時の間の邂逅
第九話 迷い込まない傍観者


 階段を駆け上がってくる足音に、やはり来たかと姿勢を正した。
──彼女は一体どっちの扉を開けるのか。
 俺は興味半分期待半分で、固唾を呑んでその時を待った。



   ────◆────



 その視線に気付いたのは高二の十一月の頭、連休のあとのことだ。
 最初は俺を睨んでるのかと思ったが、どうも違う。
 この席に何かあるのか、放課後になると何かに耐えるかのような顔でじっとこの席を見つめていた。

「加納、あの席に何かあるのか?」
 視線に気付いてしばらく、どうにも好奇心が抑えられなくなり、思い切って声をかけた。
 何度か言葉にしかけながらも、その言葉を飲み込んでしまう加納に焦れながら、早く話せと目で訴えつつ待っていると、覚悟を決めたかのように話し始めた。

 加納から聞かされたその話は、あまりに現実離れしていて正直信じられなかった。信じられずとも、加納の様子は真剣すぎるほどに真剣で、茶化すことも真正面から疑うこともできなかった。

 それを機に、なんとなく加納と連むようになり、たまたま同じ大学に進学して付き合いが続いたからか、その仲はいつしか親友と呼べるほどになっていた。

 彼女の話を時々思い出したように語る加納は、どこか苦しげで、忘れたくて他の女と付き合うも、結局忘れられなくて上手くいかなくなるということを何度も繰り返していた。
 繰り返す度に彼の彼女への想いがゆっくりとこじれていくのを、俺はただ見ていることしかできなかった。

 偶然なのかなんなのか。
 俺が母校の採用試験に合格し、久しぶりに会ったヤツに、今年は二年二組の副担任になったと告げた瞬間、「お前だったのか!」と叫ばれたのは、まだ記憶に新しい。

 そこからの加納の行動は早かった。
 それまでは真実を知るのが怖かったのか、頑なに彼女の存在を確かめようとしなかったくせに、あろうことか生徒名簿を見せろと言ってきた。当たり前だが断固拒否。
 それからは彼女がよく行くと聞いていたらしい、駅ビルに入っているコーヒーショップに通うようになった。だが、女子高生と会社員の時間がかみ合うわけもなく、なかなか出会えなかったらしい。
 今時調べる方法なんていくらでもあるのに、加納は自分の目と耳で確かめようとしていた。

 おまけに加納は彼女の名前を頑なに教えない。俺に聞けば一発でわかるだろうに、まるで教えたら彼女の存在が消えてなくなるとでも思っているかのようだった。

 五月に問答無用で競馬場に連れて行かれ、九年前に彼女から聞いたという馬券を買わされた。彼女の友人の父親が万馬券を手にしたとの話を聞かされていたらしい。ご丁寧に当たり馬券の画像を見せられたと言う。それは幸運の御守りだと友人間で広まったらしい。

 その時の俺は、どこかで彼女の存在は加納少年の妄想だと高をくくっていたせいで、ひと口しか買わなかったことを直後に思いっきり後悔した。わずか百円が二千万に化けた。

 加納と一緒に来ていた加納の親父さんは、まるでわかっていたかのように冷静で、加納が彼女から何気なく聞いていた九年後の話は、ことごとくその通りだったらしく、大手百貨店のバイヤーをしているという彼の親父さんは、極秘事項だった老舗百貨店との合併話を聞かされた時点で信じたらしい。

 おかげで俺は加納の話を信じるようになった。何せ二千万だ。換金したときの興奮が忘れられない。目の前に現金どーんだ。新札じゃなかったのがまた生々しかった。
 加納から文化祭の出し物がお化け屋敷に決まることを聞き、文化祭の前日にスプレー容器を駅ビルに入っている雑貨店に買いに行かせることを約束させられる。

 二学期の席替えのあと、俺はそこで初めて加納の言っていた彼女が井上だと気付いた。加納が泣きそうな顔で見つめていた、当時の俺の席に座る井上を見て、お前だったのか! と喉元までせり上がった声をなんとか飲み込んだ。

 で、実際に井上は過去に行ったのだろう。なにせ俺の目の前で一瞬にして掻き消えたのだから。
 慌ただしい文化祭の準備の中、気付いたのは彼女を注視していた俺だけだった。



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「なあ、俺はあの老舗のすき焼きが食べたかったんだけど」
「はあ? 何言ってやがんだ。綾の手料理の方がうまいに決まってるだろうが。アホかお前は」
 一層こじらせている加納の発言に、思わず井上を見れば、申し訳なさそうな顔で肩をすくめていた。
 数年前に加納の親父さんが買い揃えたという、南部鉄器のすき焼き鍋で食べるすき焼きは、確かになかなかうまい。しかもかなりいい肉だ。なにせ桐の箱に入っていた。絶対に俺のためじゃないだろうけれど。

