アンダーカバー / Undercover
第五章 存続
71 大帝国


 三度目の訪問となるコルアでの披露宴は、これが最後ということもあってか一番肩の力が抜けていたように思う。
 あのど派手な王妃様ともなんとなく打ち解け、シンプルの中にある小さなかわいらしさをエニフさんを通じてこれでもかと訴えてきた。なぜか王様が必死に頷いていたから、王妃様がシンプルへシフトチェンジすることは歓迎らしい。
 陰険王子はようやく結婚が決まったらしく、ほんの少しだけ陰も険も薄れていたような。おまけにダイエットでも始めたのか、ほんの少しだけスリムになっていたような。……気のせいかもしれない。
 第二王子のそつのない笑顔を見て、今まで見た中で一番のアルカイックスマイルだと感心したりもした。

 そのまま砦に移動し、久しぶりにポルクス隊のみんなと一緒にご飯を食べ、シリウスたちは大帝国への親善訪問の打ち合わせを連日行っている。
 ちなみに、急に決まったにもかかわらず、結婚準備で忙しいはずの大帝国側が二つ返事で了承し、僅か二ヶ月後に訪問が決まった。何かよからぬ企みでもあるのではないかと勘ぐれば、なんてことはない、乙女が二つ返事で了承したせいらしい。

 私は私で衛生隊の三人と会い、未だ力の発現がないことを嘆かれた。相変わらず瞑想は続けていると聞いて、なんともいえない気持ちになりながら、がんばれ、と伝えてきた。
 そもそも瞑想がダメなんじゃないかとこっそりエニフさんに伝えたら、エニフさんも大きく頷きながら渋い顔をしていた。

 しばらく砦に滞在すると聞いていたので、ノワの布団ラグも持ってきた。
 ノワのひと息で離れになっている私たちの部屋からホコリが一掃され、軽く全体を水拭きして、シリウスの部屋だった方にノワの布団ラグを敷いた。二つの部屋の間に設けられた開口部から、巨大ノワが至福そうに丸まっているのが見える。とても一国をぶっ潰した黒歴史持ちの姿ではない。
 ちなみにシリウスは「聞かなかったことにする」らしい。私もできればそうしたい。

 砦は今、春を迎えようとしている。日陰に残る雪が私の知る雪と同じで、その透き通る白さと少し土に汚れていたり、シャーベット状に固まった氷の粒が懐かしくて、しばらく冬の名残を見続けてしまった。
 ここ数年は、常夏のメキナと灼熱のファルボナを中心に動き回っているせいか、完全に季節感が失われている。メキナやファルボナにだってはっきりしないものの季節はある。わかりやすいのは雨季と乾季だ。ただ、私にとっては梅雨と夏でしかない。
 久しぶりに触れる春の気配に、心が浮き立つのは仕方がないというものだろう。

 毎日毎日、小さな春の気配を感じては、ひとつひとつシリウスに報告した。
 昨日までは知らなかった小鳥の羽ばたきを見つめたり、どこからともなく聞こえてくる鳴き声に耳をすましたり、小さく芽を吹いた緑の形状を観察したり、それらを報告するたびに、それはどんな小鳥で、その鳴き声はどんな動物で、その葉はどんな花を咲かすかを教わった。
 以前見せられた絵本のページをめくっているときにはなかなか入ってこなかった知識が、実際を知ることによって私に中にひとつずつ増え始めている。



