硲153番地
風が光るとき残喘
ついに十年。
私の寿命ももうすぐ尽きる。
最後に〈あの子〉に伝えたかった。
愛していないわけじゃないのよ。
間違いなく私から生まれたというのに、間違いなく私たちの子供ではない〈あの子〉。
生まれ落ちた〈あの子〉は私たちの子供であることをあんなにも示していたのに。
私たちの子供ではないことを一番よく知っているのは〈あの子〉を産んだ私だなんて。
なんて皮肉。
〈あの子〉を産んだ瞬間、自ずとわかった。
その真理と引き替えに私は私を大きく欠いた。
〈あの子〉が私の中に芽生えたのは二年以上も前のこと。
きっとあのとき。
私はまたひとつ私を失った。手のひらで砂を掬うように、私という大地から私の欠片が失われていく。失われたことに気付かないような小さなものから、喪失を感じるくらい大きなものまで。
あの頃であれば、私たちの子供で間違いない。
あの頃であれば、誰からも祝福されたのに。
でも、人の躰は三年近くも妊娠していられるものかしら。
その意味では間違いなく〈あの子〉は私たちの子供ではない。
私はどれほど失われたのだろう。
私の寿命は〈あの子〉の芽生えから十年だということも。
私は日増しに私を維持することが困難になるだろうということも。
〈あの子〉を産んだ瞬間、私はたくさんの私と引き替えに砂粒のような小さな真理を拾った。
こんなこと、誰が信じてくれるかしら。
〈あの子〉が七つになる前に。
私の全てが失われる前に。
誰か。
ふと浮かんだわらべうた。
この子の七つのお祝いに、御札を納めに参ります。
行きはよいよい、帰りはこわい。
だめ。
この歌は〈あの子〉に相応しくない。
旅立ちの歌を。
美しい歌を。
失うことのない愛を。
愛していないわけじゃないの。
〈あの子〉にはもう二度と会えない。
どうか、〈あの子〉に光あらんことを。