 井上が嬉しそうに南部鉄器のすき焼き鍋や鉄瓶について語っているのを、でれでれと鼻の下をのばして聞いている加納を見て、よかったなと思うと同時に呆れもする。この歳で女子高生とつきあえるんだ、そりゃあ鼻の下ものびるだろう。やさぐれたくもなる。

 しかも奴は、既に井上の両親に挨拶を済ませ、ちゃっかり婚約までしている。加納の親父さんまでもが井上のことを猫っ可愛がりしているくらいだ。二人して井上の囲い込みに余念がない。
 高校卒業までに加納のひととなりを見極めるよう彼女には言ってあるそうだが、どう考えても逃がす気はないだろう。

 おそらく思春期特有の思い込みがその大半を占めているであろう井上の恋心を、本人が気付く前に刻み付けようとしている加納親子の狡猾さがイタい。おまけに長野でスローライフと洒落込んでいる、ヤツのじいさんまでもが井上を気に入っている。

 教師としては止めるべきなのだろうが、友人としては応援したくなる。人としてどちらが正しいのかは正直わからない。井上も嫌がるそぶりはないからいいのだろう。少しでもそのそぶりが見えたら、俺は全力で逃がすと決めている。二千万はきっとその為の資金だ。まあ、浮かれて多少使ってしまったのは大目に見てくれってなものだ。

「ああ、そういえばこないだ言ってた新しい炊飯器、あれ、親父が買うってさ」
「本当?」
「なんだっけ、シリーズで出てるホームベーカリーとスープ作るやつも買うって言ってた」
「やったぁ。こないだフライヤー買ってもらったばっかりなのに。(そう)さんにお礼言わなくちゃ」
 なにせ未来の息子の嫁におじさんと呼ばれるのが嫌で名前で呼ばせているくらいだ。きっと今日だって一緒に鍋を囲えないことをそりゃもう悔しがったことだろう。この桐箱入りの霜降り肉は井上のために用意されたものだろうし。

 加納の親父さんの離婚原因になったと聞く親父さんの無駄コレクションを、井上は素直に喜び、嬉しそうに使うらしい。おまけに嬉々としてその感想を報告するらしく、加納の親父さんはそれがもう兎にも角にも嬉しいらしい。

「そういうときは『お義父さん』って呼ぶだけで『他に欲しいものないか?』ってでれでれして言うと思うよ。今日だって一緒にすき焼き食いたかったってさっき電話してきたくらいだし。そうだ、親父は帰ってきてから食べるって」
「えー。お義父さんって呼ぶのはまだ早いよ。じゃあ、聡さんの分、別に用意しておくね。自分でお肉焼くかな? すき焼き丼にしておいた方がいいかな」
 やっぱりな。どんだけ可愛がっているんだよ。確かにこうやって気遣ってくれる女の子がいたら、それだけで嬉しいものだ。男なんていくつになってもそんなものだろう。

 春には家を二世帯に建て替えるらしい。着々と井上包囲網が狭まっていく。
 今だって井上はこの家の合い鍵を預かり、暇を見ては食事の用意や掃除をかって出ているらしい。しっかり加納親子がバイト代を出しているせいで、俺も強くやめろとは言えない。うちの高校は生徒のバイトを禁止してはいない。本当に加納親子は狡賢い。

 井上の両親は、娘が幸せならそれでいいらしい。むしろ母親は加納ならと思っている節がある。加納の拗らせた想いに気付いているからこそだ。

「佐山先生、明日の予定は?」
 井上。お前、わかってて言っているのか?

 今日はクリスマスイブ前日の祝日だ。加納の飼い犬のクウがトナカイの格好をしている。無駄に可愛い。明日はサンタの格好だそうだ。井上が嬉しそうに、俺にとってはどうでもいい情報を教えてくれた。

「あるわけないだろう。綾、わかりきったことを聞くなよ。見た目と違って意外と繊細なんだからな、こいつは」
 お前の言葉の方が俺の心をえぐるわ。井上も納得した顔で哀れむように謝るな。さらにえぐられるわ。
 聞いてもいないのに明日の予定をぺらぺらと話す加納に殺意が湧く。初めて聞かされたのか、井上が驚きながらも嬉しそうにはしゃいでいる。

 くそーっ。俺だって女子高生の彼女が欲しいわ! でもな、俺の立場でそれを言ったら、社会的に抹殺されるんだよ! 察してくれよ! 俺も彼女欲しい!

 俺の心の叫びが聞こえたのか、トナカイなクウがそっと足元に寄り添ってくれた。クウだけだな、俺のこの気持ちをわかってくれるのは。俺も犬飼おうかな。


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