 途中一度メキナに戻り、親善訪問用のドレスと、乙女の結婚式用のドレスの試着を行う。今回は二着ともシリウスの色でもある濃紺だったことに驚いた。
「今まで薄い色ばっかだったのになんで今回は濃い色なの?」
「あなたがようやくシリウスと結婚したってことが周知されたからでしょ。披露宴が全部終わるまではあなたたちって婚約者以上夫婦未満って感じだったのよ」
「なにそのめんどくさい感じ」
「だから訪問先に宿泊できなかったってわけ。部屋を一緒にするか別々にするか、訪問先も頭を悩ませかねないでしょ」
 既婚者になると相手の色のドレスになるのか。元々私服も青系が多い。婚約した途端シリウスの色がいつの間にか増えていた。
 濃紺のドレスは色自体が大人びた硬質さを感じさせるせいか、デザインがかなり柔らかめになっている。この色でシンプルなラインにすると私には似合わなそうだ。
「濃紺って結構難しいんだね。なんとなく制服とかに多い色だから誰にでも似合う色かと思ってた」
「あなたの場合、顔の薄さが問題じゃない?」
 本当に失礼な。私個人じゃなく民族的特徴だと何度言えばわかるのか。
 これまで訪れた国に日本人っぽい顔付きの民族はいなかった。アジアっぽいボウェスの周辺国でも、みんなそこそこ彫りは深かった。日本人の中でも濃い顔だけが寄り集まった感じだ。
 この世界の人たちは全体的に濃ゆい。鼻の付け根に嫌味なくらい段差がある。きっと進化の過程で薄い顔は淘汰されたに違いない。それともこれから出現する顔なのか。となれば私は、近未来的な顔ってことだ。
 ノワさん、その目は心が折れます。



 再び砦に戻り、また春を探し、春を満喫し、初夏の気配を探し始めたところで、大帝国への親善訪問が行われた。

 赤の男が平気になっていたことから、大帝国に行くことも平気だろうと思ってはいたものの、そもそも、大帝国のあれこれをほとんど覚えていなかった。私の記憶にあるのは箱檻と赤の男、レーザーソードと治癒した不特定多数の覚えのない誰かというだけで、街並みを見ても王城を見ても、なんの感慨もなかった。

「大帝国のお城って優美なんだね。大帝国って響きからごっついお城をイメージしてた」
 確かに、以前ノワが言ったように細い塔がいくつも建っている。某テーマパークのお城のモデルになったドイツのなんとか城に似ている。名前は忘れた。なんとかシュバイン城だった気がする。違うかな。シュタインだったかも。
 そのなんとかシュバイン城よりもたくさんの尖塔が突き出ている。姿を隠したノワが舌舐めずりをしたのは見なかったことにしよう。

 すでに夕方にもかかわらず、たくさんの人が集まっている城前広場にリムジン飛行船を始めとする連合軍の飛行船が次々着陸する。まずはポルクス隊が先に降り、上空を旋回していたリムジン飛行船が静かに降下し、ポルクス隊がコックピット下部のバーを一斉に掴み着地させた。
 一糸乱れぬ素早い動きに、大帝国の国民から歓声が上がった。

『なんか微妙。厄災の乙女のときは石を投げる勢いで嫌われたのに、僅か数年でこの歓迎っぷり』
──そう怒るな。真実を知らない民などそんなもんだ。

 飛行船から聖女として姿を現した途端、飛行船が振動するほどのものすごい歓声が上がった。歓迎しすぎだろう、と思ってしまう私は器が小さすぎるだろうか。

──あとは、神殿の力だな。聖女と厄災の乙女を完全に別物にしたようだ。

 嬉しくない。いつの間にか黒歴史が作られていた気分だ。

 飛行船から降り、ジェームの花で埋め尽くされたジェームロードをシリウスのエスコートで進んでいく。いつの間にかジェームが聖女の花になっているのは知っていたけれど、踏み付けるのはどうなんだと思わなくもない。
 ここのお城は入り口までの階段がほとんどなくてほっとした。あのメキナ城の階段は二度と上りたくない。

『まず最初は乙女との面会だっけ?』
──そうだ。翌日には皇帝との面会だ。

 乙女の地位が皇帝より上にあるようで何よりだ。

 到着した日はそのまま宿泊する部屋に籠もる。明日のお昼前に乙女との面会、そのお昼過ぎに皇帝との面会、そのあと晩餐会が続き、明後日には帰ることになる。
 かなりタイトなスケジュールにしてもらっているのは、転移装置を壊してとっとと逃げるつもりだからだ。
 明日の乙女との面会直前に、急遽第一皇子の同席を希望することになっている。事前に希望していると第二王子の妨害が入りそうなので直前ということになっている。そこで最終的な密談だ。第一皇子の手引きにより、晩餐会のあと、転移装置が機能的に壊せるかをこっそり確かめに行く。壊せるなら壊してしまい、壊せないなら転移装置自体か、保管場所を加護してとりあえず使えないようにする。そして、第一皇子の即位後、物理的に破壊する予定だ。
 ちなみに、事前打ち合わせとして、ブルグレ精霊隊が機密文書を運んでいる。

