鳴かぬ蛍
後日談 小雪 ②「十二月二十日に帰る予定だから」
「俺は二十一日なるなぁ」
二つのノートパソコンから聞こえてきたそれぞれの声に頷く。
「成田まで迎えに行く?」
「いいわ、一度会社に顔を出さないといけないから。夕方には家に着くと思うけど」
向かって右のモニタにはイギリスにいる母が映っている。
「俺もだな。帰ったら湯豆腐が食べたいよ。あと無性にしば漬けが食べたい」
向かって左のモニタにはアメリカにいる父が映っている。
「わかった。お父さんが帰ってきた日は湯豆腐としば漬けね。お母さんは?」
「そうねぇ。日本食なら何でもいい気分。ご飯とお味噌汁と焼き魚。あとたくあん」
二十時を少し過ぎた頃、イギリスはお昼で、アメリカなんてまだ朝だ。毎日この時間にスカイプで話している。
「そうそう、翔悟君だっけ? 一度食事に招待しておいてね」
「そうだな、俺も会いたい」
「わかった。嫌がられたら諦めてね。まだ高校生なんだから、両親に会うなんて嫌がると思うよ」
「嫌がりそうなのか?」
「……ちゃんと会ってくれると思うけど」
「いい子みたいね」
遠く離れた両親には、翔悟君のことを話してある。翔悟君のことだけじゃなく、何もかも包み隠さず話すようにしている。小さな悩みや、小さな愚痴、小さな感動や、小さな喜び、在り来たりなことであっても全て話すようにしている。離れている分、両親とはむしろよく話すようになったと思う。
晴れた日に毎日撮っている夕暮れの空の写真は、二人に欠かさず送っている。母からはその日見た花の写真、父からはその日食べたものの写真が送られてくる。
「そうだ、犬飼っていい?」
先日遭遇した出来事を掻い摘まんで知らせる。
「曽根さんには知らせた?」
「翔悟君が沙緒里に知らせてくれて、沙緒里がおじさんたちに知らせてくれてる」
「こっちからも詳しく聞いてみるよ」
「茉莉、何かあったら曽根さんのところに行くのよ」
「分かってる。翔悟君も毎日送り迎えしてくれるようになって、ちょっと過保護気味なの」
少し照れながら話せば、両親はからかうでもなく真剣な顔をしたままだ。
「過保護ぐらいが丁度いいわ。もしもの時は家に泊まって貰いなさい」
「いやいや、それはダメだろう」
慌てたような父の声に、母が呆れている。
「避妊だけはしっかりして貰ってね」
「そういうことはまだ早いから」
奥手すぎるわ、と情け無さそうな顔をする母に、ほっとしたような父が対照的だ。どちらかと言えば肉食の母に、草食の父。いつだって母が父を振り回し、それを笑いながら楽しむ父。この二人が私の両親だ。
何事もなく過ぎていく日々に、翔悟君の過保護がいつの間にか当たり前のようになって、登下校も図書館の行き帰りも、子犬に会いに行くのも、スーパーに買い物に行くのも、その後一緒にお昼を食べるのも、常に側に居る翔悟君の存在にあっという間に馴染んでしまった。
両親に会うこともあっさり了承してくれて、恐る恐るな気持ちで聞いたのに、家に遊びに行けば親に遭遇することもあると暗に言われて、それもそうかとなんだか拍子抜けした。
改めて会うと言うからなんだか大事に感じていたけれど、うちに両親が居たら、今日だって翔悟君が迎えに来たときに遭遇している確率は高い。お昼を一緒に食べているときだって、両親と一緒に食卓を囲んでいたかもしれない。
一人で持ち帰るのが大変だった重い物も、翔悟君のおかげでネットスーパーを利用することなく済んでいる。重いものを自転車の籠に入れて走ると、ハンドルがぶれてしまっていたのに、翔悟君はぶれることなくすいすいと走って行く。力の違い、性別の違いを意識して、その頼もしさに肩の力が抜ける。
重いものを買わないときは、散歩がてらゆっくりと歩いてスーパーに向かい、食べたいお昼のリクエストを聞きながら、カートを押してくれる彼の隣に居ることが、まるで夫婦のように思えて、恥ずかしいのにすごく嬉しい。
お昼を一緒に食べた後、帰りがけにふわっと抱きしめてくれるようにもなった。
