わず基さんを見れば、頷いている。

「ゆうさんって、仕事出来る方?」
「出来ると思いますよ。彼女が入ったおかげで彼女のチームは残業が随分減ってますから」
 蓮さんが山本さんにどうしてか私のことを聞いている。そんな場合じゃないけれど、山本さんに褒められた事が嬉しい。ちゃんと役に立ててるって他人から評価されるのは、どうしたって嬉しくなる。
「ゆうさん、うちの会社で働く? 建築設計とは違うけど、一応インテリアだし。仕事出来ないならモトが嫁に貰えばいいけど、仕事出来て仕事したいならうちで働けばいい」
「ああ、そうだな。柚の話聞いてる限りじゃ、サポートが好きみたいだし。どう?」
 どう? と言われても、いきなりすぎて分からない。

 大げさな気はするけれど、あの手を掴まれたときの気持ち悪さを思うと、それに怯えながら会社に通うのもどうかと思う。きっと顔を合わす度に気持ち悪くなる。
 仕事自体はやりがいがあるけれど、あの事務所じゃなきゃダメだというものでもない。あのチームには恩を感じてはいるけれど。
「それがいいよ。少なくとも俺の彼女が佐々木と同じ立場なら、俺は今すぐ会社を辞めさせる」
 渡辺さんが怖いくらい真剣に言うから、思わず頷いてしまう。
「佐々木、有給どれだけ残ってる?」
「えっと、一度も使ったことありません」
「なら、年明けまで有給使いなよ。で、年明けに出勤すればいい。俺たちからも高橋さんに言っておくから。今高橋チーム落ち着いてるだろう?」
「はい。忙しくなるのは年明けからだって」
「なら逆に今のうちだよ。年明け忙しいときにいてくれた方がいいだろうし。さすがに山木もそうちょくちょくは帰って来ないだろうから」
 基さんだけじゃなく、蓮さんにもそうしろと言われ、確かに今なら私一人くらいいなくても何とかなるだろうとは思う。でも、今まで誰かが有給を使ったなんて話は聞いたことがない。
 とりあえず月曜日に出社して、彼らと一緒に高橋さんに事情を説明し、有給を取らせて貰えるようお願いすることになった。
「週末のチームの忘年会、ふぐちりだったのに……」
 思わず呟いたら、みんなに笑われてしまう。ふぐちりなんてそんなことでもなければ食べられないのに。
 二人は基さんと蓮さんと番号を交換し合い、何かあったら連絡すると言って帰っていった。

「なんだか思ってたよりも大事で……」
「でも、また手首掴まれたり、立ち塞がれたりするの嫌だろう? 普通に働いている限りそんなことするヤツはいないから。十分大事だよ」
 基さんの言うことも尤もだと思う。いくらお酒が入っていたとは言え、山本さんや渡辺さんはそんなことしない。チームの男の人たちだってだ。
「退社の理由は結婚にしておけばいい。有給取れ次第、事情説明を兼ねてご両親に挨拶に行こう」
「そこまで話は進んだか。早いな」
「俺も必死なんでね」
 からかうでもない蓮さんの言葉に、基さんが少し照れたように笑う。基さんは私を逃したらと言うけれど、私だって基さんを逃したら結婚出来ないような気がする。結婚どころかお付き合い出来るかも怪しい。必死なのは私も一緒だ。