 案内されたのは、以前忍び込んだときに見た乙女の部屋同様、ものすごく目に眩しい部屋だった。
 柱や壁の至る所に金色のモール飾りが付いていて、それが光を反射してとにかく眩しい。まさか寝室までこうではあるまい、と案内してくれた人たちを下げたあとで見に行ったら、寝室までもがギラついていた。
 分厚いカーテンを閉めて部屋の明かりを落とし、天蓋の薄布を引いて扉を閉めてみるも、至る所に蓄光材が使われているのか、きらきらは消えなかった。
「どんな成金趣味よ」
「こういう類の部屋は、万が一を考えて完全な暗闇にならないようになっている」
 苦笑いのシリウスが部屋の明かりを再び点けてまわる。
「でも、コルアに泊まったときはこうじゃなかったよ?」
「あそこを使用するときはポルクス隊が守っているからだ。万が一もないという自負がある。城の客室はここと同じだ」
 ボウェスはどうだったかと思い返せば、明かりを消す前にノワの猫パンチを食らったことを思い出し、おでこの痛みまで蘇ってしまった。それでも夜明けの光を感じたのだから、ここまで明るくはなかったはずだ。
「つまりサヤは眠れないんだな」
 こんな部屋で眠れる人の気が知れない。しかも今回はそれこそ万が一を考えて部屋にエニフさんとデネボラさんが控えて寝ずの番をしてくれる。ノワがいるから大丈夫なのに。
「暗闇になーあーれーって唱えてみなさいよ」
 ノワのせせら笑いにかちんときて、意地でもここで寝ることにした。布団に潜れば暗闇だ。
 
 部屋に運ばれてきた食事をエニフさんたちが毒味しようとするので、「毒なんてなくなっちゃえー」と念のため唱えてから毒味してもらい、そのあとで口にした。
 加護しているのだから彼らは毒も平気だとは思うけれど、絶対はない。
「そんな第二皇子って信用ならない感じ?」
「ならないんじゃ」
 ここで万が一聖女が毒に倒れたら、瞬時に開戦されることくらいわかるだろうに。ブルグレが渋い顔で果物を囓っている。
「ってか、もしかして戦争したいの?」
「したいらしいな」
 シリウスたちもだろうか。
「こっちから仕掛けるつもりは元々ない。仕掛けられれば応戦する。ここ数年のコルアとボウェスの発展をみれば、さすがに考えるよ」
 戦争がなくなっただけで、防戦に使われていた予算が全て宙に浮き、作物が踏み荒らされることなく育ち、安心して漁もできる。一番被害の大きかったコルアとボウェスにしてみれば、停戦の今こそあらゆるものを貯えるチャンスなのだろう。それを使うという発想にならないのは、停戦がいつまで続くかわからないと踏んでいるからか。



 眠れないとか言っていた人は誰でしたっけ。
 ノワに「いびきかいてたわよ」と言われるほど熟睡した。ちなみにシリウスは念のため半覚醒で用心していたらしい。
「いつも一人だけ暢気で申し訳ないです。おまけにいびきとか、本当にごめん」
 エニフさんとデネボラさんがいるから別々のベッドで寝ようと思ったのに、巨大ノワがひとつを占領した。エニフさんは薄々気付いていただろうけれど、初めて巨大ノワを目にしたデネボラさんは、「妖獣? おい、これまさか妖獣じゃないよな?」としつこく脳内でシリウスに話しかけていたらしい。ちなみにノワにも筒抜けである。
 翌朝のデネボラさんは色々察したのか、げっそりしていた。エニフさんはけろっとしている。
 ノワが最終形態を見せるということは、この二人を信用しているということだ。
「どちらにしろ眠るつもりはなかったから気にするな。サヤのいびきはかわいいもんだ」
「鼻がすぴすぴ鳴ってたわよ」
「えー……鼻詰まってないのになぁ。重ね重ね申し訳ない」
「ブルグレとの二重奏になっていた」
 それはもうコントではなかろうか。ブルグレまで渋い顔になった。