初めて抱きしめられたとき、もう心が跳ねるどころか飛び出さんばかりに踊り出して大変だった。ドキドキなんて可愛いものじゃない。もうこのまま死ぬんじゃないかと思うくらい、体中から色んな何かが滲み出た気がする。
それは私だけじゃなかったみたいで、翔悟君も顔を赤くして動きがぎこちなくなってて、その後二人で照れ隠しのように笑い出してしまった。
そしてもう一度その腕の中にすっぽりと包まれると、守られているという想いと、守りたいという想いが同時に湧き上がり、この人が好きだってことをしみじみと感じた。
「あー、なんかぴったりする」
翔悟君がそう言いながらやんわりと囲っていた腕に力を入れて、ぎゅっと隙間なく抱きしめられた。耳に伝わる彼の鼓動がすごい早さで跳ねていて、自分の心臓もすごい早さで跳ねていて、同じ速度で跳ねていることがなんだか無性に嬉しかった。
それから抱きしめられる度に翔悟君から「ぴったりする」や「フィットする」という言葉が聞かれるようになり、それは色んな意味を含んでいるようで、耳にする度に自分の存在がそこに落ち着いていくようだった。
相変わらず学校での接触がないからか、私たちのことを知る人は少ない。だからなのか、時々翔悟君の噂が耳に入る。誰に告白されていたとか、そういうことが。
時々不思議に思う。どうして誰が誰に告白してその結果どうなったかが噂になるのだろう。結果付き合ったのならまだ分かるけれど、結果ダメだったことまで噂になるのは、それを知る誰かが言いふらしているからなのか、人目につくところで告白しているからなのか。
沙緒里に言わせると、親友と友達の線引きがそこなのだそうだ。親友の事は絶対に口にしないけれど、友達のことなら友達同士で情報を共有するとかしないとか。意味が分からない。
「茉莉は狭く深くだから、友達って言うとみんな親友みたいだけど、そうじゃない子の方が多いんだよ。その場のノリってやつ?」
「でもだったら尚更、そういう相談って親友にしかしないんじゃない?」
「ある種のイベントだからね、告白って。みんながみんな真剣に告白しているわけでもないんだよ。それこそその場のノリ?」
そう言われてみれば、よく付き合っただの別れただのを繰り返す人がいる。あれはあれで疲れないのかと思うけれど、楽しそうでもあるからそれはそれなのだろう。私にはさっぱり分からないけれど。
「茉莉と佐藤君には分かんないかもね」
「どうして?」
「だって、二人とも二人で完結しちゃってるじゃん。他にもっといい人がいないかなって思わないでしょ?」
「思わないけど……それを言ったら沙緒里だってそうでしょ?」
沙緒里は近所に住むひとつ年上の幼馴染みと中学の頃から付き合っている。彼とは高校が違う上に、彼の方は都内でも有数の進学校なので、週末くらいしか会えないらしい。おまけにかなりのイケメンだけれど、悠希君は沙緒里にしか興味がない。
「うちはもう腐れ縁だから」
「でも悠希君、沙緒里のこと大好きでしょ?」
沙緒里だって悠希君のことが大好きだ。幼馴染みと言うだけの関係だった私にまで、時々嫉妬するくらい、彼のことを強く想っている。私にしてみれば、沙緒里たちの方が二人で完結している。
「茉莉たちはもう少し付き合ってるアピールを周りにした方がいいと思うよ。佐藤君も面倒そうだし。噂だけがふわっと広がったから、本当のところどうなの? って意味でも告白する子がいるんだよ」
沙緒里の言葉に、それはあるかもと思う。噂だけなら今のうちにって思うだろう。自分だったらそうする。だからと言って譲れるものではないので、後で翔悟君と相談してみよう。
「ああ、そう言えば、今年のお父さんからのクリスマスプレゼントは期待出来ると思うよ」
「そうなの? でもおじさんのプレゼントってちょっと、アレなんだよね」
毎年うちのお父さんはクリスマスに沙緒里や悠希君にもクリスマスプレゼントを用意する。幸せのお裾分けなんだそうだ。が、昨年沙緒里は大きなぬいぐるみを貰って微妙な顔をしていた。高校一年生の女の子に特大ぬいぐるみはいかがなものかと、その後母と一緒に父を諭した。悠希君は毎年図書カードを貰っている。中学に入るときに自分から申請したらしい。母と一緒に賢いなと感心したものだ。
