鳴かぬ蛍
付録沙緒里が言っていた彼の隠れファンという人たちに、放課後囲まれた。隣のクラスの女子が数名。噂の真相を確かめたいらしい。翔悟君の友人の「付き合っているのか」の問いに、彼が肯いたことまで知っていた。
「付き合ってるの?」
意を決したように言う彼女の目つきが怖いくらいに鋭い。周りは付き添いのようで、彼女とのやりとりから、どうやら勝手に付いてきたことが分かった。友達想いなのか野次馬なのか。
彼女の問いに肯けば、その顔が泣きそうに歪んだ。ファンなんかじゃなくて、本当に好きだったのだろう。
「いつから?」
思わず首を傾げる。いつからと言われたら、お互いに意識し合っていると気付いたときから? それとも初めて手を繋いだあの日から? お互いの気持ちにいつ気付いたっけ──。
「いつから付き合ってるの?」
少し考え込んでいると、焦れた彼女に再度聞かれる。彼女の抑えられた声に気遣いを感じて、誤魔化すのではなくちゃんと答えようと思った。
「いつから……。いつの間にか? かも。お互いの存在が自然で、当たり前になってた感じ」
ぐっと息を詰め眉を寄せた彼女は、ゆっくりと瞬きをひとつした後でそれを一息に吐いた。
「わかった。答えてくれてありがとう」
泣きそうなほどに顔を歪めた彼女は、泣く代わりに歪んだ笑顔を残して踵を返した。
「木崎さん──」
思わず呼び止めてしまってから気付く。何を言いたいのか。何を言えるのか。私が彼女にかけていい言葉なんて無いのに。
律儀に振り向いた彼女は、歪んだ笑顔のまま「佐藤さんなら許す」と言って、ごねようとする付き添いを引き連れて教室から出て行った。
小声でのやりとりは、少し離れた場所で様子を伺っていた沙緒里には届いていたらしい。
「文句言うかと思ったけど、木崎さんらしいね」
「そうなの?」
「悪い人じゃないと思うよ」
「そうかも」
本当に確かめに来ただけなのだろう。高校生にもなってイジメこそ無いだろうけれど、それこそ文句のひとつやふたつ覚悟していたのに、あっさりと去って行った。余程周りの付き添いの方が私を吊し上げたかったかのように思える。彼女を思ってのことだろうけれど。
彼女の歪んだ笑顔がどうしてかとても綺麗に見えて、そう言えば木崎さんは元々綺麗な人だったことを思い出した。
「木崎さんって、美人だよね」
「賢いしね。かなりモテるらしいよ」
「だろうね」
そこに、慌てたように教室に入ってきた翔悟君が、ガタガタと音を立てながら、机をかき分けるように近付いて来た。私の席は教室の入り口からは遠い窓際だ。
「木崎が茉莉に噂を確かめたって……」
「うん。ただ確かめに来ただけだった」
「それだけ? 何か言われた?」
「それだけ。私なら許すって」
なんだそれ、そう言って訝しげな顔をする翔悟君に、沙緒里が「来るの遅いよ。万が一って事だってあるんだから」と文句をいいながら連絡先を交換している。沙緒里が「まさか佐藤君もSNS使わない人? 今時茉莉くらいかと思ってた」と驚いていた。私も翔悟君もそういう繋がりを煩わしいと感じてしまう。
「木崎さん、綺麗な人だね」
「ん? ああ、そうかもな」
彼の気のない返事に満足してしまう私は最低だ。自分の醜さを心の中であざ笑う。あの穏やかでいられた頃の自分を遠くに感じた。
「茉莉、俺たちも」
そう言ってスマホを向ける翔悟君に、沙緒里がびっくりした顔をしている。
「あんたたち、今そこ? 今そこなの?」
そうだった。写真のやりとりはしているのに、個人情報のやりとりはしていなかった。自分の事ながら、あまりの今更感に沙緒里同様ちょっと呆れた。翔悟君が苦笑いしているのを見れば、彼は気付いていたらしい。
何故か、木崎さんと仲良くなった。
あれ以降一言二言言葉を交わすようになり、実はファンタジー好きだったという木崎さんも、あの小さな図書館を知っており、おまけに木崎さんも記念公園沿いに住んでいることが判明した。彼女は三番町に住んでいる。図書館は五番町だ。四番町はない。もしかしたら公園そのものが四番町なのかもしれない。
「佐藤さんは児童文学が好きで、曽根さんは時代小説かぁ。なんか意外。曽根さんは恋愛小説とか読んでそう」
「恋愛小説は一切読まないなぁ。で、木崎さんはファンタジーかぁ」
「特にドイツファンタジーが好きなの」
「エンデとかイーザウとかフンケとか?」
「そうそう。佐藤さんも読むの?」
「茉莉は一通り何でも読むんだよ」
小さな図書館に向かう道すがら、それぞれの好みを話している。私たちの後ろには少し離れて翔悟君とその友達も一緒だ。その友達と言うか、木崎さんのファンだ。
「それよりさ、佐藤君って穏やかなだけじゃないんだね」
「なになに? なんかあったの?」
声を潜めた木崎さんに沙緒里が興味津々の態で聞いている。
「ほら、私が佐藤さんに佐藤君のこと聞きに行ったとき。実はあの後教室に戻って、佐藤君に佐藤さんに噂のことを聞いたって思わず報告しちゃったの」
「は? 木崎さんってちょっとアレな人? なんでわざわざ自分から報告しちゃうの?」
