硲153番地
サンクチュアリ
秋の終わり


 救急隊が駆けつけた時点で〈その男児〉の息はすでになく、死後硬直が始まっていた。
 すぐさま消防から警察へと連絡が行き、最初に到着していた数台の警察車両の後に、遺体を収容するためのワゴン車が遅れて到着した。
〈死亡した男児〉はひどく痩せ細っていた。同じく痩せ細った〈第一発見者の少女〉は〈死亡した男児〉の姉だと名乗った。
 しばらくすると〈彼らの保護者〉が警察からの連絡を受け駆けつけた。〈彼らの保護者である母親〉は〈すでに遺体収容袋に収まった男児〉の姿に大袈裟なほど嘆いている。それを〈泣きはらした目の少女〉がひどく冷めた顔で眺めていた。その様子はその場にいた誰もが不審を抱くほどだった。
〈死亡した男児〉の住居である三階建ての賃貸アパート、そのベランダからの転落死。事故か事件か。最終的には事故として処理された。〈死亡した男児〉は頭部から落下、脳挫傷および頸髄損傷による即死。不自然なほど右手を握りしめていた。
〈同じ家の中にいた男児の姉〉は事故発生時、「寝ていた」と証言している。階下の住人の証言から事故の発生は午前一時十五分前後と推定される。
 奇しくもその日は〈男児の姉〉の誕生日だった。

 通報は未明の午前五時二十三分。
 午前五時のアラームで目覚めた〈死亡した男児の姉〉は隣で寝ているはずの〈弟〉の姿がないことを不審に思い、家中を隈無く探し、ベランダから外を覗き見て地面に倒れている〈弟〉を発見。慌てて〈弟〉の元に駆けつけ死亡を確認、騒ぎを聞きつけた同アパートの住人が消防に通報している。階下の住人は夜中に「どん」という衝撃音を聞いていたが、特に確かめることはなかった。たまたま観ていた番組開始のタイミングだったために死亡推定時刻が特定できたに過ぎない。

〈保護者である母親〉は知人と会うために家を空けていた。2DKの部屋の中は掃除が行き届き、洗濯物などもたまっておらず、一見健全な母子家庭に見えた。ただ、〈駆けつけた母親〉の服装が〈男児ら〉のそれに比べ高価なことや、〈男児ら〉の不健康さとは対称的な肌つやのよさ、〈第一発見者の少女〉の〈母親〉を見る目の異様さが、〈男児〉の死をただの事故と片付けられなくしていた。
〈男児らの母親〉に育児放棄の疑いがあることもその要因の一つだった。〈男児ら〉は近隣からの通報により過去に何度か児童相談所に保護されていた。〈姉〉は〈弟〉の面倒をよく見ていた、とは保護していた児童養護施設の職員談だ。実際、〈第一発見者の少女〉が〈死亡した男児〉の死を心底悼んでいることは誰の目にも明白だった。

〈死亡した男児の母親〉は一貫して虐待を否認していたが、育児放棄は認めた。近隣住人の証言により、〈母親〉が〈男児〉を日常的に罵っていたことがわかっている。〈母親〉はしつけの一環だと心理的虐待を否認した。
 抜け殻のような〈男児の姉〉は淡々と日常を語った。生活を整えていたのは〈男児の姉〉であり、姉弟は一人分の食事を分け合っていた。
〈母親〉は定職に就いておらず、生活費は様々な支援制度と〈少女の父親〉からの養育費でまかなわれていた。〈男児ら〉は異父姉弟であり、〈男児の父親〉からの養育費はなく、〈男児〉が〈母親〉から罵られていたのは、その養育費の有無に因るものと推測された。
〈母親〉はこれを否認。あくまでも躾に因るものだと主張した。
〈養育費のある少女〉は食事を与えられ、〈養育費のない男児〉は食事を与えられていなかった。これも〈母親〉は否定した。子供だから大人用の弁当一つで足りると思っていたと主張した。一事が万事そうだったようだ。布団も衣服も生活用品の全てが〈養育費のある姉〉に買い与えられたもので、〈彼ら〉はそれを共有し生活していた。〈母親〉は全てにおいて、一つで足りると思っていた、と強く主張した。
〈母親〉にはどこか浮ついたところがあった。精神疾患が疑われたが、事件性がないため問題にはならなかった。

〈少女〉は児童養護施設への入所を希望した。しかし〈母親〉がこれを拒み、反省の色も濃く、実際に定職にも就いたことから、〈少女〉は〈母親〉のもとで養育されることになった。