「うん、だからこないだ沙緒里が欲しいって言ってたバッグを教えといた」
「へ? だってあれ、六万もするんだよ」
「なんかね、むこうの会社の人と買った宝くじみたいなのが当たったみたい。今年はでっかいお裾分けだって言ってたから大丈夫だと思う。ただ、間違いなく買えるかが心配だけど」
「マジで! やったー!」
叫ぶ沙緒里に、クラス中の視線が集まった。沙緒里がみんなに「すっごく欲しかったバッグが手に入りそう」って嬉しそうに説明しているけれど、うちのお父さんがちゃんと買えるかどうかは定かではない。一応ブランド名を言ったら「緑の看板のだろう?」と返ってきたので、多分大丈夫だと思う。念のため、ブランドサイトの商品のURLも送ってある。出来ればそのままネットで確実に買って欲しい。
「茉莉は何にしたの?」
「ああ、ワクチン代とか」
「は? へ? ああ、犬の?」
「うん。貰い手が見付からなかったら飼うつもりだったんだけど、なんか妙に懐いてくれる子がいて、翔悟君にも懐いてるし、飼っちゃおうかと思って」
「男の子? 女の子?」
「女の子。なんか妙におっとりしてて、かわいいの」
三匹いたうちの二匹は既に飼い主が決まっている。どちらもチワワ寄りのちまっとした可愛い子たちだ。元気もいい。私に懐いてくれている子は、ダックス寄りだからかちょっと胴が長めで足が短く、二匹に比べてバランスが悪く見える。おまけにおっとりしすぎているのか元気に見えない。私にとってはそこが可愛いと思うところなんだけれど、チワワ寄りを選んだ人には不評だったらしい。
「名前決めたの?」
「うん。さくら」
「まさか、桜の木の下で拾ったから?」
頷くと沙緒里が大げさなほど絶望的な顔をする。
「翔悟君とよく相談しなよ。もしくはおばさんと。おじさんはちょっとやめた方がいい感じだけど」
沙緒里の中ではうちのお父さんはセンスがないと認定されている。
「可愛くない?」
「可愛い。さくらって名前は可愛い。でも、その由来がおかしい」
「って、沙緒里に言われたんだけど……」
「まあなぁ。捨てられてた場所に生えてた木だからなぁ」
図書館からの帰り道、翔悟君が暢気な声を出す。図書館の閉館まで三ヶ月ほどになった。来年からはどこで本を読もう。新しい大きな図書館は行ってみたけれどなんだか綺麗すぎて落ち着かない。
「でも、出会いの場所の木だよ」
「それが分かるから俺はいいと思うんだけど、曽根は悲劇の象徴みたいに思うんだろう」
「じゃあ、届けるときはせめてカタカナのサクラにしよう」
「サクラは決定なんだ」
茉莉は結構頑固だからなぁ、と聞こえた翔悟君の声に、自分でもそう思う。一度決めたら意地を張ってしまうところがある私は、昔から頑固だ、時には我が儘だと言われていた。沙緒里はそのあたり分かっているからこそ、反対はしないで回りに相談しろと言う。
「でもさ、曽根が呼ぶ度に曽根が嫌な思いしたりするのは、あいつにとってもいいことじゃないかもしれない。犬は意外と人の機敏に敏感だって聞くから」
どうしてか、翔悟君の言葉はするっと私の中に入ってくる。いつもだったら意地を張り通してしまうのに、それもそうかと素直に思える。
「そっか。じゃあ別の名前にしようかな。翔悟君なにかいい名前思い付く?」
「でもなぁ。俺も似たようなのしか思い付かないんだよなぁ。ほら、あの日初雪が降っただろう? だからそれにちなんだ名前とか」
「雪とか、六花とか?」
「スノーとか、小雪とか」
「小雪、可愛いかも」
あの子は白に近い極薄い茶色をしている。見上げれば翔悟君がにかっと笑っている。
「小雪にする」
くしゃっと頭を撫でられて、もう一度にかっと笑われた。なんだかほわっと心が温かくなった。
翌日沙緒里にそれを告げると、「さすが佐藤君だわ」と違うところで感心された。私の頑固さを丸め込める翔悟君は、沙緒里にしてみれば神らしい。なんだか色々複雑だ。