 朝食を食べ、シリウスたちが打ち合わせをしている隣室でドレスアップし、いざ乙女との面会だ。
 こっちから尋ねる手筈だったのに、向こうからやって来た。
「そういう気分だったのよ。その方がそっちも楽でしょ」
 気が利く、と思う一方で、今日も真っ赤なドレスが強烈だ、とも思う。

 こちらが訪ねるとこちら側の護衛は人払いをしたときに部屋に待機できない。おまけに乙女側の護衛が最低二人は残る。それがここの常識だ。
 だから、ポルクス隊の数名が姿を隠して同行する手筈になっていたし、シリウスと第一皇子は護衛の目を盗んで手話で会話する予定だった。当然シリウスの能力は明かさない。
 けれど、乙女側から尋ねてきた場合、乙女側の護衛を人払いできる上、ポルクス隊長と今回同行しているレグルス副長を護衛と称して部屋に残せる。おまけに普通に話せる。

 楽でしょ、の言葉は、一見私を気遣っているように見えて、そういう意味だ。
「ありがと」
 お礼を言ったのに、ウザ、みたいな顔をされた。
「こういうときは、お心遣いに感謝します、くらい言いなさいよ」
 おい。私の言葉は通じないのだから、まるで私がお礼を言ってないみたいに周りには聞こえるじゃないか。乙女がものすっごく優雅にほほ笑んだ。ゲスい。

 助けを求めてシリウスを見上げたら、「俺が実況しているから大丈夫だ。そもそも、本来聖女は礼なんて言う必要がない。それを強要する方が非難される」と頭の中に響いた。

 つまり、この場合悪く言われるのは乙女の方ってことか。ならいいや。あからさまに大帝国側の人たちには非難の目を向けられているような気がするけれど、それもいいや。どうせここはアウェイだ。

 室内に招き入れ、それと同時に第一皇子が人払いを命じた。殺意を込めた目でポルクス隊長とレグルス副長を睨み付けながら、乙女側の護衛がデネボラさんたちと一緒に退室していった。
 個人的に用意したお土産、マヌカ産の果実酒に第一皇子の目が輝いた。マヌカの評判は国境を超えているらしい。

──マヌカに来たことがあっただろう。
『あ、そっか。だからお土産これにしたの?』

 シリウスの呆れ目がせつない。国境越えじゃなかった。いや、ある意味第一皇子が気に入ったなら国境越えか。
 私がどうでもいいことを考えている間も、シリウスと第一皇子の話は進んでいく。

 ふと、乙女の気配が揺らいでいることに気付いた。
「もしかして、体調悪い?」
「別に。ちょっと頭が痛いだけよ」
「治す?」
 びくっとするほどの憎悪を向けられた。
「あんたも自分の不調も治せない私をバカにしてるの?」
 そのひと言で、彼女がここでどんな扱いを受けているのかわかってしまった。はっきりと言われたわけではないだろう。はっきりと言う人なんていないだろう。それでも、そういう気配に私たちは敏感だ。そういう気配を読みながら、狭い教室の中で生きてきた。

 いい気味だとは思わなかった。思いたかったのに思えなかった。
「それはちょっとキツイね」
「ちょっとどころじゃないわよ。厄災の乙女じゃないんだからって言っても、わからない人はわかろうともしないんだから」
 本当は彼女にもできることだ。ただし、今の彼女がそれをやってしまうと一気に存在が危うくなる。
「あのさ、嫌かもしれないけど、私が中田さんの祝福の乙女としての存在を誤魔化すから、完全に惑わすのやめて、その分自分の存在を保つために使えば?」
「また上から?」
 そう言われるだろうことはわかっていた。実際そう言われるだけの気持ちで話している。
「言っておくけど、バカにはしてないからね」
「同じことでしょ」
 まあいいや。私にできるのはこのくらいだ。それを拒むなら、あとはお好きにどうぞ、だ。
 寝室にいるノワが知らん顔をしているということは、今の状態でも結婚式までは保つのだろう。ただ本人が辛いだけだ。
 私と同じ目に遭えばいいとは思わないし思いたくもない。だからといって、頼まれもしないのに何かしてやる義理もない。彼女の性格を考えれば、断るだろうことも、逆に奮起するだろうこともわかったうえで言った。それが上からと言うならそうなのだろう。
 自分でなんとかしろ、というのが本音だ。