「そうなんだよねぇ。自分でもよく分からないんだけど、あの時はちゃんと報告すべきだって思い込んでいたんだよね。何て言うか、フェアな感じ?」
「なにそれ。意味分かんない」
賢いくせに変な人、そう言って笑う沙緒里に、木崎さんが少し照れたように笑っている。
「それでそれで? 佐藤君なんて言ったの?」
「それがね、ものすごーく怖い顔で、『茉莉に何した!』ってすんごい剣幕で。声が抑えられてる分めちゃめちゃ迫力あって。殴られるかと思った」
「マジで? あの佐藤君が?」
「そう。それで一気に冷めちゃった。私、どんなときでも穏やかな人が好きなんだよね」
眉を寄せた木崎さんに、沙緒里が「木崎さんにはそう言う人が合いそう」と頷いている。彼女の恋の終わりを聞いて、だから私とも普通に話せるのかと、妙に納得した。
「茉莉知ってた? 佐藤君のそーゆーとこ」
頷けば二人とも驚いたのかその足が止まった。彼の中に吹き荒ぶ野分の気配には随分前から気付いていた。それこそ彼を認識した初めからかもしれない。
彼は穏やかであろうと努力している人だ。その実、結構熱い人。特に読んでいる物語に同調しているときは、その顔が険しくなったり、綻んだり、歪んだり、泣きそうになったりと、とにかく表情豊かだ。無意識だからこそ、彼の本質が見えてくる。彼が隠し持つ、あの野分の気配が案外私は好きなのかもしれない。
「なんだ、知ってるのかぁ。なんか納得。やっぱり佐藤さんと佐藤君は合ってるんだね」
再び歩き出した木崎さんに誘われるように、沙緒里も私も歩き出す。少し離れて歩いていた翔悟君たちが真後ろに追いついてしまった。
「茉莉もこう見えて実は好き嫌いが激しいからね」
「そうなの? 佐藤さんもただの文学少女じゃないってこと?」
なに文学少女って? 思わず首を傾げると、後ろから声が掛かった。
「茉莉はいつも本を読んでいるだろう? だから周りが勝手に大人しいって思ってるんだよ」
振り向けば翔悟君に同意するかのように、木崎さんのファンだという彼の友人──確か山内君だったと思う──も頷く。
「大人しくはないよね?」
「ないな」
念のために翔悟君に確認すれば、間髪入れずに肯定された。目を丸くする木崎さんと山内君に、沙緒里が思いっきり声を上げて笑っている。
「茉莉は一見誰に対してもフラットだからね」
「沙緒里が賑やかすぎるんだよ」
「確かに。曽根さんは賑やかって言うより華やかだよね」
おおっ! と満更でもなさそうな沙緒里が、「木崎さんいいこと言うね」と嬉しそうに鮮やかな笑顔を振りまいた。確かに沙緒里は華やかだ。私と違ってその髪の先から爪の先まできっちりと女の子らしさで溢れている。唇も指先も艶々だ。私も手入れこそしているけれど、沙緒里ほどの女の子らしさはない。木崎さんは元々美人だからたとえ手入れしていなくても華やかに見えそうだ。
──翔悟君はこんな私で本当にいいのかな。
ちらっと横目で見れば、まるで見ることが分かっていたかのように目が合い、にかっと笑われた。……もう少し女の子らしくしよう。
そう言えばいつだったか、女の子がお礼に駄菓子、それもうまし棒はいかがなものかと言われたことがある。おまけにコンビニの袋入り。でもそれが私らしいと笑うから、そうでしょと返したけれど、あれはもう少し女の子らしくしろって事だったのかもしれない。やっぱりチロリアンチョコにするべきだった。
小さな図書館の利用者がこのところ増えてきている。来春には取り壊されるからだろうか。司書さんが「最後の賑わいだ」と嬉しそうにも寂しそうにも見える複雑な表情で笑っていた。
翔悟君は先日から読んでいる『ダーク・タワー』を、沙緒里は『死ぬことと見つけたり』を手に取り、木崎さんは「久しぶりに『暁の円卓』読み直そう」と言いながらその第一巻を、山内君は木崎さんに勧められた『ちいさなちいさな王様』を手にしている。私は『沼地のある森を抜けて』を手に取った。
こうして息抜きのようにのんびりと好きな本を読んでいられるのも、高二である今のうちだけだ。
私と翔悟君がいつもの席に座れば、私の右隣をひとつ空けて沙緒里が座る。
「どうしてひとつ空けるの?」
「その方がお互いの気配が気にならないでしょ?」
山内君が小さく沙緒里に聞き、そのまま聞いた沙緒里の斜め前に座ることはせず、わざわざ木崎さんの斜め前に移動した。そのあからさまな態度に、思わず沙緒里と顔を見合わせて小さく笑う。
時折時間が合えば訪れる木崎さんも、沙緒里同様小さな図書館に馴染むようになっていった。息抜きに丁度いいらしい。山内君は木崎さんが来るときには必ず来る。むしろ木崎さんが来ないと来ない。どこでその情報を仕入れているのか。
その山内君のストーカーまがいの奮闘むなしく、木崎さんは時々小さな図書館ですれ違う、若い会社員の男の人と付き合うようになった。山内君がどれほど嘆いたかは、翔悟君しか知らない。
そして花嵐の頃、私たちが馴染み込んだ小さな図書館は閉鎖された。