「ああそうだ、蓮、遙香(はるか)さんにサツマイモ持って来たんだ」
 サツマイモが山盛り入った紙袋を渡すと、蓮さんが驚いている。
「こんなに? ってかこれ、安納芋じゃない?」
 蓮さんが嬉しそうだ。サツマイモ好きなのだろうか? 見ただけで安納芋って分かるなんて。
「これが美味しいって母のこだわりで」
「なんか納得したよ、料理研究家かぁ。野菜が美味しいわけだよな。柚の飯も旨いし」
「普段はお料理教室の先生ですけどね」
「ああそうだ。遙香ってうちの奥さんなんだけど、遙香にあのカボチャ仕入れられないか聞いてみて欲しいって言われてたんだけど、どう?」
「えっと、母は野菜に関しては基本的に物々交換なんです。現金のやりとりは色々面倒みたいで。元々趣味の延長ですし」
「あぁ、なるほどねぇ。そうだモト、ショーケースにカボチャのタルトが入ってる。ゆうさんちのカボチャで作ったんだよ」
 基さんが冷蔵のショーケースからタルトを持ってきてくれた。綺麗にカットされてお皿にのせられ、前回同様既にちゃんとフォークも添えられている。もしかしてここはコーヒー以外はセルフサービスなのだろうか。
「蓮も食う?」
「食う」
 二つ取り出して渡されたあと、もうひとつ取り出して席に着く。蓮さんもカウンターの中で椅子に座って食べている。
「確かに旨いな。カボチャの香りもいい」
 言われるとおり、確かに美味しい。カボチャそのものの味がよく出ている。カボチャが美味しいと言うより、遙香さんの腕がいいのだと思う。
「これ、ほとんど砂糖使ってないんだって。カボチャそのものの甘さ」
「まだカボチャはあるので持って来ましょうか? 正直私はすでに食べ飽きちゃってて」
「いくつ残ってる?」
「三回目に送られてきたひと箱丸まる。多分八個くらい」
 聞いた基さんが呆れたように笑う。
「じゃあ今食べてるのって、二回目に送られてきたのがまだ残ってるって事?」
「はい。だって顔ほどもある大きさのカボチャが八個ですよ。いくら保存がきくと言っても、一人で一度に八個も食べきれません。それなのに今年はよく出来たって追加で送ってきたんです。香ちゃんに事前に聞いて、いらないって言ったのに……」
「二回目の、あといくつ残ってるの?」
「あとふたつ」
 思わず渋い顔になってしまう。聞いていた蓮さんまで笑い出した。基さんはさっきから笑いながら話している。
「遙香が聞いたら喜ぶな。ひと箱丸々貰ってもいいの?」
「もちろんです。むしろ押しつけたいくらい」
 二人に思いっきり笑われた。基さんがカボチャのプリンをリクエストしている。蓮さんはサツマイモが大好きなのだそうだ。年明けに干し芋が届くので持ってくると言ったら、それはもうすごくいい笑顔で喜ばれた。どちらかと言ったらクールな印象の蓮さんの人なつっこい笑顔は、見ているこっちまで嬉しくなるほどだ。



 結局また蓮さんにお昼ご飯をご馳走して貰い、熱々のホットサンドを美味しく頂いて、その足でスーパーに向かい買い物を済ます。
「柚さ、毎日うちに帰っておいで。柚の会社、個人情報の管理がなってないから、自宅の住所とか知られてる可能性がある。携帯の番号は会社に知らせてる?」
「総務には入社の時に知らせてます。個人には聞かれたことがなかったので教えてません」
「分かってるだろうけど、知らない番号は出ないように」
 頷いて、そのまま基さんの部屋にお邪魔する。

 一息入れたあと、しばらく基さんの部屋で過ごすならと、もう少し着替えや必要なものを取りに自分の部屋に戻った。今まで毎日ここで暮らしていたのに、ほんの少しの間留守にしただけで、なんだか自分の部屋の雰囲気に余所余所しさを感じる。
 急に不安になって、一緒に来てくれていた基さんを思わず見上げた。
「どうした?」
「分かりません。なんだか不安になって」
 ぎゅっと抱きしめてもらうと、不安が少しずつ薄れていく。
「一人にしないから」
 そんな風に言って貰えてすごく嬉しい。すごく嬉しいのに、少しだけ残った不安が拭いきれない。何が不安なのかが分からない。山木さんについてなのか、一人になることなのか、急に環境が変わり始めていることなのか、よく分からない。
「柚、俺と一緒に暮らすの不安?」
 不安じゃない。むしろ嬉しい。否定の意味を込めて首を振る。
「じゃあ、俺と結婚するって事は?」
 それも不安じゃない。嬉しい。ずっと一緒にいたいって思う。ぎゅっとしがみついたら、背中に回された手が後頭部をぽんぽんと撫でてくれた。
「不安じゃありません」
「じゃあ、彼のことは?」
「それはもちろん不安はありますけど、何とかなるんじゃないかって気持ちも正直あります」
「んー、じゃあ何が不安なんだろうなぁ。色々一度に起こったからかなぁ」
「そうかも知れません。この部屋は自体はすごく好きなんですけど、でもやっぱり寂しい感じが染みついてるって言うか……」
 話しながら気が付いた。そうだ、この部屋にいる時はいつも寂しかった。
「一人で誰も知らない都会に出てきて、ずっと寂しかったんだと思います。この部屋は、そういう気持ちになってしまうと言うか、なんだろう? 上手く言えないんですけど」
「ご両親に挨拶に行ったら、先に引っ越してしまおうか? さすがにずっと今の俺の部屋で暮らすには狭すぎるだろう?」
「狭くてもいいです。その方が側に居る感じがするので」
 基さんが体を離し、少し屈みながらキスを落としてくれた。背の高い基さんとのキスは、落ちるという言葉がぴったりくる。降ってくるでもいいかもしれない。
「何考えてる?」
「ん、基さんのキスは落ちてくるとか降ってくるって言葉がぴったりだなって思って」
 目を細めて柔らかに笑った基さんが、今度は口付けを落としてくれた。